600. 完璧なる英雄譚を
「お疲れ様でした!」
「……ど、どうも……」
そしてまた一人、誇りを粉砕された男子が客席に帰還してくる。
『さぁさぁ、お次に挑戦される方は!? どなたかおりませんでしょうかー?』
進行役のエフィが観覧席をざっと見渡すも、さすがにそろそろ我先にと立ち上がる者はいなくなってきた。
「お前、やってみたらどうだよ」
「や、やだよ」
血気盛んで強さに憧れを抱くレインディール男児としては、皆の前で手も足も出ずやり込められるなど恥以外の何でもない。例え相手が高名な騎士であろうとも……むしろ、だからこそ引き立て役になどなりたくはないのだ。
「あーあー情けないなー、うちの男連中は。すっかり大人しくなっちゃって~」
最前列の女子たちが冷めた目で男子陣を振り返る。と、その中の一人がハッとした様子で目を見開いた。
「ね、ねえねえねえ。ちょっとちょっとちょっと、思ったんだけど」
「ん? 何よ?」
「さっきから、男子がレヴィン様に手ほどきを受けて帰ってきてるじゃない?」
「そうね。実に情けないことに」
「……私らもやればいいんじゃない?」
「? 何? どういうこと?」
「だから! 私らも名乗り出れば、試合って体でレヴィン様に稽古をつけてもらえるんじゃない……!?」
「…………」
「…………」
「ハイハイハハイハーイ! 次は私! 私でお願いしまーす!」
「あーっずるい! 私が考えついたのにぃ! 私です! 次は私!」
突如として、最前列の女子たちが飛び跳ねんばかりの勢いで一斉に立ち上がった。
「私が!」
「いいえ私が! どいてよ!」
「なによ! 押さないで!」
その活きのよさはまるで朝市の競売のようだ。
「きーっ、痛いじゃないの! この泥棒ネコ!」
「うっさい! その顔をヒュージコングそっくりに変えられたいの!?」
……前言撤回。新鮮な品物を手に入れようとする荒くれ店主たちでも、ここまで殺伐とはすまい。
というか、放っておいたら観客席で試合が始まりそうだ。それもバトルロイヤルが。
『え、ええーと、そうですね……ど、どういたしましょうか……』
乱闘寸前の剣幕で挙手しながら睨みつけてくる十数名の乙女たちを前に、エフィも困り果てた面持ちで視線を泳がせる。
そこで響くのは、女生徒らの憧れの的である青年騎士のイケメンボイスだった。
『ええと……それでしたら、ご希望される方は皆様こちらへいらしてください。全員ご一緒でという形にはなりますが、善処させていただきますので……』
「キャー! ほんとに!? ほんとに!?」
「どうしてそんなにお優しいの……好き……」
「レヴィン様が、私に稽古を……? ……あふん……」
先ほどのヒュージコングも顔負けの躍動感で闘技場へ乗り込んでいく者、感極まってその場で腰を抜かしてしまう者……。とにかく、最前列の女子陣がそれぞれ行動を開始する。
「あれ、なんかやることの趣旨変わった……?」
彩花が苦笑すると、溜息を隠しもしないクレアリアが億劫げに首を振った。
「……何でもいいですが……姉様の手を煩わせるような真似はやめてほしいんですけどね」
げんなりした彼女の視線を追えば、火照りすぎて体調を崩したらしい女子がまたも先生方によって外へ担ぎ出されていく。
「そういやベル子、戻ってこねえな……ああいう人らの面倒見てんのか」
彼女らの後ろ姿を眺めながら、学級のリーダーも大変だなあとしみじみ思う流護であった。
観覧席の最上段、南側。
鉄製の扉によって区切られたその一室は前面がガラス張りで、観覧席やその下方に広がる土くれの舞台を一望できる形となっていた。
主に、闘技場の運営委員が滞在するための管理室である。今は五名ほどの職員が集っていた。
「げ、猊下。何やら予定外なことになってしまいましたが……」
「ホッホ、構わんて。演目内容に固執する必要もない。お楽しみいただけるのならそれでよかろう」
困惑した部下の言葉を、『喜面僧正』ことトネド・ルグド・ローヴィレタリアは笑って受け止めた。
ガラスを隔てた遥か下方の舞台では、ミディール学院の女子生徒ら十数名ほどが揃ってレヴィンから手ほどきを受けている。
