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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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歪み

「妙案が浮かんだのかい?」


 ドーラは彼女一流の舌なめずり、ざらつく舌で平らな鼻先を舐めた。


「いや、材料が足りねえ――パズルを完成させるには、ピースが欠けてるみてえだ」


 アッシュロードはボリボリとフケだらけの頭を掻き、


『最近飲んでねえから、頭が回らねえ』


 と、ぼやいた。


「あんたは酒飲んだ方が頭が良くなるかねぇ」


「おめえ、まだ行けそうか?」


 アッシュロードの意外な言葉に、可笑しげに笑っていたドーラが眉を上げた。

 この男にしては珍しく、迷宮をもう一回りしようというのだ。


(しとね)が恋しいんじゃなかったのかい?」


「いつだって恋しいさ。だが一度()()を被っちまったら、出てくるのが億劫だからな」


 アッシュロードは勤勉とはほど遠い性格だが、非合理でもない。

 むしろ物臭な分だけ、出来るだけ効率的に物事を運びたがる。


「付き合うよ。別に精神力(マジックポイント)を消耗する職業(クラス) じゃないからね。疲労もない。歩き回ってるうちに “死人使い(ネクロマンサー)” にやられた火傷も治っちまったし――どこに行く気だい?」


「南だ――地図の上では北になるが」


 この階層(フロア)は、最北端と最南端の一部が次元連結(ループ)している。

 地図上の北に行くには、最南端からさらに南に下る必要があるのだ。


「未踏破の北東区域(エリア)だね。それで具体的には何を探すのさ?」


「もう片方の狂信者のねぐら」


 ドーラはあっと息をのんだ。

 ここまで言われれば “悪巧み” には向かない自分の頭でも、相棒の考えが察せられた。

 この男は “邪僧” と “十字軍(クルセイダーズ)” を争わせて、漁夫の利を得ようとしているのだ。


「そんなことができるのかい?」


「わからねえ。だが元々派手に殺りあってるんだ。うまく油を注げれば両方とも火達磨になるだろう」


「その油を探しにいくってわけかい――ハッハッハッ、いいね、気に入ったよ。天使との呉越同舟もいいけど、やっぱりあんたとあたしはこうでなくちゃね!」


 それはそれは。

 猫人族(フェルミス)のくノ一が、迷宮内にも関わらず呵々大笑した。

 事がうまく運んだ暁には、さぞ愉快痛快だろう。


「さあ、そんじゃ行こうじゃないかい」


 ドーラが快活に言い放つ。

 極上の料理は想像できた。

 あとはその美味を再現するための、食材を集めるだけだ。

 調理はこのやさぐれた相棒がやってくれる。


「ああ、だがその前に――」


 ふたりは北東区域に足を踏み入れる前にいったん三層に下り、魔法封じ(アンチマジック)の罠を解除した。

 詳しい理屈はわからないが、魔法の伝達物質であるエーテルは階層ごとに微妙に濃度が違うらしい。魔法封じの罠が効果があるのはその階層のエーテルだけで、他の階で補った分までは無効化できないようなのだ。


 仕切り直しを済ませた古強者たちは、階層東部の最南端から最北端に抜けた。

 南の南に北が――である。

 最南端の扉に開けて最北端に玄室に入り、その東にある扉をさらに開けると、南に延びる曲がりくねった回廊が現れた。


 ドーラとアッシュロードはそれぞれ獲物を手に進んでいく。

 猫人(フェルミス)のくノ一は、目、耳、鼻、髭と、どれをとっても人族(ヒューマン)を遙かに上回る感覚で周囲の気配を探り、人族の君主(ロード)は持てる観察力と記憶力を総動員して地図の作成に努めた。

