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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
8. プログレッシヴ・イーラ
279/676

279. 変わっていく

「ああ。それじゃあ、行ってくる」


 ガイセリウスは言った。


「必ず無事に帰ってきて」


 フューレイが言った。


 そして、皆はガイセリウスの背中を見送った。

 結論として、彼が帰ることはなかった。そういうことである。しかし世界に平穏が訪れたという事実こそが、彼が勝利したということの証なのである。






「愛しているわ、ガイセリウス」

「おれもだ、フューレイ」


 そして二人は抱き合い、激しく奪い合うように互いの唇を食んだ。

 きっともう会えない。そんな悲しみが、より二人の情欲を掻き立てる。


 ――その後の顛末については、敢えて此処に記す必要は無いだろう。

 私達が今、此の世界に斯うして生きている事。其れこそが、彼の英雄が勝利した証なのだから――。






 ついに英雄ガイセリウスの剣が、怪物をうち倒したのです。

 しかしもう、彼も力を使い果たしてしまいました。


「ああ。疲れたなあ」


 ガイセリウスはそう言って、近くの木の根元に座りこんでもたれかかりました。

 すべて終わったんだ。少しだけ休もう。

 ガイセリウスは目をとじ、体の力を抜きました。

 彼の握っていた愛剣グラム・リジルが、重い音をたてて大地にしずみました。


 それきり、ガイセリウスが目をあけることはありませんでした。


 偉大な英雄の物語は、ここで幕を閉じます。

 しかしだからこそ、今こうしてわたしたちの世界があるのです。わたしたちは、感謝しなければなりません。英雄ガイセリウスに。そして、万物を生み出した創造神ジェド・メティーウに。

 さあ。よい子のみんなも、この本を読み終えたら、しっかりと祈りを捧げましょう。






「……、はー」


 パタンと重厚な表紙の本を閉じた流護は、溜息をつきながら自分の肩をトントンと叩いた。


 時間は放課後、場所はミディール学院、校舎三階にある書庫。

 生徒が普段利用する図書室ではなく、より難解な資料や使われなくなった教材、古くなった本が保管してある部屋だった。

 面子は今しがた童話を読み終えた流護と、隣の席に腰掛けて分厚い書物に目を通すダイゴス、その向かい席で何らかの本を読むレノーレ、離れた本棚の前で探しものをしているベルグレッテ。少し珍しい組み合わせの四人かもしれない。


 流護が目を通していたのは、『竜滅書記』と呼ばれる書物。おそらくこの世界で最も有名な本で、五百年前の英雄ガイセリウスの活躍や半生を綴ったものである。あまりに名の知れた伝説であるため、様々な筆者が独自の解釈や想像で執筆したものが氾濫しており、事実を正確に記したものは存在しないとまでいわれているのだという。

 今回流護が目を通したのは、それぞれ冒険譚、恋愛物語、童話だった。ジャンルこそ違えど、全てが『竜滅書記』である。

 この異世界へやってきた当初から名前だけは耳にしていたが、その内容について詳しくは知らなかったので、いい機会と思って読んでみることにしたのだ。


(……確かに、前にベル子が言ってた通りなんだな……)


 実際に自分で読んでみて、分かったことがある。

 確かに本によって内容はまるで別物だったりするのだが、いくつか共通して描かれている事柄というものがあった。例えば――

 ガイセリウスは愛剣グラム・リジルを携え、単騎にてファーヴナールを打ち倒した功績がある。彼はその生涯において、一度も神詠術オラクルを使うことはなかった。怨魔プレディレッケに一度は敵わず、撤退を余儀なくされた(その後は仲間と共闘した、遠距離からグラム・リジルを投げつけた、軍隊を動員して討伐した、など本によって展開が異なる)。

 基本的には、超人的な身体能力を持った勇者ガイセリウス、そんな彼を支え続けたグラッテンルート帝国(今は滅亡し存在しない)の賢者と称される女詠術士(メイジ)のフューレイ、そして『不老のメーティス兄妹』と呼ばれる二人の男女――兄のロッディア・メーティス、妹のマキナ・メーティス。この四人を中心とした活躍が描かれている。


 そして最後まで目を通し、新たに三つほど共通して描かれていることを発見した。


 一つは、『偽神』ガルバンティスと呼ばれる怨魔によって、数百から千人単位の犠牲者が出たこと。文献によっては、一つの村が一瞬で跡形もなく吹き飛ばされたなどという記述もあった。

