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第三十九話:十二指腸乳頭部癌3

「お嬢様、マインお嬢様。申し訳ございませんが、今日は領主さまへの御挨拶が先です」

「なによブラッド。私ははやくローガンの先生がいるっていう診療所が見てみたいのよ」

「ですが、領主様への……」

「そんなの、後でもいいじゃない。今日に伺うって伝えてあるわけじゃないんでしょ?」

「それはそうですが……」


 ローガンの家族とともにユグドラシルの町へと帰ってきたイーネ商会の面々は、城門を越えるとともに駆けだそうとするマインをどうにかして押しとどめることに成功していた。とは言っても、育ちが良さそうなマインが、執事のブラッドの制止を振りきってまで走っていくはずがないとローガンは思う。


「マイン、こういったものは順序も大切なんだよ」

「そのシュージっていう先生にいろいろと教わっていたからローガンが困っている私に声をかけたのよ。だったら間接的にはお父様の命の恩人でもあるじゃない」

「それは屁理屈というものでございます」

「もう!」


 父親よりも執事であるブラッドの言うことを聞くことの方が多いんだな、とローガンは思う。その父親であるイーネは、マインの行動をたしなめようとはするが、頭ごなしに否定したりはしない。ただ、絶対にやってはならないことなどはブラッドが先に止めてしまうようだった。

 この親子と執事の関係というのはローガンの家族では考えられないことである。ローガンの父親は子供に対するそういった教育は必ず自ら行った。


 門をくぐって少し進むと、ローガンの父親が経営する薬屋の通りまで来た。ここでローガンたちは馬車から降りる。


「では、私どもはこれで。機会がありましたら当店へお寄りください」

「実は私はこの町で支店を開こうかと考えてまして、当分はこちらへお邪魔するつもりなのです。また日を改めましてお伺いします」

「そうでしたか。それでは是非とも当店をごひいきに」


 降り際にがっちりと握手をかわしたイーネとローガンの父親であるが、その様子を眺めていたローガンに対してマインは後ろから飛びつくと、急に女の子に抱き着かれて慌てるローガンに構わずに言った。


「すぐに遊びに行くから!」

「あ、ああ。分かったよ。でも、診療所の仕事が終わってからだぜ」

「じゃあ診療所に行く」


 邪魔をされるのはよくないよなぁ、とローガンは思わないわけでもなかったのだが、この少女が言い出したら聞かないという事は数日一緒に過ごしただけで十分に理解できていた。諦めながらも、マインの頭をポンポンとなでる。笑い返すマインにどきっとしてしまうわけでもあるが、それを父親に見られているという恥ずかしさから、強引にマインを引き離して馬車を降りた。


「な、仲がよろしい様で」

「申し訳ない」


 いくらローガンがまだ少年だからといって、普通は自分の娘が他の男と仲良くしていると父親というのは少しは嫌な顔をするんじゃないかと思ったローガンであったが、イーネはそんな風には見えず、そのやや黄色い顔でただ純粋に心配だけをしているような表情を作っていた。



 ***



「なるほど、事情は把握したが…………」


 ランスター=レニアンは大発生(スタンピード)の際に重症を負っていたはずであったが、むしろその前よりも元気になっているのではないかと言われていた。それは大発生(スタンピード)後の繁忙期に突入したユグドラシルの町としては歓迎すべきであり、だからといってランスターが二人や三人に増えたわけでもなく、業務に忙殺されていた所に厄介事を持ち込まれて機嫌が良くなるわけがない。

 大陸中から商人が集まってきているこの時期にトラブルが尽きないわけがなく、行政に余裕があるはずもなかった。


 それでもランスターはこの商人と面会しなければならなかった。それは商人が持ってきた手紙の封に刻印されていた印である。この国でそれを使う事ができるのはただ一人であり、領主を含めた限られた人間のみがその封を解くことができる魔法が付呪されていた。

 読み終わった手紙に火をつけて完全に燃やしてしまうと、ランスターは言った。


「これから、どう生かしていくつもりだ?」

「平民として成長されていくことをお望みになられました。ですので、私がこの町で店を開くことをお許しください。私の娘として育てます」

「貴族の、権力の場から遠ざけると?」

「はい、あの方のお母上の遺言だそうです」

「そうか…………」


 それがいいのかもしれない。ランスターは冒険者時代に多くの平民と関係を持ったこともあり、貴族社会だけではなく、平民のそれも十分に知っている。後ろ楯と財力のない貴族の末路もよく分かっていた。利用されるだけの不幸な人生を歩むくらいならば、別人として生きていくのもありだろう。


「守りきれるか?」

「命に代えても守りきります」


 決意を口にして、イーネはランスターにそう告げた。


「この事を知っているのは?」

「私と、護衛に雇った冒険者、それを紹介してくれた冒険者ギルドのギルドマスターくらいですね。他は王とその周囲の者だけかと」

「他の王子に気づかれると厄介であるぞ」

「だから私が選ばれたのでしょう。王都の商会は弟に譲りました。落ち着いたら家族を呼び寄せるつもりです」


 西方都市レーヴァンテインの冒険者ギルドが王家と関わりがあったとは意外だなと思いつつ、ため息まじりにランスターはイーネと、その後ろに護衛として来ていたブラッドを見る。この場にマインはいなかった。いたとしても、今後は平民の娘として生きていくはずである。


