23. ヴィスコンティ銀行からの依頼
当時、タンジマート帝国では主導権を巡って陰湿な派閥争いが起こっていた。
宮廷内で権勢をふるっていたのは、ハーレムの長たる黒人宦官長と、文官の長たる白人宦官長だ。それぞれ宮廷の裏と表を牛耳る2つの派閥のうち、白人宦官長にはスルタンの幼馴染でもある大宰相オルハン、そして黒人宦官長にはスルタンの母たる皇后フランツェスがそれぞれバックに付いていた。
しかも単なる宮廷闘争だけでなく、改革を進めようとするリベラル派のオルハンと、それに抵抗する保守派のフランツェスという側面もある。
スルタンであるセリム自身はリグリア共和国への留学経験もあって改革派を支援しているものの、母親であるフランツェス皇后や保守派の牙城である常備軍団ジャニサリの意向を完全に無視するわけにもいかない。
そんなわけで、損な役回りは全て大宰相に回ってくるわけだが、オルハンは改革で多くの敵を作ることを、内心ではあまり気にはしていなかった。いずれも最終的には滅ぼすべき敵となる相手だ。
政治の分からぬ無学な貴族、ただ上から与えられた仕事だけを淡々とこなす役人、己のメンツのために兵を犠牲にする将軍たち、世俗と汚職にまみれた聖職者……そんな国家の内なる敵を一掃し、規律と秩序と活力ある社会を実現させる。それがオルハンの願いであり、目標だった。
その一方で現実的な嗅覚を持っていたオルハンは、自らの地位がスルタンの寵愛に依存していることを自覚しており、セリムの意向や好み・願望を最大限に叶えるよう努め、その意志に逆らって機嫌を損ねるまいと心掛けていた。
だが、いかに優秀な人間いえども一人で出来ることには限度がある。オルハンは自分を守るために優秀な人材を集めることに熱心だった。燻っていた優秀な人材を次々に引き抜いて要職につけており、こうした派閥形成の動きが一層の反感を招いていたのだが、ユリアもそうした腹心の一人にしようと目論んでいた。
セリムは落日の帝国を立て直すためには西欧文化をとりいれるべきだと考えており、西欧人で博識なユリアがハーレムの実権を握ることになれば、彼女を通じてハーレムをコントロールできる。
「しかし、あのセリムがよく緊縮財政なんて許可したわね。いつも“いつか神聖クライス帝国を滅ぼして、その首都にモスクを立ててやる”なんていってたのに」
「そのための事前準備ですよ。神聖クライス帝国との戦争には、莫大な戦費がかかります。よって、抜本的な税制改革と財政改革を推し進める必要があるのです」
「男の子って本当、戦争が好きね。まぁ、せめて公平な税制になるように願うわ」
ユリアの故郷、リグリア共和国では貧しい人間が苛烈に取り立てられる一方で、金持ちへの課税は「国際競争力を削ぐ」という理由で見過ごされてきた。もっとも、父テオバルドに言わせればリグリアほど先進的な税制を採用している国は無いという。
「――いいかユリア、貧しいのは真面目に働かないで怠けているからに過ぎん。金持ちほど税が安くなるのは、死に物狂いで働いて稼いだ努力への報酬だ。努力すれば報われ、努力を怠れば罰せられる……働かざる者、食うべからずだ」
ユリアの記憶の中にある父テオバルドは決して狂人ではなく、むしろ合理的かつ理性的であったが、その2つ以外のすべてをどこかに忘れ去ったような変人タイプの偉人ではあった。
「……父上、努力が報われるとは限らないのでは?」
「成功した者は皆、すべからく努力している。もし報われないのであれば、それはまだ努力とは呼べんよ」
「………」
(まぁ、そんな意識高い系ブラック企業の社長みたいなこと言ってるから、最終的にゲームの中でもルートによってはクーデター起こされちゃうんだろうなー)
そんなことを思いつつ、オルハンには同じ轍を踏まないようユリアは遠回しに警告した。為政者の失敗の影響を強く受けるのは、いつだって立場の弱い者なのだから。
「安心してください。私の税制は公平ですよ」
そう笑顔で答えつつも、まるで悪魔のような笑みを浮かべるオルハン。
「なにせ貧しき者からも、富める者からも、病める者からも、健やかなる者からも、みな等しく公平に税を搾り取るのですから。ふふふ……」
(あ、これダメな奴だ……)
どうしてこう、役人というのは税金集めがこうも大好きなのか。平たくいえば集めた税金の額が彼らの権力の大きさに比例するからなのだが、庶民感覚からすればいい迷惑である。やはり、この男からは距離を取るべきではないのか。
しかしその頃には既に、ユリアはオルハンのもっとも重要なパートナーの一人になっていた。ハーレムという空間においては、ほとんどオルハンの右腕と呼んでもいい存在だ。
