初めての浮気
「そ、それを緊急時の食料にするかは、緊急時に考えるとしよう。おそらく、それがこの件に関してはもっとも賢明な判断だ」
トリニティさんが、ボッシュさんの提案する “エコロジーな養殖” について、まさしく賢明な判断を下してくれました。
「……箱馬車は一〇台ある。三台を女の、五台を男の雪隠にする」
“偉大なるボッシュ” の二つ名で呼ばれている老ドワーフの工兵隊長さんは、気を悪くした風でもなく最小限の言葉で先を続けます。
VIPの乗る箱馬車が一〇台というのは多い気もしますが、この親善訪問団が、世界最大の帝国の外交使節団であることを考えれば、むしろ少なすぎるくらいです。
「……男どもの最初の雪隠は、今夜までに仕上げる。それまではその辺で垂れ流さずに、バケットにでも溜めておけ」
粗野に聞こえますが、帝国軍にはちゃんとそれ用の容器が用意されていて、戦陣ではよほどのことがない限り、そこに用を足す軍規になっているそうです。
不衛生な環境は士気の低下につながり、なによりも恐ろしい疫病の発生源になります。
この辺り、常勝不敗の戦神 “アカシニアス・トレバーン” 陛下が、多年に渡って磨き上げてきた帝国軍は、とても近代的なのです。
「じっちゃん、その歳でよく体力持つね……鉄人というか石人というか」
尊敬と畏怖、そして呆れが複雑に絡まった顔で、パーシャが吐露しました。
ですが還暦とは言ってもボッシュさんは、
筋力: 21
耐久力: 22
ともに種族上限値な上に、“つるはし+5” と “|癒しの指輪《リング オブ ヒーリング》” を装備した、人間ブルドーザーです。
この人のために “屈強” という言葉があるのではないかと、本気で思ってしまう人です。
そんなパーシャに、
「……ニッ」
と笑って、見事な力こぶを作ってみせるボッシュさん。
お茶目なところも、このとおり。
実にチャーミングなお爺さんです。
「そ、それで、残りふたつの箱馬車は何に使うの……ですか?」
遠慮がちに訊ねたのはフェルさんでした。
ボッシュさんのことです。
わざわざトイレにせずに残してあるのですから、何か考えがあるのでしょう。
「……もちろん風呂だ」
「「「――えっ!!?」」」
わたし、フェルさん、そしてパーシャの口から漏れる驚愕の声!
「……せっかく真水が汲める場所が見つかったんだ。作らない手はなかろう」
「探索に出ていた者にはまだ伝えていなかったな。昨日地底湖を調べていた騎士たちが、塩っ気の混じっていない湖岸を発見したのだよ。もちろん飲むこともできる」
お風呂……。
お風呂に入れる……。
この迷宮でお風呂に……。
わたしは呆然とした顔で、右隣に立つアッシュロードさんを見上げました。
(この “正妻ポジション” は、非常に不本意ながら現在のところ早い者勝ちになっています。ですから、いつも “椅子取りゲーム” のように熾烈な争いが繰り広げられるのです。幸運なことに今日はわたしが勝ち、負けたフェルさんは般若顔で唇を噛んでいました。なお本来なら昼間の公務時間はハンナさんの指定席なのですが、今はトリニティさんの隣に変更になってしまっているので、本人はさぞかし忸怩たる思いでしょう)
「な、なんだよ」
「ごめんなさい……わたし、今一瞬浮気しちゃいました。一瞬ボッシュさんのお嫁さんになってもいいと思ってしまいました……でも大丈夫……一瞬だけだから」
わたしは呆けた顔のまま、サムズアップ。
大丈夫……大丈夫……。
A-OK……A-OK……。
わたしの身も心も貴方のもの……。
「~~~」
ふにゃらけた顔を浮かべるアッシュロードさんから、わたしは再びボッシュさんに視線を戻しました。
戻したときには、全身に鋭気がみなぎっています。
「あ、あの! それでそのお風呂にはいつ出来る――いつ入れるのでしょうか!?」
お風呂! お風呂!! お風呂!!!
「……水浴びでよければ、すぐにでも入れるぞ。箱馬車の中に水瓶を置くだけだからな。だが湯を沸かすには薪がいる」
「「「それで全然結構です!」」」
わたし、フェルさん、そしてパーシャの三人が、間髪入れずに叫びます!
