人間要塞★
アッシュロードはドワーフの戦士と、複雑な構造の要塞を進んでいた。
なぜこのドワーフの少年が同行を申し出たのか。
慎重に通路を進みながら、黒衣の君主は頭の片隅でその理由を考えていた。
自己犠牲の精神が旺盛な “善” ならいざしらず、このドワーフは|無属性の “中立” だ。
好き好んで、こんな危険極まる仕事に志願する理由にはならない。
『……ここにいる探索者で “中立” は俺とジグだけだ。盗賊の技能はパーティの脱出に必要だ』
ドワーフ――カドモフはそれだけしか言わず、時間を惜しんだアッシュロードは彼を伴い、なおも食い下がるエバ・ライスライトを残して首領の部屋を出た。
背中に感じるドワーフの気配は、どっしりと落ち着いていて頼もしい。
熟練者には未だ足りないが、レベル10ともなれば本来は何年何十年と修行した戦士が到達する腕前である。
一六才の少年が、早くもその境地に達しているのだ。
凶悪な魔物が巣くう地下迷宮が、戦士の修練場としては最適な環境である証左であり、誘蛾灯のようにある種の人間を惹き寄せ続ける理由だった。
(……まるでボッシュといるようだ)
かつての頼もしい仲間を思い出し、黒衣の男はほんのわずかに口元をほころばせた。
忍者であり斥候でもあるドーラ・ドラが、先頭を。
戦闘時には前衛の真ん中を担当する盾役の自分が、二番手。
そして三番手が、老練なドワーフ戦士のボッシュだった。
前衛の中でもっとも短躯でありながら、もっとも強靱。
まるで背中を移動する要塞に守られているような頼もしさを感じたものだった。
アッシュロードは今、それとよく似た安心感を背中に感じていた。
アッシュロードが右手を挙げて、立ち止まった。
壁に張り付いて、気配を消す。
カドモフも、すぐに倣う。
通路脇の扉が開いていて、中から酔漢たちの騒々しい笑い声や怒鳴り声が響いていた。
アッシュロード、カドモフ共に、身にまとっているのは穏身にはまったく向かない 板金鎧だ。
海賊どもは酒盛りの真っ最中で、宴もたけなわ。
いい加減、酒も回っている。
気づかれずに素通りできなくもないだろうが……。
アッシュロードは腰のベルトに通した雑嚢に手を突っ込み、巻物を一本取りだした。
開きっぱなし扉にじり寄り、隙間から封を切った巻物を部屋に放り込む。
宙に舞った羊皮紙に描き込まれた、古代アカシニア文字が蒼く燃えあがり、封じられていた “昏睡” の呪文を解放する。
酒盛りをしていた海賊たちは、全員がバタバタと卓に頭を打ち付けるように突っ伏し、痛みにも反応しない深昏睡に陥った。
「……始末せんのか?」
部屋の前を素通りするアッシュロードの背中に、カドモフが訊ねた。
「時間が惜しい」
目的の部屋である火薬庫―― “イラニスタンの油” の貯蔵庫に向かいながら、アッシュロードが振り向きもせずに答えた。
「酒漬けの脳味噌に眠りの魔法だ。三日は目を覚まさん。それに……どのみち死ぬ」
「……」
若きドワーフの戦士は、苦い丸薬を噛んだかのようなアッシュロードの言葉を、表情を変えずに、しかし興味深く聞いていた。
所属するパーティの三人の娘のうち、ふたりから熱烈な想いを寄せられている男。
ふたりともドワーフの目から見ても大層な器量よしで、気立ても頭もよかった。
そのふたりがぞっこん恋に落ちたのが、城塞都市でも悪名高いこの猫背の迷宮保険屋なのである。
確かに初めて “紫衣の魔女” を討伐した伝説のパーティを率いていただけあって、腕は立ち、悪知恵も働く。
冴えない外見とは裏腹に、探索者としての実力は一線を退いてなお超一流だ。
しかしあの娘たち年頃では、なにより見た目の男ぶりこそが重要視されるはずだった。
カドモフ自身は、そういった人間やエルフの娘の価値観には同意しかねるが、そういうものだとは理解している。
孔雀の雄がきらびやかな羽を持っているのは、雌を惹き寄せるためだ。
しかし、頭のよいエバとフェリリル。さらに加えるなら、探索者ギルド一の才媛であるハンナ・バレンタインの心まで射止めたとなると、眼前の男にはその冴えないみてくれなど問題にならない魅力があるのだろう。
あの聡い娘たちが、腕っ節や悪知恵だけで惚れるとも思えない。
カドモフは、それを見極めたかった。
