天使の休息
わたしは気張った顔で本部の天幕を出ました。
もうギンギンに気張っています。
ギンギンです。
そして右をフェルさん。左をパーシャに守られたわたしは、周囲の女性たちに向かって高らかに宣言し、戦いの狼煙をあげたのでした。
疲れた表情で炊事や洗濯、衣類の修繕などをしていた人たちが、わたしの言葉に作業の手を止め、顔を見合わせ、直後に手に手にバケツや小樽、水瓶を抱えて、ワッ!と集まってきました。
どの顔からも、今の今まで浮かんでいた疲労と不安にうち沈んだ表情は吹き飛び、ギンギンです。ギンギン。
「――さあ、それじゃ行きましょう!」
「「「「「「「「「「「「「「「「はいっ!!」」」」」」」」」」」」」」」」
わたしは女官や侍女といった女性たちの先頭に立って、昨日発見されたばかりの真水が汲める湖岸に向かいました。
「どうしたの?」
「あのね、あのね、聖女様が水浴びが出来る場所を作ってくれたんですって! それでこれから、みんなでお水を汲みに行くの!」
「水浴び!? 本当!?」
きゃーっ!
みたいな会話が、あちこちで聞こえてきます。
わたしが作ったわけではないのですが、訂正はあとでしましょう。
今は少しでも、陣中の女性たちの憂鬱な気持ちを払拭できれば、それでよし――の精神です。
皆さん、男の人が大半のこの拠点では肌を晒すことに抵抗があって、身体を清めることが出来ずにいたのです。
特に訪問団に参加している女官や侍女には貴族階級出身の方が多く、辛い思いをしていました。
ですが、それもお終いです。
少しずつ、一歩ずつ、環境を改善して、笑顔と希望を取り戻して行きましょう!
そして、女性たち総出のバケツリレーが始まります。
「「「「「「「「「「「「「「わっせ! わっせ!」」」」」」」」」」」」」」
「皆さん、頑張ってください! 女性が元気で美しい社会は活力に充ちているといいます! この拠点もまたひとつの社会! 今こそわたしたちが輝くときですよ!」
「「「「「「「「「「「「「「「「はいっ!!」」」」」」」」」」」」」」」」
――見ませい! この女房どもの見事なる連帯を!
中でも一際目立っているのは、“緋色の矢” のスカーレットさんたちです。
魔術師のヴァルレハさんと僧侶のノエルさんを除く四人が、一騎当千・獅子奮迅の働きを見えています。
「わおっ! スカーレット、張り切ってる~!」
「そりゃ、汗臭いままじゃレットといいこと出来ないからね」
「ミーナ! エレン! 口ではなく手を動かせ!」
パーティ最年少の盗賊のミーナさんと、前衛の一角を担う戦士のエレンさんにからかわれて、スカーレットさんが自慢の髪と同じくらい顔を赤くして怒鳴り返します。
ミーナさんはわたしよりひとつ年上の一六才ながら、熟練者の盗賊で、罠の解除にかけては城塞都市で一二を争う腕前だと言われています。
栗色の髪をボブカット(に似た髪型)にした探索者にしては小柄な女性で、目がくりくりと良く動き、見るからに俊敏そうな印象を与える人です。
エレンさんは一九才。
やはり熟練者の戦士で、重装備のスカーレットさんと違い、軽めの装備で身軽に戦う、いわゆる軽戦士です。
頭には “転移” の呪文が封じられたダイアデムと呼ばれるリング(冠)。左手には、わたしと同じ軽量化の魔法の施された鉄の盾を装備していますが、鎧は全身を覆う板金鎧ではなく、胴体のみを守る胸当てのみで、前腕を銅製の篭手で守っている以外、二の腕や太腿などは丈夫なクロースが剥き出しのまま戦います。
本来はブロンドだったらしい緑色の髪をセミストレートにした、美しい方です。
もうひとりの戦士ゼブラさんは、南方出身の褐色の肌をした野性的な美女です。
スカーレットさんよりもひとつ上の二一才。
ゼブラという名前は本名ではないようで、両頬に三本ずつある猫の髭のような白い傷跡がシマウマのようでもあるので、そう呼ばれているらしいです。
帝国では “南蛮” と呼ばれる地域の出ですが、彼女の前でその蔑称を口にする人間はいません。
機嫌を損ねた彼女は、シマウマどころか獰猛な雌の黒豹。
誰も彼女の愛剣の銘のように “真っ二つ” になりたくはないのです。
とても無口な人で、わたしもまだ彼女の声を聞いたことがありません。
スカーレットさんたちの活躍もあって、入浴小屋に置かれた大きな水槽はあっというまに満たされました。
「――それでは皆さん。手の空いてる人から順に沐浴をしてください」
「そんな、聖女様が最初にお入りください!」
バケツリレー参加してくていたアンが、“滅相もない” みたいな顔で狼狽えました。
おそらくニルダニスの信徒なのでしょう。
幾人かの女性が、その言葉に深く頷きます。
「いえ、わたしは――」
クイクイッとローブの袖が引かれて、フェルさんに目配せされました。
