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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
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内なる宇宙⑤

 ――これは無理だ。


 リンダは、両開きにされた豪奢な青い扉の前に立つ瑞穂を見て思った。

 瑞穂は今、現実の世界への道を開くために真っ白な石の壁に向かっている。


“……出口を開くなら、そこが一番相応しい(イメージしやすい)だろう”


 という道行の考えによる行為だが、あまりの根拠の薄弱さに発言した本人に同情したくなるほどだ。

 無論、道行もそんなことは百も承知なのだろう。

 この三カ月最終到達点(ゴール)として目指してきたあの壁なら、瑞穂もあるいはやりやすいのではないか……。

 ないよりはマシ程度の思いつきに過ぎない。

 瑞穂は経験を積んだ僧侶(プリーステス)として、さすがの集中力で一心に祈りを捧げているが、石の壁に変化の兆しはない。




『答えは出たみたいね』


 先ほど反対側の壁際から戻ってきた瑞穂に、リンダは訊ねた。

 対して瑞穂はうなずき、


『“アカシニア” という世界のことを詳しく教えてください。わたしが出来る限り思い出せてイメージ出来るように』


 そしてリンダに告げた。

 

『現実の世界に戻ります』


 それからリンダは、瑞穂が忘れている一連の出来事について教えた。

 クラスメートのダイモンたちと六人で “アカシニア” に転移したことから始まり、生きるために探索者となったこと。最初の探索と全滅――。

 リンダは自身に起こったことを含めて、知っている限りの出来事を包み隠さず、淡々と瑞穂に話して聞かせた。

 瑞穂は話を聞くにつれショックを受け、青ざめた。

 しかし、取り乱す素振りも道行に慰めを求める仕草も見せず、ただ唇を噛みしめ、すべての話を聞き終わったあとに、ひとり鏡面のごとき白い壁の前に立った。



 ――これは無理だ。


 もう一度リンダは思った。

 ついさっき話に聞いただけの世界や、出来事や、人をイメージして、その世界へのゲートを開くなど、どんな優れた聖職者や魔術師でも出来るわけがない。

 たとえ今いる場所が、自身が神となれる本人の心の中だったとしてもだ。

 いや、なればこそ、この世界を否定できて初めて瑞穂は神になれるだろう。

 今のこの現実(リアリティ)を自身の心象風景と認識することで、初めて瑞穂は世界を自在に改変することが可能になるはずだ。


 しかし、瑞穂のそばには道行がいる。

 あの娘にとっては道行こそが現実であり希望だ。

 希望を捨て絶望への扉を開く――それは瑞穂の道行への想いの否定に他ならない。

 瑞穂の道行への想いが真実であればあるほど、話に聞いただけの “アカシニア” を想像するなど――思い出すなど、出来るわけがなかった。

 道行の存在が、瑞穂をこの現実(心象風景)に縛り付けている。

 まったくあの魔族の女の言ったとおりだ。

 ここは瑞穂にとって “薔薇色の牢獄” なのだ。


 瑞穂は瑞穂なりに本気なのだろう。

 表情と顔に浮いた珠の汗から、彼女が本気で精神を統一し祈りを捧げていることがわかる。

 おそらくは、肉球の付いた手を合わせて祈るように見つめている猫人(フェルミス)の幼女のために、魂魄をかけているのだ。

 子猫を母猫の元に帰すために、自分の半身を切り分けようとしているのである。

 お人好しなあの娘らしいが、それだけに悲痛であり滑稽でもあった。


 どうにもならない。

 条件が悪すぎる。


 だから目の前で瑞穂が力尽き泣き崩れたときも、リンダは別に驚きも落胆もしなかった。

 少しの憐憫と “もしかしたら” という微かな期待があったことを、苦笑混じりに発見しただけだ。


 猫人の少女が、今回何度目かの子供特有の感情に任せた行動を採ったのは、その時だった。

 くずおれ泣き出してしまった瑞穂を見て、いたたまれなく、いてもたってもいられなくなってしまったのだろう。

 ノーラは駆け出し、瑞穂に抱きついた。

 幼いが故の打算も欲得もない純粋な行為。

 

 “不確定要素(ジョーカー)” が奇跡を呼んだ。


◆◇◆


「――はぁ、はぁ、はぁ」


 駄目……できない。

 わからない……。

 思い浮かばない……思い出せない。

 “アカシニア” なんてわからない。

 そんな世界、そんな場所知らない……。

 知らない世界を、場所を……人を、どうやって想像しろと、思い出せというのですか……。


 わたしは……折れてしまいました。

 精神力も……体力も限界でした。

 もういいでしょ……もういいですよね。

 これ以上……わたしにどうしろっていうんですか。


「……ごめんね……ごめんね……」


 ボロボロと涙が零れます。

 幼い女の子がお母さんと再会できるかどうかの瀬戸際なのに、何も出来ない自分が情けなくて、不甲斐なくて、道行くんに慰めてもらいたくて、心のどこかでこれで道行くんと一緒にいられるってホッとしている自分がいて……。


 わたし……わたし……最低っっっ!


