誰がために
エッダさんが侍女として奉公している、オレシオン伯爵。
彼女の恋人であり、お腹の子の父親であるヨシュアさんが従士として仕えている、近衛騎士ロドアーク卿。
ふたりの確執は、一〇年ほど前に溯るそうです。
「……旦那様には、ベルタ様というお嬢様がおられました」
エッダさんは徐々に落ち着きを取り戻していて、焚き火を見つめながら少しずつ自分の置かれた状況を打ち明けてくれています。
“神癒” の加護には恐慌を鎮める効果もあるのですが、あくまで精神に及ぼしている “その場の悪影響” を取り除くにすぎません。
根本的な原因を解消することはできず、対処療法でしかないのです。
頼りすぎると依存症に陥るとも言われていて、精神的な病の治療にこの加護を用いることは、禁じられてはいないものの推奨されてもいないのです。
「ベルタ様は、亡くなられた奥様との間にお生まれになった一人娘で、奥様の生き写しのそれは美しい方だったそうです」
「そうです?」
「ベルタ様も今から一〇年ほど前に亡くなられたのです……自ら命を断って」
「その原因が……ヨシュアさんのお仕えしているロドアーク卿にあるのですね?」
オルシオン伯の年齢は、五〇歳ほど。
ロドアーク卿は、三〇歳ほどだそうです。
さらにオルシオン伯の一人娘が、一〇年ほど前に自死。
話の流れから、おそらく……。
わたしの予想は当たりました。
エッダさんが、小さく『……はい』と頷いたのです。
「続けてください」
「まだロドアーク様はお若く、ベルタお嬢様はさらにお若く一七歳だったそうです。おふたりは出会われ、恋に落ち、そしてベルタ様は……」
「……身籠もられた」
「………………はい」
再び苦衷に歪む、エッダさんの表情。
「ロドアーク様は旦那様に結婚を申し込まれたのですが、旦那様たいそうお怒りになられて取り付く島もなかったそうです……」
「……」
「当時のロドアーク様はまだ近衛騎士にはなられておらず、トレバーン様の直臣とはいえ一介の騎士にすぎませんでした。身分違いも甚だしいうえに、なにより目の中に入れても痛くないほどに溺愛されていたベルタ様を傷物にされたと……」
オレシオン伯の気持ちは、わからなくもありません……。
おそらく最愛の奥様を亡くされたあと、ベルタさんを育てることが生き甲斐だったのでしょう。
歳を重ねる毎に奥様の生き写しになられていくベルタさんに、きっと新たな人生を――生きる意味を与えられる思いだったのではないでしょうか。
「ですが、傷物にされたかどうかを決めるのはベルタさんご本人です。誰も、たとえ血を分けた父親であろうとも、彼女に代わって判断をくだすことなどできません。そもそも、女は “物” ではありません」
わたしの言葉に、エッダさんは顔を上げて、心の底から救われたような顔をしました。
「先を」
「ロドアーク様は結婚の許しを得ようと何度もご主人様にお願いしたのですが、ご主人様は決してお許しにならず……将来を悲観したベルタさまは……」
身分差……悲恋……悲劇……。
まるで古典のロマンスを読み聴かされているようです。
でもそこには浪漫などは欠片もなく、あるのは生々しいまでの人間の愚かさ……。
「以来ご主人さまとロドアーク様は、お互いを仇と見なしているのです……」
そうしてエッダさんは、またしても両手で顔を覆いました。
「でも、でも、ご主人様は――旦那様は、とても良い方なのです! わたしのような身寄りのない娘を何人も引き取ってくださり、読み書きや礼儀作法を仕込んでくれて、時が来たらお嫁にまで出してくれているのです! 嫁ぎ先は、どこも旦那様がお認めになられた人柄の良い裕福な家ばかりで、お嫁に行った侍女たちはみんな幸せになっていて、たまに里帰りをするようにお屋敷を訪れて、みんなみんな本当に幸せそうで! ――わたしは、わたしはそんな旦那さままで裏切ってしまった!」
「……」
だから……だから、なんだと言うのです。
問題は、そこではないでしょう。
問題は、あなたが幸せになれるかでしょう。
何度目かの号泣をするエッダさんを見つめながら、わたしの中で沸々とした怒りが滾っていました。
「エッダさん、今のあなたの一番の望みはオレシオン伯の恩に報いることですか? ヨシュアさんが念願を叶えて騎士になることですか?」
「……聖女……様……」
「人生を切り拓くために必要なのは、強い意思です。過酷な運命に抗うために必要なのは、涙でも祈りでもなく自身の爪と牙です。エッダさん、今あなたが一番に願う望みはなんですか?」
わたしは問い掛けます。
なまなかな返答など許さない眼差しで問い掛けます。
わたしはサマンサさんではありません。
あの人のようにただ寄り添い微笑むだけで、誰かの苦しみを解かしてあげることは出来ません。
わたしに出来ることは――。
そして、エッダさんは答えました。
「…………産みたい……」
「聞こえません」
「……産みたい」
「もっとハッキリと」
「産みたい! 産みたいんです! この子を――せっかく授かったお腹の子を、産みたいんです!」
エッダさんは胸を叩いて、わたしを睨み付けました。
その瞳には、これまでの彼女には見られなかった激しい炎が燃えていました。
「あなたのこれからに必要なのは、なによりもその強い気持ちです、エッダさん」
引き取って育ててくれた人への恩?
相手の男の人の夢?
クソ喰らえ――です。
人は、人を幸せにするために生まれるのではありません。
人は、自分が幸せになるために生を受けるのです。
そして自分の幸せの先にこそ、大切な人の幸せもあるのです。
そうでなければ、そうでなければ――わたしたちの人生はただ辛く、耐え忍ぶだけのものになってしまうでしょう。
与えるだけでもない。
求めるだけでもない。
戦いはいつも自分のため。
誰かを傷つけるためではなく、誰かを守ることになると信じて。
大切な、誰かを。
「――ならば戦闘開始です。エッダさん」







