白いスカーフが似合う騎士様はスカーフが本体でした
「きゃっ」
街でお買い物をしようと馬車を降りた瞬間、誰かが私の側を凄い勢いで駆け抜けました。
腕に少し当たり、ビックリして小さく悲鳴を上げてしまいました。
「お嬢様!」
侍女のマリーが大きな声を上げます。私が馬車を降りる時に、手で支えてくれた護衛騎士のジョーンズが走り出しました。
「あっ! 私のバッグ!」
気がつくと馬車を降りる時に確かに手にしていたはずの、小さいバッグが無くなっていました。ビーズがキラキラしていてお気に入りのものです。
どうやら引ったくりにあったのだと、今頃気がつきました。
道の少し先の方で歓声のようなものが上がりました。見ていると、白いスカーフをした騎士様がジョーンズの先導でこちらに向かって歩いてきます。その後ろにはかなり大柄な騎士様の姿も見えました。
「ソニアお嬢様。この方が引ったくり犯を捕まえてくださいました」
ジョーンズが白いスカーフの騎士様を紹介してくれます。
「イーサン・モーメンスという。このバッグは、貴女の物で間違いないか?」
「ソニア・ランバートです。ありがとうございます。はい、そのバッグは私の物で間違いございません。……猫の目のところに青いビーズを使っていて、バッグの中身は猫の刺繍のハンカチです」
私がそう言うと、モーメンス様はバッグを持ち上げてチラリと一瞥した後、バッグの中は見ずに私に差し出しました。
私はお礼を言ってバッグを受け取り、バッグの中の猫の刺繍のハンカチを出してみせました。
「ハンカチも無事でしたわ。ありがとうございます!」
「……猫が好きなのか?」
「はい。可愛らしいでしょう?」
「……そうだな。……引ったくりの犯人は衛兵に引き渡しておく。もし、他に盗られた物などあれば、衛兵に問い合わせてくれ。それでは」
モーメンス様はそれだけ言うと、連れていた馬にヒラリと乗って去っていきます。白いスカーフが風に棚引きます。
その様は、まるで戦隊モノのヒーローのようでした。
わたし、ソニア・ランバートには前世で別の世界で生きていた頃の記憶があるのです。
転生したんだ、と気がついたのは、十二歳の時でした。
前世の記憶が戻るのが後少し早ければ、と思いました。というのも、前世の記憶が蘇る約一年前、十一歳の時に私は婚約をしたのです。
お相手は、ライアン・ダッカー伯爵令息です。十五歳で学園に入学するまでに婚約をするのが通例らしくて、十歳を過ぎた頃から、「お見合いお茶会」みたいなものに、何度も参加させられました。
そこで出会ったのが、ライアン様だったのですが……、十一歳で将来結婚する相手を見極めるって難しくないですか?
ライアン様は整った顔立ちをしていて、優しげな方です。でも、ライアン様の従姉妹の男爵令嬢のレイナ様と距離が近いのです。
二人で出かけるはずの時に、付いてくることもありました。しかも、レイナ様は良く体調を崩されるらしくて、レイナ様が寝込んでおられる時などは、私との約束を当日になってドタキャンすることもありました。
今日もそうです。
大通りに新しく出来た帽子屋を見に行こうと約束していたのに、今朝になって、レイラ様が具合が悪くなったから、と、キャンセルのご連絡が来たのです。
仕方ないから、一人で出かけようとしたら、引ったくりにあってしまったのです。全くついていない日です。
唯一、良かった事は、ヒーローみたいな方にお会い出来たことでしょうか。
真っ白なスカーフが印象的な方でしたね。
その後は、新しくオープンした帽子屋さんでリボンのついたガーデンハットを購入しました。屋外で開催されるパーティーなどに良さそうだったからです。帽子についた白いリボンが風に靡く様が、何となく、白いスカーフの騎士様を思い出させます。
暫くして、ガーデンハットを使う機会が訪れました。薔薇園を愛でる会という立食お茶会の招待が届いたのです。
差出人は何度かお茶会に招いてくださった事があるワナイ侯爵夫人という方です。王都の御邸宅に立派な庭園がある事も知っています。
おニューの帽子を被るのも楽しみですが、薔薇園も是非見てみたいです。
「あら、それなら早めにライアン様をお誘いなさいなさいな。また、ご予定が入ってしまうわよ」
「……ええ……」