「護衛期間はいつまでと考えているんだ?」

「…………彼女の安全が確立するまで」

「次の王が決まるまでということか。長いな」

 

 ブラッドが何を考えているのか、ランスターには分からなかった。冒険者としてSランクに上がったばかりの男だというが、そもそもこんな依頼が冒険者に出され、それを承諾するというのが不思議なのである。何も知らされずに道中の護衛だけを依頼されるのが一般的だろう。それとも、冒険者は引退して執事を本職にするつもりなのだろうか。

 だが領主とはいってもランスターの踏み込んでいいところではないと思われた。冒険者に詮索は禁忌であるというのが不文律なのだ。


「開店の許可は与えよう。それ以上の助力は見える形では行えないが、何かあれば言うがいい」

「ありがとうございます」


 

 イーネとブラッドが去ったあとの部屋で、ランスターはつぶやく。


「王の娘か、厄介にもほどがある」



 ***



 自重しているつもりがあったわけではないけど、医療に関しては魔法だろうがなんだろうが使うと決めた途端に、僕の中で何かが開花したというか、アイデアがそれなりに出てきたようだった。

 医療魔法と日本で培った医学との融合を行えば、さらなる高みを目指すことができ、それが目の前の助けられなかった人を助けられるようになるはずである。


「なるほど、探査サーチの魔法はうっすらと何かが光って見えるようになるわけだな」


 買い物の帰りに、僕は探査(サーチ)を発動させながら歩く。今のところはまだ精度が低くて使えないけど、心眼と合わせて発動することはできそうだった。その「何か」をイメージして心眼とともに発動させるというのが難しい。


「複合魔法は上級者向けよね」

「レナはいつも使っているじゃないか」


 レナの得意な雷撃(サンダーボルト)は複合魔法らしい。水魔法と風魔法との組み合わせで放電するらしいのであるが、正直な話、全く理解できてない。だけど、レナはそれを感覚で行っている節がある。魔法に科学を求めるのは無理なのかもしれない。


「練習あるのみよ。ある日突然コツを掴むわ」

「多分、そうなんだろうね」


 こちらの世界に来て、回復(ヒール)を初めて成功させたときもなんとなくだった。いくら言葉で説明されてもできなかったけど、逆に何も考えなかったらできるようになったんだっけ。


 医学は科学であるから、物事の理由を解明してそれに対しての対応と効果を検証して、ということが重要になってくるけど、魔法は「なんとなく」も必要であってあまり相性はよくないのかもしれない。


「鑑定魔法だって、なんとなくその物質があるかないかをイメージする魔法だしね」


 視覚的に分かるわけじゃなく、「なんとなく」目当ての物質がどれだけ混ざっているかが分かる、というものなのである。数字で表現できない時点で、他人に伝えるのが難しい。誰が聞いても誤解のないような表現をするためには、客観的な何かで表現しなければ伝わらないのだ。


 買い物から診療所へ帰ると、そこにはローガンがいた。近くの宿場町まで避難していたのだけど、大発生(スタンピード)が終息したのを聞いて帰ってきたのだろう。僕たちの顔を見て、ローガンは嬉しいのかほっとしたのか分からないような顔をした。サーシャさんから僕らの無事を聞いても、実際に見たことでようやく理解できたのかもしれない。


「先生、今帰ったよ」

「ああ、おかえりローガン」

「俺がいなくて大変だったろ?」

「え? うん、いや…………まぁ、そうだね」

「なんだよ、そこは大変だったとちゃんと言うべき所だろ!?」


 ローガンがいなかった時に製薬魔法で困ったことはなかったのだが、教育を含めてやってみたいことは多かった。血液透析(ヘモダイアライシス)の魔法もローガンに修得して欲しいくらいである。


「やってみて欲しいのは沢山あるよ」

「そ、そうかよ」

「また時間がある時に教える。ちょっと複雑だからしっかりと説明しないとね」

 

 そういえば、血液透析(ヘモダイアライシス)も複合魔法になるなぁと僕は思った。ローガンがいかに才能あふれる少年だったとしても、この年で複合魔法をずっと使い続けられるとは思えない。やはり僕がやるしかないのかもしれない。


「先生、そういや先生の知り合いだって人に出会ったよ。このユグドラシルの町まで一緒に来てたんだ」

「へえ、誰だい?」


 ローガンがそれに答えようとするより先に、診療所の入り口の所から声が聞こえてきて僕らの会話を遮った。



「どうして? 何が悪いと言うの?」

「それを一番理解なさっているのはお嬢様でしょう」

「そういう言い方はずるいわ」


 

 診療所の入り口には金髪の少女と、その付き人らしき男性が言い争っていたのである、


 だけど、僕はその付き人の男性に見覚えがあった。


「ブラッド?」


 かつて、僕の所属していたパーティーで斥候業をしていたブラッドが執事のような格好をして立っていたのである。


「シュージ…………」



 久しぶりの再会であったけど、ブラッドの表情はお世辞にも幸せそうとは思えなかった。

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