第八十一話 Leriche症候群5
「計画に支障をきたすわけにはいかんのだ。まさか、情が移ったなどとは言うまいな」
「何のことかしら?」
その部屋は薄暗く、コクの表情はよく見えなかった。セイは久々に着た青の衣装のすそをいじりながらも、黒い衣装に身を包んだコクが何を言おうとしているかを理解していた。
「セキに調べさせた」
「別に、私はやましい事なんて一つもしていないわ」
「最後は不用意にも冒険者たちに追い詰められていたではないか。それも何の抵抗もなく逃げた」
「当たり前よ、私といえどもあの状況であいつらを相手にしては絶対に勝てる保証なんかないわ」
「戦いたくなかったのではないか、セイよ? ……いや、ヴェールと呼んだ方がいいか?」
コクは嫌味を言っているつもりはないのだろう。おそらくではあるが、ハクやセキに比べるとコクはセイの心を理解してくれていると思っている。葛藤があるのはコクも同じなのだろう。精神的に幼いハクやセキはあまり悩んでいるようには見えないが。
「何が言いたいのよ?」
「……やめても、いいんだぞ?」
「……驚いたわね、貴方の口からそんな言葉が出てくるなんて」
コクはそれきり何も言わなくなった。セイは無意識に胸から腹にかけてできている傷跡をなぞった。これが人間をやめた証でもある。覚悟はしてきたはずだった。その揺らぎというのをコクに言い当てられた。だが、言い当てられた理由というのはコクこそが揺れているからなのではないか。セイはそう思う。
「次の計画、お前は使わん」
「私たちは同格だったんじゃないの?」
「ふん」
コクは部屋から出ていった。セイは自分の力がなければ計画に支障をきたすとは思っていない。ハクはユグドラシルの町で失敗したが、本来ならばあの規模の戦力を投入して失敗するあの町がおかしいのだ。コクもセキも含めて力は十分にある。いまさら自分がいなくなったところで計画は遂行されていくだろう。
ユグドラシルの町を落とす必要は、今の所ない。だが、いずれはあの町も勢力圏に治めなくてはならないだろう。その先に自分はどう行動するのだろうか。
復讐を誓ったはずだった。そのために人間をやめた。今更止まれるわけがないではないか。
しかし、セイの頭の中にはユグドラシルの町の冒険者ギルドで酒盛りをした時の記憶が思い出されてしまっていた。
***
「ああ、心眼だと正確な大きさが計りにくいな……。本当に目分量で計算するしかないか」
シングのお腹をじっと見つめながら、僕はため息を吐いた。現代日本でいうCTやMRIのような検査装置に比べて心眼は非常に使い勝手が良かったのであるが、こういった細かいところだとか数値化しなければならない部分は不得意である。実際に比較する者が近くになければ人間の目で見ただけの印象というのはあやふやなものだ。絶対的に間違うことのない物差しを横に置いて初めて正確な値が測定できるというものである。
「で、どうすんだ?」
「ちょっと待って、なんとか書き出すから」
「あの、ものすごい不安なんだけどよ。大丈夫か?」
「大丈夫だシング。先生に任せておけば問題ない。たぶん」
「おい、サントネ。本当なのか、さっきから言ってることが不安にしかならんのだが」
酒場のマスターであるシングと、工房の親方であるサントネは仲が良いようだ。おそらくはシングが現役冒険者の時からの付き合いなのだろう。
僕はサントネ親方に人工血管を作ってもらうためにシングの診察に立ち会ってもらっている。後ろには後学のためにとセンリもついてきていた。診察室には他にサーシャさんとローガンがいる。シングの奥さんであるソフィアは酒場の仕事があると言っていたし、診察室にかなりの人数が入るこの状況を嫌ってレナとマインはどこかに出て行ってしまっていた。
「こういった二股の形状で、中枢側がだいたい直径三センチメートル、末梢がそれぞれ一センチメートルで作ってください」
「長さはどうすんだ?」
「だいたい十センチメートルずつでいいです。手術中に長さを合わせて調整しますので、短くなければ」
「おう、分かった」
設計図に数字を書き込むと、それを鞄にしまいこんでサントネ親方は言った。
「じゃあ、明日までには作っておくぜ」
