天使昇天
「……あんた、まるで人が変わったようだね」
遙か東方の島国 “蓬莱” の生まれであるドーラには、今のガブリエルの顔がまるで能面のように見えた。
「わたしたちは完璧であるために、悲しみや寂しさといった負の感情は持っていないの。怒りや憎しみもないわ。だから気をつけて。もしわたしの眷属に敵と見なされれば、一切の慈悲も躊躇いもなく殲滅されるわ」
水鏡のようにさざ波ひとつない表情で説明するガブリエルに、ドーラは背筋が寒くなるのを抑えられない。
「でも、わたしはあなたたちが好きよ。特にアッシュロード、あなたは面白いわ。あなたのような人間とお喋りをしたのは初めて。わたしから喜びの表情が消えたのは、きっとあなたたちと別れるのが楽しくないからでしょうね」
完璧であるために不要と思われる感情を切り捨てる――。
なんのことはない、それは殺戮機械である忍者と同じだ。
いや、ドーラは自分が完璧とはほど遠い存在だと理解しているが、天使がそうでないのなら、それはもう非人間的な最低の職業 である忍者以下だろう……。
「……そういうのを寂しいっていうんだよ」
やるせない吐息をこぼしたくノ一の隣で、黒衣の君主に動く気配がした。
「行くのね?」
「ああ、ここを通らねえと還れねえからな」
「あなたは好きな人間だわ、アッシュロード。人間が皆あなたみたいだったら楽しいのに」
アッシュロードの瞳が揺れた。
淡々と話すガブリエルに、憐憫にも似た感情が湧く。
だが、それは思い上がりかもしれなかった。
この熾天使が同情や哀れみを求めているとは思えない。
であるなら、目の前の存在をあるがままに受け入れるのが、つかの間のとはいえパーティを組んだ仲間への礼儀だろう。
「……世話になったな。おめえがいなければ、今もあの暗い広間で立ち往生してただろう」
アッシュロードの言葉に、ガブリエルの顔がパッとほころんだ。
「守護天使として当然のことをしたまでよ。でもそう思ってもらえたなら嬉しいわ」
「そうそう、あんたはそっちの顔の方が一〇〇万倍は魅力的だよ――ねぇ、アッシュ」
「あ、ああ、そうだな。おめえはそっちの顔の方が魅力的だ」
コピペしたような芸のない返答をするアッシュロードを見て、ガブリエルがさらに笑う。
そして――。
「もう行くわ。さようなら楽しい人間たち。あなたたちがこれからも楽しいお喋りができるように祈っててあげる」
ガブリエルが六枚の純白の翼を広げると、迷宮の分厚い天井を透して柔らかな光が彼女を照らし包み込んだ。
熾天使の華奢な身体が、キラキラと輝きなら分解していく。
どんな高名な画家でも、この様子を宗教画にすることはできないだろう。
それは神々しいまでに美しい、天使昇天の画だった。
やがて天井から差し込む光が薄れて消えたとき、ガブリエルの姿も見えなくなっていた。
「……行っちまったねぇ」
突然現れ、突然仲間になり、そして突然還っていった。
長い探索者人生の中でも、こんな慌ただしいパーティメンバーは初めてだ。
「……バランスブレイカーはスポット参戦って、昔から決まってるのさ」
アッシュロードの耳慣れぬ言葉を、ドーラはいつものように聞き流した。
珍しく感慨深げな相棒に突っ込みを入れるほど、猫人は無粋な種族ではない。
そしてこうも思った。
この男と出会ったことで、自分は不完全な忍者になってしまった。
血反吐の中を生き抜いた峻烈過酷な修行も、陳腐なものになってしまった。
(……まっ、それもまた人生さね)
不完全もまんざらではない。
いつかあの天使も、そんな “気づき” を得てほしいものだ。
そしてドーラは、アッシュロードに軽口を叩きたくなった。
「――どうだい、アッシュ。たまにはあたしと褥を共にしてみるってのは? あの娘たちと違って、後腐れはない――」
ガッ!
いきなり腕をつかまれるや否や物陰に引きずり込まれて、さすがのドーラも狼狽した。
「ちょ、ちょっと焦るんじゃないよ! なにもこんな小汚い所で――」
「――シッ!」
アッシュロードの緊張感みなぎる表情に、ドーラは一瞬で忍者の顔に戻った。
もはや看板だけの迷宮保険屋は、回廊の死角からわずかに顔を出し軽く顎をしゃくった。
(……見ろ、神殿につながってる扉が開く)
(……狂信者どもが出てくるのかい?)
(……おそらくな)
あの扉の奥にあるのは東西一×三の玄室であり、東の突き当たりにふたりが “邪神の神殿” と呼ぶ大門がある。
中から出てくるとすれば、緋色の僧衣をまとったあの邪僧たち以外には考えられないのだが……。
だが扉の奥か出てきたそれは、ふたり古強者の予想を超えていた。
「……なんで奴らが」
唖然とするアッシュロードにひっつきながら、猫人のくノ一は嘆息した。
(やれやれ、あのまま還れてれば娘にいい土産話を持って帰れたんだけどねぇ)
どうやら今回の探索は、まだ続くようだった。