ワナイ侯爵夫人の薔薇園の会に出席するつもりだとお母様に伝えたところ、お母様にライアン様をお誘いしろと言われてしまいました。
家族で行きたかったのですが、両親は、観劇に行く予定だったので、行かれないのです。代わり、と申しますか、ライアン様と一緒に行けば良い、と言うのです。
どうも先日のライアン様と帽子を買いに行く約束が流れた件を上手く伝えられていなかったのか、私が事前にしっかりとライアン様をお誘いしていなかったと思われたようです。
ライアン様の従姉妹のレイラ様の具合が悪くなったからである事をはっきり言わずに言葉を濁して伝えたからだと思います。
言葉に出してしまうと、苛立ちなどが表に出てしまいそうで、言えなかったのです。
やはり、しっかりお伝えした方が良いのでしょうね。
『ライアン様の従姉妹のレイラ様が寝込んだからと、婚約者である私との約束をドタキャンされたのですよ。いつもの事です。
ライアン様は学園にはしっかり通われているのに、私とのお約束は既に連続七回ドタキャンされているのですよ。偶然でしょうか』
お伝えしようとすると、やはり苛立ちが言葉に滲み出てしまいそうですね。
まあ、婚約者様ですし、一応お誘いしますけど……。
あら? 私、まるで、ライアン様の事をお誘いしたくないみたいですね。……まあ、気が乗らないのは確かです。
……この婚約、続けていて良いのでしょうか?
「婚約解消」という言葉が頭をよぎります。家同士の問題もあって、簡単でない事は理解しています。
ライアン様との婚約解消を考え始めましたが、お母様は「お誘いしてみては」などと言います。
お誘いして、実際にドタキャンなどされた方がお母様は納得してくださるかしら。
ドタキャンを予想しながらのお誘いもどうかと思いますが、ライアン様に薔薇園の会のお誘いをしました。
するとすぐに「了承」のご連絡が来ました。いつも、お誘いに対するお返事は早いのです。
「仕方なく?」薔薇園の会はライアン様と行く予定となりました。
「仕方なく」などと考えているのでは、そろそろ今後の事をはっきりさせた方が良いのでしょうね……。
「ほら、お誘いしてみて良かったじゃない」
ライアン様から薔薇園の会への出席のお返事が届いて、お母様はニコニコ。
でも、案の定と申しますか、当日の朝に、「一緒には行けない」とご連絡がありました。
「まあ! 何ということでしょう!」
ショックを受けた様子のお母様。私はもうショックは受けませんよ。
「ほら、事前にお誘いしても、ライアン様はこうなのですよ」
「そんな……」
「今日は、ワナイ侯爵家の薔薇園を見せていただいたらすぐに帰ります」
薔薇園自体には興味があり、最初は一人で見に行くつもりでしたので、お母様にそう告げたら心配されてしまいました。
「そんな。エスコートもなしなんて」
「舞踏会ではないのですから」
心配をするお母様を宥めて、私はワナイ侯爵邸に向かいました。
風が少しあり、肌寒かったですが、空はよく晴れていました。
案内された庭園には色とりどりの薔薇が咲き誇っています。
奥の方には薔薇のアーチの遊歩道も見えます。後で、行ってみましょうか。
「あっ」
薔薇に夢中になり、少し油断したのでしょうか、急に吹いた突風に帽子を飛ばされてしまいました。
ヒューンと飛んでいく帽子を追いかけようと駆け出しました。飛んでいく私の帽子に、白い布が被さるようにぶつかりました。白い布と一緒に帽子が落ちていき、落下地点に立っていらした方の手で受け止められました。
「あ、あなたは……」
帽子を手にした方に駆け寄ると、白いスカーフの騎士様でした。帽子と一緒に落ちてきた白い布を首に巻かれたので気がつきました。
「これは貴女の帽子で間違いないか?」
「はい! 何度もありがとうございます!」
「……おや、貴女は先日の……」
「はい。先日、バッグを取り戻していただいて……。その節はありがとうございました」
「……今日は猫の柄ではないのだな」
白いスカーフの騎士様が私に帽子を手渡しながら、チラリと白いリボンのついた帽子を一瞥しました。
「ふふふ。シンプルな白も素敵だと思って。騎士様の白いスカーフも雪のように純粋な白でとても爽やかで素敵ですね!」
「……」
騎士様の手が一瞬ピクッと震えました。黙ってしまったのですが、何か不用意な事を言ってしまったのでしょうか?
