22. ハーレム劇団
レイラの記憶が正しければ、ユリアの服装の趣味はきっかり3か月ごとに推移していた。春・夏・秋・冬の四半期だ。理由は良く分からないが、外界から隔絶された閉鎖環境であるハーレムの中にあって、少しでも季節感を感じたかったのではないかと思う。
最初はストッキング、それから巨大なスカート、寒くなったところで毛皮のコート、やがて暖かくなるころに「ジーンズ」と名付けた乗馬ズボンのようなボトムスを得意げに羽織っていた。
「しかしユリアって、こう見ると本当に男の子みたいだね」
髪の毛を束ねて帽子の中に隠し、騎兵将校のような恰好をしたユリアを見て、レイラは呆れたように嘆息した。
元の顔が女性にしては彫りが深い派手顔寄りなのもあってか、男装すると華奢な男か白人宦官のように見える。声もやや低めのハスキーボイスであるため、声変わりする前の少年と言われれば納得してしまいそうだ。
レイラの記憶にある限り、ユリアはしばしばこうした男装を好んだ。戒律の厳しいサイード教において、女装や男装は推奨されないものの、ユリアはいつもの才能を発揮してどこからか後援者を連れてきた。
―――それがまさか、あの皇后フランツェスだと知った時には軽く驚いたものだ。
皇后フランツェスの趣味の1つが演劇であることは知られており、しばしばハーレムを抜け出してスルタンのために催される演劇を鑑賞していることは公然の秘密だ。特に色白な肌に金髪の巻き毛で、中性的な顔立ちの美少年の役者が皇后の好みだった。
そして何の因果か、ユリアもこの手の美少年がタイプであり、とある飲み会の際に意気投合してしまったらしい。
「いや、あの人けっこう話も通じるし、悪い人じゃないと思うよ」
「あるよねー、趣味が同じだと良い人認定しちゃうの」
レイラもその宴会には参加しており、酔ったユリアがザラと一緒に男装して二人でキスをするとこまで覚えている。
即興で大げさな演技で愛を囁き合う二人の茶番劇は、どういうわけか皇后フランツェスにウケたらしく、皇后の思い付きで「劇団でも作ってみない?」という気まぐれに発展していく。
気まぐれとはいえ、ハーレムの最高権力者の気まぐれとなれば、もはやそれは命令同然である。
もっとも、ユリアにしてみれば渡りに船といったところで、皇后の後ろ盾を得て堂々と男装する口実が出来たのだから、実に楽しそうであった。ザラもノリノリで参加し、迷惑そうにしていたミーナも皇后には逆らえず、最終的にはレイラも逃げられなかった。
こうして女だけの歌劇団が誕生したわけだが、これはスルタン・セリムの知るところとなり、面白がったセリムのために公演を行うことが決定される。
「セリムの事だから、やっぱり戦争とか入れた方がいいと思うのよ。ここで媚売っときゃ、ハーレムの予算も増えるかもしれないし」
「ユリア様、ほんと権力者に媚を売るの大得意ですよね」
ミーナが呆れたように言うも、ユリアは「いやぁ、それほどでも」と嬉しそうである。
「褒めてないです。皮肉です」
「でも、手伝ってくれるんでしょ?」
「放っておけませんので」
「ミーナのそういうとこ大好きー」
ぎゅーっと抱き着くユリアを払いのけつつ、ミーナの頬がどこか赤らんでいるのを、レイラは見逃さなかった。どうやら、ユリアには人たらしの才能もあるらしい。実際、顔はなかなかに良い。
そんなわけでミーナが脚本を書き、帝国では有名な『ハイレディンの海戦』を演じることになった。
これは歴史上の海戦を題材にしたもので、リグリア共和国を始めとする西方教会十字軍の脅威に対し、愛国心に目覚めた海賊たちや商人たちが義勇軍を結成して正規海軍の到着まで奮闘するという物語だ。
しかも、スルタンの全面バックアップを受けて、小型帆船に軍事教練までやるという念の入れようである。宮廷の庭の一角に小型帆船を浮かべ、宦官兵が兵士役の女奴隷に軍事教練を叩き込む。
ユリアは護身術の訓練には熱心で、武器の扱いや体術の稽古を欠かさず続けていた。
「いざという時には、自分の身は自分で守らないと」
レイラも何度か、ユリアの薄く割れた腹筋を見せつけたことがあったが、ふくよかな体形が好まれるタンジマート帝国では美容というより警告の効果が大きそうだった。
実際のところ、女の細身で短剣が扱える程度では、それなりの訓練を積んだ兵士や屈強な男をに勝てるほどではない。それでも「いざという時には抵抗される可能性がある」というだけで、小心で貧弱だが性欲だけは有り余ってるような男への牽制には成り得る。
「……しかし、こんなガチでやる必要ある?」
