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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
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悪意

(……困ったにゃ。これは予想外の展開にゃ)


 初めて見る厳つい顔の衛兵に、まったく相手にされずに追い散らされてしまったノーラ・ノラは、“王城(レッドパレス)” の白亜の尖塔群を見上げて、それでもめげずに思案していた。

 なんとかお城に潜り込んで()()()()()()と会わなければならない。

 しかしその方法が、皆目見当つかない。

 ノーラは今まで顔見知りの衛兵に通してもらうことでしか、お城に入ったことがないのだ。


(“予想外は想定内” にゃ。まんまがいつも言ってたにゃ。こういう場合は、一歩引いて考えろって)


 猫人(フェルミス)の幼女は、母親に言われたとおりに一歩後ずさってみた。

 よい考えは浮かばなかった。

 仕方ないので、また一歩下がってみた。

 やっぱりよい考えは浮かばなかった。

 そうして百と八歩後ろに下がったとき、子猫人の大きな瞳にある物が映った。

 ノーラはそれに向かって飛び掛かり、爪を立てた。



 ハンナが目を開けると、そこには見知らぬ天井があった。

 貴族の出である彼女は、それが豪奢な寝台の天蓋であることが徐々に分かってきた。

 ベッドもピローもシーツも、身体を預けている寝具のすべてがこの城塞都市に来るまで自分が使っていた物と同じか、あるいはそれ以上の品質だった。

 頭が重かった。

 酷く重かった。

 最悪の二日酔いよりも、まだ最悪だ。

 

 自分はいったいどうしたのだろう……。

 ハンナは一向に焦点の合わない思考で、覚えている限りの最後の記憶を手繰り寄せた。


(……そうだ。自分は “カドルトス寺院” の追っ手の罠に嵌って……罠に嵌めたんだ。“静寂(サイレンス)” と “棘縛(ソーン・ホールド)” の加護で身体の自由を奪われる前に、馬鹿な彼らを心の底から笑ってやったんだ。それからリーダーの男が怒りに歪んだ顔で戦棍(メイス)を振り上げて……)


 そこから先の記憶がない。

 頭を叩き割られて、ここが天上界でもない限り、自分は助かったのだろうが……。

 ハンナはどうにか腕を伸ばして、ナイトテーブルの呼び鈴を手に取った。

 極薄の金属が奏でる澄んだ音色さえも頭に響く。

 幸いなことに、一度鳴らしただけですぐに部屋のドアが開いた。

 白を基調にした大時代風な室内はやはりハンナの実家の自室と同じか、それ以上に豪奢な造りだった。


 教育の行き届いた侍女(メイド)が静々と、それでいて決して硬く冷たい印象を与えない柔らかな表情で部屋に入ってきた。

 そのメイド服を見て、ハンナは自分がギリギリのところで寺院側を出し抜けたことを悟った。

 それは探索者ギルドに勤めることを選ばなければ、自分が着ていた服だったからだ。

 行儀見習いとして貴族の令嬢たちが城勤めを経験するのは、貴族社会の通例だった。

 ここは “大アカシニア神聖統一帝国” の王城だ。


 侍女はハンナの様子が落ち着いているのを見て取ると、今度は急ぎ足で部屋を出て行った。

 そして次に現われたときには、君主が不在中のこの国を名実ともに取り仕切っている筆頭国務大臣に伴われていた。


「気がついたか。ハンナ・バレンタイン」


「……トリニティ・レイン様」


「久しぶりだな。いろいろと話したいことがあるだろうが、まず先に伝えておく。エバ・ライスライトは無事に保護をして今はこの城で眠っている。ノーラ・ノラも無事だ。おまえを護衛していた探索者たちだが、全員瀕死の状態だったがこれも回収して治療を施してある。子守の姉妹にも危害は加えられていない」