「あの……?」
帽子の端を騎士様が持ったままでしたし、どうしたのだろうと騎士様を見上げると、騎士様の顔が真っ赤になっていました。
「……いや。褒めてくれて、感謝する」
騎士様はそう言うと、私の頭に帽子を被せてくれました。その動作が丁寧で、洗練された動きに感じます。
何故でしょう。風が冷たいのに、頬が熱く感じました。
少しだけ気まずくなり、目を伏せてもう一度お礼を言ってから踵を返しました。
ワナイ侯爵夫人にご挨拶をしたり、他の参加者のご令嬢とお話しをしながらも、視界の端に白いスカーフが映ると、ちょっと気になってしまいます。
「は? 何で居るんだ?」
ちょっとドキドキソワソワした気持ちに、冷や水がかかるような声がしました。
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには、ライアン様が立っていました。側には、ピンク色のツインテールの令嬢がピッタリとくっついています。
「僕が出席出来ないと言ったのに、何で君が来ているんだ!」
「はあ?」
「誰か他の男と来たんだろう!」
「……何をおっしゃるの? 他の女性といらしているのは、ライアン様じゃありませんか!」
「ライアン様ぁ、今、睨まれましたぁ。レイラ怖ぁい!」
「レイラを睨むな! 君なんか婚約破棄だ!」
ライアン様の怒鳴り声が、薔薇園に響き渡りました。
ザワリと周囲から騒めきが湧き起こります。
「ええ? こんな場所で婚約破棄?」
「そもそも、他の女性を侍らせておいて何なの?」
「一緒にいるのは尻軽女か」
「あんな尻軽女に騙されて……」
あちこちからライアン様達を非難する声が囁かれると、ピンクのツインテールのレイラ様のお顔が見る見る赤くなり、歪んでいきました。ユサユサとツインテールも揺れます。
「何よ! レイラ悪くないもん!」
「そ、そうだぞ!」
ライアン様は、レイラ様の怒りように少し戸惑っているようにも見えましたが、レイラ様の言葉を後押ししています。
「レイラ、悪くないもん!
レイラを悪くいう人が悪いんだもん!」
レイラ様は頭に手をやると、髪飾りを取って、足元に投げつけました。
ボフン!
何か弾けるような音と共にピンク色の塊のようなものが周囲に飛び散りました。
「あ!」
私に向かってピンクの塊が飛んできたと思ったら、フワリ、と目の前に白い布が飛んできて私を庇うように覆い被さってきました。
ポコッ、ポコッ
何かが布に当たるような音がします。
でも私は衝撃などは感じませんでした。
「……後ろに避難していて下さい」
「え?」
聞き覚えがある声が耳元から聞こえました。聞き返そうとしたら、布に包まれたまま、ポーンと身体が宙に浮きました。
気がついたら庭園の中央から、薔薇の生垣の後ろまで一気に移動していました。
私が生垣の後ろに降り立つと、ヒラリと白い布が飛んで行きます。
ボコボコボコッ
庭園の中央にいままでなかった大きな壁が出来ていて、大勢の人が壁の後ろに逃げ込んでいます。
壁にピンクの塊がボコボコ当たっています。
あのピンクの塊は何なのでしょう。
白い布がヒラヒラと飛びながら、ピンクの塊を受けては弾き返しています。
ピンクの塊が飛び散っている中心に近くにレイラ様が鬼のような形相で仁王立ちになっています。ライアン様はその後ろで、呆然とした様子で尻餅をついていました。
「いい加減になさいませ!」
ドン!
