お尻と背中のレクリエーション。ハンナ.ver
「……」
「……」
「……」
「……」
唖然。
呆然。
愕然。
慄然。
あまりにもあまりな出来事に、その場にいた全員が度胆を抜かれて絶句しています。
アッシュロードさんの猫背に、わたしのよりも大きめでありながら抜群の均整のお尻を乗せたハンナさんも、ブスッとムスッと黙り込んでいます。
か、仮にも少将待遇の上官の背中にお尻を乗せてしまう中尉さんというのは、軍人的にどうなのでしょうか? じょ、上官侮辱罪?とかに問われないのでしょうか?
(い、いえ、ご主人様の背中にお尻を乗せた奴隷の言えたことでないのは、重々承知のうえでの意見です)
「……あ~、中尉」
「……」
「バ、バレンタイン中尉!」
アッシュロードさんが前を向いたままひっくり返った声で、背中のハンナさんに呼び掛けます。
だって、そうする以外に出来ないのです。
背中にハンナさんのお尻……というか、全体重が乗っかってしまっているので、無理に振り返れば、彼女が落ちてしまいます。
「もしかして、それはわたしのことでしょうか。アッシュロードさん」
「ほ、他に誰がいる」
「その方の本日の任務は、一九○○時に終了しています。よってここにいるのは、帝国軍中尉のハンナ・バレンタインではなく、ただのハンナ・バレンタインです」
プイッとした口調で、ハンナさんが返答します。
ここまでご機嫌斜めのハンナさんは、初めて見ます……。
キモカワイイという言葉がありますが、コワカワイイという言葉はあるのでしょうか?
とにかく、恐くて、そして可愛らしいです。
「わ、わかった、バレンタイン。とにかく、その尻をどけてくれ。話はそれからだ」
そ、そうです!
その背中はわたし専用です! 指定席です!
特許出願済み! 商標登録済み!
わたしに独占使用権があるのです!
「……ツンッ」
「お、おい、バレンタイン」
「いっつも、それ」
「……あ?」
「いっつも、バレンタイン。バレンタイン。フェルさんやエバさんは、ちゃんと名前で呼んでるのに。不公平よ」
アッシュロードさんとは正反対方向に唇を尖らせて、不満を述べるハンナさん。
「あ? そ、そりゃ、フェルはそもそも姓がねえし、それに俺は一度だってライスライトを名前で呼んだことなんてねえぞ!」
「――あ、わたし、ライスライトがファーストネームですよ」
「えっ!?」
「最初に会ったときに寺院でちゃんと言ったじゃないですか。わたしはエバがファミリーネームで、ライスライトが名前だって」
「……」
愕然とした顔で、わたしを見るアッシュロードさん。
「………………エバ」
「なんでそこで、後退するですか」
むぅ、なにをいまさら訂正してるですか!
「ほら、やっぱり。わたしだけいっつも他人行儀。不公平よっ」
拗ねた口調に滲む、涙混じりの声。
あ~……それは確かに。
同じ立場だったら、やるせないというか立つ瀬がないというか。
ちょっと、ハンナさんに同情してしまいました。
フェルさんも気の毒そうな表情が浮かべています。
「一度は名前で呼んでくれたのに……デートだってしてくれるって言ったのに……あんまりよ……」
そして、ついに泣き出してしまったハンナさん。
こ、これはシャレになりません。
『『んっ! んっ!』』
わたしとフェルさんが両サイドからアッシュロードさんを睨んで、顎をしゃくります。
暗黙の淑女協定の発動です。
アッシュロードさんが『ええーーーっ!?』といった顔で、左右でいつの間にか仁王立ちしているわたしとフェルさんを見やります。
「あ~……」
言い淀む、アッシュロードさん。
気の利いた、適当な言葉が出てこないようです。
無理もありません。
こういうシチュエーションでこの人にそんな言葉を求めるのは、耕運機でF1レースの表彰台に立てというようなものです。
ですが――それは甘えというものですよ、アッシュロードさん。
人には、無理だろうとなんだろうと、やらなければならない時があるのです。
いきなり訪れた迷宮生活最大の危機からアッシュロードさんを救ったのは、当のハンナさんでした。
「それはわたしだって、今が非常時だってことは理解していますよ! でもわたしはエバさんやフェルさんのように迷宮には潜れないんです! あなたの側にはいけないんです! あなたたち三人を見送るしかないんです! わたしは二人に比べたら不利なんです! その辺のこと本当に分かってくれてるんですか!」
両手の甲で後から後から溢れてくる涙を拭いながら、ハンナさんが思いの丈を吐露します。
ハンナさんも……相当に溜め込んでいたようです。
「…………悪かった」
「そうよ、悪いわよぉっ!」
「…………すまん」
「簡単に謝らないでっ!」
わたしはそっとフェルさんに目配せをしました。
フェルさんはうなずき、わたしと一緒にその場を離れます。
今はまだ答えを出すときでも、出せるときでもないのです。
それは誰かが誰かの支えを……希望を奪うということなのだから。
負けるつもりはありません。
でも……今は勝ちたいとも思いません。
迷宮では、希望こそが何よりも必要なのです……。
「……おめえは出来がいいから、つい頼っちまうんだ。俺だけじゃねえ。あの二人も、他の連中もだ」
「……グスッ……グスッ……そうやって……いつも……上手く……言いくるめて……」
「……俺の特技は迷宮でのしぶとさだけだ。だから俺はどんな迷宮からでも必ず還ってくる。ハン……ナ。おまえが望む答えかはわからねえが、答えは出す。必ず出す。……もう少しだけ待ってくれねえか」
「………………わたしの気持ち……分かってくれてるのよね?」
「………………ああ」
「……じゃあ、どういう気持ちか言ってみて」
「……そ、それは……」
「……言ってみて」
「……それは……」
「……それは……?」
「……おめえは、俺に惚れている……」
・
・
・
そんな三人の娘とひとりの男の様子を、少し離れた場所から一組の男女が見つめていた。
「ねえ、ジグ……あれはいったいなんなの?」
「あれか――あれはだな。九つを頭に二才ずつ歳の離れた仲のいい三姉妹が、ご近所の大好きなお兄ちゃんを取り合ってるんだ。末女が可愛がられると次女が膨れて、末女と次女が遊んでもらっていると、長女が拗ねちまうのさ」
最近知り合った女官の肩を抱きながら、ジグリッド・スタンフィードは誰にでもわかる例えで、視線の先の光景を説明した。
「つまり、修羅場?」
「ははっ、お遊戯だよ。要するに男も含めてまだまだ子供なんだ」
そして盗賊は、声の調子を落とした。
「……修羅場になるのは、全員がもう少し大人になってからだろうさ」
(……出来ることなら、そんな場面は見たくないもんだけどな)







