条約
「最上層への縄梯子……ってわけかい」
「……どうやら攻略の順番が前後したらしいな」
ドーラとアッシュロードは天井高くから垂れ下がる縄梯子を見上げて、達成感のない会話を交わした。
一×一の最小の玄室が無数に連なる区域の最奥にあったのは、やはり一×一区画の玄室と、その天井――迷宮最上層である第六層から垂れ下がっている縄梯子だった。
この縄梯子を守るために、暗黒回廊と魔法封じの間、さらには陥穽までも点在させた悪辣としか言いようのない “暗黒広間” が築かれていたのだ。
「……先にキーアイテムを見つけてればな」
ライスライトたちのでは、第二層にもキーアイテムが必要な開かずの扉があったそうだ。
そのキーアイテムは同じ階層の別の玄室に、守護者である “鎧の悪魔” に守られていたらしい。
おそらくこの階の未踏破部のどこかに、“暗黒広間” を迂回するための “突風の扉” を開ける何かしらのアイテムがあるはずだ。
それを先に見つけ出していれば、こんな苦労はせずに済んだのだが……。
「なに、探索が前後するのはいつものことさね――それよりもどうするね?」
――登ってみるのかい?
ドーラが暗に訊ねた。
登れば魔法封じの罠の効果が消えるが、最上層の凶悪な魔物と出くわす危険もある。
“滅消の指輪” が再び使えるようになったとしても、迷宮の最深部の魔物に効果があるかどうか。
“紫衣の魔女の迷宮” の最深部である地下一〇階では、“滅消” が弱点である対巨人族戦以外には使い道がなかったのも確かなのだ。
そしてこの “龍の文鎮” では、今のところ巨人族との遭遇はない。
「ガブ――おめえ、六階にも付いてこれるのか?」
「これより先はこの迷宮の支配者である “真龍” の褥。人ならざる者が友好的であることが許されない場所よ」
熾天使が無表情に答える。
「……やめておこう」
アッシュロードはくたびれた声を出した。
ドーラとふたりだけで最上層に登り、強敵と遭遇する危険は冒せない。
ガブリエルがいる以上、無理に魔法封じの罠を解除する必要はないのだ。
「……それよりも、今日はもう引き上げよう。そろそろ俺も褥が恋しくなった」
「……だね」
三人は縄梯子に背を向け、玄室を出た。
このとき縄梯子を登っていれば、第四層の “フレッドシップ7” と同様 “真龍” の力によって瞬間的に拠点に帰還できたのだが、アッシュロードにもドーラにもそこまでの想像力はない。
再び数珠のように連なる最小玄室群を抜けて、“暗黒広間” からの再出現地点を目指す。
相変わらず動物系の魔物はガブリエルの姿を見るなり逃げだし、“嘆きの妖精” などの不死系は背光を浴びただけで消え去った。
それ以外の獣人系や人間系といった魔物は、すべて “滅消” で塵である。
やがて一行は再出現地点に帰り着き、今度は東の扉を開けた。
「ここを北に行くと例の “十字形” の玄室ってわけだね――まったく、とんだ大冒険だったよ」
いやはや――といった顔で、ドーラが頭を振った。
「回廊なりに東だ。それで例の狂信者どもの神殿の隣にある広場まで戻れる」
「狂信者同士の戦い……どうなったかね」
「共倒れを願いたいところだが……」
そこまで言って、アッシュロードはふと気づいた。
そして後ろを振り返る。
「おい、おめえのその光だが消せねえのか?」
「? 明かりが必要なのではなくて?」
キョトンとした顔で、ガブリエルが訊ね返す。
「こっから先はコソコソする必要があるんだ。気づかれると “呪死” を狂ったように唱えてくる狂った連中が、蜂の巣をつついたみてえに現れるからな」
「“呪死”は、わたしには効かないわ?」
「~俺たちには効くんだよ」
やはり天使というのは、どこかズレている。
いや人間ではないのだから、ズレているのは当然といえば当然なのだが……。
「おめえも探索者なら力業でごり押すだけじゃなく、少しは小技を効かせることも覚えろ」
パムッ!
