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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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太公望と鶏鍋⑤

「……へ? ひとつ目?」


 ひとつ目ということは、ふたつ目があるのですか?

 あるのですよね……それは当然。

 わたしの不安は、突然浮かんだ別の不安によって上書きされてしまったのです。


「え、ええと、交渉の目処が立ったのですよね? あとは交渉して、彼らを協力させるだけの消化試合ですよね? これ以上、何が問題なのですか?」


 嫌な予感がプンプンなので、わざと簡単な表現で和らげます……。

 あまりにも効果がなくて、泣きたくなります……。


「確かに “テンプル騎士団” が俺たちの考えてるとおりの連中なら、利益を説けばこっちに転ぶかもしれねえ。こっちには燃料の他にも、塩やワインがあるからな。どれも奴らにしてみれば喉から手が出るほど欲しい品だろう」


 アッシュロードさんは、チラリと足元の萎んだ革袋に目をやりました。

 ああ、そうか。

 だからアッシュロードさんは、あんなにもワインを欲しがっていたのですね。

 もちろん本人が飲みたかったのもあるでしょうが(この人はお酒を飲んだ方が頭がよくなるらしいのです。アルコールの効能で脳味噌の血行がよくなるのでしょう……多分)、“十字軍(クルセイダーズ)” にとってワインは単にお酒であるだけでなく、宗教的にも重要な意味を持つ品なのです。

 日本の神道が日本酒と深い関係があるように、キリスト教とワインもまた密接な関わりがあるのです。


「それでは……何が問題なのですか?」


「しっかりしろ、ライスライト。目的と手段を混同すんな」


 言われてハッとしました。

 確かに、わたしたちの目的は彼らと交渉すること自体ではないのです。

 わたしたちの目的は――。


「連中との交渉に成功したとする。俺たちは奴らに燃料や塩やワインを提供して、多少時間は掛かるだろうが、奴らも()()()が良くなって士気も高まった」


「高まった……っ!」


 思わず力が入ってしまいます!

 高まって――それでどうなりましたか!?


「当然、進軍ラッパが吹き鳴らされて邪教徒の神殿に向かうことになる」


「向かうことになった……っ!」


 思わず力が入ってしまいます!

 向かうことになって――それでどうなりましたか!?


「当然、悪魔崇拝者たちの神殿の前で一大攻城戦が勃発することになる」


「一大攻城戦が勃発することになった……っ!」


 思わず力が入ってしまいます!

 一大攻城戦が勃発して――それでどうなりましたか!?


「そして」


「そして……っ!?」


「攻城側が負けて、状況は何も変わらねえ」


「…………へっ?」


「勝てねえんだよ、“十字軍” は。あの程度の戦力じゃ、“邪神の神殿” は落とせねえんだ」


 ()()殿()モードのわたしに、アッシュロードさんは苦虫を噛み潰したような顔でぼやきました。


「地図を思い出してみろ」


「ち、地図ですか、地図、地図」


 お、落ち着きなさい、わたし。

 これではまるで、最初に迷宮に潜ったときのようではありませんか。

 第五層の地図は報告会のときに見せてもらっていますし、その後パーシャが模写したものをレットさんたちとじっくり見て、意見の交換もしています。

 なので、アッシュロードさんの言っている “邪神の神殿” 付近の構造も、地図の上ではわかります。

 そうして、ようやくアッシュロードさんの言わんとしていることがわかった……ような気がしました。


「東西に一×三区画(ブロック)の玄室の先に、神殿の正門がある――そんな場所に大軍で攻め込んでも……」


「理解したみてえだな。そのとおりだ。あんな狭苦しい場所じゃ、部隊の展開ができねえ。戦えるのは、精々最前列の半個分隊(六人程度)だ。

 最前列が殺り合ってる間に、後ろから “呪死(デス)” が雨あられと飛んでくる。

 “攻城側” も加護は願えるが、“守備側” みてえに “呪死” は使えねえ。

 全体の九割以上が遊軍になって、大軍の利を活かせずバタバタ死んでいくだろうな――典型的な各個撃破だ」


 吐き捨てるようにいうアッシュロードさんに、わたしはポツリと呟きました。


「…… “(ウォール)”」


「……あ?」


「“火の七日間” の際に、あなたが “紫衣の魔女(アンドリーナ)の迷宮” に築いたという一夜城……わたしは籠城戦には参加していませんが、その一夜城を連想しました」