 バフッ!


 突然わたしの身体に何かがぶつかってきて、ギュッと抱き締めました。

 柔らかく、温かく、お日様の匂いのする、何か――。


(――あ!)


 身体に電流が走りました。

 頭の中に火花が散りました。


(知ってる! この感触、この温もり、この匂い――わたし知ってる! わたし、前にもこうやってこの子に、ノーラちゃんに抱き締められたことが――抱き締めたことがある!)


 目の前にまざまざとした光景が広がりました。

 巨大な恐竜のような黒毛の馬の上から、こちらを見下ろす真紅の鎧をまとった壮年の武将。

 (こわ)い漆黒の総髪に、彫りの深い容貌。

 剣先の如き眼光は見る者を射竦め――。

 怯えるノーラちゃんを抱き締め、抱き締められるわたし。


 そして――そして。


 そんなわたしたちをかばって立つ、猫背の男性。

 斑に汚れた外套(マント)

 ボサボサの灰色の頭髪。

 ピンピンと伸びた無精髭。

 覇気のない三白眼が、真っ向から真紅の武将の猛禽の眼差しを受け止めています。

 

 あの人が――あの人は――。


 そしてわたしは、その人の名前を叫びました。


◆◇◆


「――えっ!?」


 リンダは絶句した。

 眼前で起こった変化が理解できなかった。


 ノーラが泣き崩れた瑞穂に抱きついた瞬間、それまでなにをどうしようともビクともしなかった白い壁がスゥ……と音もなく消え去り、上層へと続く階段が現われ始めたのだ。


 ガコンッ! ガコンッ、ガコンッ、ガコンッ――!


 石造りの階段は消えた壁とは対照的に、騒々しい音を立てながら次々に段数を増していく。


「……嘘でしょ」


 リンダが呆然と呟くのも無理はない。

 何しろその奇跡を現出させたであろう瑞穂とノーラ自身が、呆気に取られているのだから。

 それから理由はわからなかったが、ハッとして道行を見た。

 道行は誇らしげで……それでいて寂しげな微笑を浮かべていた。

 ズキリ……と胸が痛んだ意味を、リンダは理解できなかった。

 辛うじて理解できたのは、その微笑を瑞穂が見る前にノーラが叫んだという事実だった。


「――臭う! 臭うニャッ! 掃除されてにゃい砂場よりも強烈に臭うニャッ!」


「に、臭うって何が――何が臭うの?」


「あいつらニャッ! 目が兎なとんがり耳と蝙蝠羽の露出狂女ニャッ!」


「あの “淫魔(インキュバス)” と “夢魔(サッキュバス)” か」


「瑞穂が “出口” を開いたんで、すっ飛んで戻ってきてるってわけね」


 ノーラが叫び、瑞穂が訊ね返し、道行とリンダが周囲を警戒する。


「――ここは俺に任せて、お前らは行け」


 道行が三人を背にして立つ。


「道行くん!」


「……また、あっちの世界でな」


 肩越しに振り返ると、道行が涙に濡れる瑞穂に微笑む。


「……うんっ」


 ギュッと目をつぶり、両拳を握りしめて瑞穂がうなずく。

 道行はそれから何を思ったのか、リンダを見た。


「……その子を無事にマンマのところに帰してやってくれ」


 驚いたリンダが何かを答えるよりも早く、玄室を妖気が包んだ。


「――行けっ! 走れっ!」


 道行が決然と叫ぶと、階段を背に身構えた。


「行くよ! 瑞穂!」


「――っ!」


 歯を食いしばった瑞穂がノーラの手を引いて階段を駆け上がり、彼女を急かしたリンダがその背中を守るように続く。


(……それでいい。上出来だ)


「KiSyaーーーーーーッッッ!!!」


 次の瞬間、道行の眼前の空間が歪み、二匹の魔族が再び姿を現した。


「――それじゃ、おっぱじめるか。正真正銘、この “冒険(アトラクション)” のラストバトルってやつをよ!」



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