若きドワーフは己を一点の曇りなき鋼のごとく鍛え上げることに、生涯を懸けている。
彼の目標であるドワーフの英雄 “偉大なるボッシュ” も、こうしてこの男の背中を見ていたのだ。
この男とパーティを組めるのなら、決死隊だろうと喜んで志願すると言うものだ。
なにより――。
カドモフがアッシュロードに同行を申し出た、もうひとつの理由に思いを巡らせたとき、本人が立ち止まった。
やはり壁際にピタリと背を寄せたアッシュロードが、親指で軽く指し示した先には、頑丈そうな鉄扉と警備の海賊がふたりあった。
ハンドサインで、カドモフに右の海賊の始末を指示するアッシュロード。
カドモフは頷き、突入に備えた。
漆黒の鎧をまとった君主は、口の中で小さく “静寂” の加護を嘆願し、効果が現われるや否や左の海賊に突進した。
カドモフも、剣を手に続く。
一人一殺。
ふたりの海賊は驚愕の表情を浮かべた直後に、断末魔の呻き声すら漏らせずに息絶えた。
「ここだ。ここがこの要塞の “火薬庫”だ」
愛剣に血振りをくれながら、アッシュロードが顎をしゃくった。
「中にはたんまりと火気厳禁が詰まってる。“妖獣” だか “物体” だか知らないが、こいつでまとめて燃やしてやる」
「……最初からこうなると予想してたのか?」
最初から妖獣の存在に勘づき、その処理の仕方まで考えて侵入していたのなら、この男に救いはない。
「いや、脱出の際に陽動になればと聞き出しただけだ。まさかこんな展開になるとは思わなかった」
正直に告白するアッシュロードに、ドワーフは三人の娘たちを思って安堵した。
「……それでどうする?」
「仕掛けを作る。点火して三〇分後に吹き飛ぶようにな。あとは封をして全力でトンズラだ」
「……ライスライト方式か?」
「ああ、それだ」
時限発火装置をセットしたら、閉じた扉にありったけの “障壁” の加護を施して全力で待避する。
例え海賊どもが火薬庫の異常に気づいたとしても、加護が切れるまでは手出しはできない。そして加護が切れるころには、この要塞そのものがなくなっている。
シンプルなだけに強靱な計画だった。
「見張りを頼む」
「……承知」
短く頷き通路の先に視線を移したカドモフに背を向け、アッシュロードは愛剣である “悪の曲剣” を大上段に振りかぶった。
扉に懸けられている物々しく頑丈な南京錠を問答無用で一刀両断。
火薬庫の扉を開いた。
「……溜め込みやがって。奴ら、リーンガミル相手に本気で戦を吹っかける気だったのか?」
一×一区画の部屋の中は、火薬や それ以上に危険な “イラニスタン” の油で天井まで埋まっていた。
確かにこれだけあれば、この巨大な要塞を滅菌消毒するのも可能だろう。
アッシュロードは、導線に使うボロ布だのなんだのを背嚢から取り出しながら、ふと軽口を叩きたくなる誘惑に駆られ、おかしな事に耐えられなくなった。
「おい、カドモフ」
「……なんだ?」
「なぜ、着いてきた?」
「……あんたに興味があった」
「俺に? おまえ――そっちの気があるのか?」
ボロ布を口に咥えて細く裂きながら、アッシュロードが訊ねる。
「……あんたの尻には興味はない。俺の目標は “偉大なるボッシュ” を超えることだ。彼が見ていた光景が見たかった」
「なるほど」
「……それに」
「それに?」
「……戦士の嗜みだからな」
「あっ? なんだそりゃ?」
「……ふん、どうやらそれほど間抜けでもないようだ」
「来たか?」
「……ああ」
軽口を叩きながらも発火装置を手際よく作るアッシュロードの背中に、ドヤドヤとした跫音が響いた。
アッシュロードはカドモフに “滅消の指輪” を放りかけて、思い直した。
仮にも “偉大なるボッシュ” 追い抜かんとしている男に、それは侮辱以外のなにものでもないだろう。
「……アッシュロード」
「なんだ?」
「慌てず、急いで、正確にな」
ニヤリと笑ったその言葉が、この若いドワーフ一流の軽口だと黒衣の君主が気づいた時には、海賊たちが群がり寄っていた。
かつて仲間の盗賊に、若きドワーフ戦士は言った。
“年頃の娘を、もう一度好いた男と会わせてやるのが戦士の嗜みだ”
――と。
「ここより俺は、不動の拠点。友たちを護る、鉄壁の要塞――さあ、抜いてみせろ!」
海の略奪者たちに、難攻不落の人間要塞が立ち塞がる。







