前の事情
『……どうもおかしい』
と最初に気づいたのは、やはりアッシュロードだった。
迷宮の第三層を踏破し、ついでに第五層の始点付近でのハクスラを終えた彼とドーラは、地底湖湖岸の拠点に帰還していた。
“湖岸拠点” と彼らが呼び表すようになった根拠地に戻ったあとも、アッシュロードは人目に付かぬように(隠す必要などないのだが)二度ほど “探霊” の加護を嘆願し、彼の所有物である少女が所属するパーティの安否を確認していた。
“フレンドシップ7” という、おそろしく善らしい 通名を名乗っているそのパーティは、第四層から第二層に下りてきていた。
“探霊” による念視では声まで拾うことはできないが、皆疲労した様子ながら彼の所有物である僧侶を中心に励まし合い、士気は保っているようだった。
初見ながら迷宮の一階層を踏破し、さらに別の階層へと足を伸ばしたのだ。
帰還途中に疲労が見て取れるのは当然だった。
アッシュロードが異変に気づいたのは、拠点に戻ってから二度目(都合三度目)の “探霊” を願ったあとだった。
彼からしたら二回りも年若な探索者たちは、どういうわけか再び第四層に舞い戻っていたのだ。
ここにきてようやくアッシュロードは、自分が “大とんま” をやらかしていたことを悟った。
彼の後輩たちは、迷宮を踏破していたのではなく彷徨っていたのだ。
アッシュロードは自分の頭をかち割りたい衝動に耐え、すぐに使節団の指導者であるトリニティの元に向かった。
アッシュロードは手早く事情を説明し、すぐに主立った幹部が集められた。
もちろん熟達の迷宮探索であるドーラやボッシュ。そして “緋色の矢” には、いの一番に召集がかけられた。
「――なんてこったい!」
話を聞くなり、ドーラが拳で掌を強く打った。
「あたしの目は節穴だったってわけかい!」
「固定観念の怖ろしさだな。二階から四階に登っていれば踏破していると思う。四階から二階に下っていれば帰路に着いると思う……いや、固定観念ではなく無意識における希望的観測か」
「そんな言葉遊びなどどうでもいい! すぐに救助隊を出そう!」
トリニティの呟きに、“緋色の矢” のリーダーであるスカーレット・ヴァルハラが苛立ちを隠さずに主張した。
“善” の属性である彼女に、友人たちの危機を見過ごすことなど出来るわけがない。
まして遭難しているパーティのリーダーは、彼女の恋人なのだ。
賢しらな言葉遊びなど聞いていられようか。
「でも、どうやって助けるというの? わたしたちももう彼らとは知らない仲じゃない。助けに行くのはやぶさかではないわ。だけど彼らは移動している。それにわたしたちには二層以上の地図がない。地図を作りながらでの捜索ではとても間に合うとは思えないわ」
感情的になるリーダーに、冷静な――聞きようによっては冷徹な声で訊ねたのは、同じ “緋色の矢” に所属するヴァルレハだった。
「それは――」
言葉に詰まるスカーレット。
反論できない代わりに、彼女は友人であり相談役でもあるパーティの魔術師を睨み付けた。
「現状では即効性のある救出法はない」
巌のように底堅い、感情の見えない声がした。
司令部の天幕に集められた全員の視線が声の主―― “灰の暗黒卿” に注がれる。
「グレイ・アッシュロード!」
スカーレットの烈火のような怒声が飛んだ。
「落ち着け。即効性がないからといって、手をこまねくとは言っていない」
アッシュロードは動じない。
「“緋色の矢” はすぐに二層に登れ。いつもどおり慎重にマッピングをして、階層の空白を埋めていけ。どちらかの運が良ければヒヨッコどもと落ち合える」
古強者から駆け出しに逆戻りである。
「だが彼らは四層にいるのだぞ? 例の “酒瓶” で一気に四層から捜索した方がよいのではないか?」
「あいつらが小島に下りてきたらどうする。“酒瓶” はひとつしかない。おまえたちに渡してちまったら、ここから救助に向かえん」
「……」
全員が沈黙した。
アッシュロードとドーラが五層でのハクスラで手に入れた “瓶詰めの帆船模型” は、当初精緻ではあるがただの工芸品だと思われていた。
だがトリニティによる鑑定の結果、この瓶詰めのミニチュアは “水上歩行” の魔法が封じられた魔道具であることが判明したのだ。
アッシュロードとドーラはこの魔道具を使って、第一層で唯一未踏破だった湖岸拠点沖の小島を探索し、そこに四階および五階への直通路があることを発見した。
もし “フレンドシップ7” がそちらから下りてきたら、“瓶詰めの帆船模型” がなければ、ここから救助に向かえない。
判断に迷うところであった。
万が一彼らが動けないほどに弱っていれば、救助隊が酒瓶を持って即座に出発し、捜索作業が行われただろう。
しかし年若の探索者たちは諦めず、自力で生還しようと足を動かし続けている。
それは探索者として当然の意識であり、本能でもある。
迷宮で頼れるのは己の力だけなのだ。
だが今回に限って言えば、どこかの玄室に閉じ籠もり、体力と魔力を温存し、救援を待ってほしかった。
「アッシュの判断が正しかろう……スカーレット、すまないがすぐに発ってくれ」
「……了解した」
了承しながらも、緋色の髪の女戦士は思った。
(正しいか正しくないかではないだろう。どちらがより後悔が少ないか……だろう)
「定期的に “探霊” を使って連中の位置を探ってくれ。もしあいつらが一層に下りてきてるようなら――」
「すぐに “転移” で戻るわ」
アッシュロードの指示を受け、“緋色の矢” の聖職者であるノエルが真剣な表情でうなずき、その横でヴァルレハが微笑んだ。
黒衣の君主の声には、隠しきれない焦慮が滲んでいた。
彼女たち “善” のパーティが、この悪名高い暗黒卿をまがりなりにも信用しているのは、その指揮能力や腕っ節を買っているからだけではない。
彼女たちが認め評価しているのは、グレイ・アッシュロードという男のもっと本質的な部分なのだ。
「……あいつらも古強者だ。迷宮との付き合い方は知っているはずだ」
結果的に、アッシュロードの判断は正しかった。
“フレンドシップ7” は第四層からの縄梯子を発見し、自力で小島まで下りてきた。
疲れ果て、弱り切ってはいたが、若い探索者たちは生きて仲間たちの手の届く場所まで戻ってきたのだった。







