153 黒幕3
沈黙が、馬車の中を支配した。
ケイン・レイテッドはじっとカイヤ殿下の反応を伺っている。
多分、驚くなり動揺するなりしてほしかったんじゃないかと思うが、殿下の表情は変わらなかった。
無言の時間がしばらく続いて。
「あの日、劇場で話したこと、覚えてる?」
先に口をひらいたのはケインの方だった。あいかわらず白猫をなでながら、先程までと同じ軽い口調で。
「観劇の後、お茶を飲んだよね。レイシャやレイルズも一緒に」
「無論、覚えている」
と殿下は答えた。
それなら私も覚えている。
突然現れたミケとレイテッド一族に、色々と思わせぶりな発言をされて、引っかき回されて、せっかくの休日が微妙に台なしだった。
「あの時おまえは、宴でおもしろいことが起きそうだから見物に行こう、と言ったな」
「じゃなくて、その続きだよ」
その続き、って?
「たとえエマとラズワルドの間で何が起きたとしても、君は手を出すべきじゃない。黙って見ているべきだって言ったことさ」
何それ。初めて聞いた。
思わず殿下の方を見ると、さっきまでの無表情とは違い、明らかに苦い顔をしていた。
「……言ったな。それに対して俺は、『できない』と答えた」
「そう。死人が出るような事態になれば放置できない、ってね」
ケインはおかしそうにくすくす笑った。「そしてその言葉通り、エマの命を救った。君があの場に居なければ、彼女は助からなかっただろうね」
「笑い事ではないぞ、ケイン」
まったく、殿下の仰る通りだ。人の命を何だと思ってるんだ、この男は。
ケインはやれやれと肩をすくめた。
「笑うしかないよ。君が命を救ったエマ・クォーツこそ、他人の命なんて何とも思っていない人間じゃないか」
「…………」
殿下は口を閉じた。
反論も、否定もせず。黙ってケインの顔を見つめている。
……それはつまり、認めたってこと?
ケインもそう思ったのだろう。満足そうに笑って、話を続けた。
「エマは『魔女の媚薬』を使って事件を起こした。それ自体も犯罪だけど、彼女の罪はそれだけじゃない。多分、君の叔父上もこの話はつかんでるんだろう? エマは単なる『顧客』じゃなかった。あの劇団を利用して薬の密売に手を染めていた、いわば『主犯』なんだってことを」
初めて聞く話だった。
エマ・クォーツが、「魔女の媚薬」密売の主犯。
仮に本当だとしたら驚くところだと思うが、殿下は既に知っていたらしく。
「エマが、というよりエマの一族が、だな」
落ち着いた口調で訂正を入れる。
「分家筋だけではない。戦後の混乱で没落した貴族家も密売には噛んでいた。数代前の宰相を輩出した家で、確かセイレスとか言ったか……」
ぴく、と頬が震えるのを感じた。
セイレスって、あのセイレスだよね。カルサとニックが調べていた。そういや、怪しい商人との取引がどうとか言ってたような……。
ケインは冷ややかに同意して見せた。
「金に困ってる貴族家は多いからね。ご禁制の薬の密売で手っ取り早く儲けようだなんて、愚策もいいところだけど」
「魔女の媚薬」は危険な薬物だ。国内に広まれば大変なことになる。多くの国民が苦しみ、あるいは命を落とすことになるかもしれない。
にも関わらず、その薬の密売で儲けようとたくらむ貴族家や、彼らに薬を売ろうとしている闇商人に対し、「主犯」であるエマ・クォーツの暗殺事件は格好の見せしめになる。
「だからこそ、この件には手を出すべきじゃない。どうせ手を汚すのはラズワルドなんだ。放っておくべきだ。……それがレイテッドの、義姉上のお考えだって。あの日、そう伝えたよね」
「ああ」
殿下は短く言って、こう付け加えた。「おまえは気乗りしない様子だったがな」
当然でしょ、とケインは吐き捨てた。
「そもそも、エマ・クォーツが魔女の宴で事件を起こしたりしたのはなんでか、って話だよ。いくら分家筋がラズワルドを良く思っていなかったとしても、勝ち目のないケンカを仕掛けるほど馬鹿じゃない。……そそのかした人間が居たのさ。自分たちが力を貸すから、共にラズワルドを倒そう、成功の暁には見返りも約束するって言ってね。他でもない。レイリア・レイテッドだよ」