ユリアが趣味人という事は知っていたが、ここまで乗り気になる理由を、レイラはいまいち掴めずにいた。
「このまま本気で劇団でも作るつもり?」
「それもいいかもね」
レイラの皮肉に、ユリアはいつもの如く冗談か本気か分からない声で返した。しまいには貴族の令嬢向けの女性警備兵とか、このまま船乗りになってもいいかも、などと言い出す始末である。
「あのね、趣味に精を出すのもいいけど、趣味は趣味。ハーレムの女奴隷の本業は、あくまでスルタンへの奉仕よ。これじゃまるで……」
その次を言いかけ、レイラはハッと言葉を飲み込む。
「まさか、あんた……」
「多分、レイラの想像通りで間違ってないよ」
ユリアの瞳は、遠くを見ていた。
これは本人に聞いたわけじゃないが、間違いなくあの時のユリアの頭にあったのはナディアのことだ。ハーレムに閉じ込めれた女奴隷は、そのうち宮殿の一区画が世界のすべてになる。そうなるように仕込まれる。
そして熾烈なスルタンへのご奉仕競争を経て、ただの1人だけが皇后フランツェスのように全てを手に入れるのだ。その過程で勝ち上がれなかった者は、例外なく年を取って用済みになったら、老いた番犬のように打ち捨てられる。
ハーレムの中でしか生きられないようにしておいて、しかし一生ハーレムで衣食住を与えてくれる保証はどこにももない。
自分の人生は、自分しか守ってくれない。長くハーレムという特殊な環境で過ごしていると、そんな当たり前の事実ですら忘れそうになってくる。
もちろん、最初からユリアがそんな未来のことまで考えていたとは思えない。
それでも、全てを失った彼女は人一倍「自助努力」の重要性を痛感していたはずだ。いざという時に頼りになるのは、自分で身に着けた技術だけ。若さと美貌という資本を否定する気はない。むしろ積極的に若いうちはそれを利用して、そこから更に将来に投資していく。
一応、ハーレムでも男を悦ばせる技術と美貌に磨きをかけるという技術は習得できる。ただ、そのまま生かすには高級娼婦や貴族の愛人とあまりに選択肢が狭い。
若いうちに稼ぎ切って玉の輿というのが理想だが、性病にでもかかれば一発アウトだ。ユリアとしては、あまり大勢に勧められるものではないと考えている。
だからこそ、読み書きであっても、外国語であっても、金融の知識や、演劇に操船技術でも良い。とにかく手に職という奴だ。何が正解かは分からないが、それでも身に着けた技術は必ず未来に役立つはずだと。ユリアは時折、そう言っていた。
「まぁ、正直なところ結局は自分の為なんだけどね。何がどう役に立つか分からないから、色々と試してるんだ。レイラとかザラとかミーナは、ちょっと巻き込み過ぎたかなーっと反省はしてるんだけど」
あはは、とユリアは笑う。
「なんだかんだ多数派は得だし、ここまで来ると巻き込んじゃった方が色々と楽だから、それが本当の理由だよ。ぜんぶ自分の為。でも、巻き込んじゃったレイラたちにも少しは得があればいいなって、そう思ってるのも本当だよ」
いつも自信たっぷりのユリアが、そんな風に考えていたというより、それを自分に吐露した方がレイラにとっては意外だった。
思うに、ユリアは悩んでいたんだろう。
ユリアはハーレムの中にいながら常に自由で、新しいことにチャレンジする珍しい女奴隷だった。それは退屈さを紛らわすためのものでもあったし、それ以上に失うものは何もないとうヤケクソの裏返しでもあったんだと思われる。
だが、この頃になるとユリアは幸運以上の何かを身に着け、すっかりタンジマート帝国というシステムの中に重要人物として組み込まれていた。
それは決して悪い意味ではなく、はみ出し者のアウトローが実績を上げて、エスタブリッシュとしての名声を獲得するまで認められた結果だからだ。
それはユリアの努力に対する正当な報酬であったが、同時に彼女には守るべきものも増えていった。
いっぱしの新人奴隷であったころに比べれば、既に彼女はやりがいのある仕事に、豊かな生活、そして悪くない人間関係という環境に囲まれていた。
多くの人間が一生をかけても、この全てを揃えることは難しいだろうし、それを得た人間は往々にしてその快適な環境を守ろうとするものだ。
もちろん、それが永遠に保証されるわけではない。だが、自分から手放すには惜しいと感じられる程度に貴重なもの。とにかく、博打のチップにするには大きすぎる。賭けない限り、失うことも無い。失うものがあまりに多くなり過ぎた。
――だが、ユリアはまもなく結論を出した。
ハーレムの美女集めて宝塚的なのやらせるスルタンとかっていたら分かりみが深い




