675. アンダードッグ
開幕早々、両者が反則を指摘される事態。
観覧する生徒らが困惑し、リムとシロミエールも目を見開く一方で、
「リウチ……」
システィアナとしては、驚きはなかった。
飄々とした態度で、常に余裕を漂わせる貴族青年。
――それが表向きの姿であることなど、昔からの間柄である少女には分かっている。
実のところは誰よりも皮肉的で、打算的で、目的のためならば卑怯な手段も厭わない負けず嫌い。
「…………、」
リウチはいつしか、矛盾を抱えて生きていた。
レヴィンについていくことができず、諦めてしまった自分を責める一方で。
非凡な神詠術の才を持ち、常人を凌駕しているという自負。
だからこそ彼は、エドヴィンなど恐るるに足りない相手だとばかりに出撃していった。余裕綽々で。
「えっ、リウチくんも、反則……ってこと……?」
「で、でも、防御術を用意してなかったら、今の攻撃をもらってたかもだし……?」
観客席の女子たちにも、わずかな動揺が広がっている。『らしくない』リウチの対応を前にして。
「……暴かれたわね。少しばかり、本性が」
マリッセラが片目をつぶり鼻を鳴らした。
にわかなざわめきの中、眼下の試合場ではその人物が動きを見せた。
犬歯も剥き出しに、右腕をバッと水平に伸ばし。立てた親指を、ぐるんと下向けたエドヴィン・ガウルが。
「――言ったろーが。化けの皮を剥いでやるってよ」
ふっ、と対峙するリウチが鼻で笑う。
「得意げになっているところを悪いが……そんなに薄っぺらじゃないんだ、俺の服飾は。御託はいいから、さっさと来な」
まるで同族。鏡映しのような表情で。
「シャアァッ!」
一直線。
エドヴィンが駆ける。
凶悪な笑みとともにリウチへと迫る様はまさに『狂犬』だ。
『エドヴィン選手、全力疾走で接近戦を仕掛けに行ったぁーっ!』
(んでも、初っ端から流れ掴んだな)
生徒たちの間で巻き起こるブーイングはさておき、流護は内心で感嘆していた。
エドヴィンがどうして気付いたのかは分からない。
コンビとして隣の席で三週間を過ごすうち、何か思い当たることがあったのか。それとも今日この場で対峙して、初めて察することがあったのか。はたまた彼が内包する野性的な勘か。
ともあれ、自らの警告と引き換えにリウチの反則行為を暴いた。防御術を備えて密かに優位に立とうとしていた彼を、同じ土俵へと引きずり込んだ。
互いに術を使った直後。二人とも詠唱保持はできないため、これから次の術を準備しなければならない。
無論、棒立ちとなってその時間を作るエドヴィンではない。
喜々として白兵戦を仕掛けるため肉薄。そしてそんな展開こそ、ケンカ屋エドヴィンの真骨頂。
(状況だけ見れば、お互い警告受けて次の術を用意しなきゃならん場面……完全に五分五分。でも、まずはエドヴィンが流れを掴んだ――)
模擬戦を演じる学生としては褒められた行いではないだろう。しかし、戦士としては見事。精神面のみならず、詠術士としても成長を遂げている。
流護が分析する間にも、選手二人は接近戦の距離へ。
「ウォラァ!」
エドヴィンが打ち放つ右の拳。大振りなそれを、「おっと」とリウチが下がって躱す。
「イヤァ! 危ない!」
「リウチくんの顔に傷つけたら許さないわよこの犬!」
観覧席から敵味方問わず女子たちの悲鳴が上がる中、流護は見たまま感じたことを口にする。
「あー、ちょっとリキんで振りがデカくなってるな。もっとコンパクトに打たんと」
勢いに乗っているが、それが過ぎて空回り気味でもあるか。相手の計略を看破したことで昂り、やや逸っているのかもしれない。
「お、思いっきり殴りにいってるー! 模擬戦じゃないのー!?」
「まだそんなこと言ってんのかお前……、って、ベル子? どうかしたか?」
彩花に突っ込みを入れつつ顔を横向けると、思案するような表情で試合を注視するベルグレッテの面持ちが気になった。
「いえ……どうして、『防御術』……だったのかしら」
「ん? ああ、リウチさんが隠してた術か」
考え込むと主語を抜いて呟きがちな少女騎士だが、もう流護も慣れて察せるようになってきた。
「確かにな。どうせなら攻撃術をこっそり準備して、タイミング見計らってエドヴィンにぶつけりゃそっちのが確実だった気もするけど……リウチさん、あんま攻撃が得意じゃなかったりするんかな」
エドヴィンの拳をひらひらと回避し続ける彼の姿は、華麗な闘牛士さながらだ。そんな戦況を見下ろしながら推測すると、レノーレがふるふると首を横へ振った。
「……そんなことはないと思う」
うむ、とダイゴスも続く。
「先日の海岸での一件を考えるとの。……それに」
細まった巨漢の眼から、わずかに黄土色の瞳が覗いた。
