救護所の聖女
「今日も体調を崩している人が多いですね……」
わたしは救護所に列をなす騎士や従士、その他軍属の人たちを見て眉を曇らせました。
湿度は一〇〇パーセント。気温は低く、生活環境は劣悪。
食料も飲料水も、衛生的とはとても言えません。
体調管理を徹底してどうなる場所でないのは、分かっていたのですが……。
「いやまぁ、それもありますけどね……」
救護所を任されている軍医さんが、歯切れも悪く頭を掻きました。
四つの近衛小隊には、各小隊ごとに一名の軍医が配属されています。
そのうちのひとりが、交代で救護所の指揮を執っているのです。
他にも各分隊にひとりいる衛生兵の人が数名、やはり交代で救護所に詰めていました。
軍医になるためには、聖職者系第五位階までの加護(“大癒” まで)をすべて授かっている必要があり、衛生兵になるには第四位階の加護(“解毒” )まで修めている必要があるのです。
その衛生兵の人たちも、軍医さんと同様どこかバツの悪げな顔をしています。
「?」
「――いいか、最初に言っておくぞ! 聖女さまに診てもらえるのはご婦人だけだからな! 野郎は俺か衛生兵だからな! それが嫌ならとっとと隊に戻れ!」
軍医さんの怒声が響くと、あれだけ並んでいた騎士や従士や軍属の人が、潮が引くようにいなくなってしまいました。
「……とまぁ、こういうことです。気を悪くせんでやってください。あいつらにしてみたら、聖女さまに近しくしていただけるのは、なによりも励みになるんですよ」
「それは……光栄です」
(つまりは “握手会” )
わたしは一瞬戸惑い、また今のこの状況を考えれば、それも仕方のないことだろうとも思いました。
「でも、それでしたら診察するぐらいは……」
「そんなことすれば、本物の病人や怪我人が苦しむことになります――いいんですよ、ミストレス・ノエルがいたときには、彼女目当てで来てた連中なんですから」
「あ~……あははは、それは確かに減点ですね」
推しメンをそんなに早く変えるのは、やはりノーグッドです。
でも、やっぱり気分転換は必要かもしれません……。
わたしも含めて、フェルさんやハンナさんでさえ、かなりのフラストレーションを溜め込んでいたのですから。
慣れない環境に、重いストレスを感じている人も多いはずです。
不満が爆発しないうちに、何かしらの対策を講じる必要が――。
熟練者の探索者であるスカーレットさんをして “大長征” と言わしめた迷宮彷徨から生還した “フレンドシップ7” は、トリニティさんからしらばくの間静養を命じられていました。
もちろん、非常事態真っ直中の “リーンガミル親善訪問団” です。
静養とはいっても “食っちゃ寝”していられるわけもなく、それぞれが拠点の各所で作業に当たることになったのです。
レットさんとジグさんは、迷宮に不慣れな騎士や従士の人たちをサポートして食料の調達に出ています。
カドモフさんは、ボッシュさんの助手として進行中の各工事の監督をしてまわり、パーシャとフェルさんは、地図の確認のため迷宮に出たヴァルレハさんとノエルさんと交代しての、“動き回る海藻” の燃料化の作業を任されました。
わたしは、今回のレベルアップで “神癒” を授かったこともあって、救護所で怪我をした人や病気になった人の治療に当たることになっていました。
「……あの、聖女さま」
声を掛けられ、わたしは我に返りました。
すぐ目の前にメイド服姿の若い女性が、蒼白い顔で立っています。
「ごめんなさい――さあ、座ってください」
慌てて向き直ると、寝台に座るようにうながしました。
昨日も救護所を訪れた侍女さんで、年齢はわたしよりもひとつ~ふたつほど上だと思われます。
「まだ、気分が悪いのですか?」
「……はい。加護をいただいてからしばらくはよいのですが……時間が経つとまた……」
「わかりました。取りあえず、またお祈りしてみましょう」
「……すみません」
わたしは侍女さんに額に手をかざし、祝詞を唱えました。
慈母なる女神ニルダニスの慈愛に充ちた御力が、わたし通じて侍女さんの身体に注ぎ込まれていきます。
「――どうですか?」
“解毒” の加護を施し終えたわたしは、侍女さんに訊ねました。
この加護は血液や細胞に侵入した毒素(文字どおりの毒から細菌からウィルスまで)を無害化するので、たいがいの病気を治すことが出来るのです。
「はい、大分よくなりました」
「食事が合わないのでしょうね……やっぱり」
侍女さんに申し訳なさげに微笑みます。
「“大蛇” にしろ “壕の怪物” にしろ、本当によく火を通してください。もちろん、お水もです」
「やってはいるのですが……すみません、せっかく聖女さまが食べられる物を見つけてくださったのに……」
今度は侍女さんが、申し訳なさげに謝ります。
