一方通行
アッシュロードとドーラがその区画から出た瞬間、ゾワッとしたなんとも嫌な気配がふたりの背中を圧した。
ハッとした “悪” のバディが振り返ると、背後には音もなく二区画幅の “壁” が出現していた。
ここは “龍の文鎮” の第三階層である。
彼らはほんの数分前に、第一階層からの縄梯子を登ってこの階に辿り着いた。
最初に三階に辿り着いたとき、ふたりの前に現われたのは北と東に果てしなく続く長い長い内壁、それだけだった。
あとは見渡す限りの漆黒の空間だけである。
壁も、回廊も、扉も、玄室も見当たらない。
伽藍堂だ。
熟練者の君主と忍者はセオリーどおり、まず身に付けていた “示位の指輪” を使って現在位置を確認した。
この指輪の真の価値は、あつらえられている大粒の宝石にではなく、封じられている “座標” の呪文にある。
いわゆる永久品であり、何度使っても壊れることはない。
古強者探索者の必需品であり、特にふたりのように単独行が多く、魔術師系の呪文が使えない “迷宮保険屋” には必須の品だった。
縄梯子の座標は “E2、N2”
一階の座標と大きくズレているのは、迷宮内の時空が歪んでいるからである。
ふたりはまず長大な内壁沿いに、北に向かうことにした。
進むこと一区画。
不思議な立て看板が目の前に現われた。
看板の文字曰く、
“反対側に行く気はないか?”
試しに、反対側に行ってみた。
やはり立て看板があり、曰く、
“反対側に行く気はないか?”
迷宮のブラックジョークには慣れている。
バディは肩を竦めて、今度はそのまま東に向かった。
そして背後に壁が出現したのである。
「一方通行ってわけかい」
出現した壁を慎重に抜き身で叩きながら、ドーラが鼻を鳴らした。
切っ先が触れる度に、キンッ、キンッと硬質な音が響く。
壁は東に向かった背後――西に出現していた。
さらに北側にもう一枚出現している。
ふたりは出現した壁に沿って、北に歩いてみた。
二区画進み、西に折れてみると、南側にやはり二枚の壁が出現していた。
つまり一階への梯子は、突然出現した二×二の壁の中……というわけだ。
まさに一方通行で、アッシュロードとドーラは他にルートを見つけない限り、帰還できなくなってしまっていた。
腹を括るまでだ。
“紫衣の魔女の迷宮” が青春だったふたりにとって、懐かしくはあっても戸惑うような状況ではない。
最初から出現していた長大な内壁に沿って、今度は北に向かうアッシュロードとドーラ。
一〇メートルほど進んだところで、またしても背後に気配を感じた。
振り返ると、先ほど出現した二枚の壁が、今度は三枚の壁に遮られていた。
箱を開ける度に中から一回り小さな箱が現われる……という悪趣味な玩具がある。 あれの逆だ。
アッシュロードは、“世界蛇” の頭をかち割りたくなった。
◆◇◆
わたしたちは一階への梯子があった長い回廊の終端・南側の扉を潜って、探索を続けていました。
体力も魔力もまだ充分に余裕があり、決して深追いではありません。
積み重ねてきた迷宮探索の経験に基づく、冷静な判断です。
これまでのところ二階は玄室が少なめで、まるで玄室のような短い回廊(ねぐらにしている魔物がいないので回廊と判断)を組み合わせた造りをしていました。
パーシャが描いた地図を見たわたしは、その構造がどこか複数の蛇が絡み合っているようにも見えて、不気味な思いに囚われました。
一列縦隊の先頭に立つジグさんが、どんな微音も聞き逃さないよう集中して進んでいきます。
扉で繋がるくの字、コの字に曲がる長短の回廊をいくつか越え、次の扉を越えた直後でした。
それまで点っていた “永光”の光が突然消失したのです。
全員が武器を構え、即座に防円陣を取ります。
「……“魔法封じの間” か?」
緊張が滲むジグさんの声が、すぐ近く闇の中から聞こえました。