「あの伊達男、ワシらが思う以上に食わせ者やもしれんぞ。『まるで当たらん』」
言われて、流護も今更ながらハッとした。
ここぞとばかり突っかけて拳を振るうエドヴィン。それを下がって躱し続けるリウチ。
そう、リウチは躱し続けている。確かにエドヴィンのパンチは大振り気味になっているが、ケンカ慣れしている『狂犬』の攻撃をこうも易々と。
これまでの実演などを見た限り、何事も一通りそつなくこなせるのだろうとは思っていたが、どうも身軽さが素人のそれではない――
「チィッ、チョコマカと……! 逃げんのは上手ぇじゃねーかよ……!」
やや苛立った風により深く踏み込むエドヴィン。
片や、リウチは嗤った。
「――いや。むしろ『こっち』も、それなりに得意だぜ?」
弾け飛ぶ。
そんな表現が相応しい一撃だった。
脇を締めて両腕を折り畳む風に構えたリウチが、右拳を射出。
「ガッ……!?」
頬を打ち据えられ、エドヴィンの顔が大きく後ろへのけ反る。
その隙に素早い踏み込みで一歩詰めたリウチは、勢いを保ったまま左の拳を突く。これが速い。二発、三発と受けたエドヴィンが後退する。
「あの構えは……!」
「うむ。拳打法じゃな」
瞠目したクレアリアに、ダイゴスが答えを示す。
「……ヴォルカティウス帝と同じ動き」
レノーレの指摘に違わず、ボクシングに似たその構えは流護が対峙した皇帝のそれと瓜ふたつ。
「……それも、付け焼き刃じゃない」
リウチはさらに左、右の順でまたも素早く拳を一閃。続けて顔に直撃を受けたエドヴィンはたまらず体勢を崩し、そのまま尻餅をついて座り込む形となった。
「エドヴィン、打倒――ッ!」
ドーワ判定員が両手を大きく振って宣告。観客席がドッと沸き立った。
「エ、エドヴィンが逆にやられたっ!? リウチのやつ、あんな格闘戦ができたのか!」
「キャー! リウチくん、かっこいい!」
両手を上げて歓声に応えるリウチは涼しげな顔だ。
喧騒の中、ミアも「えーっ!?」と目を丸くしている。まさか、あのエドヴィンが得意分野でやり返されるとは思わなかったのだろう。
『おぉーっとぉ! 猛然と突っ込んだエドヴィン選手でしたが、あえなく返り討ち! リウチ選手に華麗にいなされ、逆に倒れてしまったー!』
「一! 二!」
エフィの通信や審判のカウントに抗議するかのように、エドヴィンは即座に立ち上がった。
「倒れてねーよ! ちっとばかし座っただけだろーが!」
それがダウンと見なされるルールなのだが、誰彼構わず威嚇する様はまさに『狂犬』である。
「オワッ……」
しかし気迫に反して、足元がおぼつかない。
「五!」
その間にもカウントが進んでいく。
「効いてんな」
「お、思いっきりやられちゃったもんね……」
彩花も心配そうだ。
リウチが格闘戦を仕掛けてくるなど完全に慮外。加えて、その練度が明らかに高い。
いっそダウンカウントを利用してギリギリまで休んだほうがいいのだが、エドヴィンは怒声を響かせる。
「立ってんだろーが! 数えんのやめやがれ!」
ドーワ判定員はエドヴィンの様子を窺うように一瞥し、
「続行!」
一層の歓声が渦巻く中、今度はリウチがエドヴィンに向かって接近する。見るからに苛立った『狂犬』が右腕を一薙ぎ、
「オラァ!」
ダウン中に備えたのだろう、今度は正当に詠唱の終わった炎の渦を叩きつける。
「うおっと」
しかし同じく詠唱を済ませていたか、それを風の爆発で難なく逸らしたリウチが、またも右拳を一閃。
「チッ!」
どうにか頭を振って外したエドヴィンが後退。まだダメージが残っているのか動きが悪い。
「なるほどな。これだから、リウチさんが準備してたのは防御術だったのか」
「……ええ。最初から神詠術は防御に用いて、攻撃は拳打でこなすつもりだった――」
ベルグレッテが重く頷く。
自信があるのだ。拳打法の技巧に。そして、エドヴィンが相手ならば――それも模擬戦ならば、これで勝てると判断した。
『エドヴィン選手、押されています! しかしリウチ選手、これほどの拳打法の使い手だったとは……。レヴィン様や猊下はご存じだったのですか?』
エフィに問いかけられ、二人は同じく首を縦へ振る。
『ええ、もちろんです。バルクフォルトの男子は、拳打法に触れている者も多いですからね。……でなくとも、そもそもリウチは……僕と共に幼少の頃、猊下の指導を受けていた身ですから。詠術士としてはもちろん、戦術指南、剣術、そして拳打法。毎日のように切磋琢磨し、鎬を削ったものです……』
『ホッホ。懐かしゅうございますな』
解説席でのそんな会話を聞いて、こちらではミアが目を白黒させた。
「えーっ、レヴィン様と一緒に!? じゃあリウチさんって、やっぱりすごく強いんだ! エドヴィンじゃ勝てるわけないよ!」
