お尻と背中のレクリエーション
グレイ・アッシュロードは、拠点にいる他の人間とはひとり離れて眠っていた。
明かりは “永光”の加護で賄われていて、燃料に限りがあるため、篝火は焚かれていない。
パーティを組むドーラ・ドラは娘のノーラと共に、トリニティやボッシュといった、かつての仲間たちと休息を摂っていた。
くノ一たちは、やさぐれた自分たちのリーダーが孤独癖のある男だと知っていたので、強いて引き留めはしなかった。
アッシュロードは、元々悪名高い稼業である迷宮保険屋として薄気味悪がられていたうえに、今や “灰の暗黒卿” として気味悪がられている。
多くの人間が、自分たちの輪から黒衣の男が離れていってくれたことに、ホッとしていた。
そのグレイ・アッシュロードが、他の者たちが不寝番以外眠りに就いている時間だというのに、まんじりともせずに毛布にくるまっていた。
彼自身、数時間前にようやく終わった地下要塞での活劇で、疲労困憊だというのに――である。
アッシュロードは高く暗い迷宮第一層の天井を見つめて、小さくため息を吐いた。
今夜の彼に寄り添っているのは、慣れ親しんだ孤独ではなく、自身の所有物である十五才の娘だった。
皆が寝静まった頃、その娘が自分の毛布に入り込んで来たときには、さすがのアッシュロードも声を出しかけた。
さすがに度が過ぎると言うものだ。
この娘は大人しそうな外見とは裏腹に、時として蛮勇とも無謀ともとれる行動をする。
年頃の娘だからこその行動だろうが、年頃の娘だからこそやっちゃなんねえことがあるのだ。
しかし、そうではなかった。
娘は、同衾を求めてきたのではなかった。
娘は――エバ・ライスライトは震えていた。
まるで凍えているかのように、カタカタと華奢な肩を、腕を、全身を震わせて、アッシュロードに引っ付いてきた。
彼の短衣をギュッと握りしめた手からは、震えと共に少女の激しい怯えが伝わってきた。
もしアッシュロードが、心に湧いた憐憫の情に負けて少女の肩を抱いてしまったら、ふたりは一線を越えてしまっただろう。
しかし彼は自制し、保険屋は保険屋としての距離を守った。
やがて怯えた小動物が眠りに落ちるように震えがとまり、少女の身体から力が抜けた。
そしてグレイ・アッシュロードは、まんじりともせずに高く暗い迷宮の天井を見つめている。
(……こいつはドラマよりもまだ酷い)
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◆◇◆
ムスッ……!
とした顔で、おはようございます。
昨日は大変な一日でしたが、どうにかこうにか全員が無事に拠点に戻ってくることが出来ました。
そしてわたしも、いつの間にかパーティの仲間の近くに広げていた自分の毛布に戻っています。
どうやらわたしは、知らないうちに眠っている間に瞬間移動する特殊能力を身に付けてしまったようです。
そんな訳ありません。
となれば、考えられることはひとつです。
ムスッ……!
とした顔で、わたしは水瓶の水で顔を洗い、口をすすぎました。
そして、
ムスッ……!
とした顔で、みんなが寝ている隙にわたしをここまで運んでくれた人の元に向かいます。
その人は珍しく早めに起き出していて、“永光” の明かりの中、猫背をますます猫背にして装備品の手入れをしています。
鉄靴の底にこびりついた泥を穿り落とし、鈍くなったスパイクにヤスリをかけています。
わたした近づいて来たことぐらいとっくに気づいているくせに、狸寝入りならぬ狸作業をしています。まったく可愛くありません。
なのでわたしも気づかない振りをして、ますます猫背なその背中に、どっこいしょ――と腰を下ろしました。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……おい」
「……なんです」
「……誰かさんが小さな尻を乗せてるのは、もしかして俺の背中か?」
「……いえ、誰かさんが小さな尻を乗せているのは、背中ではなく椅子です。それも座り心地が悪くて、相変わらず人を子供扱いする大人ぶった性格の」
「……」
「……」
「……なに、ぶーたれてんだよ」
「……別に、ぶーたれてなんていません」
「……ぶーたれてるじゃねえか」
「……鈍感」
「……敏感」
人を敏感扱いする鈍感な誰かさんの背中で、ムスッと『考える人』のポーズを取ります。
そろそろ周りの人たちも、わたしたちの様子に気づき始めたようで、騒ついた気配が広がっています。
「……だって」
「……だって、なんです?」
「……まずいだろ、あのままじゃ」
「……なにがまずいんです?」
「……まずいだろ、あれじゃまるで同衾したみてえじゃねえか」
「……いいじゃないですか別に。わたしはあなたの物なのですから」
「……いや、そういうわけにもいかねえだろ。中身はどうあれ、おまえはニルダニスの聖女だし。ニルダニスの信者はここにも多いし。だいいち状況が状況だ。仮にも筆頭近衛の俺がそんな真似してみろ、士気に関わる」
「……急に責任感に目覚めちゃって」
「……」
ぶぅ、ぶぅとぶーたれるわたしを背中に座らせたまま、お尻の下の人が再びゴリゴリと鉄靴を鋲を磨き始めました。
わたしもぶーたれた顔で『考える人』を続けます。
「……」
「……」
「……俺ぁ」
「……?」
「……俺ぁ、おまえを汚しちゃなんねえと思ったんだ」
「……」
「……俺と一緒にいたら、いずれおまえまで黒く染まっちまう。それは……ノーグッドだろう……」
お尻の下の背中が、聞き取れないくらい小さな声で言いました。
お尻と背中だからこそ、伝えられる言葉。
「……古いですね。あなたはロリコン伯爵からお姫様を救い出した、正義の大怪盗か何かですか?」
「……俺には、おまえが眩しすぎる……」
「……お母さんの形見の安物の指輪を手渡して、巨大モビルアーマーに特攻でもするつもりですか。そんなにわたしが眩しいのでしたら、サングラスでもなんでもプレゼントしてあげます」
「……」
「……そもそも、あなたは自分がそんなに黒いと思ってるんですか? わたしを染められるほどに真っ黒だと? ちゃんちゃら可笑しくて、おへそが茶を湧かしてしまいます。わたしに言わせたら、あなたの汚れなんてせいぜい雨の日に跳ねた泥水の染み程度です。そんなの、わたしが “まっしろしろすけ” になるまで漂白してあげます」
「……そこまで言うか」
「……そこまで言います」
お尻と背中のレクリエーション。
以前のわたしなら、こんなにズケズケとは言わなかったでしょう。
ですが今は違います。
迷宮で生き延び、経験を積んできた今はわかるのです。
昨日のような激しい戦いの後には、このようなやり取りがわたしにも、そしてこの人……アッシュロードさんにも必要だと
「……勝手にしろ」
「……勝手にします」
アッシュロードはふっと肩の力を抜いて、装備品の整備を続けました。
そしてわたしも、『考える人』を続けます。
お互い、他の人の目なんて気にしません。
どうせわたしたちは、変人の主人と変わり者の奴隷なのですから。
「あ、あの……」
とその時、物凄く遠慮がちに誰かが声を掛けてきました。
榛色の髪をふたつ結びの三つ編みにした、白い肌にうっすらとそばかすの浮いたメイド服姿の女の子。
トリニティさんが、迷宮の探索で手一杯なわたしたち “フレンドシップ7” のためにつけてくれた、専属の侍女――。
「エバ様、アッシュロード様、朝食の用意が出来ました」
アン・アップルトンが、戸惑いの極致にある表情で伝えました。







