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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
15. 皓然のフロウ・ライン
631/676

631. 宵闇の臨戦態勢

 ――緩やかに、されど着実に、夜が近づいてくる。


 集落の総人口は十数名ほどで、今は全員が広場中央の大きなテントへと集められていた。

 内部は外から見た以上に広く、三十人ぐらいでも悠々と収容できそうなほどの余裕がある。各所に寝台代わりの敷物や戸棚が多数置かれており、燭台も多く明るさは充分。

 テントの生地はかなり分厚く、多少の雨風であればものともしないだろう。外が見えるよう、窓状の網目になった部分がいくつか設けられている。

 片隅では、住民たちが焚き火を利用した調理台で食事を作っていた。芋をふかしているようで、食欲を誘う香りが漂ってくる。ちなみに酒の匂いもする。もちろん、これから戦う面々は飲むはずもないが。


 流護たちは、全員が敷物の上に腰を落ち着けていた。

 今は、ダスティ・ダスクの団員たちが外で着々と戦闘の準備を進めているところだ。

 この里を囲む板組みの柵は、防壁としてはまるで機能しない粗雑なもの。集落の者には詠術士メイジと呼べるほどの術者もおらず、魔除けも施せていないという。香を用いた獣避けを使ってはいるが、とても興奮状態に陥った怨魔の侵入を阻めるようなものではないとのこと。


 これを鑑み、戦法としては村内の広場で怨魔を待ち受ける方針で決定。

 今夜は天候が優れないうえにイシュ・マーニが背を向ける晩(新月)なので、視界の利かない闇夜となることが予想される。

 そのため各所に松明を多く設置しライトアップしたうえで、餌を撒いてドボービークたちをおびき寄せる。開けた場所での迎撃戦だ。

 こちらの戦力は、流護たちとダスティ・ダスクの団員二十名ほどによる連合軍となる。


 ちなみに突発参加組の中で矢面に立って闘うのは流護とレヴィン、エーランドの三名。ベルグレッテとクレアリア、学院長、レノーレ、御者の兵士はこのテント内に留まる。身体の小さなドボービークが戦線をすり抜けて潜り込んでくる可能性があるからだ。非戦闘員に一人の死者も出さないための、防御に重きを置いた布陣である。

 それでも仮に相手が五十匹ほどの勢力だったとして、危なげなく勝利できる見込みだ。通常であればドボービークがそれ以上の数で群れることはないそうなので、つまり勝ちは確定している。


 とはいえざっと見渡した限り、やはり集落の住民たちは一様に不安そうな面持ちでいた。

 対照的に、彼らの子供たちは興奮した様子でテント内を走り回っている。大勢の客人がやってきたことや全員が一箇所に集められている状況で、非日常の雰囲気を感じているのだろう。


「小さな子は元気だね……」

「あれだろ。もうじき台風が来る夜、みたいな感じのテンションなんだろ」

「あはは……、あれ? 流護、お茶飲まないの?」


 と、今さらのように彩花が怪訝そうな目を向けてくる。

 先ほど、床の敷物の上でくつろいでいる流護たちに、酋長が茶を運んできてくれたのだ。しかし、少年はそれに全く口をつけていなかった。その理由を明かす。


「いや、これから戦闘だからな。飲んだことないもん飲んで、万が一にも腹壊したりする訳にいかんから」


 実際、仕事先の村で飲んだ水が原因で腹を下し、現場に駆けつけるのが遅れてしまったことがあった。兵士のカルボロやその同僚たちとともに、オルソバルと呼ばれる怨魔の討伐に出向いた折の話だ。少し懐かしみを感じる。


「別に、お前が飲んでもいいぞ」

「ん……、……大変なんだね。闘うっていうのも」

「ま、意外と地味に気は遣うよな。いつでも闘れるよう、不調とかケガがないように体調管理したりとか……、……」

「? 流護?」

「――いや、何でもない」


 目頭を押さえ、頭を振る。


「皆さん、よろしければいかがですか……?」


 そこへ、黄緑衣装に身を包んだ一人の少女がやってきた。ちょうど流護たちと同年代ぐらいではないだろうか。栗色の髪を三つ編みにまとめた素朴そうな彼女は、その腕にふかし芋を満載したカゴを抱えている。


「ご丁寧に、ありがとうございます」


 代表してベルグレッテが受け取る。


「えっと、ど、どういたしまして! 私たちのために、こんなに大勢の強そうな方たちにお越しいただいて……あ、ありがとうございます」


 少女が肩身も狭そうに頭を下げると、ベルグレッテが花のような笑顔を咲かせた。


「いえ、お気になさらず。我々としても、成り行きでここへお邪魔させていただくことになった部分がありますから。けれど……こうしてお会いできたこともきっと、主神のご導き。皆さんの身の安全をお守りできるよう、尽力させていただきますね」