「あなたにだけ、別の食材を配給してもらえればよいのですが……」
パンやチーズ、干し肉などといった普通の食料は残り少なくなっています。
食事が合わない程度の理由では配ってはもらえないでしょう……。
侍女さんは、吐き気がなかなか治まらないようなのですが、お腹は下してはいないようです。
食べ物やお水にあたった……というわけでもないのでしょうか。
「……食中毒……というよりは単なる食あたりですよね……食中毒ってもっとこう激烈な苦しみがあるものですし……でもお腹は下していない……食中毒でも食あたりでもない……」
……食中毒……中毒……中毒……中毒……中毒……妊娠……中毒……。
不意にその病名が連想され、わたしはハッと顔を上げました。
妊娠中毒はつわりを指す言葉ではありません。
ただ、中毒から妊娠という言葉に繋がっただけです。
「……もしかして、あなた赤ちゃんが」
小さく問い掛けたわたしに、侍女さんの顔が見る見る青ざめていきました。
どうやら本人にも心当たりがあるようです。
わたしはチラッと、他の聖職者の方に目をやりました。
軍医さんも衛生兵さんも別の患者さんの診察や治療に追われていて、侍女さんの変化に気づいた様子はありません。
わたしは自然な動作で立ち上がると、衝立で自分たちの周りを囲みました。
女性の診察をする際には珍しくないので、不自然ではないはずです。
念の為に口の中で祝詞を唱えて、衝立に “静寂” の加護を施しました。
“静寂” の属する聖職者系第二位階には、癒やしや治療の加護はありません。
救護所でも自由に使うことが出来ます。
「これで他の人に聞かれることはありませんよ」
わたしは侍女さんを安心させるように言いました。
侍女さんは青ざめているだけでなく、カタカタ……と小刻みに震えています。
「身に覚えがあるのですね……?」
「…………はい」
「それは……思い出したくない記憶ですか?」
頭をよぎるのは、親友だった彼女の無残な姿。
思えば、あれがすべての始まりでした。
女性には……女には、いつ彼女と同じ悲運が降りかかってもおかしくないのです。
「いえっ! そんなことはっ!」
わたしの質問の意図が通じたのでしょう。
侍女さんが慌てて否定しました。
「そうですか」
見えない手で胸を撫で下ろします。
どうやら最悪の事態ではないようです。
ただこの様子から、妊娠を祝福されるような境遇だとも思えません。
おそらく結婚もしていないでしょう。
念の為に訊ねてみると、侍女さんはブルブルと顔を振ってやはり否定しました。
「……あの……わたし、本当に……」
検査キットがあるわけではありません。
あくまでつわりのような症状を見ての、推測に過ぎずないのです。
生理が止まり、お腹が大きくなり始めてからようやくハッキリする……。
この世界のこの時代では、それが当たり前なのです。
「月の物はちゃんと来ていますか?」
「……………………遅れています……ひと月くらい」
状況が状況です。
環境の突然の激変に、周期が狂ったとしてもおかしくはありません。
ですが、もし身籠もっていたとしたら……。
侍女の、ましてこの拠点での仕事は重労働です。
妊娠初期の過度の労働は、母体にも胎児にも悪影響を及ぼします。
様子を見ている時間はありません。
「本来なら、この加護はこんな風に使うものはでないのですが」
ひとつ息を吐くと、わたしは決心して侍女さんに告げました。
「上手くすれば、妊娠しているかどうか確かめられるかもしれません。こんな状況です。わたしとしては試させてほしいと思っています」
この世界では妊娠に気づかずに働き続け――あるいは気づいていても働かなければならず、子供を流してしまう女性が多いのです。
また当の女性たちからも、それが普通だとも思われているのです。
わたしは……目の前でそんな光景は見たくありません……絶対に。
ですが、決めるのはこの人です。
この人の権利――女性としての権利なのです。
無理強いは出来ないのです。
「お、お願いします! わたし、知りたいです!」
侍女さんは涙ぐみながら、懇願しました。
「わかりました」
わたしは不安にさせぬよう、出来るだけ優しく微笑みました。
「身体を楽にして、気持ちをゆったりさせてください。大きく息を吸って……吐いて……吸って……吐いて……」
何度か深呼吸を繰り返させ、動揺していた気持ちが落ち着き、身体がリラックスしたところで、わたしは祝詞を唱え始めました。
本来なら、このような状況で嘆願する加護ではありません。
ですが妊娠しているなら、それはすでにひとつの生命です。
そして生命と魂は不可分。
わたしは “探霊” の加護を通じて、侍女さんの中に新たな魂の息吹を感じ取ろうとしました。
そして……。







