594. 荒ぶる魂たち
昼神インベレヌスが大空から退場する準備を始め、代わりに夜の女神ことイシュ・マーニがその洪大な姿を際立たせる時分。
場所はミディール学院一行の宿泊施設たるダルクウォートン砦、昼間に交流会が行われた大広間。
夕食の時間である。
ズラリと並べられた横長のテーブルには、比較的質素でさっぱりした海鮮風の定食メニューが配膳されていた。昼は豪勢なバイキング形式だったが、経費の関係もあって毎回ああしたご馳走という訳にもいかないだろう。
皆で思い思いに着席するや否や、ミアが複雑そうに自らの腹部をさする。
「うう……お昼食べすぎちゃって、まだお腹いっぱいだよ……」
「調子に乗って食べるからよ、もうっ」
ベルグレッテが厳しいお母さんよろしく窘める傍で、
「いや、イカって後から腹膨れるんだよな。俺もついついミアに食わせちまったからよくなかった」
流護が悔恨の意を表明すると、彩花もテヘヘと申し訳なさげに笑う。
「お魚のおいしさに目覚めたミアちゃんの食べっぷりが微笑ましくて、つい」
「もうっ。二人ともミアに甘いんだから……」
生徒一同が揃ったのを見計らって、前方の席に陣取っていたナスタディオ学院長がおもむろに立ち上がった。通信術の波紋を展開して、増幅した声を響かせる。
『ほーい。それじゃあ皆、食べながらでいいので聞いてくださーい。本日はこの夕食が終わったらあとは各自お風呂に入ってもらって、今後の英気を養うべく早めに休んでもらう……予定だったのですが、ちょいとお誘いがありまして。食事が終わり次第、皆さんをとある場所へ招待したいとのことでーす』
ざわめきが巻き起こる。
「とある場所?」
「何だ何だ?」
皆の困惑を遮る形で、学院長が声を張った。
『その場所とはズバリ! 闘技場です! せっかくのバルクフォルト初日、最初の夜! 是非とも素敵な夜を提供したい! とのことでご招待いただきました〜』
予想や憶測を挟む余地もなく明かされた答えに対し、生徒らは様々な反応を示した。
「おおー。バルクフォルトっていえば闘技場、って聞くからなぁ」
「ええー……でも、これからですかぁ?」
大まかに、男子は興味津々。女子は今ひとつ気乗りしない……といった様子だろうか。
「まあ、悪くないサプライズじゃん」
格闘家の端くれたる流護としては賛成だ。レインディールにも闘技場は存在するそうだが訪れたこともないし、どういった場所なのか、どのような催しが開かれるのか純粋に興味もある。
「いーじゃねーか。バルクフォルトの奴らがどれだけのもんか、この目で確かめてやるぜ」
悪そうに犬歯を剥き出すエドヴィンの反応も彼らしい。
その隣で相も変わらず「ニィ……」と不敵に笑むダイゴスの心情は窺い知れないが、「闘技場!? やだ!」などとは間違っても思っていまい。
一方で、
「うーん……レノーレは、闘技場って行ったことあるのー?」
「……ない」
ミアとレノーレのデコボココンビを筆頭に、
「闘技場ですか。まあ、バルクフォルトの持て成しとしてはそうなるのでしょうね」
クレアリアも冷めた反応。やはり、あまり女子に『刺さる』提案ではないようだ。
「学院長〜。それって、全員が行かなきゃなんですか〜?」
「夜に出歩くと、お肌が荒れちゃいそー」
乗り気でない女生徒らの意見を受けた学院長は、アラと目を丸くする。しかし何だろうか、その仕草が妙にわざとらしい。
『うぅーん……そっかぁ、あんまり興味ない人も多いみたいねー。よく考えたら皆も、着いたばっかで疲れてるでしょうしね。なら残念だけど、今回は見送りとしましょうか。先方はよくできたお方だから、そうしたこちらの事情も汲んでくださるでしょう。何と言っても、あの天下のレヴィン・レイフィールド殿ですもの。ご提案いただいたレヴィン殿の公式演舞ですが、生徒たちも疲れているようなのでお断りさせていただきます……っと。じゃあ、そう伝えてお――』