(……あ)
いけません。いけません。
こういう場合、言い出しっぺが遠慮しては、かえって気を使わせてしまうというもの。
「そ、そうですね。それではお言葉に甘えて、お先にいただきます」
わたしは出来る限り自然に微笑むと、フェルさんとパーシャと三人で入浴小屋に向かいました。
楚々とした態度で向かいました。
(お、落ち着いて。冷静に。平静に。皆さんが見ています。こ、ここでわたしがはしゃいでしまったら、士気が保てません)
今朝方、士気を口実に言い訳していたあの人に散々ブゥブゥいっておきながら、いざその立場に置かれた途端この有様です。
ですが、人は好むと好まざるとに関わらず、他の人から望まれる立場を演じなければならないのです。
特にこのような非常時では、なおのことです。
皆さんがわたしに聖女然とした振る舞いを望み、そうすることで少しでも心の支えになるのでしたら、ロールプレイもやぶさかではありません。
やぶさかではないのですが……。
入浴小屋に近づくにつれて、いそいそとした挙動は隠せなくなり、しまいには早歩きになり、最後にはほぼ全力疾走に変って――。
そして、駆け込んだ華美な外交官用の箱馬車を被せただけの浴場から、
「「「きゃーーーーーーーっ!!!」」」
という、探索者三人娘の歓声が響き渡ったのでした。
◆◇◆
「なかなか、やるではないか」
久しぶりに聞く女たちの歓声に、トリニティは童顔を通り越した幼顔をほころばせた。
野営用天幕の分厚い生地を通しても、活気づいている様子がよくわかる。
そしてそれを演出したのは、先ほど気張った顔をして出て行った一五才の少女なのだ。
「聖女としての自覚が出てきたようだな。結構なことだ」
「~聖女ね」
「おまえはそんな顔をするがな、アッシュ。あの娘、人品といい僧侶としての才能といい、充分に聖女たり得るとわたしは思っているぞ。このところ経験も積んで、技量もめきめき高めている。さらにあの若さと容姿だ。人々が特別な眼差しを向けるようになっても、おかしくはなかろう」
天幕にはトリニティの他に、アッシュロードとドーラが残っていた。
他の面々はみな自分の仕事をするために出て行き、今天幕にいるのはこの三人だけだ。
「――話を戻していいか」
「よかろう――要塞の首領部屋の先には、確かに上層への梯子があったというわけだな?」
「そうだ」
「だが、その梯子を登った途端、突然この拠点に戻されたと」
「そのとおりさね」
確認するトリニティに、アッシュロードが、続いてドーラが頷いた。
「だが、それは “真龍” の慈悲なのではないか? ライスライトに宣託を下ろした直後だしな。我々に迷宮内に巣くっている “妖獣” を駆逐させたいのなら、それぐらいの手助けがあってもおかしくないだろう」
「それがそうでもないのさね。あたしらが梯子を登った直後、“ここは汝らの立ち入れぬ所、早々に立ち去るがよい!” って声が頭に響いて、あとは問答無用でマピロ・マハマ・ディロマトさ」
「それが “真龍” の声だったとして――言葉のニュアンスから、手助けの類いではなさそうだな」
「ああ。取り付く島もなく、お引き取りを――ってな感じだったからね」
顎に手を当てて考え込む仕草をした帝国宰相に、マスターくノ一が肩を竦めてみせた。
「しかも、この声はアッシュには聞こえたが、カドモフには聞こえなかった」
「おまえとアッシュにだけ聞こえて、あのドワーフには聞こえなかった?」
「そうさ。おかしな話だろう?」
「 人族と猫人族にだけ聞こえて、ドワーフには聞こえない……いや、この区別は無意味だな。分けるとするなら……」
「“悪” のあたしらには聞こえて、“中立” のカドモフには聞こえなかった」
先回りをする、ドーラ。
「“悪” の戒律では侵入不可な階層だというのか」
「ま、あと考えられるなら “紫衣の魔女” の首を上げたことがあるか否かだけど――」
「可能性は無きにしも非ずだが、それは蓋然性が低いな」
「あたしもそう思うよ」
「しかし、迷宮 “龍の文鎮”にそんな仕掛けがあるなどと、聞いたことがないぞ?」
“龍の文鎮” は全六階層。
形状は、各フロアとも二〇×二〇の正方形。
そして、誰もがどの階層にも双方向で侵入可能。
そのはずだった。
それが、戒律によって侵入できる階層に制限があるなど、初耳もいいところだ。
「別に驚くことでもねえ。要するに仕組みが変ったってこった」
口火を切って以来、黙り込んでいたアッシュロードが親しい者にしかもらさない、やさぐれた口調――べらんめえ調で言った。
「もうこの迷宮には、既知の知識は通用しねえ。まったくの未知の迷宮として挑むしかねえってことさ」
そして、アッシュロードは思った。
今度もまた、あの娘とは別々の道を行くことになりそうだ――と。