お風呂! お風呂!! お風呂!!!
ボッシュさん、あなたには “偉大なボッシュ” なんて通り名では全然、まったく、これっぱかしも足りません!
あなたには謹んで “工匠神ボッシュ” の敬称を奉らせていただきますです!
「ひとまず、水と排泄の問題はなんとかなりそうだな。あとは――」
「食料と……燃料だな」
「ああ。食料の方は “大蛇” や “動き回る海藻”が食用になりそうなので、狩り尽くさない限りどうにかなるだろう。問題は燃料の方だ」
すでにお風呂のことしか頭にない、わたしたち “フレンドシップ7” 三人娘を尻目に、トリニティさんとアッシュロードさんが話を続けています。
「火を熾せなければ、蛇も海藻も食用にはできん。我々は獣ではないのだからな」
「だが、バラした馬車は節約したとしても早晩尽きるぞ――バレンタイン中尉が試算したとおりなら」
「わたしも検算したが、彼女の計算は確かだよ……しかし、この迷宮内に森や林があるとも思えんしな」
トリニティさんが嘆息しながら、ボッシュさんを見ました。
ボッシュさんは『樹のことならエルフにでも聞け』と言わんばかりに、無言を通しています。
しかし、この場にいる唯一のエルフであるフェルさんは、わたし同様お風呂(水浴び)のことで頭がいっぱいの様子で、ボッシュさんの表情には気づきません。
仮に気づいたとしても、いくら森の民のエルフといえど、この迷宮に柴刈りのできる雑木林を生やすのは無理でしょう。
救いの神は意外なところから現われました。
いえ、その人のレベルや職業から考えたら、ある意味当然かもしれません。
「そのことなのですが……わたしとノエルでこんな物を作ってみました」
そういって、ローブの下から防水布に包まれた掌よりも少し大きな物を取りだしたのは、“緋色の矢” の魔術師 であるヴァルレハさんでした。
包みが解かれ、中から出てきたのは……。
「……インスタントのお味噌汁?」
緑色をしていて、乾燥していて、四角くて……それは色こそお味噌ではありませんでしたが、お湯を注げばすぐに食べられる、わたしのお家の台所にも常備されていた、インスタントのお味噌汁そのものでした。
「なに? それ?」
お風呂から意識が戻ったパーシャが、興味津々といった表情でヴァルレハさんの差し出した品をのぞき込みます。
「乾燥させた “動き回る海藻” よ」
「ええっ!? こんなに小さいのにっ!? それにどうやって乾燥させたのよ!」
「呪文と加護の合わせ技よ。まずわたしが “凍波” 呪文をかけて急速に凍らせて、その周りにノエルに “障壁系” の加護をかけてもらったの。そして最後にわたしが、“酸滅” の呪文で障壁内の大気を消滅させたのよ」
皆がヴァルレハさんの説明に聞き入っています。
「“酸滅” は本来、大気中の酸素だけを破壊する呪文だけど、この手の呪文の例に洩れず、大気をすべて消し去ってしまう “大ざっぱな” 魔法制御の方がずっと簡単なの。水は圧力が低いと温度にかかわらず気体になる(昇華)のは、あなたも魔術師なら知っているでしょ? 周りの大気が消えて減圧状態になって、水分が抜けて乾燥したのよ――よく燃えるわ」
ヴァルレハさんの、知的で美麗な顔が輝いています。
「……フリーズドライ……」
食品を凍らせたあとに減圧して、水分を昇華させることで乾燥させるその方法は、まさしくフリーズドライ製法のそれでした。
「……たまげたな。よく考えついたもんだ」
「“悪巧み” が好きなのは、あなだけでなくてよ」
肩を竦めて賛嘆の苦笑するアッシュロードさんに、ヴァルレハさんがニッコリと微笑みます。
普段ならクソ面白くない光景ですが、今のわたしは違います。
クソ面白くないどころか、この時のわたしは、ヴァルレハさんのお嫁さんになってもいいと思っていました。
ごめんなさい、アッシュロードさん。
言った側から生涯二度目の浮気をしてしまいました。
だって――だって――。
だってこれで本当に、温かいお風呂に入れるかもしれないのですから!