「は、はい……はい……」


 そんなやり取りを横目で見つつ、彩花が流護にだけ聞こえる音量で言ってくる。


「……ねえ。ベルグレッテって、わりと女の子に対してもタラシだよね……」

「……本人にその気はないんだろうけどな……」


 今回の合同学習でもそんな感じだ。

 男子はその外見で目を奪われるし、女子も人柄に心を打たれる。そして皆揃ってベルグレッテ信者になる。


「お気遣いありがとうございます、お嬢さん。では、遠慮なくご馳走になります!」


 そしてレヴィンが百点満点の爽やかすぎる笑顔を送ると、少女はいよいよ茹ったみたいに顔を赤くしてしまった。照れを隠すように勢いよく一礼し、早足に引き返していく。


(そしてこの超絶イケメンは普通に無自覚タラシと)


 ついつい眉をしかめる少年であった。

 ちなみにこのテントへやってくる途中で酋長に聞いたことだが、五百年前のアシェンカーナ族とレヴィンたちの祖先の一件に関しては、村の中でも一部の大人たちしか知らないらしい。少なくとも、この『家族団』ではそういう方針のようだ。


(……ま、それでいいのかもな……)


 照れ照れになりながら去っていく少女の後ろ姿を見送って、少年はぼんやりとそう思う。

 いずれ世代交代が進んでいけば、遺恨について知る者もいなくなるかもしれない。そうなれば、彼らが共生できる時代が再びやってくるかもしれない。

 もっとも五百年も続いたことを考えると、そう簡単にはいかないかもしれないが。


「姉様」


 芋をくれた少女の姿が見えなくなってから、クレアリアが短く静かに呼びかける。

 ん、と応じた姉が、


「ええ。では、私が」


 簡素な祈りを捧げて、カゴから芋をひとつ手に取り口へと運ぶ。何だろうか。ベルグレッテにかかれば、芋をかじるという行いにすら気品が生じるのだから驚く。

 形のいい細顎が、一、二回と上下し――

 コクリと首を縦に揺らした少女騎士が、皆にカゴを差し出した。無言なのは咀嚼中だからだ。


「アラ。それじゃ、遠慮なくいただきましょうかね〜」


 学院長とレノーレ、クレアリアが続けて芋へと手を伸ばし、


「ベルグレッテ殿、お気遣い感謝いたします」


 レヴィンとエーランド、御者の兵もそれぞれ受け取り、


「そういえば、お城出てから何も食べてないもんね……お腹空いた……。ありがとうございまーす……っと、はい」


 彩花が両手に芋を握り、片方を流護に渡そうとしてくる。が、少年は首を横へと振った。


「いや、さっき言った理由で食べ物も遠慮しとく。お前が食っていいぞ」

「えっ……あ、そっか。あれ? でも、みんなは食べてるけど……」

「皆は防御要員だしな。作戦が上手く行きゃ、闘わずに済むし。レヴィンとかエーランドさんとかは元々この国の生まれだから、食べられないってこともないだろうし」

「そっか……」


 第一、皆はこちら側の世界の住人だ。未知の食材ばかりで何を食べてどうなるか分からない流護とは違う。


「俺はこういう時のために食い慣れた携帯食料とか持ち歩いてっから、腹が減るなら後で食う。ウマくも何ともない乾燥した豆だけどな」

「そか、分かった……。じゃ、遠慮なくもらうね。……それにしても、あれだね……ふふっ」


 流護にだけ聞こえる音量で、彩花がくすりと微笑んだ。


「何だよ? 不気味に笑いよってからに」

「むっ。年頃の女子に向かって不気味とか言う? そーゆーとこだぞ」

「んで何だよ」

「ベルグレッテ、めちゃくちゃお腹空いてたのかな? って思って。みんなで分ける前に、真っ先に自分が食べたじゃん? 普段は配慮の鬼っぽいのに、ちょっと意外だったからさ。芋好きなのかな」

「……あー」


 流護は曖昧に笑ってごまかした。

 ベルグレッテは空腹に苛まれていた訳でも、特別に芋が好きな訳でもない。


 毒味をしたのだ。

 問題がないことを真っ先に確認し、それから皆にカゴを渡した。

 このふかし芋は、このテント内で集落の住人らが調理していたもの。それも、流護たちの座る位置から見える場所で。加えて先ほどの少女は、明らかに無作為に芋をカゴへ詰めていた。