「ふぅむ……」
クレアリアが目を眇める。
「……『それほど』のものには見えませんがね……」
辛辣な彼女らしい意見だった。
先までとは一転、リウチがエドヴィンを拳で追い詰める展開。
しかし、である。
「っとォ!」
下がり続けるエドヴィンだが、直撃はもらわなくなってきた。ダメージが抜けつつあることもそうだが、目が慣れてきたのだろう。
「ペッ。なるほどな」
間合いを取り、わずかな血を吐き捨てた『狂犬』が笑みをたたえる。
「あの『白夜の騎士』サマとそんな関係たぁな、お前。けど、その割にゃこんなモンかよ。俺程度を仕留めるのに、随分とまごついてるじゃねーか」
自虐的に言ってみせるエドヴィンだが、事実だ。
リウチの実力は決して低くない。神詠術の扱い方も、拳打法の技量も。
むしろ合同学習での成績の割に、ここまでの力を隠していたのかと思うほどだ。
しかし。
幼少時からレヴィンとともに研鑽していたのなら、『こんなもの』ではないと誰もが思うはず――
「ケッ、見えてきたぜ。お前の劣等感の正体がよ」
「……黙りな」
軽薄な笑みを消したリウチが、一歩鋭く踏み込む。右の拳を閃かせる。発した言葉通り、物理的に相手を黙らせようと。
その一撃を、
「っ!?」
エドヴィンは、掲げ回した左の前腕で跳ねのけた。
直後、炸裂。
まっすぐ突き出されたエドヴィンの右の拳が、リウチの鼻っ柱へとめり込む。
「がっ、ば、っ……!?」
弾かれたように後退した伊達男は数歩よろけ、一拍遅れてその場へ片膝をついた。
「リウチ、打倒!」
審判の宣言とともに、観覧席からは困惑と歓声が渦巻いた。
「うおーっ、倒し返したぞ!」
「キャー! リウチくん!?」
生徒らの熱狂。
そんな中でベルグレッテ、彩花、ミアが目を見開き、
「ほう。やるじゃないですか」
「うむ」
「……ん」
クレアリア、ダイゴス、レノーレは静かな反応を示すのみ。皆、それぞれ性格が出ている。
『おぉっとぉここでリウチ選手、手痛い反撃を受けてしまったぁ! 打倒を喫しました!』
(ちょっと見せすぎたな、リウチさん)
エドヴィンも伊達にケンカ慣れしていない。拳打法の動きに順応しつつあるのだ。
「……」
打たれた顔の中央を手のひらで覆って跪いていたリウチだったが、即座に立ち上がった。片方の鼻の穴を指先で押さえ、もう一方の鼻孔から勢いよく血を噴出させる。
「三、四!」
秒読みが進むも焦ることなく深呼吸し、呼吸を整える。
(……血抜きの手際がいいし、ちゃんとダウンカウントを利用して休んでる。この人はこの人で、『慣れて』んな……)
まだまだ終わりではないようだ。
『しかし、今しがたのエドヴィン選手の攻防! リウチ選手の拳打を、こう……何でしょう、弾いた……もしくは受け流した、とでも言いましょうか。拳打法とはまた違う、やや変わった動きでしたが……』
そんなエフィの呟きに足しては、レヴィンが驚きの声音を滲ませた。
『今のは……リューゴく……、アリウミ遊撃兵の、「カラテ」……』
おお、と周囲の生徒たちの注目がにわかに集まる。
「だよね、思った! あんた、エドヴィンさんに教えてたんだ?」
彩花がやや興奮気味に尋ねてくるが、流護は緩やかに首を横へ振った。
「いや。俺は、一度だって教えたことはない」
「えっ?」
そこに、ベルグレッテが言葉を挟む。穏やかな顔で。
「そうね……。でも、エドヴィンはずっとあなたを見てきた。目標として見据え、少しでも追いつき……いずれ追い越そうと、努力を重ねてきた」
「……ああ」
エドヴィン・ガウルという男は、初めて出会ったあの時から今に至るまで、何らぶれていない。
『だから、本当にお前が神詠術を使わずに強えなら……その力が見てえ』
衝突に始まり、仲間と呼べる間柄となった今でも、どこか単純な馴れ合いとならないような線引きがある。
素手の鍛錬のみに拘泥していた時期もあった。遠回りをして、それでも自らの戦法を確立した。
そんな迷いや葛藤を経て、エドヴィン・ガウルは間違いなく大きな成長を遂げている。実力的にも、精神的にも。
今は未熟かもしれない。しかし彼は、着実に一人の戦士となりつつあった。
流護が感慨深く思う一方、眼下の闘技場ではリウチが態勢を整えていた。
「やれるか!?」
「……当然さ」
ドーワ審判の問いかけにも平然と応え、ボクシングによく似た構えを取り直した。
エドヴィンが犬歯を剥き出して笑う。
「俺は諦めてねー。いつか、『アイツ』を超えてやるつもりでいる。――どっかの、折れちまった負け犬野郎と違ってよ」
「黙れ」
リウチの形相が、これまで見せたことがないほどの怒に染まった。
「あんまり調子に乗るんじゃないぜ、チンピラが――!」