目が魔法光に慣れていたため、全員が一時的に盲目状態です。
「もう一度、嘆願してみます」
そういって、わたしが “永光” の祝詞を唱えかけたところを、フェルさんが止めました。
「まって、“短明” を」
ああ、なるほど。
もし魔法が封じられていれば、より高位階の加護を無駄に消費してしまいますからね。
まずは、最も低い位階の加護で試してみようというわけです。
「“魔法封じの罠” には散々苦しめられたから」
暗闇に柔らかく響く、フェルさんの言葉。
“アレクサンデル・タグマン” さんの事件を思い出したのでしょう。
あの時フェルさんやパーシャは、魔法を封じられた状態で地下八階から決死の脱出行を成功させたのです。
祝詞を唱え終えると、再び温かな加護の光が周囲を照らしました。
「魔法は封じられていないようだな」
レットさんが怪訝な表情を浮かべています。
「ただ魔法の光を打ち消すだけ? なんか微妙な罠ね」
「どうします?」
気が抜けた顔をしているパーシャを横目に、レットさんに訊ねます。
「もう少し進んでみよう。せめてこの回廊を調べてしまいたい」
レットさんが判断を下し、いざ進もうとしたところで、またしてもパッと魔法の光が消えてしまいました。
「……なるほど、こういうことですか」
わたしは再度訪れた闇の中で納得しました。
つまり何度も明かりの魔法を打ち消すことで、探索者の魔力を消耗させる罠なのです。
「これは、しばらく明かりを灯すのは控えた方がいいわね」
最後尾からフェルさんの声が届きます。
声の方向が微妙にずれているのは、警戒のために後ろを向いているからでしょう。
南の外璧を背にしているので、自分たちが北を向いていることはハッキリしています。
さらに一区画進むと、北は内壁に遮られていて、東は一区画先で袋小路になっていました。
進めるのは西にある扉だけです。
慎重に西の扉から、次の区画に進みます。
そこは一×一の玄室で……行き止まりでした。
「? どうなってる?」
隊列の先頭から、ジグさんの戸惑い気味の声がしました。
「エバ――いや、フェル。明かりをくれ。“短明” で構わない」
先ほど加護を消耗しているわたしにではなく、フェルさんに頼み直すレットさん。
扉を越えたことで、罠が消えたのではないかと考えたのでしょう。
「ええ」
フェルさんが了諾し、すぐ祝詞が唱えられます。
魔法光が点り、三度闇が払われました。
今度は……消えません。
「……どうやら、明かりを消し去る罠はあの三区画だけだったようだな」
玄室の北に現われた扉を見やりながら、カドモフさんが呟きました。
暗闇ではとても見えにくい扉だったのです。
「進むぞ」
北の扉を抜けると、そこは “くの字型” 短い回廊でした。
北と西の両端に扉が見えます。
「マッピングは大丈夫か?」
「今のところは……でも、ややっこしい階層だわ。“転移地点” がないだけマシだけど」
パーシャがボヤキ口調で、レットさんに答えました。
「北の扉を調べてみて。外縁から埋めたいから」
「了解」
北の扉を開けると、そこはやはり “くの字型” の区画でした。
わたしたちはさらに進み、地図の外縁を埋めるため今度は西端の西側にある扉を潜りました。
本当に複雑な階層です。
それでいて魔物と遭遇しないので、どんどん進んでいけて――。
(……少し深い入りしすぎ? でも呪文も加護もまだ……)
わたしがそんな思いを抱いたとき、
「――あっ」
最後列のフェルさんが、小さく声を上げました。
「どうした?」
「……扉が消えてるわ。今入ってきた」
確認を取るレットさんに、フェルさんが答えます。
彼女の言うとおり、東の壁にあるはずの入ってきたばかりの扉が消えていました。
一方通行……。
それまでの区画からいきなり遮断され、わたしたちは突然帰るに帰れない状況に陥ってしまったのです……。







