奥の手?
パーシャは頭から被されたズタ袋の中で、友人が連れ出されていく気配にぶち切れそうになる自分を、必死に抑えていた。
猿轡を噛まされていなければ、奥歯を砕いてしまうほどに噛みしめる。
牢番に引き立てられた友人が、抗い暴れているのがわかる。
友人である以上に親友であり、親友である以上に恋愛感情にも似た憧憬。
それは年頃の少女にままみられる同性への友情の一形態だったが、パーシャの場合、彼女の生い立ちも関係してより依存性が高かった。
(――殺してやる! エバに指一本でも触れたら、殺してやる!)
ホビットの少女は麻布に遮られた目を血涙を零すかのように見開き、声にならない叫びを上げた。
しかし彼女は魔術師である。
どんな時でも賢明でなければならない。
だから、パーシャは耐えた。
ここで奥の手を使うわけにはいかない。
今使えば、あっという間に取り押さえられ鎮圧されてしまう。
だからパーシャは、猿轡を噛みちぎるほどに噛んで耐えた。
エバと彼女を引きずった牢番の気配が消えると、すぐにパーシャは海賊たちの間抜けさを胸の中で心底侮蔑・罵りながら、奥の手を使った。
足を伸ばして、手近(足近)?な仲間のズタ袋を指でつかむ。
まったくあの海賊どもは、ホビットが裸足で生活する種族だということを知らないのだろうか?
パーシャの足にズタ袋を掴まれたのは、ジグだった。
ホビットの少女は器用に盗賊の頭から麻のサックをむしり取ると、今度は指先の感触だけで猿轡を外しに掛かった。
ジグにしてみれば、口の周りをホビットの泥だらけの足の指が這い回ってるのは我慢ならない苦痛だったが、今は非常時だ。
急がなければエバが――あの底抜けに人のよい僧侶が、女の尊厳を踏みにじられてしまうかもしれない。
垢じみた海賊どもは俺たちを妙に怖れていたが、首領は別だった。
女に興味があるような素振りは見せなかったが、奴も男だ。
いつ獣欲を剥き出しにするか知れたものではない。
今は一秒も無駄にはできない。
だからジグはできるだけホビットが作業しやすいように、その泥にまみれた足先に自分の口元を寄せてやった。
足の裏に生えた固い巻き毛が、盗賊の顔をたわしのように擦り、傷だらけにしたが、ジグは耐えた。
悪戦苦闘の末、ホビットの足の指が盗賊の猿轡を外すことに成功した。
「――ぶはっ!」
ジグは牢屋の湿った黴臭い空気を思う存分吸い込むと、パーシャの布袋に噛みつき引き剥がした。
それから彼女の後ろに周り、後頭部で結ばれている猿轡を噛み解いた。
「――ぷはっ!」
パーシャは深い水底から顔を出した時のような声をあげると、すぐにフェリリルのズタ袋に噛みついた。ジグはレットだ。
そうして次々に仲間の被り物と猿轡を外すと、休む間もなくパーシャはジグを後ろ手に縛っている荒縄にかぶり付いた。
「グギギギギギギギッ!」
(召しませ、ホビット自慢の歯並び、ここにあり!)
ブチンッ!
心中に裂帛の気合いが轟き、何を食べたらここまで頑丈になるのかと思うくらいの彼女の歯が、荒縄を噛み千切る。
「よくやった!」
レットは快哉を叫んで、他の仲間たちの荒縄を解いていった。
船乗り特有の解けにくい結び方だったが、盗賊の彼にとっては児戯に等しい。
瞬く間に五人の拘束は解かれた。
「エバは!?」
フェルが顔面蒼白になって訊ねる。
同じ女として、今友人が置かれているのがどれほどの危難か、血が凍るほどに理解している。
「……声が高い!」
レットが鋭く制した。
「……ジグ」
「……やってはみるが」
問題は、この鉄格子だ。
いつも使っている盗賊の七つ道具があれば、五秒もかからずに解錠できるだろうが、今は取り上げられてしまってる。
ジグは抜け目なくブーツの底に隠していた、小さなヤスリを引き抜いた。
だがこれで鉄格子の錠を削り切るころには、おそらくエバは……。
「待ってらんない! あたいがやる!」
そういって、パーシャは呪文を唱えるための精神統一を始めた。
「……おい、無茶すんな! こんな狭っくるしい所で、全員黒焦げになっちまうぞ!」
ホビットの魔術師が使える魔法でこの状況を打破できるものがあるとすれば、それは破壊の象徴ともいえる “火炎系” の呪文だが、最初歩の “火弓” では鉄格子を破壊するには火力が足りず、それよりも上位の呪文では威力と効果範囲がありすぎて、全員が消し炭になってしまう。
「――黙ってて! 繊細な作業なんだから!」
一喝して盗賊を黙らせると、パーシャは高度な魔法制御のために再び精神を集中した。
彼女の脳裏にあるのは、“火の七日間” の最初の夜。
堅牢無比を誇った城塞都市 “大アカシニア” の外郭城門を、ピンポイントで破壊した “紫衣の魔女” の姿である。
あのとき大魔女は、通常では威力が大きすぎて自軍をも巻き込んでしまう究極の破壊呪文 “対滅” を、高度極まる魔法制御で一点に集束し、城門だけを打ち破ったのだ。
今ホビットの少女魔術師がやろうとしているのは、規模こそ小さいがまさしくあの夜の再現だった。
短くも深い集中を経て――。
クワッ!