 つまり素人目に見ても警戒の必要などないのだが、それでも今ここにはオルケスター疑惑の晴れていないダスティ・ダスクがいる。前もって、村の者が知らないところで仕込みを入れている目も否定はできない。

 それゆえの少女騎士の『対策』だった。彩花風に言うなれば、配慮の鬼という点では何らぶれていない。


 余談だがベルグレッテやクレアリアはロイヤルガードとして専門の訓練を積んでおり、毒物を検知する精度は無味無臭とされる物質すら即座に判別できるほどだという。厳密には、そうした特技も詠術士メイジとしての力の一端であるらしい。

 ちなみに、先のレヴィンの「ベルグレッテ殿、お気遣い感謝いたします」という言葉は毒味に対しての意味も含んでいる。

 そして、彩花以外の者はベルグレッテの行動について承知している。何しろ、王宮関係者と騎士ばかりの面々だ。


「おっと、食事中だったかね」


 流護以外の面子が湯気の立つ芋をもくもくと口へ運んでいると、外から垂れ幕を潜ってアキムが入ってきた。


「食べながらでいい、聞いてくれ。準備は概ね完了した。集落の出入り口付近、この円蓋テントからは右寄りに位置する広場だな。そこを迎撃場所に選定した。作戦の概要だが、まず暗くなった時分を見計らって、数人が見通しのいい位置で怨魔を待つ。他の者は物陰に隠れて待機だ。あまり多勢で待ち構えていると、敵も尻込みするだろうからな」


 怨魔は基本的に、人間と見れば殺意剥き出しで襲いかかってくる敵性生物だ。しかかしもちろん、返り討ちの危険性を感じ取ればむやみに突っ込んできたりはしない。

 相手の群れの規模にもよるが、こちらの総戦力……二十名以上もの人数で堂々と臨戦態勢を取っていた場合、個々の強さで劣るドボービークは警戒して寄ってこない可能性がある。

 それで二度とこの集落に近づかないのであればそれでもいいが、残念ながら相手はそんなに素直な生き物ではない。

 村民の今後の身の安全を考えるなら、撃滅は必至。

 ゆえに、まずはこちらを少人数と見せかけておびき出す計画だ。


「広場にて、奴らの好物であるライパティガの肉にホワイトマリーの葉を混ぜ込んだものを焼き上げる。そう待たないうち、その香ばしい匂いに釣られて姿を現すだろう」

「最後の晩餐を振る舞ってやるってワケね」


 ナスタディオ学院長が妖艶に目を細めて笑う。


「ふ、そうだな。代金は奴らの命で支払ってもらうことになるがね。……それはいいとして、一つ追加情報がある」


 ここでアキムの赤い眼光が鋭さを増した。


「先ほど団員に軽く周辺の森を調査させたんだが、人のそれよりも遥かに大きい足跡が見つかった。歩幅も広い。ただの獣か、それとも怨魔か……現段階では判断しかねる。痕跡から見るに、恐らく一匹か二匹程度ではあるが……そこそこの大物だろう。念のため、警戒しておいてほしい」

「留意しましょう」


 レヴィンが謹直に応じる。


「住民の安全を考えるなら、むしろそいつも来てほしいですね。ここで一網打尽にしておいた方がいい」


 エーランドが好戦的に口の端を上げると、アキムも「同感だ」と太い唇を渋く笑ませた。


「あとは、住民らの対応についてだが……外での戦闘が始まったことを確認次第、この円蓋テント内全ての明かりを消してほしい」

「ドボービークの気を引かないようにするためですね?」

「ああ。話が早く助かる」


 ベルグレッテの推測をアキムが肯定する。


「そして消灯後、全員がこの円蓋テントの中央部に寄り添う形で集まるようにしてくれ。ばらけていると、万が一怨魔が侵入してきた場合に危険だからな。そして、その場合の迎撃は任せる」

「承知しました」

「作戦の概要は以上だ。何か質問はあるかね?」


 特に誰かが声を発することもなく、その様子を確認したベルグレッテが代表するように首を横へと振った。


「では、夜の帳が降り切るまであと三十分弱といったところか。そろそろ、いつ戦闘が始まってもおかしくない頃合いに差し掛かる。各自、それぞれ備えておいてほしい」


 言い結んだアキムがこちらへ背を向けて酋長の下へと向かっていく。同じ説明をするのだろう。


「作戦計画はまぁカンペキねぇ。さすがに手慣れた傭兵団だわ。百点あげちゃう。やるじゃないの~」


 なぜ傭兵団に対して上から目線で採点しているのか分からないが、ナスタディオ学院長がアキムの後ろ姿を眺めながらそう評した。


(……ダスティ・ダスクの副団長、か)


