548. 街と子ネコと少女たち
「ユウラ嬢ってさ、実はかなりの術の使い手だったりする?」
賑わう舗道をゆっくりと歩いて雑談する中で、マデリーナがおもむろに尋ねる。
「…………」
が、ユウラは街のそこかしこに視線を飛ばしていて聞いていないようだった。
「ユウラ嬢ー?」
「あ。え、はい! なんでしょうか」
「いやさ。あんた、かなりの術の使い手だったりしない? と思って」
「え……、どうして、ですか?」
「いんや。あんた見た感じ、武器とかも持ってなさそうだし。外套すら羽織ってないし、旅人っぽくないなと思って。凄い術が使える人だと、そういう軽装で出歩いたりもしてるからね」
「あー。ラティアス隊長とか、そうだよねー。あの方、剣持って歩かないんだよねー」
エメリンが相槌を打つ。
強力な神詠術を扱える詠術士であれば、そもそも実物の武器や防具に頼る必要がない。
彩花もこの世界の基礎知識として、流護からそういった話は聞かされている。
しかしそんなマデリーナの推測に対し、ユウラは実に申し訳なさそうな苦笑で答えた。
「えー……えっと、その……武器も外套も……お金に困って、売ってしまった、というか……」
一瞬、雑踏の賑わいのみが場を支配する。
「……うん。ユウラ嬢、あたいらと出会って良かったね。明日明後日あたり、野垂れ死んでもおかしくなかったと思うわ」
「ユウラちゃん。お兄さんとはぐれてから、どれぐらい経つの?」
そんなミアの質問に対し、彼女は自信なさげに考え込む素振りを見せた。
「ええーと……うーんと……、二週間、ちょっと……もっと……? ぐらい……でしょうか……?」
「兵舎、行っとかなくて大丈夫かい?」
マデリーナに提案されるも、一見気弱にすら見える少女は「それは……」とあまり乗り気でない様子だ。
「まっ、分かるよ。冒険者は、兵士とかかわりたがらないのが常だからね……」
提案しつつもその返事を予想していたのか、マデリーナは訳知り顔で諦念の情を滲ませる。
彩花としてはそんなものなのだろうか、と困惑するばかりだ。自分なら二週間も迷子になれば……いや、確実に一日目の時点で音を上げる。兵士が助けてくれるというのであれば、きっと迷わず頼る。野宿なんて絶対に無理だ。
しかしおそらく、異世界の人々は……特に冒険者は、そのあたりの感覚が違うのだ。
ミディール学院からこの王都へやってくるにしても、片道四時間が当たり前。各地を転々とする旅人であれば、二週間程度の足踏みはよくある話……なのかもしれない。野営も慣れたものなのだろう。
そんな風に考えていると、ユウラが静かに切り出した。
「実は私、レインディールは……この王都には前にも来たことがあって。ですので、全くの知らない場所というわけでもないので……」
「およ、そうなんだ」
「はい。ですので、何日かを凌ぐぐらいでしたら、どうにか……。それにその……兵士の方のお世話になったとなると、兄も驚いてしまいますので……」
「そうかい。そう言うなら、無理強いはしないけどさ」
彩花としても、少しだけ聞いている。国家勤めの兵士と冒険者は、基本的に相容れる関係性ではないと。この大人しそうなユウラですらも例外ではないということか。もしくは、彼女の兄があまりいい顔をしないのかもしれない。
「大丈夫だよ! 宿泊券、もらっちゃおうね! ユウラちゃんを、あったかいベッドで眠らせてあげるからね!」
ふすん、と決意を固めるのはミアだ。かわいいなあ、と彩花の頬が密かに緩む。
「ええと……す、すみません。何から何まで、お手数をおかけしてしまって……」
「いいからいいから。さ、では気を取り直して! 買い物の刻といこうぞ皆の衆!」
そうして皆を鼓舞するマデリーナを先頭に、色々な店を回る。
――おしゃれな服の店では、
「……このケープ、ミアちゃんにめちゃくちゃ似合いそう」
茶色と黄色の縞模様のそれを手に取った彩花は、隣に立つ彼女へ実際に宛てがって合わせてみる。
「え? そうかな?」
「…………うん。やば。かわいすぎ」
「え?」
「あ、いや。うん、絶対似合うと思うよ……、……はっ!」
そこで天啓がひらりと舞い降りた。
(これ……このケープにネコ耳ついてたら、もっとミアちゃんに似合いそう……。よし)
蓮城彩花は決意した。