声と共に、地面に何かを打ち付けるような音が響きました。
ワナイ侯爵夫人が大きな錫杖のような物を持って立っています。
ワナイ侯爵夫人の真っ赤な右の瞳がカッと光りました。
何かの魔法でしょうか?
眩しさと共に圧を感じます。
「キャッ」
レイラ様が小さく悲鳴を上げて、後退りしました。
レイラ様が立っていたすぐ側の地面に、怪しいピンク色のモヤを出している物体がハッキリ見えます。
何となく、あの物体が問題なのではと考えた私は、足元にあった小石を拾って、振りかぶると、ピンク色のモヤを出している物体めがけて投げつけました。
私、前世では女子野球をやっていたのです。
ドレスで締め付けられていて動きにくかったですが、小石はピンクのモヤの物体に命中しました。
ピンクのモヤの物体が弾けてバラバラ日間飛び散ります。
「ギャァァァ!!」
断末魔のような声が庭園内に響き渡りました。
声の主は、レイラ様でした。
レイラ様は頭を抱え込むようにして悲鳴を上げたのですが、直後にボトリ、とレイラ様の頭が地面に落ちました。
「「「キャァァ!!」」」
庭園内に悲鳴が飛び交います。私も悲鳴を上げました。
「何よ何よ何よ!何でよ!」
「「「キャァァァ!!」
地面に頭が落ちた状態のまま、レイラ様が怒鳴っています。
庭園内はパニックです。
「ライアン様ぁ!」
「ひぃぃ!」
頭だけのレイラ様が、ライアン様の方を振り向くと、ライアン様は腰を地面に付けた状態で後退りをしました。
ドン!
ワナイ侯爵夫人が再び錫杖を地面に打ち付けました。
「まあまあ、幻術の出し物としても、ちょっと悪ふざけが過ぎましてよ」
ワナイ侯爵夫人の右目が再び赤く光ります。パニック状態だった周囲の人達が一瞬で静かになり、一呼吸置いてから、ヒソヒソと囁きあっています。
「え? 幻術」
「幻だった?」
「そ、そうだよね」
幻術だったのでしょうか?
視線をレイラ様に戻そうとすると、先程までレイラ様がいた場所にレイラ様の姿がありませんでした。
薔薇のアーチを駆けていく使用人らしき人達の姿が見えます。一人の方が小脇に抱えているモノからピンクの長いものがヒラヒラして見えました。まさか、先程のレイラ様の頭でしょうか?
頭だけのレイラ様の姿がなくなったので、庭園内の騒めきも収まりました。ライアン様は、何だか項垂れた様子で何処かに行ってしまいました。
薔薇園の会は解散となったのですが、私は何故か居残りをさせられています。
庭園からワナイ侯爵邸の屋内に入って、ワナイ侯爵夫人と向かいあって座っています。
目の前にお茶が出されたのですが、飲んで良いものでしょうか?