「むしろ参考になるというもの。こうした趣向も需要があるとな。今後は演目の一つとして取り入れるようにするかの、ホッホ」
此度の催しについて、その内容を考案したのは他ならぬローヴィレタリアだった。
(結果的に好評、ということならば問題はない)
今宵の演目は全三部を予定していた。
まずは、バルクフォルトに古くから伝わるスラヴィアックの剣舞でレヴィンの技量を披露。心技体、全てを兼ね備えていなければ修めることは不可能とされる高度な演舞だが、今宵の観衆は血気盛んなレインディールの若者たち。その奥深さや真髄を理解できぬ者も多かろう。
そこで、ヒュージコングを相手取っての実戦である。
危険な巨獣に対し、古の英雄ガイセリウスを彷彿とさせる立ち回りで圧倒。『ペンタ』としての力を発揮しておくことも忘れない。狙い通り、分かりやすい熱狂を求める隣国の学生らは大いに盛り上がっていた。あの討伐劇を見れば、レヴィンの実力が噂に違わぬものであることは誰の目にも明らかだったはず。
そのうえで最後に、念押しとして決闘を用意した。
仮にまだ認めきれない、もしくは納得がいかないようであれば、是非とも実際に挑戦してレヴィン・レイフィールドの力を体感してみてください――と。
もちろん学院生ではバルクフォルト最強騎士の足元にすら及ぶはずもなく、天地が覆そうと負けはありえない。事実蓋を開けてみれば、その実力差とレヴィン自身の心優しい性格から、試合よりは稽古をつけるような形となった。
少しばかり思惑とは異なる方向に進んだが、結果として好評であったならば問題はない。
(これでレインディールの若人らにも伝わろう。レヴィンは、紛うことなき『本物』であったと)
この大陸で現在、最も知られる者の一人である『白夜の騎士』ことレヴィン・レイフィールド。今やその名声や逸話は、自国民のみならず異国の民草の耳にまで届いている。
(……敢えて『届かせた』ものではあるが)
上流貴族レイフィールド家に一人息子として生を受けたレヴィンは、類稀なる美貌と明朗快活な性格を併せ持ち、なおかつ『ペンタ』と呼ばれる絶大な力を備えていた。しかし――
(……『それ』だけではなかったがな)
今や、現在のレヴィンからは想像もつかない。『あれ』は、『あの貌』は、何かの間違いだったのではないかと思うほど。
(抑え込むのには手を焼かされたが……)
とにかくローヴィレタリア自身も幾度となく幼き日のレヴィンを指導したものだったが、その頃から彼は剣術や座学のみならずあらゆる分野において非凡ぶりを発揮していた。
そんな才覚に溢れた少年はしかし驕ることもなく、光のようにまっすぐ、輝かしく育っていく。
彼についてその印象を尋ねれば、誰もが口を揃える。
「まるで物語の主人公のようだ」と。
そして今現在。
レヴィンは人々が望んだ通り、おとぎ話から飛び出してきたかのような至高の騎士となって活躍している。
(…………つい先日の話のように感じるな。私も老いたものよ)
磐石だったバルクフォルト帝国の栄華に、かすかな翳りが見えたのは十年前。現帝ヴォルカティウスが玉座に就いた直後のこと。
彼は貴人にして闘技場の頂へ君臨した強者、かつ品格溢れる美丈夫で智慧も併せ持つ。強力な詠術士でありながらも勇猛果敢な拳闘士として、民の間でも広く知られていた。
当時は、誰もが疑わなかった。古くからヴォルカティウスを知るローヴィレタリア自身も。この新たなる帝王の下、国はよりよい方向へ進んでいくと。
(それがまさか、あのような……)
皇帝は、戦神に魅入られていた。
基本的には威厳と貫禄に満ちた、国家の頂点に相応しい人物である。
が、時折ふと心を奪われるのだ。
重要な会議や謁見の最中に呆け、ひどい時には眠りに落ちる始末。呂律が回らず言葉に詰まるようなことも往々にして起こり、突発的な物忘れは記憶が欠損したのかと疑うほど。
大事な糸がプツリと切れるように、突如そうした状態に陥ってしまうことがあるのだ。
(戦場においても稀に、ああした様子の者を見かけることはあったが……)
ゆえに、魅入られた。人々はそう口を揃える。
