49. アルディア王という人物
「コーヒーでいいかい?」
「あ、はい……すんません……」
昼休み。
結局、またしても博士の下を訪れていた。
流護にはベルグレッテやエドヴィンのような人脈はない。こうして身近で唯一頼りにできそうな人物と話すことぐらいしかできなかった。
……ほとんど眠れていないのだが、眠気は感じない。
「……やっぱり、この件……ネックなのは、『商売が成立してしまっている』こと。その一点なんだよねえ」
コーヒーを持ってきた博士が、溜息と共に吐き出す。
奴隷組織『サーキュラー』。
これは確かに、人身売買を生業とするような黒い組織ではある。構成員がちょくちょく捕縛されたりもしているらしい。
しかしミアの件に関しては、ベルグレッテたちや博士の言う通り。売り手と買い手が合意のうえで商談が成立してしまっているため、法に触れていないという扱いになる。とにかくこれが壁だった。
「……ロック博士。騎士は頼りにできないんすよね。だったら……王様は、どうなんすか?」
順序が逆だ、と自分でも思う。
王が『奴隷や人身売買は違法ではない』と定めているから、それに従う騎士たちを頼りにできないのだ。そんなことは分かっている。
けれど、アルディア王。初めて会ったときはその豪放さに驚いたが、流護としてはどこか自分の父親を彷彿とさせる、親しみやすい人物だった。
あの王様ならば、助けになってくれるのではないか。
「その様子だと……流護クンは、王様にかなりいい印象を持ってるみたいだね」
「……え?」
まるで間違いを指摘するみたいな口調に、流護はコーヒーカップへと伸ばしかけた手を思わず止めていた。
「ああ、いや。いい人だと思うよボクも。民衆からの支持率も高い。あの王様のおかげで、レインディールが住みよい国になっているのも間違いない。けど――同時に、とても恐ろしい人だ……ともボクは思うよ」
博士はメガネのフレームを押し上げ、続ける。
メガネのレンズに窓から差し込む光が反射し、その表情が読めなくなった。
「例えば、あのデトレフの件。処断を下したのは、アルディア王だ。放っておけば死ぬのを無理矢理に生き永らえさせ、生き地獄を与えてから刑を下す。これは、司法機関を通すと時間がかかるって理由で、王が一人で決めたんだ。ほんの、五分程度で」
「五分!?」
流護はコーヒーを吹き出しそうになってしまった。
「ていうか司法機関通すと時間かかるからって。それじゃ何のためにあるんだよ……」
博士は「流護クンの言う通りだよねえ」と笑い、ソファに深く身を預ける。
「アルディア王は全ての事柄において、自分でやりたいと思ったことは自分でやってしまうんだよ。この国における全ての機関は、王の『代行者』でしかない。王の代わりに対処する機関でしかないんだ。重要な案件や、王が興味を持った案件は、自らが対応する。理由が『面白そうだから俺がやる』だなんてこともしょっちゅうさ。思いついたことを実際にいきなり実行してしまうことも多い。あまり関係の良好でない他国には、『暴王』なんて揶揄されてるしね」
……思いついたことをいきなり実行する、か。
そこで流護は思い出した。
謁見で褒賞金の話題が出たとき、ベルグレッテの功績について話したところ、アルディア王が「ベルグレッテにも小遣いを出す」などと言い出したことを。
結局ベルグレッテは実際に、流護と同じ三百五十万エスクを『受け取らされた』。お嬢様の彼女ですら決して安い金額ではなかったようで、かなり困惑していたのだ。
「瞬時に善悪や要と不要を見極め、即決で判断する。そして実行する。それがアルディア王という人物なんだ」
しかしあの豪胆な王であれば、そういった面があっても不思議ではない。それこそ、ミアの助けになってくれるのではないか。
「そこで、このミアちゃんの件を王様に相談したとしよう。『竜滅』の流護クンや、ベルちゃんの話だ。きっと真剣に、話を聞いてくれるだろう」
流護は大きく頷く。
「そしておそらく、王はその場で即断する。『気の毒だが、その娘は助けられない』と」
「な、何でだよ!?」
思わず大声を出してしまう流護だったが、博士は全く気にせず続ける。
「客観的に見た場合……ミアちゃんの家は生活が苦しくて、このままでは明日の一家全員の生活がままならない状況だ。けど……ミアちゃんが売られることで、家族の残り八人は助かるんだ。九人ではみんなが生活できない。けど一人いなくなれば、八人は生活できる。……そういう話なんだ」
「そういう話じゃ、ねえっすよ……!」
「そうさ。ボクたちにとってはね。けどアルディア王なら、間違いなくそう判断する。あの人は……私情を挟んだりしない」
博士は窓の外に視線を向け、タバコの煙を吐き出した。
「七年前ぐらいに、領内の小さな村が怨魔に襲われたことがあった。その怨魔はプレディレッケっていう、カテゴリーAの『死神』とも呼ばれる凶悪なヤツでね」