 訊ねたかったことをすべて先に言われてしまい、ハンナは言葉を失った。

 ならば、まずはなにをおいても、礼を申し上げねば……。

 しかし、感謝の言葉は一言も溢れてはこず、溢れてくるのはこれまで抑え込んでいた感情と大量の涙だった。

 ハンナが口元を押さえて激しく嗚咽する間、トリニティは彼女が落ち着くまで静かに見守っていた。



 ノーラ・ノラが百と八歩後ろに下がったとき、幼い猫人の少女の瞳に飛び込んできたのは城門での臨検を待つ一台の荷馬車だった。

 平時、城塞都市内での荷馬車の使用は()()公害の防止のために禁じられている。

 だが今は戦時である。

 最後の事態である内郭城壁での籠城に備えて、食料その他の物資を城に搬入するため使用の許可が出ているのだ。

 もちろん、幼いノーラにはそこまで推察する知識はまだない。

 ただ単純に、あの荷馬車に潜り込めばお城に入れるのではないかと思っただけだ。


 ノーラは爪を立て荷台の縁に飛びつきガリガリと這い上って、雑多な荷に紛れ込んだ。

 リンゴの香りがノーラの鼻をくすぐる。

 荷馬車は食料品を運んでいるようだ。

 溢れんばかりに赤いリンゴが盛られた樽の影に、ノーラは身を隠した。

 ノーラは魚や肉も好きだが、リンゴも好きだ。

 ひとつ失敬して、シャリシャリと囓りながら荷馬車が動き出すのを待つ。


 しばらくして荷馬車は動き出し、しばらくして内郭城門に達し、ノーラが一番緊張した衛兵の検査はザルもいいところで、しばらくもせずに簡単に城門を潜れてしまった。

 “魔物” 相手の戦争である。

 衛兵にしてみれば、物資の搬入を滞らせてまでいちいち間者の有無まで調べていられない。

 ノーラは幸運だったが “大人は抜けている” とも思った。


 ともあれ、お城の中に入ることは出来た。

 子猫人はリンゴでベトベトになった口と手を着ている短衣で拭うと、音もなく荷馬車から降りた。

 “アカシニア” に生きる人類種の中では、ホビットと並ぶ “忍びの者” である猫人族 だ。

 まだ幼いとはいえ、その気になれば鈍い人族(ヒューマン)の目から隠れるなど朝飯前だった。

 あとは勝手知ったる王城内を()()()()()()を捜して廻るだけである。



「――司令部で作戦指揮を執っていたところにいきなりノーラが現われて、“一大事ニャ!” と叫んだときにはさすがのわたしも泡を食ったぞ」


 トリニティは寝台の縁に腰を下ろし、ようやく平静さを取り戻したハンナに向かって苦笑した。


「それから大慌てで衛兵隊を引き連れて、おまえたちが匿われていた子守の姉妹の家に急行したんだが、おまえたちはすでに離れたあとだった」


 ハンナは礼儀として上半身を起し、納得した様子で頷いた。


「気休めのお呪いが効いたのですね……」


「ああ、猫にマタタビ。いい閃きだったな」


 自分が被っていたフード付きのマントに染み込ませた、()()()のマタタビ。

 もしもノーラが王城に渡りを付けることができたら、後を追えるように……と。


「ノーラの鼻に感謝するのだな。あの娘がいなければ間に合わなかった」


「はい。それはもう」


 どうやら自分のこの二日酔いは、トリニティの“昏睡(ディープ・スリープ)” が原因のようだ。

 熟練者(マスタークラス)のトリニティをして、呪文に自分を巻き込まなければならないほどギリギリの状況だったのだ。


「それにしても自分の身を替え玉にするとはな。思い切りが良すぎるのも考えものだぞ」


魔道具(スマホ)がありませんでしたから……」


 トリニティの言葉に恐縮し、弱々しく微笑むハンナ。


魔道具(スマホ)?」


「エバさんが転移前にいた世界から持ってきた品です。彼女はそれを身替わりにして、三〇匹以上の “犬面の獣人(コボルド)” や “オーク(ゴブリン)” から、パーティを救ったんです」


 ギルドでその報告を受けていたハンナは、自分の出来る範囲で模倣したのだ。

 最後の賭け。

 最悪、自分たちが補足された場合は自らを囮にして、マーサ姉妹を()()()()()()へ助けを求めにやる。

 王城は駄目でも、ギルドならどうにか彼女たちの話を聞いてくれるだろう。

 上手く行けば、より腕の立つ探索者がエバを守るために派遣されるはずだ。

 まさにタンブラーの縁から溢れ出零れた一滴の水――閃きだった。


「なるほど……転移者か。どうりで」


「……? どういう意味ですか?」


「あの娘は何かしらの要因があって、現実の(この)世界に還りたくないと思っている。このまま目覚めるのを待っても結末はひとつしかない――餓死だ」


「そんな!? そんなことはありえません!」


「? なぜだ?」


「だ、だって、エバさんは、その……アッシュロード様……を……」


「? あの娘はアッシュとそういう仲なのか?」


 トリニティは、ハンナの言葉に眼を丸くした。

 あのアッシュロードが? 女と? ねんごろになっただと?


「い、いえ……そこまでは……多分……まだ……」


 こんな事態だというのに、ハンナはそれ以上のことを口にするがためらわれた。


「とにかく “ニルダニスの聖女” をこのまま餓死させるわけにはいかん。まだ身体は辛いだろうが、すまないが一緒に来てくれ」


 もちろんです――とハンナはうなずき、重い頭を振って用意されていた新しい服を身に着けた。



 その部屋は、王城の地下深くにあった。

 部屋と言うより、迷宮の玄室に近い。

 剥き出しの岩壁に結露した水滴が伝っている。

 広さは、ほぼ迷宮の一区画(ブロック)四方。

 湿った埃とカビの臭いといい、まさに玄室そのものだ。

 中心に聖水で円に囲まれた六芒星が描かれ、エバ・ライスライトが寝かされている。

 複数立てられている燭台のか細い灯りに照らし出されているその顔は、まるで死人のように蒼白かった。


 部屋にはエバの他に、ダイモンたち五人の探索者とノーラが集められていた。

 ダイモンたちは王城の “上帝派” の司祭に治療を受け、心に負った痛手はともかく身体に受けた傷は全快していた。


「――先ほども言ったが、もう一度説明しておこう。エバ・ライスライトはこのままでは餓死する。何らかの要因で彼女自身が現実に戻るのを拒否しているからだ」


 トリニティはエバを背に、ハンナたち七人を見渡した。


「その要因が何なのかは不明だ」


 何かを言い掛けたハンナを視線で制して、トリニティが続けた。


「だが助ける方法がないわけではない」


「……その方法とは?」


 今度こそハンナが訊ねる。

 何よりもそれが重要なのだ。


「エバ・ライスライトの心に潜って彼女を現実に連れ戻す―― 精神潜行(サイコ・ダイブ)だ」


 拡がる騒めきを無視して、トリニティの瞳が七人のうちの一人に止まった。


「そしてそれが可能なのは、この世界で唯一人――お前だ、リンダ・リン」



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