戦いに明け暮れる日々を過ごすうち、猛々しい闘争の神に見初められてしまうのだ。
だからこそ、慮外だった。
自ら戦地に赴く訳でもなかったヴォルカティウスが、かような状態に陥ってしまうことは。
少なくともそれ以前、現役の拳闘士だった頃にそのような不調はなかった。あれば、そもそも皇帝の候補にすら挙がっていまい。
とにかく安定して公務を全うできる様子ではなく、ローヴィレタリアが補佐に回らなければならなかった。
皇帝を新たに選定し直すことも考えられたが、他に相応しい者も存在しない。
智と武に長け、統率力や単純な容姿にも優れたヴォルカティウスは、誰よりも適任だったはずなのだ。
それに賢帝と目された人物が早々に降ろされるようなことがあれば、多くの者からのいらぬ邪推を招くだろう。
(ともあれ残念だが……ヴォルカティウスは、安心して掲げられる旗ではなくなってしまったのだ)
ならば、他に必要だ。
そうした不穏を隠すためにも。
国家の顔となる、圧倒的な存在感を放つ人物が。輝かしいまでの御旗が。
無論、それが全てなどと傾倒するつもりはない。だが、そのように突出した者がいれば、自ずとまとまりが生まれる。
かつての英雄ガイセリウスのように。象徴となる人物が導くことで、人々は団結し最大限の力を発揮できるのだ。
(何も小難しい話ではない。拠り所となる存在がおれば、民は安心できる。故に、人々の支柱となる者を据えることが肝要。それだけの話よ)
事実――同盟国たるレフェは昨年、国長と最強の戦士を同時に欠くという不運に見舞われた。
となれば、残るは老害の集団でしかない『千年議会』のみ。屈指の大国として知られるレフェがついに崩れるかと思われた矢先、不安に喘ぐ民を支えたのは『神域の巫女』と呼ばれる存在だった。
本来お飾りでしかないはずのその娘は今、未熟ながらも懸命に務めて皆の心の拠りどころとなっていると聞く。
仮にも同盟国に対しいささか不謹慎ではあろうが、支柱となる者を据えるべきというローヴィレタリアの考え……その正しさを証明した事例となったといえる。
(そして我が国は……レヴィンを据える。それだけの話)
ゆえに、ヴォルカティウスに代わる者として――十年の月日を費やし、慎重に作り上げてきた。『至高の英雄、レヴィン・レイフィールド』を。
民を悩ませる賊や悪名高い怨魔は、率先してレヴィンに討伐を命じ功を挙げさせた。
十三歳という異例の若さで、天轟闘宴にも出場させた。見事勝ち抜き覇者の座に輝いたレヴィンは、レフェにおいても一躍知られる存在となった。
大衆の間で親しまれる雑本を出版する誌商にも売り込み、幾度となくレヴィンの記事を書かせた。特に精緻な似顔絵……その甘い顔立ちが婦女の関心を惹き、認知度は飛躍的に増大していった。今では逆に、誌商のほうからレヴィンの特集を組みたいと話題を求めてくるほどだ。
そうした影響もあって、定期的にレヴィンが披露する闘技場の演舞には、国内外から若い女性を中心とした客が多く集まるようになった。
そのように婦女の注目の的となったがゆえ、当然ながら紳士諸兄の間でも知られる存在となる。主に、やっかみや嫉妬の対象として。
が、すぐに思い知ることになるのだ。
目の肥えた者は、その剣舞を見れば。それでも分からぬ者は、実際に挑んでみれば。
レヴィン・レイフィールドは、紛うことなき『本物』であると。
そして今やその名声は、大陸中に知れ渡っていると表現しても過言ではない。
順風満帆だ。
完璧なる英雄レヴィン・レイフィールドの物語は、躓くことなく快調に紡がれている。
(尤も、そうでなくては困るのだ……)
ローヴィレタリアは最終的に、レヴィンを次期の君主へ据えるつもりでいる。時が来れば、反対する輩はいまい。否、いなくなるほどに『白夜の騎士』を完璧な存在へと昇華させる。
そのためにはまだまだ教えねばならぬことも多いが、彼は間違いなく歴代最高の指導者となるだろう。かつて皆が望んだそのままの騎士となったように。
(レヴィンならば……ゆくゆくは、アルディア王すら超える主導者となることも夢ではない)