 流護も漠然と思考を巡らせた。作戦立ても抜かりなし、説明も要点を押さえていて、こちらが疑問に思いそうなことをあらかじめ織り込んでいる。

 ここまでの対応を見るに、アキムは極めて理知的で有能な人物だ。佇まいから実力の高さも推し量れる。

 ……であれば、これほどの男の上に立っていたガーラルド・ヴァルツマンとは、一体どれだけの人間だったのか。


(……とにかくこれが終わってから、だな)


 早急にこの一件を解決して話を聞きたいところだった。


「さて、と」


 流護は自分の片膝に手をついて立ち上がる。


「? 流護、どこ行くの?」


 両手で芋を持って頬張る彩花が尋ねてきた。


「自分が闘う場所がどんな感じなのか把握しとかんとだからな、外の様子見てくる。もし怨魔が来るようなら、そのまま戦闘になると思うが」


 トイレにでも行く気軽さで言ったつもりだったが、踏み出そうとした足が突っ張った。見れば、彩花がズボンの裾を掴んでいる。咄嗟に芋を片手持ちにしてまで。


「何をしとるん」

「あ、いや……。……だって」


 彼女自身、無意識にそうしてしまったような。不安そうな幼なじみのうつむいた顔を見れば、言われずとも察することはできる。伊達に長い付き合いではないのだ。


「リューゴなら大丈夫よ、アヤカ。どんな相手と戦おうと、決して負けたりはしないわ」


 どこか見かねたような様子で、ベルグレッテが言い添えた。その言葉は、バダルノイスでの一件を噛み締めた流護が、彼女やエドヴィンに対して宣言した『誓い』そのものでもある。が、


「違う。勝つとか負けるとか、そういう問題じゃないの。私は、流護に戦ってほしくないんだよ」


 真っ向から視線を返した彩花の発言に、ベルグレッテは咄嗟に面食らったようだった。この切れ者の少女騎士ですら、その答えは想定していなかったというように。


「……分かってる。分かってるよ。戦わなきゃ、生きていけない世界だってことは。でも……」

「あー……彩花さ。中学ん時、俺と同じクラスに牧田まきたっていたじゃん」

「? え? う、うん」


 いきなりの流護の言葉の意図を掴みかねたか、幼なじみの少女はキョトンとした面持ちで見上げてくる。まあ、あまりにも唐突だ。


「俺もちらっと聞いただけだけど、あいつのおじさんだかが警察官なんだってな。ようは、仕事で危ない犯人とかとやり合う可能性もある訳じゃん。結局日本でも、そういう命懸けの仕事をしてる人ってのは身近にいて……今度は俺が、こっちの世界でそういう役目を負うようになった。それだけの話なんだよ」


 もちろん、彩花も今しがた自分で言った通り、分かってはいるのだ。ただ、身近な幼なじみがその役目を負うことにまだ納得できないだけで。


「結局誰かが、そういう仕事をしないとな。ここじゃ、俺がそれをやろうと思った。無理矢理でもないし、それができる力もあるし、自分の意志でさ」


 彩花を諭そうとしての言葉だったが、そこで意外な人物が反応した。


「自分の、意志で……」

「う、うん? どうかしたか、レヴィン」

「ああ、いや。何でもないよ。申し訳ない、急に」

「おう……」


 ハッとした様子の『白夜の騎士』を訝しく思いつつも、ズボンを掴みっぱなしの彩花の指をそっと引き離す。力を込めて抵抗してこないあたり、やはり彼女も理解はしているのだ。


(……、って)


 ……そんなやり取りに、周囲の皆の目が集まっていた。若干気恥ずかしくなった流護は、


「あー、その芋、やっぱ一個取っといてくれや」

「……え?」

「運動すれば腹も減りそうだし、これが終われば別に食っても問題ねーしな。てことでお前は芋キープ係な。超重要な仕事だから頼むわ」


 顔を明後日の方向へ向けて、できるだけぶっきらぼうに。


「……ばか」

「いやまあ、そういう訳だからちょっと出てくる」


 妙にくすぐったい空気に耐えられず背中を向けると、ベルグレッテが呼びかけてきた。


「あ、リューゴ……分かってるとは思うけど」

「おう。大丈夫だ、気は張ってる」


 ダスティ・ダスクについてだ。いきなり仕掛けられてもいいよう、心構えは作っている。もっとも、これからいつ作戦が始まるとも知れないのに戦力を減らすような真似はしてこないはずだ。

 妙にくすぐったい空気に耐えられず、流護は足早に歩き始めた。背中に視線を感じながら。

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― 新着の感想 ―
改めてこの世界の厳しさというか、そんなものを感じる回でしたねぇ そして嵐の前の静けさというかなんというか
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