ワナイ侯爵夫人から、「貴女は少し残ってくださる?」と言われたのですが、何かまずい事をしてしまったのでは、と考えています。
思い付くことは、二つ。
一つ目はライアン様の婚約破棄宣言です。宣言したのはライアン様ですが、私に向かって言ったので、無関係ではありません。騒ぎを起こした当事者の一人でしょう。
もう一つは、謎のピンクのモヤに石をぶつけた事です。私が石をぶつけたら、あのピンクのモヤを出していた物体が弾けました。あれは何かまずい事だったのかもしれません。
いずれにせよ、騒ぎと無関係ではないでしょう。
ぎゅっと手を握りこみ、私はワナイ侯爵夫人に頭を下げました。
「……お騒がせしてしまい、大変申し訳ありません」
「あら? 貴女は何も悪くないじゃない?」
「え? それなら、どうして此処に?」
「少し確認したい事があるの」
ワナイ侯爵夫人が紅茶を一口飲んでカップを置いたタイミングで、ノックの音がしました。
モーメンス様とガタイの良い騎士が入ってきました。
「イーサン、ウォーリー、対応ありがとう。……レイラ・ヘドモンスは?」
「今は大人しくしているよ」
ワナイ侯爵夫人の問いにモーメンス様が答えました。何となく気さくな口調だと思ったらワナイ侯爵夫人とモーメンス様はご親戚なのだとか。ウォーリーと呼ばれたガタイの良い騎士、ウォーリー・プラスター様も遠縁だそうです。
お二人はワナイ侯爵家の騎士とかではなく、親戚のよしみで警備を手伝っていたのだそうです。……侯爵家なら侯爵家の騎士が沢山いそうですが、と考えていると、ワナイ侯爵夫人が私の考えを読んだかのように、私の方を見て口の端を上げました。
「今日はね、何かある気がしたの」
「……そう、ですか……」
「アイリス・ワナイ侯爵夫人には先読みの力があるんだ」
「え⁈ そうなんですか?」
「ほんの少しよ。たまに、何かある、と感じる時があるだけよ。……妖力でね」
モーメンス様がワナイ侯爵夫人の能力について教えてくださって、私は改めてワナイ侯爵夫人に目を向けるとワナイ侯爵夫人は赤い瞳を細めました。
「妖力?」
「ええ。……私は一つ目一族なの」
「え?」
どういう事か首を傾げると、ワナイ侯爵夫人は、左目に被るように長い前髪をかきあげました。閉じていた左目を開くと、突然、ワナイ侯爵夫人の目が顔の中央に一つだけになりました。
私はビックリして声も出ませんでした。
ワナイ侯爵夫人が前髪を戻すと、そのタイミングで、侯爵夫人の瞳も元の位置に戻りました。
「本当の姿は一つ目なのよ。この瞳で先読みをしたり、威圧をかけたりする力が少しだけあるの」
「……驚きました……」
「まだ驚くかもしれないわ。イーサン、ウォーリー」
モーメンス様がシュルルと白いスカーフを外しました。白いスカーフが宙に浮き、モーメンス様の姿が消えます。
「!」
驚きの声を上げる前に、ドーンと大きな壁が現れました。
「イーサンは白いスカーフが本体。ウォーリーは壁ね」
「……白いスカーフが本体……」
パサリ、と白いスカーフが翻り、モーメンス様が人の姿に戻ります。
「……スカーフが本体では、嫌だろうか?」
モーメンス様が一歩私に近づきじっと見つめます。私は庭園での事を思い出しました。あれはモーメンス様の本体だったのですね。モーメンス様のお声が聞こえたから、何かの術かと思っていました。あの時の白い布の優しい感触を思い出します。
「……嫌じゃないです。むしろ良いです」
「……うむ」
深刻そうな顔をしていたモーメンス様の表情が緩みました。何だかキュンとする表情です。でもお顔は本体ではないのでしたっけ。どうしましょう。
ワナイ侯爵夫人が扇で口元を隠して笑いました。
「ふふ……。脈ありそうじゃないの。イーサン」
「……」
モーメンス様はチラリとワナイ侯爵夫人を一瞥した後、私に視線を戻してじっと見つめました。
「……俺は特異体質だ。もし、それでも良いと思ってくれるなら、今後、共に過ごすことを考えて欲しい」
「え……、それって……。もしかして、プロポーズ……、ですか?」
「……そう思ってくれても、構わないが……。貴女は、ダッカー伯爵令息とまだ婚約状態にあるだろう」
「……あ! ……はい……」