「学院長オオオォォ!? 何で! それを! 先に! 言わないんですかアアアァァッッ!」
「行く行く行く行く行く! 行かないわけないでしょうが!」
「ンギョー! レヴィン様! レヴィン様の公式演舞!? 嘘でしょ!?」
「レヴィン様が……? 私のために……? 演舞……? ウーン……」
場が一気に地獄と化した。絶叫、咆哮、失神。
女子一同のテンションは、マイナスから一挙マックスへと針を振り切っている。
「レ、レヴィンだとぉ〜? くそっ、名前聞いた途端にコロッと態度変えやがって女子ぃ!」
「チッ、レヴィンがどれだけのもんだってんだ!」
一転、面白くなさそうに鼻を鳴らすのは少年たちだ。今や、男女の反応が見事に百八十度ひっくり返ってしまっている。
「レヴィン、さん? って?」
周囲の女子たちの狂喜乱舞に当てられ、彩花が少し耳を塞ぎつつ問いかける。
ベルグレッテが苦笑しつつ応じた。
「このバルクフォルト帝国を代表する騎士隊長のお方よ。そうね……眉目秀麗にして文武両道の好青年で、およそ非の打ちどころがない騎士の鑑……と呼ぶべき人物かしら。周りを見てのとおり、熱烈な追っかけをやってる人も多いのよね」
「我が国の女性兵士の中にすら、熱を上げている方がいますからね」
呆れ気味なクレアリアの溜息に、だねー、とミアがのんびり同意する。
「『とてゴー』にもよく載ってるよ。すごい活躍をしたとか、勇者さまと呼ぶにふさわしいだとか、似顔絵とか」
「そういや、俺がこっちに来た当初からちょくちょく聞く名前だったな」
流護が思い出しつつ口にすると、レノーレが眠たげな顔でコクリと頷く。
「……メルが『北方の英雄』なら、レヴィン・レイフィールドは『西国の勇者』や『白夜の騎士』として知られている。……世間での認知度だけなら、メルより遥かに上だと思う」
「そうなんだ。……ミアちゃんは、あんまり興味なさそうな感じ?」
彩花が話を振ると、小さな少女はかすかに小首を傾げた。
「うーん……本の中で文章とか絵で見てるだけで、自分に関係あるわけじゃないしね。それに……」
「それに?」
「強くてすごい勇者さまなら、リューゴくんがいるもん!」
でへへ、と照れくさそうにはにかむ。
すぐさま彩花のジト目が飛んできた。
「なるほどー。だってさ、よかったね。流護」
「な、何だよ。ミアは人を見る目があるで。俺こそが最強だでな」
あまりにも無垢でまっすぐな信頼を前に、さすがに戸惑ってしまう少年である。
「そ、そういやダイゴスは、レヴィンに会ったことは?」
照れ隠しついで、傍らの席の巨漢へと話題を振る。
彼もいわばレフェのロイヤルガード。ベルグレッテたちのように、かの騎士との接点があるのでは、と思ったのだ。
「いや、ワシはない。ドゥエンの兄者ならば面識はあるじゃろうがな」
「なるほど……なんかレヴィンが十三歳だかの時に、天轟闘宴に出て優勝してるんだよな?」
「うむ、前々回……第八十五回じゃな。ワシも実際に目にした訳ではないが……その若さであの武祭を制したという事実。それだけで、実力の程を計る物差しとしては充分じゃろう」
流護も、そしてダイゴスも実際にあの舞台に立って闘った。勝ち抜くのがどれほど困難なことか、身をもって体感している。
さてこちらのそんなやり取りはともかく、やばいのは女子の皆様の盛り上がり具合である。
「オオオォォポオオォ! レヴィン様!」
「レヴィン様! レヴィン様! 嘘! 夢みたい! ああぁ! アアァァァガガガガ」
完全に肉を前にした猛獣……と表現しては、年頃の淑女たちに対しあまりに失礼か。しかし間違いなく、魂が荒ぶっている。
『はー全く、現金なんだからあんたたちは。とにかくそういうワケなので、夕食が終わったら玄関に集合! 帝都最大の闘技場、サスクレイストでレヴィン殿が待ってるわよー』
女子たちの雄叫び……もとい、黄色い声援に包まれた夕食の時間が、賑やかに過ぎ去っていく。