ガブリエルの顔が輝いた。
「探索者! そうよ、探索者よ! アッシュロード、あなたの言うとおりだわ! 探索者なら戦ってばかりじゃダメよね!」
そしてパッと消え去る、熾天使の背光。
「これでよい?」
「……ああ、上出来だ」
「ははっ! まったく素直ないい娘だよ!」
三人は闇が戻った長い回廊を東に進み、やがて狂信者たちの巣窟である “邪神の神殿” に隣接する不定形の広場までたどり着いた。
回廊の陰から慎重に辺りを観察するが、邪僧と十字軍、どちらの狂信者集団の気配もない。
アッシュロードとドーラは、安堵の吐息を漏らした。
ここまでくれば、“湖岸拠点” 沖の孤島に通じている縄梯子までもう一息だ。
「――ガブ、あたしたちはこれから一階の拠点に戻るけど、あんたはどうするさね? 連れて行ってやりたいけど、あんたの姿を見たら拠点の連中、腰を抜かしたあとに拝みだしちまうだろうからね」
「……」
「どうした?」
ドーラの言葉を無視して動かなくなったガブリエルに、アッシュロードが怪訝な顔を向けた。
無表情な熾天使の視線は、東の扉―― “邪神の神殿” の入り口に注がれている。
「ごめんなさい。わたしはこれ以上進めないわ」
ガブリエルが、まるで人が変わったように無機質な声で言った。
「どうしたってんだい急に? もう飽きちまったのかい?」
「ここから先は彼らの領域。条約によって、わたしには立ち入ることが出来ないの」
「彼ら? 条約?」
「あなたたちが “魔族” と呼ぶ、わたしたちとはまた別の次元の種族のことよ」
ガブリエルの言葉に、ふたりの古強者は息をのんだ。
「ルシフェルがわたしたちの元を去って彼らを統べたあと、条約が結ばれたの。お互いの領域には立ち入らないという不可侵条約が」
(それは魔太公が堕天して魔界を征服したとき――てことだね)
ドーラは胸の中でうなずいた。
魔太公は堕天系の悪魔である。
天界を追われた最高位天使が、魔界の在来種である混沌系の悪魔を征服してその王である “魔太公” になった話は、聖典を読む読まないに関わらずこの世界の住人なら誰もが知っている一般常識だ。
「ここは彼らの領域よ。わたしが入れば兄弟喧嘩が始まってしまう」
「そいつは……確かに大事だ」
スケールの大きすぎる話に、アッシュロードは話を聞くのが億劫になった。
「要するにこの先には悪魔の類いがいるってこったな?」
「直接彼らがいるとは限らない。彼が昇ってきやすい場所――つまり彼らを崇拝する人間がいるのかも」
ガブリエルの話によると、天使と悪魔は直接喧嘩をしない代わりに、自分たちを信仰・崇拝する人間同士を争わせているらしい。
「胸くその悪い話だね! あたしらはあんたたちの兄弟喧嘩の代理戦争を戦わされてるってわけかい!」
「でも、わたしたちが直接喧嘩をしたら地上が滅んでしまうわ。最善ではないかもしれないけど、次善ではあるの」
「おめえらにとってはな」
胸くそが悪いのはアッシュロードも同じであったが、ここで宗教論争をしている余裕はない。
自分たちは今、迷宮探索の真っ最中なのだ。
「ここから先は悪魔側の人間の縄張りってことか……」
頭に浮かぶ、邪僧の集団の姿。
“悪魔崇拝者” という言葉が、あれほど似合う連中もそうはいまい。
「それじゃ、ここでお別れってことかい?」
「ええ。わたしは条約には逆らえない」
熾天使が能面のような表情で言った。