全てが計画通りに運んだならば――遠くない未来、バルクフォルトはかつてない最盛期を迎えることだろう。
ともあれそのためには、ガイセリウスに比肩する『英雄レヴィン』を作り上げる必要があるのだ――
夢を思い耽るローヴィレタリアの耳元に、ゆらりと通信の波紋が広がった。
『リーヴァー、猊下へ報告。大人数との交流ですので、もう十分ほど追加で時間を取りたいとのことです』
「ホッホ、よかろう。存分に楽しんでいただきなさい」
改めて見下ろせば、ミディール学院の女生徒に囲まれたレヴィンは珍しくもぎこちない様子で指導に当たっている。
「ホッホ。レヴィンめもまだまだヒヨッコよの。年頃の女子を前にすると、どうにも青臭さが滲み出よる」
もっとも、そうした純朴さも彼の魅力と捉える女性は多い。
(……ガンドショールのドラ息子とはまるで正反対よ)
間違っても『あれ』を見習わせる訳ではないが、妙な女に引っ掛からぬよう、そういった分野の耐性もある程度は鍛えさせておくべきか。
催しが始まる直前になって発覚したことだったが、レヴィンは開演前にベルグレッテとばったり出くわし、この後の約束を取りつけたという話だった。
つまり、ローヴィレタリアの予定と重なってしまったことになる。
(全く。顔を合わせてしもうたからとて、そう逸る必要はないぞレヴィンよ)
青臭い気遣いが出てしまったのだろう。相手はレインディールでも重要な位置を占める系譜の長女。歓待の意を示すべく早めに誘わねば、と。
焦ることはない。まずはリズインティ学院の特別顧問を務めるうえにこの催しを企画したローヴィレタリア、後日にレヴィンで何の問題もないのだ。
(既に約束を取り付けてしまった以上は致し方ないが……)
女性といえば、将来的にはレヴィンの伴侶となる者も探し出さなければならない。
どういった相手であればこの男に釣り合うか。例えば、万が一にも噛み合わず破局するようなことがあれば、レヴィンの名に傷がついてしまう。至高の英雄を作るにあたり、そうした不義の発生は避けねばならない。早い段階で慎重に考えておかねば、後々頭を悩ませることになりそうだ。
ローヴィレタリアとしては、それこそベルグレッテのような女性が相応しいと考える。麗しい外見や清らかな人柄、その家柄についても全く申し分ない。両国の繋がりもより強固なものとなろう。かの少女騎士には許嫁などもいなかったはず。リリアーヌ姫のロイヤルガードとして落ち着いた後にでも、是非一考してもらいたいものだ――。
「猊下。演目はあといかほど続けられますか」
「……む、そうじゃな」
懐中時計を取り出して確認すると、終了の時間が間近に迫っている。
「では次の挑戦者を募り、それで最後にするとしよう」
「承知しました」
すでにミディール学院生に対しても、レヴィンの凄みは十二分に伝わったろう。
であれば、今回の催しの目的はとうに達している。
(さて、今後の予定についても考えねばな……)
ローヴィレタリアも、やらなければならないことが分刻みで山積みとなっている身だ。
ひとまずはこの後、家族とクレアリアを交えて食事会。明日以降、ベルグレッテと顔を合わせる機会も作らねばならない。そして何より、今回のミディール学院の『修学旅行』に協賛を申し出た最大の理由。
(魂心力の結晶、とはの……)
にわかには信じがたい話だった。
神々の恩恵たる力が、目に見える……触れることのできる形で存在したなどと。
この件について、やはりローヴィレタリア自身の目や耳で確認し知っておかねばならない。両学院の交流会にも顔を出しておく必要があるが、どのように時間を捻出するか。
ゆくゆくは、レインディールがこれから始めようとしている魂心力結晶を用いた事業にかかわりたいところだ。
(全く、忙しい話よ。老いさらばえた身には堪えるわい……)
が、泣き言を漏らしている暇はない。
少なくともこの身が自由に動くうちに、バルクフォルトの輝かしい未来のための足がかりを作っておかなければ。
そろそろ隠居したい年齢の最高大臣は、まだまだ退くには遠い現状を噛み締めて密かな溜息を吐くのだった。