「――一点、集中! 目にも見よ、ホビット手練の魔法、いざ、馳走!」
パーシャは口上を吠えると、純粋な火炎系呪文では最高位である “焔嵐” の呪文を唱えた。
だがパーティの眼前に現出したのは見慣れた紅蓮の嵐ではなく、ホビットの小さな手の小さな指先から一筋の矢となって鉄格子の錠に突き刺さる、まるで “火弓” の呪文のそれだった。
しかし、火力は “段違い” だった。
最大で “火弓” の八倍以上の熱量になる “焔嵐” を一点に集約したのである。
それはまるで光線のように鉄格子の錠に突き刺さり、瞬く間に錆びた鉄を真っ赤に灼熱させた。
――何事か!?
と血相を変えた門番が駆け付けてきたが、声をあげるよりも先にフェリリルの嘆願した “棘縛” に絡め取られた。
やがて、パーシャの唱えた変則 “焔嵐” の効果が切れた。
「ち、畜生!」
ホビットの少女は、悔しさに口汚く罵った。
鉄格子の錠部は真っ赤に焼けながらも、完全に溶解するまでにはいたらず、半ば形を保っていた。
レットが蹴破ろうと駆け寄ったが、熱気に阻まれ後ずさった。
「くそっ! もう少しなのに!」
ジグが吐き捨てた瞬間、盗賊の横を丈低い何かが投石機に撃ち出された巨岩のような勢いで追い越していった。
「――ぬんっ!」
ドワーフが短躯を肩口から、灼熱した鉄格子に叩きつける。
ジュウッ!
と胸の悪くなる音と臭いがするのと、真っ赤に灼けた鉄錠が弾け飛んだのは同時だった。
ガシャンッ! と耳障りな騒音を立てて、鉄格子の扉が跳ね開く。
「カドモフ!」
今はパーティ唯一の回復役であるフェリリルが、勢い余って倒れ込んでいるカドモフに駆け寄った。
「……大事ない」
平然とした顔と声で答えたが、カドモフの右の肩口から横顔は真っ赤に焼けただれていた。
エルフの僧侶が “大癒” の加護を願っている間に、レットとジグは “棘縛” に絡め取られている牢番の武器を奪った。
そして加護の効果が切れるや否や、牢番の喉首に奪った舶刀の刃を当て、
「――仲間の女はどこだ! 言え!」
と詰問した。
「お、お頭の部屋だ」
「嘘じゃないな!?」
「う、嘘じゃない!」
レットが止める間もなく、ジグが牢番の喉を掻き切る。
「縛り上げてる時間がねえ」
「……わかってる」
“善”の戒律のレットとて、今は一秒でも時間が惜しいことは理解していた。
レットは後味の悪さを振り払って、
「パーシャ、首領の部屋までの道順はわかるな?」
「あたいを誰だと思ってるのよ!」
パーシャが即答する。
暗黒回廊のマッピングを平然とこなす彼女に、ズタ袋の目隠しなどクソ喰らえだ。
「よし、案内頼む! エバを助けるぞ!」
“フレッドシップ7” は脱獄に成功し、連れ去られた仲間を救うべく、要塞内を疾駆する。
そして――。
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――バンッ!
「召しませ! ホビット自慢の石頭、ここにあり!」
ドゴッ!
「――見たかぁ! あたいの友だちに変な真似したら、こういう目に遭うんだよ!」
……事態はひとりの男の悲劇へと繋がるのだった。