これを買って帰って、自分でネコ耳をつけようと。そしてミアにプレゼントしようと。
「あの、マデリーナさん。お裁縫のお店とかあったら、あとで寄ってみたいんですけど!」
「え? あ、ああ。別にいいけど……何、どしたのさ、そのやる気」
――すぐ向かいのこれまた服が並ぶ店舗にて、
(ミアちゃんの服もいいけど、私も自分の服買っておかないと……。……下着も)
着の身着のままでこの異世界へ放り込まれてしまった彩花には、自前の服が学校の制服しかない。
ベルグレッテが色々と貸してくれてとてもありがたいが、胸の部分に筆舌に尽くしがたいような空白が生まれてしまって、大いにこちらの精神を削ってくる。身長的にも、彼女のほうが十センチ近く高いのでどうしても合わない。
自分の服の購入は急務だ。
という訳で――何かいいものはないかと軒先を覗いてみたところ、簡素な上着類が所狭しと並んでいた。
「や、安い! けど……、んー……?」
色とりどりのTシャツのようなそれらは、値段は申し分ない。彩花の所持金でも数着購入できる。
気になるのは、その上衣の柄だった。例えば、英語の文字やらロゴやらが入ったTシャツなどは故郷ならばよく目にするものだ。
しかし、ここは異世界。
服に刻まれているその文字は、イリスタニア語……すなわち日本語。
しかも、
(……『あぁレインディール 獅子の国』、『とてもおいしい』、『バダルノイス すずしい』、『どんぐり』、『たくさん食べたい』……?)
衣服にあしらわれているその文字が、何とも独特なのだ。
妙に力強い筆致で書かれたそれら文章こそややシュールではあるものの、全体的なデザイン自体は秀逸で格好よくまとまっている。
(……くそでか文字はちょっとあれだけど、気軽に着れそうだし……何着か買っとこ)
――移動中に立ち寄った出店では、
「ウワー! ミーティレードの石が売ってるー!」
ミアの歓喜の叫びが木霊する。
軒先にズラリと並べられているのは、きれいな宝石にも見える緑色のインテリア群。
「あれ? これって……」
この異世界の知識など皆無に等しい彩花だが、その石には見覚えがあった。それは先日、流護が外の世界の厳しさの話を持ち出した折に懐から取り出してみせた――
「記録晶石、だっけ……?」
「そーだよー。知ってたんだ? これは、放浪の歌姫ことミーティレード・エルメロディアの歌を記録してある石だねー。いやまさか、ここで売ってるとは」
エメリンがそう説明してくれる。
かの石に備わった記録の性質を用いて、歌を『録音』してあるのだ。それをCDのように販売しているということなのだろう。
少しだけなら試し聞きしてもいいとのことで、彩花もその音色に耳を傾けてみる。ピアノに似た楽器の美しい旋律に乗せて、透き通った女性の歌声が心地よく流れてきた。
「へー……。クオリティたっか」
石の持つ性質からどうしても背景の音やノイズを拾ってしまうようだが、それもまた意図的なエフェクトのようで趣がある。ボーカルも機械による加工なしの生歌でこれなら、相当な歌唱力だ。
「普通にいい曲……」
世界が違っても、耳心地のいい音楽というのは変わらないらしい。
ここで売っていることがかなりの驚きだったようで、ミアとエメリンは喜んで即決購入していた。マデリーナはすでに持っているらしい。
「……?」
と、そこでユウラの顔を何気なく窺った彩花は、
「ユウラちゃんは、あんまりこの歌とか好きじゃない感じ?」
なぜか暗い表情でいる彼女を察し、そう尋ねる。
「…………」
が、彼女は無反応。無視ではなく、自分が話しかけられていることに気付いていないような。
「おーい、ユウラちゃん?」
「あ、はいっ?」
「ん、いや。あんまり、このミーティレードって人の歌、好きじゃなかったりするのかなと思って」
「……あ、いえ。そんなことは、ないです。……とても上手で、きれいな歌声、だと思います。……すごく、本当に……」
言いつつも、ユウラは明るいとはいえない表情を隠せてはいなかった。
(うーん……やっぱり好きじゃないのかな。歌って好みあるし。みんなが好きそうだから、否定的なことは言いづらいだろうし)
――それからも色々な店をはしごして回り、
「やったね! 宿泊券、これで五枚目だよ!」
