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7.嘘つきアップルパイ

「まめちゃん」



名前を呼ばれた。しかも矢野くんしか呼ばないはずの変なニックネームで。



「今、ちょっといい?」



訝しげに振り返ると、噂のマドンナちゃんが可愛く小首を傾げながら、わたしをじっと見つめていた。完全に油断していたわたしは、あまりの衝撃と美しさを真っ向から受ける羽目になってしまった。近くで見るほど、完璧なスタイルをしていらっしゃる!



「あれ?私、間違えたかな?人違い?」

「あっ、ううん。あ、合ってる、です…」

「そっかー、良かったー」



マドンナちゃんがにこにこ笑う。とりあえずわたしもにこにこ笑っておく。どうして同い年なのに、こうもからだの作りが違うんだろう?月とスッポンすぎる。



「ふーん?」

「?」



わたしがチラチラとマドンナちゃんを観察していると、笑顔を崩さないままのマドンナちゃんがスッとわたしをもう一度しっかりと見つめてきた。しかも、じっくりと。上から、下まで。品定めでもするかのように。わたしみたいな凡人を観察しても、何も得はないと思うけどなあ。それにしてもマドンナちゃん、睫毛が長くて羨ましいです。

唐突に、クスッとマドンナちゃんが微笑む声がきこえた。



「まめちゃんまめちゃんうるさいから、どんな子かと思ってたけど、大したことないね?」

「……えっ?」

「ここのサイズも豆粒みたいなもんだし?」

「!?」



グロスで光る整った唇から飛び出した、マドンナちゃんらしからぬ予想外の台詞に固まっていると、またまた唐突にマドンナちゃんの手が伸びてきて、確かめるようにムギュッとその手のひらに鷲掴まれたのだ。胸を。人気の少ない昇降口に、わたしの悲鳴がキィィンと響いた。

「私のも触ってみる?」と涼しげに笑う目の前の美女の行動に、慌てふためくしかない。



「てか、反応ピュアすぎ。まめちゃん、処女でしょー?」

「しょっ、しょ、しょっ…!?」

「あれ?図星だ?やだー、かわいい〜まめちゃん!」

「いや、あの…全然…そんな…」

「うん、だよねー。私のほうがかわいいよね?うんうん、ちゃんと分かってるよ?」



キュッと、右手をマドンナちゃんに包み込まれるようにして握られた。わたしが男の子だったら、今の段階で確実に恋に落ちている。マドンナちゃん、指も細くて白くて綺麗だなあ。でも生憎、わたしは女の子。握られたことより、マドンナちゃんのお洒落なマニキュアの色のほうが気になってしまう。おいしそうなりんごみたいな赤色だ。



「だからね、私に矢野っちをちょーだい?」



はた、とマドンナちゃんを観察していた思考が一瞬にして停止した。マドンナちゃんは今、何が欲しいと言った?握られたまま、首を傾げると、マドンナちゃんも同じようにして首を傾げてみせた。



「え?あの?今、なんて?」

「あれ?聞こえなかった?矢野っちを私に頂戴って言ったの。だめ?」

「ええと…なんでわたしに?」

「えー?だって、矢野っちが言ってたよー?“俺のからだはまめちゃんのモノやから、あげない”ってー」

「え"っ!?ち、違いますから!誤解です!矢野くんはわたしのじゃないし、ていうか誰のものでもないって言うか…その…!」

「じゃあ、私のものにしちゃってもいいんだね?」

「は…。え?」



なに、この会話。なに、この変な空気。…矢野くんに関わってから、生まれてはじめてなこと尽くしで困っちゃうよ。体験したこともない、同性の子から受けるピリピリとした微笑み。こんな挑戦的な眼差し送られても、恋愛バトルレベルがほぼゼロなわたしには対応する術が見つかるはずもない!こんな展開、誰が想像しただろうか!いや誰もしないよね、ありえないもん!お菓子作りしか特技を持っていない平々凡々なわたしと、何でもできちゃう完璧な、高そうなティアラを頭に乗せているような完璧な美少女。

こんなの、勝てるわけないじゃないか!



「だから、勝つって何に?」

「なーに、まめちゃん。何か言った?」

「あ、ううん、なんでもないです!」



勝つとか負けるとか。意味が分かんない。何を慌てちゃってんだか。そもそも、わたしは巻き込まれてるだけだ。何の関係もない。マドンナちゃんが矢野くんに好意を寄せていることも。矢野くんが、どの女の子を選んで恋をするのかってことも。

わたしには、何にも。



「わたしには、関係のないことですから」



口にしてみたら、それは思っていたよりも刺々しくて冷たくって、わたしの心臓にチクンと落ちていった。



「そうなの?でも、まめちゃんは矢野っちのこと好きなんだよねえ?」

「す、好きとか、そんなんじゃ、ないです」

「そうなんだー!良かったあ、私の思い違いで!じゃあじゃあ、色々と矢野っちのこと教えてくれる?応援してくれる?」

「う、うん。わたしにできる範囲のことなら」



ことばを吐き出すたびに、お腹がどんどん痛くなった。甘いものの食べ過ぎで、胃もたれでもしちゃったのかもしれない。

どうしよう、痛くて、泣きそうだ。



「まめちゃんって、いい子だよね〜〜」

「そ、んなことないよ」

「ううん、いい子だよー。……本当に、ばかみたいにいい子ちゃん」

「えっ?」

「ん?なんでもないよ?」



ニコッとマドンナちゃんが満足そうに笑った。

わたしは、ちゃんと笑えてるのかなあ。分かんないや。


痛みの原因にも空っぽの笑顔のことも、まだ気付きたくない。なんにも、わからないままでいたい。

こんな生まれてはじめての気持ち、知らないまんまでいたかったよ。




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