「籠城か……まさにそれだな。引き籠もりの坊主どもにピッタリだ」


「引き籠もり?」


「ああ、“十字軍” は我が物顔で階層(フロア)中をのし歩いてるが、“邪僧” の方は奴らの神域に近づかない限り大門から出て来ねえ。神殿に引き籠もって一心不乱に自分たちの()に祈りでも捧げてるんだろうよ」


「それではどちらが “(グッド)”で、どちらが “(イビル)” かわかりませんね……悪魔崇拝者である “邪神の神殿” の僧侶たちの方が、よほど純粋な信仰を持っているように思えます」


 ……まったくだ。


 と、うなずくアッシュロードさんに、わたしは続けました。


「―― “決戦は勝つことよりも、持ち込むことの方が一〇〇倍難しい”」


「なに?」


「わたしの言葉ではありません。お父さんの受け売りです」


 懐かしさと、気恥ずかしさ。そして少しの誇らしさ。

 わたしの大好きなお父さんの言葉です。


 勝敗を()する()いとは自軍が勝てる状況に持ち込んで行うものです。

 逆に敵軍にしてみれば、自分が負ける戦いに応じる必要はありません。

 本来なら成立しないこの戦いを実現させるのは、戦いに勝つよりもはるかに難しいのです。

 “十字軍” が数の利を活かせる場所で決戦を行いたくても、“邪僧” の側が神殿から出てこない限り、戦いは起き得ないのです。


「至言だな……おめえの親父さんってのは何者(なにもん)なんだ? とても堅気(かたぎ)の人間には思えねえぞ」


 わたしは笑ってその質問には答えず、代わってこう答えました。


「お父さんはこうも言っていました。政治家と軍略家、双方の資質を持った政戦両略に長けた名将だけが、自軍に有利な条件・状況で決戦を生起できるのだと。そういう天才がなかなか現れないから、戦争はいつまでもだらだらと続くのだと」


 わたしは、ふてくされたように黙り込んでしまったアッシュロードさんを見つめました。


 この人は本来、”帷幄にあって勝利を千里の外に決する人” ――。


 これはハンナさんがトリニティさんから聞いた言葉だそうです。

 今回の旅の途中で話してくれました。

 わたしもそう思います。

 この人なら、きっと “良い悪巧み” を思いつくでしょう。

 これまでと同じように……。


「ワインを持ってきますね……今のあなたには必要でしょうから」


 足元に置かれた革袋は、とっくに空になっているはずです。


「――あ」


 立ち上がり振り返ったわたしの目に、その光景は飛び込んできました。


「見てください、アッシュロードさん。わたしたちの “街” が、あんなに奇麗に賑やかになっていますよ」


 湖岸から見る拠点は、あちこちに篝火が焚かれ “永光コンティニュアル・ライト” が灯された一大都邑(とゆう)となって、迷宮の闇に浮かび上がっていました。

 そこには陰鬱さや悲壮さは感じられず、代わりに困難に立ち向かう確かな活気と熱量が見て取れました。


「ああ、()()()()()()だな」


 アッシュロードさんはチラッと顔を上げて何気なく答えると、すぐまた自分の世界に戻ってしまいました。

 わたしは瞑目(めいもく)して、大波のように広がる万感の思いを受け止めました。

 やがて、目を開けて微笑みます。


「ええ、そうですよ。わたしたちの “新しい迷宮街” です。わたしたちが育てた、今も育て続けている」


 アッシュロードさんは沈思の海に潜ってしまっていて、気づきません。

 でも……今はそれでいいのだと思っています。


「ワイン、取ってきますね」


 わたしはもう一度伝えると、活気と喧噪に満ちた “街” に戻りました。


(……いつの日か、きっと……)


 空になった革袋と、その思いを胸に。


◆◇◆


 数日後、“十字軍” の拠点である神殿の入り口に、黒衣の男が立っていた。

 南北に三つ並んだ一番南の扉を見上げると、大音声を張り上げる。


「――話がある! 指揮官と話がしたい!」



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― 新着の感想 ―
[一言] 十字軍は悪魔崇拝者を滅ぼすためなら、呪死で死んでもそのまま戦いそうな気がしますw
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