片っ端から買い物をして回った結果、ひとまず五日分の雨風を凌げる権利を手に入れることができた。
「はいどうぞ! ユウラちゃんっ」
「あ、ありがとうございます……本当に……」
ミアが元気に差し出した戦利品を、彼女は恭しく受け取った。
「いやー、買った買った。……でもホント、ちょうどよかったかもしれないねぇ」
「ちょうどよかった、って?」
買い物袋を抱えて満足げでありながらも少し浮かない顔となったマデリーナを、ミアが小首を傾げて仰ぎ見る。皆も自然と彼女らに注目する。
「いやさ、さっき寄った店でおばちゃんから聞いたんだけどね。最近、夜になると外で妙な声みたいのが聞こえるんだって。幽霊なんじゃないか、とか結構ウワサになってるみたいよ」
「えー!?」
と、目を白黒させるミア。怖いものが苦手だったりするのかもしれない。はいかわいい。少しずつ己の業を取り戻していく彩花である。
「ユウラ嬢は、外で寝泊まりしてて何か見たり聞いたりしてないかい?」
ミアと同じく驚いた様子でいた迷子の少女は、視線を向けられて神妙な面持ちとなる。
「そう、ですね……、……あっ、もしかして……? 何日か前の夜に、ここから東の区画の橋の下で眠ろうとした時、「おぉ」という感じの……声というか、音というか……。でも私が聞いたのはその一度きりで、特に周りに変わった様子もないようでしたけど……」
「ううーん。それだけだと、何だか分からないねー。酔っ払いが叫んだのかもしれないしー」
エメリンが唸ると、マデリーナが首を横へ振った。
「まっ、幽霊か酔っ払いかは知らないけど、物騒なことに違いはないからね。やっぱり、宿で泊まれるならそれに越したことはないと思うわ。おばちゃんからも、夜遊びしないで暗くなる前に帰りなって言われたよ」
広場の大きな柱時計を確認すると、時刻は午後三時過ぎ。移動で四時間かかることを考えれば、やはり夕方には王都を出発したいところだ。
「まだ時間あるけど、一応馬車屋に行って帰りの手配しておきましょうかね」
マデリーナに続き、少し日の向きが変わってきた街中を行く――その矢先だった。
「あ!」
「どした? 『眠り姫』さん」
「あれ……」
彩花が指差す先。賑わう歩道から外れた、建物の隙間。影に覆われたそこに、一匹の黒い子ネコがうずくまっていた。遠目から見ても、様子がおかしいのは明らかだった。
「! ケガ、してるっぽい……」
近づこうとすると、こちらの動きに気付いたネコがびくりと反応し、狭苦しい路地の奥へと引っ込んでしまう。その挙動は鈍く、右後ろ足を引きずっているのが確認できた。
「あ、ちょっと……!」
反射的に彩花もその小道へと足を踏み入れる。
「ちょっとちょっと、気をつけなよ~」
そう忠言しつつ、マデリーナたちも後を追ってくる。
建物の裏側は、ちょっとした空き地みたいになっていた。
管理されていないのか、足下の草は荒れ放題で、崩れて破片を散らした石壁がそのまま放置されている。片隅では使われなくなって久しいと思われる井戸が、蔦を纏いながらぽっかりと口を開けていた。
子ネコは奥まった場所に架けられた木板の上で、丸くなりながらこちらを見つめている。
「……、やっぱり……足、ケガしてるね……」
切り傷のようなものを負っており、黒い毛に覆われていても出血しているのが見て取れた。
「どうするつもりよ?」
「まあ……その……できれば、応急処置ぐらいはしてあげたいんですけど……」
「ったく、お人好しねぇ。ま、悪かないけどね」
マデリーナの苦笑を賛同と受け取った彩花は、忍び足でゆっくりとネコに近づこうとする。
「あぁ、荷物はあたいが持っててあげるよ」
「あ、ありがとうございます。すみません、お願いします」
気をきかせてくれたマデリーナの好意に甘え、離れた位置で震える子ネコへとゆっくり近づいていく。
「だいじょうぶ、怖くないよ。動かないで……」
とはいえやはり、言葉が通じる相手ではない。自分より大きな生物の接近を警戒した子ネコは、緊張も露わに四肢を踏ん張る。今にも逃げ出してしまいそうだ。
「アヤカさん、私が反対側から行きます……!」
と、そこで奮起してくれたのはユウラだった。
「ありがと!」
奥は壁で逃げ場はない。ケガのため動きも遅い。二人がかりでいけば捕まえられるはず。