ユリアはハーレムにおける「大宰相の目と耳」になるだけでなく、いつしか表の政策形成にまで影響を及ぼすようになっていた。
最初こそオルハンは半信半疑だったが、ユリアの助言やヒントに従えば、あっちこっちに金が溜まることが分かった途端、まるで長年連れ添った妻のように便宜を取り計らうようになっていた。
ユリアがオルハンにアドバイスをすると、オルハンのポケットには金の延べ棒が何本も、まるで錬金術のようにいつの間にか入っている。そしてハーレムの図書室には外国語の教科書や、裁縫の家庭教師が入ってくるようになり、幾何学や占星術を希望する変わり者の女性が勉強できるよう取り計らわれた。
もちろんザラのような下っ端の食事にも、オレンジやラム肉のスープが毎回のように追加される特典付きだ。
オルハンとの関係について、ユリアが自分から何かを語ることはほとんどなかった。何度かザラが際どい質問をしたことがあるが、決まってユリアは「もっと筋肉質な男の方が燃える」とはぐらかすだけだった。
大宰相オルハンがユリアに対して抱く感情もまた、気心の知れた召使いという扱いである。
この頃になると、ユリアはオルハンの秘書まがいの仕事をやらされるようになっていた―――という時期も既に過ぎて、なかなか板に付いてきたというのが周囲の評判だ。
「あ、それから昨日の打ち合わせの件ですが、担当者と面談日程の調整はしておいたので、後で予定表を確認してくだい」
「仕事が早いな」
「それが仕事なもんで」
しかし大宰相オルハンという超強力なスポンサーを得て、ユリアはこれまでにも増してハーレムで改革を力強く進めてく。
この頃になるとユリアは独自の派閥のようなものを形成するようになっており、若手からの支持を集めるようになっていた。
といっても政治の対立や宮廷の権力闘争からは距離を置き、ひたすら「お金の扱いと管理」に特化した専門家・テクノクラートとしての立場を強化する方向で。
「やっぱ持つべきは手に職ってね」
ユリアは可能な限り政治的中立を貫き、自身と同じような人材を集めて専門性を高めることで、権力闘争からは一線を画した、超然とした立場を維持しようとしていた。
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そんなある日、ユリアはオルハンから財政問題について相談を受けた。これが、もう1つの転機だった。
「ヴィスコンティ銀行が、一斉に資金を引き揚げようとしている。まぁ、理由は分からんでもないがな」
オルハンの溜息の原因は、リグリアでの革命騒ぎだ。
以前に風呂場でミーナから聞いた通り、青年将校らの革命によって腐敗した旧支配層は一掃された。その旧体制の総本山たるヴィスコンティ銀行の資産は全て差し押さえられ、ユリアの両親は辛うじて国外へ逃亡した。
もともと非常時に備えて資産を分散させていたこともあり、西方世界に広がるヴィスコンティ銀行ネットワークそのものは崩壊していない。
それでも本拠地だったリグリアを失ったことは大きな痛手であり、父テオバルドはすぐさま銀行の再編成に取り掛かった。
タンジマート帝国への融資がスムーズに進んだのも、銀行ネットワーク再編プランの一環として新しい大規模顧客を必要としていたからなのだろう。
そして、それはオルハンの尽力もあって成功を収めた。
タンジマート帝国の財政は未だ健全とはいえないものの、どうにか累積債務に歯止めをかけて小康状態を取り戻し、ヴィスコンティ銀行も利息によって利益を上げることが出来た。
となると、次に打つ手は何か。
「逆に融資をしてほしい、という依頼を受けた。他ならぬ君の父上から、直々にな」
オルハンが手紙を見せ、ユリアに投げてよこす。そこには、見慣れた父テオバルドの字で戦争のために資金注入の陳情が書かれていた。
(やっぱり……ゲームのルート通り、母国リグリア共和国を奪還するつもりなんだ……)
背後にはリグリア共和国のあるパダーニャ地方への影響力拡大を狙う、神聖クライス帝国の野心があり、両者は互いを利用して共和国の革命政権を打倒しようとしていた。
「これは絶対に受けるべきです」
「だろうね。君ならそう言うと思った」
さっそく、ユリアとオルハンは見解の一致を見る。
「オルハン様、ヴィスコンティ銀行に恩を売れる千載一遇のチャンスです。これを逃す手はありません」
西方世界に強いネットワークと影響力を持つ、ヴィスコンティ銀行に恩を売る意味を理解できないようでは大宰相は務まらない。また、外交的な観点からしても西方諸国が仲違いをすることは、タンジマート帝国の国益に繋がる。
オルハンは鷹揚に頷き、すぐさま具体的な案の作成に取り掛かった。
敵の敵は味方




