再び上層へ
“フレンドシップ7” が濛気立ち上る地底湖に出立する一時ほど前、一足先にアッシュロードとドーラの “悪” のバディが進発していた。
湖面を渡るための “瓶詰めの帆船模型” は、年若の朋輩たちに渡してしまっているので、孤島にある上層への直通路は使えない。
ふたりは焼け落ちた “要塞” の深奥にある縄梯子を使ってまず三層に登り、そこからさらに五層へと足を伸ばす心積もりだった。
三層から五層への経路は、激しい消耗を強いられる二層から四層への道のりとは対照的に、通過する玄室はなく、運が悪ければ “徘徊する魔物” に遭遇するぐらいで、戦闘らしい戦闘は起こらない。
孤島の直通路は “善” の連中にこそ必要――というわけだ。
アッシュロードもドーラも利己的と言われる “ 悪” の属性であり、その戒律に従う者だが、最終的な目標である “この迷宮からの脱出” のためには、少々の不便など気にも止めなかった。
彼らは古強者の探索者で、誰よりも己自身に合理的だった。
音もなく背後を遮断していく一方通行の壁を気にする風でもなく、ドーラが柔らかな含み笑いを漏らした。
柔らかくはあるが、彼女の肢体同様隙のない笑み。
「どうした?」
くノ一の背中を守る暗黒卿が、緊張感のない声で訊ねた。
緊張感はないが、こちらも……聴く者が聴けば隙のない声だ。
「いや、まったくヴァルレハ様々だと思ってね。あの娘がいなけりゃ、あたしらは今も水汲みに駆り出されていたろうからさ」
アッシュロードとドーラが留守の間 “聖水” の補充は、“緋色の矢” の中立のメンバー、戦士のゼブラ、盗賊のミーナ、魔術師のヴァルレハの三人が行うことになった。
ヴァルレハの “転移” で泉のある玄室に飛び、汲水後に再び同様の呪文で拠点に帰還する。
仮に玄室に占有者がいたとしても、この階に出現する魔物はすべて “滅消” で消し去ることができる。
ヴァルレハ自身が唱えられるのはもちろんのこと、彼女は “滅消の指輪” も所持しているので、よほどのことがない限り危険は少ないはずだった。
「確かに。あいつのお陰でトリニティの負担が大分減った」
“湖岸拠点” にいる人間で、ヴァルレハ以外に “転移” の呪文が使えるのはトリニティ・レインだけである。
だがトリニティは、拠点の指導者であり頭脳だ。
彼女に代わる文治の長が見つからない限り、本部から離れるわけにはいかない。
ヴァルレハがいなければ、アッシュロードとドーラは汲水作業を続けねばならず、第五層の探索は進まぬままだっただろう。
さらにヴァルレハは、“動き回る海藻” の燃料化も考え出している。
彼女がいなければ、トリニティ自身が燃料問題を解決しなければならなかったはずだ。
“賢者” の恩寵を持つトリニティなら政務の合間に研究し、いずれは同じ方法を見つけ出しただろうが、負担が増えたであろうことは間違いない。
ヴァルレハは海藻の燃料化も任されていて、医薬品と燃料という兵站に欠かせない重要物資の調達を担っているのだ。
「伏兵だったな。今やボッシュと合せてトリニティの両腕だ」
アッシュロードは嘆息せざるを得ない。
人材とは思わぬ所にいるものだ。
そして、レトグリアス・サンフォードがスカーレット・アストラと恋仲になっていなければ、今ごろどうなっていたことか――とも思った。
“緋色の矢” は今回の遠征に参加しておらず、自分たちの負担は考えたくないレベルで増加していただろう。
良編成の熟練者の探索者パーティが、迷宮に閉じ込められている一〇〇〇人の人間にとってどれほどの価値があるか。
本当に “様々” なのはヴァルレハではなく、緋色の女戦士の心を射止めたあの若造かもしれない――などと、少々不謹慎な結論に達した筆頭近衛騎士だった。
「確かに伏兵だったねぇ」
ドーラは別の意味でうなずいた。
(好意を前面に出してこない分、アッシュも他の娘たちより話しやすそうだし……さすがに賢しいねぇ)
ヴァルレハは二三才。
充分に大人と呼べる歳だ。
それなりの “駆け引き” を心得ているということか。
くくくっ、と喉の奥で笑うくノ一。
(――目に見える脅威にばかり気を取られて、トンビに油揚をさらわれないようにしなよ)
猫人のくノ一は、今では知らぬ仲ではなくなった三人の娘たちに胸の中で忠告した。
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「さあ、ここからが本番さね」
三層からの縄梯子を登り切ると、ドーラが小さなザラつく舌で平らな鼻を舐めた。
二人の古強者が “一の部屋 “ と呼ぶ、一区画四方の玄室である。
三層に繋がる梯子がある玄室を “一の部屋”
一層からの直通梯子がある玄室を “二の部屋” とふたりは呼んでいる。
アッシュロードとドーラは、結局一度も魔物と遭遇することなく三層を突破し、ここまで辿り着いていた。
「どう攻めるね?」
ドーラが地図を広げるアッシュロードを見た。
五層の探索はほとんど進んでいない。
前回の探索では “一の部屋” の周辺で、何度かハクスラをしただけである。
「ここは階層の南の端だ。次元連結してるから、南北のどちらからでも調べられるが――」
「なら北だね」
ドーラは相棒の癖を知っている。
次元連結があるなら、事情がない限りはそうでない方から地図を埋めていく。
大多数の地図係と同じように、アッシュロードも次元連結を嫌っている。
繋がっているはずの地図が東西・南北に分断されて描かれていくのが、どうにも気持ちが悪いのだ。
「“善” の連中に比べると、ここまで随分と階層の難易度に差がある。そろそろ帳尻が合いそうだな」
アッシュロードは地図を丸めて、腰の雑嚢にしまい込んだ。
ただの勘でしかないが、大きく外してもいないだろう。
彼の特技は、良い予感がまったく当たらず、悪い予感ばかりが当たることだ。
黒衣の保険屋はこの特技の逆張りで、灰と隣り合わせの迷宮を生き抜いて来たのである。
「そいつは楽しみだね。正直ここの魔物は数が多いだけで、どれも歯応えがないからね」
ドーラの声には油断も気負いもなく、相変わらず頼もしい。
しかし、くノ一この言葉が呼び水になってしまったのだろうか。
この先ふたりは数が多くて歯応えもある、“狂信者の集団” に悩まされることになるのだから。