身を屈めて、できるだけ自分を小さく見せながら、驚かせないようにじりじりと距離を詰める。
「あ。ユウラちゃん、そこ足下気をつけてー。尖った石が突き出てるよー」
後ろから見ていたエメリンが注意喚起を飛ばす。が、
「…………」
ユウラはまるで無反応。子ネコに集中しているのか、もしくは声が聞こえていないようにも思える。
「ユウラちゃん、ユウラちゃんってばー。足下、足下ー」
「……え? あ、はい、わ、あぶっ……!」
ようやくに気付いた少女が、罠みたいに突き出た石をすんでのところで回避した。
そんなアクシデントがありつつも、二人でじっくりと距離を縮める。
架けられた床板を踏み締めれば、みし、とかすかな音。その振動にネコが身をこわばらせるが、動きはなく。
おそらく、ケガで体力も消耗していたのだろう。観念したように首を竦めたネコは、彩花に触れられ、そして抱き上げられても大人しくしていた。
「ふうっ、よし……」
「やりましたね……!」
目標達成、ユウラと頷き合った瞬間だった。
みし、ばき。
響いたのは、妙に破滅的な異音。
「――え!?」
「ひゃ!?」
気付いたときにはすでに遅かった。
老朽化していたのかもしれない。二人の立っていた木板が真っ二つに割れ、身体が宙に浮く。
真下は存外に深い穴。二、三メートルもあるだろうか。そこに、小川のような水の流れ――
あっ、と響く皆の叫び。
為す術ない二人は、抵抗するべくもなく落ちて水飛沫を巻き上げた。
「けほ、けほ……! あー……うっそ、でしょ……」
全身ずぶ濡れになった彩花は、信じられない心境で呆然と呟いた。その声が空間に反響する。
「ユウラちゃん、大丈夫? ケガはない……?」
「は、はい。アヤカさんこそご無事ですか……? ネコはどうなりました……?」
「ん……、私もだいじょうぶ。びっくりしたのと衝撃で、ちょっと強く抱きしめちゃったけど」
みゃあ、とか細い声が答えるように彩花の胸元から上がる。少し痛い思いをさせてしまったかもしれない。もちろん、彼(彼女?)も全身水浸しだ。今さらだが、地球のネコと比べても見た目の違いはないように思える。
「それにしても、こんな……漫画みたいな」
落ちたそこは小さな川で、しかも下り坂となっていた。慣性が働くままに転がり流され、しかし水の勢いがさほど強くはなかったため、曲線を描いていた部分で自然と岸に漂着したらしい。
「下水……とかじゃなさそう。そこはよかったけど……」
臭いもなく、よく見れば水も汚くはない。本当にそのままの川らしい。
とりあえず問題は――
「これ……戻れません、よね?」
不安そうなユウラの懸念通り。
自分たちが転がってきたのは、水流の急斜面。
現在二人がいる場所は、ちょっとした地下洞窟のような空間となっていた。薄暗く、転がり流されてきた斜面の先から光が差し込んでいる。
「おーい、みんなー! おーい!」
そちらへ向けて声を張ってみるが、返事はない。反響した自分の声と水のせせらぎが聞こえるだけだ。
「ウソでしょ……」
とは言うものの、仮にミアたちと会話ができたとしても、来た方向からの脱出は無理だ。上からロープを垂らしてもらっても、どうにかなる距離ではない。転がり流れて移動してしまったため、この場から引き上げてもらうことは不可能。岩場はごつごつしているうえに湿っており、傾斜もきつい。自力で上ろうとするのは無謀。
振り返ると、天然の洞窟が奥へと続いている。
「こっちに……行くしか、ないんでしょうか」
ユウラの不安げな声が小さく響く。
奥に行ったとて、脱出できる保障はない。しかしこの場に留まっていても、事態は変わりそうにない。
「出られるかどうかは分かんないけど、行ってみるしかなさそうだね……」
「そう、ですね……。あっさり外に通じているかもしれませんし……でなくとも、私たちがここに落ちたことをマデリーナさんたちが誰かに知らせてはくださるでしょうし……」
彩花も胸元の子ネコを抱きしめ直しつつ、腹を括る。
洞窟の探索。まさか、ゲームでしか知らないその行動を実体験することになろうとは。
「……よし。いこ、ユウラちゃん」
「は、はい」
意を決した彩花とユウラは、薄暗い土くれの地面を踏み締めて奥へと足を踏み入れた。