その名前には聞き覚えがある。
プレディレッケ。確か、ベルグレッテやクレアリアが幼い頃に遭遇したという怨魔の名前だ。それで、彼女たちの兄は帰らぬ人になってしまったという。
「村人は約五十人。村には兵がいなくてね。それでも最寄りの兵舎に、二十人ほどがいた」
……何だこの話は。博士はなぜ、こんな話をするのか。――いや、分かっている。この話の結末も、博士が言いたいことも。
「村から救難信号を受け取った兵舎は、王に判断を仰いだ。判断というよりは、報告と確認だね。もちろん、『救難信号があったのでこれから出撃します』という」
流護は思わず唾を飲み込んだ。
「王様は言ったんだ。『出撃するな。その村は捨て置け』と」
流れとして、そうくると思っていた。思ってなお、信じられない。あの王様が、そんな処断を下す人物なのかと。
「その村は確かに、王様への献上分を横流ししてたりと黒い部分もあった。そして、プレディレッケ。これが本当に危険な相手でね、兵士たち二十人でも全滅の恐れがあった。ここで王は素早い決断に迫られたワケだ。不忠な者を含む村人五十人と、忠実な兵士二十人。そこへ迫るプレディレッケ。さてどうすれば、被害を最小限に抑えられるのか」
流護は言葉がない。
「難しい判断だったはずさ。村人五十人、何も全員が不忠者だったワケはない。むしろ一部の人間だけだったろう。村には女子供だっていた。兵士は二十人。仮にこの兵士たちを向かわせて、全滅してしまった場合……怨魔に対抗なんてできるはずもない村人たちと合わせて、七十人もの犠牲が出ることになってしまう。……こうした事情を鑑みて、王様は判断したのさ。全員が無事に、みんなが幸せになる道なんてない。なら、最も損害の少ない道を通る……とね。そうして、その村は地図から消えたんだ」
少年は考える。自分がそのときのアルディア王だったら、どうしていただろう。……答えなんて、出そうにない。
「こんな話は一つ二つじゃない。不可抗力だったとはいえ、結果として大勢の子供たちを見殺しにしてしまったこともあったよ。これは『ラインカダルの惨劇』って呼ばれる凄惨な出来事だった。多いほうと少ないほうでは、多いほうを取る。価値の高いほうと低いほうでは、高いほうを取る。どっちを選んでも誰かが死に、どっちを選んでも誰かに恨まれる。王様は、そんな選択に迫られ続けてきた人なんだ」
凄絶だ。流護には、ただそう思うことしかできなかった。
「だから、ミアちゃんの件もそう。王は間違いなく、多くの人が助かる道を選ぶ。容赦なく。キミやベルちゃんに恨まれると分かっていてもね。……それに……」
これまで饒舌だった博士は、そこで言い淀んだ。
「仮にミアちゃんを、無事に連れ戻せたとしよう。……それから、ミアちゃんはどうなる?」
「どうなる……って?」
意味が分からない。
どうなるもこうなるもない。今までのように暮らせばい――
「――あ」
流護の肺から、自分の意思とは無関係に声が吐き出された。
「……気付いたみたいだね。そう……ミアちゃんは、実の父親に売られてしまったんだ。この時点で、家族との……少なくとも父親との関係には、決定的なまでの亀裂が入ってしまっている。もう修復はできないだろう。けどミアちゃんは、優しい子だから……それでも、父親を許すかもしれない。だがおそらく、父親のほうが耐えられないはずさ。断腸の思いで売った娘に、それでも許されるなんてね。惨めなんてものじゃない。いっそ殺されてしまったほうがマシなぐらいだろう」
家族のために、がんばって国の詠術師になると意気込んでいたミア。そのために努力し、好成績を残していたミア。
例え連れ戻せたとして、彼女が学院にいた理由……頑張っていた理由が、すでに失われてしまっている。
「さらに言えば。正式な商談を経てミアちゃんが売られたのに、キミたちが連れ戻してしまった場合……ミアちゃんの家族に、危害が及ばない保証はない。実際、そういった詐欺もあるからね。裏の連中は、そういったことに過敏だよ」
「それは……」
知ったことじゃない、とは言えなかった。
流護にしてみれば金のためにミアを売った親だが、そこに想像を絶する葛藤があったことも聞いている。ミアの父親は、軽々しくそんな結論を出せるような人物ではないという。自分の娘を売るという決断を下すまでに、どれだけの懊悩があったのか。
到底、想像がつかない。
「……どうすりゃいいんだ……んな話、あるかよ……」
ミアを連れ戻せば解決だと思っていた。
最悪、奴隷組織に単身乗り込み、力づくで連れ戻すことも本気で考えていた。
だが、そういう問題ではない。
これからどうなるにしろ。
ミア・アングレードは、死んだのだ。
「…………、」
胸の内を闇色の何かが覆っていくような絶望感。
無力な少年には……ただ打ちひしがれることしか、できなかった。