 まずはセオリーどおり回廊の終端まで歩き、外縁(アウトライン)を固める。

 それから引き返し、途中の扉を開けては中を確かめていく。


「……思いの外、複雑だね」


「……ああ、だが複雑なだけで “目くらまし” はねえみてえだ」


 隠し扉(シークレット・ドア)や回転床などの、地図係(マッパー)を幻惑させる罠はなく、マッピングは(はかど)っている。

 “紫衣の魔女(アンドリーナ)の迷宮” でいうなら、地下二階に似た感じだ。

 魔物との遭遇(エンカウント) は何度があったが、“十字軍” の姿はなかった。

 やがて北東の未踏破部の半分が埋まった。


 ふたりは占有者のいない狭い玄室に入り、休息を摂った。

 “聖水(ホーリーウォーター)” でないほうの水袋で喉を潤し、握り拳ほどもある特大の乾し葡萄を囓る。

 栄養価といい糖度といい申し分ないのだが……あいにくアッシュロードもドーラも()()()なので、正直この甘さには閉口させられる。


「子供のおやつにはいいんだろうけどねぇ…… それにしても “鋼鉄の口糧” とはまた大げさな名前をつけたもんさね」


 レーズンを囓るのを止めて、ドーラがひとしきり笑った。

 命名者はもちろん、あの弱くて強い聖女様だ。

 アッシュロードは何も言わず、玄室の壁を焦点の曖昧な瞳で見つめながら、ボソボソと口を動かしている。


(……この男は、いったいどうするつもりなんだろうね)


 猫人のくノ一は、再び干した葡萄の実を囓りながら思った。

 あの聖女が隣のくたびれた男に、深い愛情を抱いているのは誰の目にも明らかだ。

 そしてこの男が、あの聖女に対して憎からざる感情を抱いているのもまた、見る者が見たら明らかだ。

 この男自身がまだその想いに気づいていないのか、あるいは気づかないフリをしているのか。

 おそらくはその中間あたりで、不器用にも “ない交ぜ” になっているのだろがが……。


(……この男があの娘の救いなのは間違いない。だけどそれ以上に、あの娘はこの男の救いなるだろう)


 ドーラは知っている。

 この男の人生の過酷さを。

 ドーラほど、グレイ・アッシュロードの――灰原道行の数奇な運命を知り尽くしている者はいない。

 この男は疲れ果てている。

 傷だらけで、ボロボロで、もはや苦痛すら感じなくなっている。

 この男には休息が――なによりも癒やしが必要だ。

 それは加護でどうこうできる類いの消耗ではない。

 この男には長い長い休息が、憩いの時間が必要なのだ。


 あの娘なら、この男にその時間をもたらしてくれるだろう。

 生涯をかけて、この男の疲れと傷を癒やしてくれるだろう。


(……問題はこの男が、自分で自分を()()()()()()()ことさね。自分は薄汚れた取るに足らない迷宮保険屋だと、頑なに自分を定義しちまってる……灰と隣り合わせの迷宮で二〇年生きてきたからだけじゃない。この男はそれよりももっとずっと以前に歪んじまってる……)


 アッシュロードを歪めてしまったものが何なのか、そこまではドーラにもわからない。

 だがきっと、それがこの男のこだわりであり、病巣なのだ。

 幼年期から続いた忍者としての峻烈極まる修行の日々が、今なおドーラ・ドラという魂を歪め続けているのと同じように……。

 今のままでは、この男は目の前に差し伸べられた救済の手を取ろうとしない……取れないだろう。

 それでは……あまりに救いがないでないか。


 自分はこの男と出会ったことで、忍者としては(まった)きでも人としては歪で不完全なことを知った。

 この男にとってあの聖女は、自分にとってのこの男になるのだろうか……。


「……なあ、アッシュ。この迷宮を出られたら……」


「……鉄靴(サバトン)だ!」


 突然アッシュロードが立ち上がり、玄室の扉に耳を寄せた。


「え?」


「それも――かなりいる」


 すぐにドーラも、玄室の外から響いてくる無数の鉄靴の響きに気づいた。


(なんてこったい! こんな騒々しい大行進に気づかないなんて!)


 くノ一は内心で激しく自分に毒づいた。


(あたしは生娘かい!? 峻烈極まる修行が聞いて呆れるよ!)


 アッシュロードはそんなドーラの様子には気づかずに、入り口の扉をほんの少しだけ開けた。


「……ここで休んで正解だったな」


 保険屋の口元が不敵に歪む。


「見ろ、信心深き遠征軍のご登場だ」


 言われるままに扉の隙間からドーラが見たものは、整然と隊伍を組んで近づいてくる “十字軍(クルセイダーズ)” だった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 個人的には、回転床が死ぬほど嫌いでしたw グレイやエバを筆頭に、誰も彼もが欠けてますからね。 うまく支え合い、補い合ってほしいです。
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