急なプロポーズでちょっと舞い上がってしまっていたのでしょうか。ライアン様の事が頭の隅から抜けていました。ちょっと恥ずかしいですね。
「今日の状況を見て、ダッカー伯爵令息との婚約は解消されるのでは、ないかと勝手に考えた。
もちろん、婚約を継続するなら、これ以上は迫ったりなど、しないから安心して欲しい。
ただ……、もし、婚約を解消されるなら、考えて欲しい」
「……はい……」
もう、私の気持ちの中では、ライアン様との婚約を継続する気はないのですが、婚約は家同士の問題でもありますから、両親と話し合わないといけないのですよね。少し気が重くなります。でも一方で浮き足立つような気持ちもあります。
「……貴女の婚約者の行動は、アヤカシのせいでもあるわ」
「アヤカシ?」
「レイラ・ヘドモンスよ。あの娘は、飛頭蛮という、頭が胴体から離れるアヤカシなの。
アヤカシという点では私達と、一緒ね」
ワナイ侯爵夫人の言葉に私は目を見開きました。
あの地面に落ちたレイラ様の頭はやっぱり本物だったようです。
「……飛頭蛮に魅了のような力は無いと思うけれど、ダッカー伯爵令息は、すぐ近くで妖力を浴びて判断力が鈍っていたかもしれないわね」
「それは……」
もしも、レイラ様が魅了のような力を持っていたとしても、ライアン様の私に対する態度は誠実さに欠けていたと思います。
術でもそうでなくても、レイラ様の方が魅力的に見えたのなら、さっさと、私との婚約を解消するなりすれば良かったと思うのです。
「……レイラ様は何をしようとしていたのですか?」
薔薇園で、ピンク色の塊が飛び散っていた光景を思い出して聞いてみました。
「……ただの癇癪だと思うわ。思い通りに、ならないから暴れただけよ」
「暴れるアヤカシもいる、という事ですか」
「人族だって、癇癪もちや、我儘ならものはいるでしょう。それと同じよ」
「なるほど……。あのピンクのモヤは何だったのだろうと思いましたが……」
「あら、やっぱり、貴女、妖気が見えていたのたね?」
「え?」
レイラ様が髪留めとして身につけていたものは「妖気玉」といってレイラ様の妖気を溜めていたものなのだそうです。
レイラ様は癇癪で妖気玉を割って、自分の妖気を拡散させていたらしいです。飛び交っていたピンクの塊はレイラ様の髪の毛だそうですよ。
……それが一番怖い気がしますが……。
ピンクの塊は、他の人達の目に見えますが、妖気玉が発していた妖気そのものは、通常は人には見えないのだそうです。
「……でも、私……、今、妖気とかわかりませんけど」
ワナイ侯爵夫人やモーメンス様、プラスター様もアヤカシの仲間で妖気を持っているそうですが、私には見えません。
「妖気玉の妖気は濃いからだと思うわ。でも、妖気を見る力がないと見えないのよ。訓練すれば通常の妖気も見えるようになると思うわ。……そうだわ。訓練をして、今回みたいな時に活躍してもらうのは、どう?」
「アイリス夫人、彼女は生身の人間だ。アヤカシの妖気が見えたとして、身を守る手段を持たない」
「それなら、イーサンが守ってあげたら良いんじゃない?」
「……」
「ふふ。冗談よ。危険な事をさせるつもりはないから安心して」
クスクスとワナイ侯爵夫人が笑いました。
どうやら「石ぶつけ係」の就任などはないようです。
でも、「薔薇園の会」の後の居残りの主な理由は、私が妖気玉に石をぶつけたからだったようです。迷わず石を投げつけたから妖気が見えているのではないかと思ったのだそうです。
レイラ様の頭が落ちたのは、妖気玉が急に壊れて妖気がなくなったかららしいのです。
妖気玉を壊したお陰で、レイラ様の暴走が止まったと言っていただけましたが、やっぱり騒ぎの一端を担ってしまった感じはありますね。
その後、ライアン様とは正式に婚約解消をしました。ライアン様は、レイラ様の首が地面に落ちるのを間近で見てしまい、寝込んでいるそうです。
レイラ様自身は、頭が地面に落ちた事が噂され、いたたまれなくなり、故郷に帰ったのだそうです。
私は、というと、イーサン・モーメンス様と正式に婚約しました。
イーサン様の白いスカーフに包まれていると、フワフワと暖かいのです。
傍目からみて、白い布を纏って一人で喋っていると思われたりする事もありますが、幸せです。