「ありがとうございます、明日の昼にでも取りにいきますね」
「そ、それで先生」
診察が終わり、服を着ていたシングがおずおずと言った。
「はい」
「あ、あの……あれは治るんだよな?」
「ええ、治ると思います。絶対ではないですけど、病気が原因であれば手術をすることでそれを取り除けますので」
「何の話だ?」
「なんでもない」
話をしただけで僕がシングの元気がないのはLeriche症候群が原因だとすぐに分かった、という事をソフィアから聞いたシングは出合い頭に勃起不全のことをそれとなく聞いて来た。僕は全て分かっているという態度をして、それ以上言葉にしなくていいし治療が成功したら治るということを伝えていたのだ。
それでも患者というのは不安になる。だから、なんどか確認で聞いて来る。それをめんどくさいとは思ってはならない。めんどくさい時もあるけど。
「さあ、分かっていると思いますが最終的には手術が必要になります。大きな手術になりますので、マスターだけで聞いてもらうわけにはいきませんし、ソフィアさんも時間が空いている時となると明日の朝ですかね」
「あ、ああそうだな」
「じゃあ、明日の朝に二人でここに来てください。詳しい説明をしましょう」
***
「ヴェールは各地のギルドマスターにだけ重要人物として伝え、目撃があれば情報を共有するということで決まった」
「もう冒険者としては活動はしないと思うんだけどね」
「ああ、そうだろうな」
その後ジャックが診療所へとやってきた。状況的にヴェールと白い男はつながりがある可能性が高いが証拠があるわけでもない。ガルーダもユグドラシルの町は襲ったものの死人すら出ていないのだ。そこでギルド関係者たちの多くも死人がでていないという違和感に気付いた。
「領主様たちのほうも似たような対応をするんじゃないかって、親父は言ってる」
「魔法人形なのは確かだけど、まだ完全に人類の敵だと認識できていないってところかな」
「ああ、そうだ」
各地で町が襲撃されている事件も最近は少しだけ落ち着きをみせているらしい。逆に魔物の行動が沈静化したことで次の予測がつきにくくなっているのだとか。
「まあ、これ以上は僕じゃなくてもっと偉い人の仕事だよね」
「そうそう、巻き込まないでほしいぜ」
「いや、冒険者ギルドの副ギルドマスターはそれなりにえらい人だから、しっかり頑張ってね」
相も変わらずジャックは報告ついでに仕事をさぼっていたようで、その後にお茶を飲んでいるところをシルクに連行されていった。
「シュージ」
「なんだい、レナ」
「本当は何か考えているでしょ?」
「なんのことやら。僕はちょっとルコルのところに行ってくるよ」
「じゃあ私もついていくわ」
にやりと笑ってレナがそう言った。僕は顔に出てしまっていたんだろう。
ヴェールはともかくも白い男には注意が必要である。そして白い男もヴェールのように魔法人形であるのならば、その対策というのが絶対だった。
一介の医者がこんな事をするというのはおかしいんじゃないかと僕は思っているけど、僕にしかできないことだってあるのは知っていた。それにこの町は領主様やギルドマスターをふくめて僕の大切な知り合いが多い。もしかしたら白い男をなんとかするだけで西方都市レーヴァンテインの皆を救うことになるかもしれない。それだけあのアンデッドたちを操る白い男は脅威だった。
「それで、どういった対策を考えているの?」
「彼らが魔法人形で、本当だったら人間に必要な臓器がいくつかないという状態なのは話したっけ?」
「ええ、主に消化管がないって言っていたわね」
「ああ、心臓は意外なことにそのままだった。肺も形状が変わっていたからちょっといじくってたかもしれないけど、呼吸はしている」
「それで?」
「ヴェールは呼吸をしていた。食べ物は食べないのに。血液は心臓を使って全身に送られていた」
心眼で観察できるだけ観察した。だから、途中でヴェールに見つめられているとか言われたけど、情報は収集した。
「彼らは空気中の魔力を普通の人間の何倍も効率よくかき集めることができると思うんだよ」
じゃあ、どうすればいいか。
医学というのは人を救うために発達してきたが、いつでも逆の事ができてしまう。