それはつまり、全ての黒幕が彼女だということ。
「…………」
殿下はやはり驚かなかった。肯定も否定もせず、疑いを挟もうともしない。
私の方は、色々と驚いたり、疑ったり、問いつめたい気持ちもあったのだけど、実際にそうすることはできなかった。とても口を挟めるような雰囲気じゃなかったからだ。
「茶番だよね」
ケイン・レイテッドの1人語りは続く。
「魔女の宴も、淑女の宴も、茶番劇だ。宿敵・ラズワルドが公衆の面前で醜い争いを繰り広げることは、長い目で見ればレイテッドの利益になる。そのための舞台ってわけだ」
「……証拠はあるのか」
ようやく、殿下が疑問を口にした。「レイリアがおまえにそう告げたわけではないのだろう?」
ケインはいかにもあきれたという顔をした。
「あのね。僕はあの家の中に居るんだよ。お察しの通り、義姉上にはまるで信用されてないけどさ。少なくとも君よりは彼女のことを知ってるよ」
たとえば、とケインは続けた。
「義姉上はレイルズとフローラ姫を結婚させるつもりなんだよ」
唐突に、爆弾発言をかましてきた。
「今回の事件は、そのための布石だ。権力争いに巻き込まれて翻弄される、お気の毒な姫君をレイテッドがお救いする。そういう大義名分を作るためのね」
わかる? と殿下の黒い瞳をのぞき込む。
「つまり、レイテッドが君たちの敵に回るってことさ。五大家のひとつであるレイテッドが、フローラ姫を抱き込んで王位を狙ってくる。君の叔父上や兄上にとっては、実に困った話じゃない?」
あからさまに動揺を誘うような言い方に、しかし殿下は冷静さを保ったまま。
「それが事実かどうかは置くとして、ひとつ疑問がある」
なぜ今、その情報を自分にもらすのか。
そんなことをして、ケインに何の得があるというのか。
私も、同じことを疑問に思っていた。
そんな重大な話、普通だったらタダで教えてくれるわけないし。
後で見返りを要求する気なのか、だまそうとしているのか。どっちにしても信用できないと思う。
「なぜって、そんなこと聞く?」
ケインはいかにも心外だという風に瞳を見開いた。
「僕は昔からずっと、君の味方じゃないか。ただの幼なじみじゃない。家族みたいに思ってるんだよ」
「…………」
「あれ? もしかして信じてない?」
「……いや」
短い沈黙を挟んで、殿下が口にしたのは否定の言葉だった。
「俺も同じように思っている。おまえのことを、家族同然の存在だと」
ケインはうんうんとうなずいた。
「当然、そうだよね。ハウルなんかより、ずっと兄らしく思ってるよね」
「そこまでは言っていないが……」
「照れなくていいよ。君の気持ちは理解してるから。心の中では、兄上って呼んでくれてることもね」
熱っぽい瞳と語り口が、誰かに似ている。殿下のストーカー、吟遊詩人のセシウスに。
なんとなく殴りたくなった私は、「もう1発、いいですか」と目だけで殿下に問いかけた。
殿下は「今はやめておけ」と目配せを送ってきた。それからケインの方に向き直り、
「呼び方の件はともかくとして。おまえが俺の味方だとしても、レイテッドを裏切る理由にはならないはずだ。なぜならおまえにとって、レイテッドは妻の――」
殿下の言葉を遮って、
「あの家に義理はない」
とケインは断言した。
「レイテッドにとって、所詮は僕の存在なんて手駒のひとつだよ。義姉上が僕とレイシャの婚姻を許したのだって、それが仇敵ラズワルドに痛手を与えることになるからだ。ただそれだけだよ」
ケインとレイシャの婚姻を許したことが、ラズワルドに痛手を?
どういう意味だろうか。
ケイン・レイテッドは――いや、ケインは。
殿下の幼なじみだ。つまり、セレブだ。かなり良い家の出身であるはずだ。おそらくは殿下やユナたちと共に、ジャスパー・リウスから剣の指導を受けたりもしていたのだろう。
しかし彼はレイテッドの生まれではない。レイシャとの婚姻で家名を得ただけだ。
では、元の名前は?
その答えは、ケイン自身が口にした。
「仇敵ラズワルドから、後継ぎを奪えればそれでよかったんだ」
ラズワルドの後継ぎ。……ケイン・ラズワルド?




