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ハーレムの中の悪役令嬢  作者: 永遠の国
下剋上編
12/28

12. 大宰相オルハン


 新人は、大抵すぐハーレムの息苦しさに音を上げる。特に庶民出身者はそうだ。1か月ほど経ってから、衣食住が保証された豊かな生活の代償に、自分が失った自由の意味をようやく知る。



 意外にも上流階級出身者の方が、鳥籠の生活には慣れているし覚悟も出来ている事が多い。


 彼女たちは生まれた時から政略結婚の道具としての価値を高めるべく箱入り娘に育てられ、結婚が成立すれば新しい夫の鳥籠で一生を終え、適齢期までに相手が見つからなければ修道院へ厄介払いさせられて死ぬまで神に祈りを捧げる日々を送る。



 ユリアも一応は貴族なので自制心を保っていたが、あの奔放な性格だ。実際のところは笑顔の裏で発狂寸前までいっていたのかもしれない、とミーナはしばしば思う事があった。



 だが、それまで目立ってはいたが、所詮はいっぱしの新人に過ぎなかったユリアに転機が訪れた。それは彼女がハーレムに入ってから1年後のことだった。




 その年、ハーレムには1つの危機が迫っていた。1つには大宰相オルハンの進める、帝国改革の一環としてハーレムにも財政改革の波が押し寄せていた。



「全く、あの大宰相ときたら」 



 取り巻きに囲まれつつ、そう口火を切ったのは皇后フランツェスだった。


 胸元まで長く伸びた漆黒の髪は、しっとりとした水気を帯びて艶やかで、濡れたような赤い唇は、なまめかしい。したたかで野性的な琥珀色の瞳から整った鼻筋に至るまで、完璧で被の打ち所の無い美貌は、ただ存在するだけで男の心を虜として縛り付けるような魅力があった。


 そろそろ40歳近くになろうというのに、未だ圧倒的なまでに美しく魅力的な女性。生まれながらの女王、男たちの支配者、性別としてではなく人種としての雌……その頂点に立つ存在が皇后フランツェスという女であった。


 ありとあらゆる男を魅了し、同性の女ですら惹きつけてしまうほどの色気で知られる彼女であるが、そんなフランツェスが唯一思い通りに動かせない男が2人いる。



 一人は息子で現スルタンのセリム、そして残る1人がタンジマート帝国の若き大宰相・オルハン・アフメト・パシャであった。


「私めは、与えられた仕事をこなすだけです」

 

 こげ茶色の髪に、鋭い藍色の瞳、色白の整った鼻、薄い眉毛、どれも生粋の帝国人には無い特徴を持った男だ。身長は高いが筋肉が付いていないせいで、遠目には宦官のように頼りなげだが、青い瞳だけがぎらぎらと抜身のナイフのように鋭い眼光を放っている。


 父の急病と隠居に伴って大宰相に就任したオルハンは、実力というより家柄と親の七光り、そして何より幼馴染でもある現スルタンのセリムからの個人的な信頼によって今の地位に就いている。



 しかし、そんなオルハンもフランツェスから見れば青臭い子供でしかない。スルタンの絶対権力を代行する大宰相を見つめる皇后の表情には、己の絶対的な自信に裏打ちされた魅力的に溢れる微笑みが浮かんでいる。


「貴方の事は子供の頃から知っているけど、どうしてこんな素直な子に育っちゃったのかしら」


 言葉に毒を含ませ、オルハンを穏やかに追い込んでいくフランツェス。


 オルハンは勉強のできる子供で仕事の出来る男だったが、周囲がそれをどう見るかについては無関心ないし反骨で応じるという、フランツェスから見れば「子供っぽい」部分があった。

 


 とんとん拍子に業績を上げて実力で出世したといえば聞こえが良さそうだが、実のところ話はそう単純でもない。実力で君主の信頼なり寵愛を受けた側近というものは、往々にして不満のスケープゴートにされる運命が待っている。


 その例に漏れず、オルハンもまたセリムが進める改革の旗頭として持ち上げられ、保守派による反感の矛先をセリムに代わって一身に受けていた。



 損な役回りと言われればそれまでだが、それを理解した上でオルハンはタンジマート帝国という国家の為に尽くそうという高い志を持った男であった。



「私は帝国の為に、なすべきこと実行するだけです」



 きっぱりと宣言するオルハンを、フランツェスは怪しい笑みを口元に浮かべてうかがう。ちょっとしたしぐさの一つ一つが、並の男なら心を絡めとる蜘蛛の糸となる。たとえそれが効かぬ相手であっても、常に自分を魅せることを意識している女だった。


「そう。貴方のような人がいて、セリムは良い友人を持ったわね」


 思わせぶりな言い方ではあったが、オルハンは視線を逸らして軽く頭を下げた。これ以上、2人の間に話すことはない。そういう意味の会釈であった。




 **



 オルハンが行った改革の目玉は、なんといっても「世紀の大悪政」と呼ばれるほど不評だった財政改革である。古今東西、人の恨みを買いたければ財政健全化をすればいいだけ、というぐらい緊縮財政は嫌われる。



「やはり、フランツェス様の同意は得られなかったか……」


 執務室のソファにゆっくりと腰掛け、オルハンは小さくため息を吐く。


 思い出すのは、皇后フランツェスの煮え切らない態度だ。面と向かって敵対されたわけではないが、友好的でもなかった。のらりくらりとかわし、作り出した雰囲気だけで人を動かし、決して言質を取らせない。



 それでも、分かった事がひとつある。明確に反対の立場をとらなかったことから、フランツェス本人としてはオルハンの進める財政改革の必要性を認めているということだ。


 ―――それでも、分かった上で敢えて動かない。


 絶大な権威を彼女がその気になれば、大宰相といえども動きを封じられるのに、それすらしなかった。それはつまり、放っておけばオルハンが勝手に必要な措置をとることを承知の上で、敢えて火中の栗を拾わせようとしていることに他ならない。


(そういう人なのだ。あの人は………常に最善手を選んで、打たねばならない悪手には手を出さない)


 陰謀渦巻く宮廷において、皇后フランツェスほど権謀術数に長けた者をオルハンは見たことが無かった。



 だが、彼女は常に安全地帯にその身を置くことしか考えていない。状況に合わせて最善手を打ち続け、謀略の中で負けないようにしているだけ。


 周囲が望む振る舞いを、望み通りに振る舞う。そうして安全地帯から石を投げつつ、決して相手を殺すほどには投げ過ぎない……そうしたバランス感覚の織り成す、自己保身と処世術こそがフランツェスの全てだ。



「やはり財政再建は、一人で行うしかないな」



 歴代の皇帝が幾度となく行ってきた対外遠征によってタンジマート帝国は拡大したが、その裏で多額の軍事負担により財政は危機的状態に陥っていた。そうでなくとも国家財政というものは、放っておけば際限なく拡大する。


 オルハンは財政再建のために、減税の廃止や徴税の厳格化など経済政策への知識を遺憾なく発揮した。市民や貴族からの人気は低かったが、人気取り政策には見向きもしない。何よりも帝国全体のための施政を心掛けたために、お膝元での不人気を甘受していたのであろう。


 もちろん、オルハンとて緊縮一辺倒というわけでもない。


 公共事業は、首都では既に歴代皇帝が何度か興したこともあり、メンテナンス以外は最低限に抑えたのに対し属州、特に国境沿いでは多くのインフラ整備を行っている。緊縮財政とはいっても最低限必要と判断した出費はきっちりと出していたのだが、それを理解できる者はほとんどいなかった。


 

 ―――とにかく、金が無い。



 若くして大宰相というスルタンを除けば帝国の最上位に出世したオルハンが、直面した最初にして最大の問題が財政難だった。


 先々代と先代はそれぞれ2つの強大な敵対する帝国を滅ぼしており、わずか2代のうちに国土は3倍近くに拡大している。


 しかし国土の急拡大は周辺諸国の警戒を呼び起こし、帝国に奪われた領土を取り返そうと十数年にわたって国境では戦争が続いている状況だ。征服した領土を維持するために軍事費が増大し、それによる税負担の増加は農民反乱へと繋がって慢性的な財政赤字を引き起こす。



 悲しいことに、これが偉大なるタンジマート帝国の裏事情であった。



 急拡大したツケが、セリムの代になって回っていている。だが、当のセリムは財政再建どころか「征服王として名を轟かせた祖父と父の名に恥じぬ、偉大なスルタンになってみせよう!」と更なる領土拡大を目指すという有様だ。



(こればかりは、どうにもならないからな……なまじ先代が偉大だと、セリムの方もプレッシャーが並大抵ではあるまいし)


 幼馴染のオルハンにしても、セリムの父や祖父への憧憬とコンプレックス、そして周囲の期待とプレッシャーが理解できるだけに止め辛い。



 結果、国境で紛争が発生する度に遠征するセリムをなし崩し的に容認してしまい、なかなか国庫に金が溜まらないのが実情であった。



 特に最近では東方から略奪に来る遊牧民族に対して懲罰遠征を実行したものの、これが大失敗であった。


 機動力で勝る遊牧民がひたすら大草原へと逃亡したため、何の成果もあげられずに冬の到着と共に撤退し、帝国には空の国庫だけが残された。 


 ハーレムもリストラされる時代(定期的にある)

 

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― 新着の感想 ―
[一言] ハーレムリストラと言うと徳川吉宗を連想します (他の例を知らないとか言ってはいけない)
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