 比較的最近書かれた本によれば、その力はカテゴリーSの中でも最上位。

 とにかく、この怨魔が当時凄まじいまでの猛威を振るったことは間違いないようだ。


(村が一瞬で吹っ飛ぶとか、どんなバケモンだよ。インフレじゃないですかね……。さすがに昔の話だし、かなり脚色されてはいるんだろうけど)


 そして一つは、ガイセリウスが最後の戦いから帰還しなかったこと。

 大量発生した怨魔たちとの激突。もはや『人類VS怨魔の戦争』とも呼べる戦いに身を投じた彼の顛末は、おそらく勝利したのだろうということで共通している。

 その後は書物によって、ただ帰らなかった、戦いに勝利したその足でどこかへ旅立った、死亡した、と大きく分かれていた。


(これはちょっと意外だったな。てっきり、こういう話ってハッピーエンドだと思ってたし)


 そして、最後の一つ。

 その大規模な戦争を引き起こした元凶。ガイセリウスが討ちに向かった、怨魔たちを統べる怪物の存在。



 通称、『終天を喰らう蟒蛇クチナワの王』。

 その名を、ヴィントゥラシア。



 ちなみにその姿形については、本によって千差万別。名前の通り恐ろしく巨大な蛇だの、三つ首のドラゴンだの、四足歩行の魔獣だの、実はあなたの心に眠る負の感情こそがヴィントゥラシアだったのですだの、もう何でもありである。

 これほど本によって記述が異なる理由はおそらく、その姿をきちんと見た者がいないからだ。ヴィントゥラシアは現レインディールの北東、ダーンタルッド高地の山奥に潜んでいたと噂される。倒しに向かったガイセリウスが帰っていないとすれば、正確に伝聞できた人間もいないことになる。

 平和が戻ったのだから、この化物は倒されたのだろう、という強引な解釈がされているだけだ。


(終天を喰らう、か……。よく分からんけど、長ったらしい異名からしていかにもボスって感じだよな)


 そこで隣席に座る巨漢へ顔を向ける。


「なあ、ダイゴス先生。ヴィントゥラシアってのは、やっぱ有名なのか?」

「ほう……書記を読んだか。まあ、この大陸でその名を知らん者はおらんじゃろうな」

「そうなのか」


 次に流護の目は、机を挟んだ向こう側の席に座るレノーレへ。

 少し視線を向けただけだというのに、どういう察知能力なのか、彼女は音もなく顔を上げた。そして無言、無表情のままでグッと親指を立ててくる。


「お、おう。そうすか」


 まだ何も訊いていないのだが、そういうことなのだろう。

 しかしこのレノーレというメガネ少女、流護にとってはミアが誘拐された件で少しかかわった程度で、未だ謎に包まれた部分が多い。

 分かっているのは本が好きで、それでいてかなり武闘派の実戦的な詠術士メイジで、『凍雪嵐ヴェンティスカ』という二つ名を授かっているということ。

 この二つ名というのは、優れた術者に贈られる渾名であり、レインディールにおいては挙げた功績なども考慮される。例えばかの『銀黎部隊シルヴァリオス』であっても、与えられていない者がいたりするという。

 この国の人間でないとはいえ、弱冠十六歳の学生にしてすでに故郷で二つ名を授かっているという事実は、レノーレが極めて優秀な詠術士メイジであることの証だった。


「どうかしたの?」


 そこで、数冊の本を両手で抱えたベルグレッテがやってくる。本の上に豊満な胸が乗っかる形となっており、おい本その場所俺と代われ、と一瞬本気で思ってしまう少年であった。


「いやえーと、ヴィントゥラシアって知ってる……よな、ベル子は」

「終天を喰らう蟒蛇の王、ね」


 本を机の上に置き、流護の対面の席に座りながらそう答える。


「レインディールやレフェ、バルクフォルトあたりでは、みんな子供の頃からその名前を聞かされて育ってるんじゃないかしら。『いい子にしてないと、ヴィントゥラシアが甦ってくるぞー』って」

「言うことを聞かん腕白小僧への脅し文句としては、冥王プルートー、エリュベリムと並んで一般的じゃろうの」

「ふむふむ、なるほどなあ」


 そこで、斜め前に座るレノーレのメガネがきらりと光った――気がした。小さな口を開いた彼女が、怒涛の言葉を連ね出す。


「……王都より遥か北東、ラインカダル山脈よりやや南に、ダーンタルッド高地と呼ばれる場所がある。そここそがガイセリウスとヴィントゥラシアが激突した地であると推察され、両者の戦いによって『大崩落』と呼ばれる地形の瓦解が起きたと伝えられている。後の調査団によれば、その場所には巨大な岩が不自然に屹立している一角があったという。これは墓のようにも見えることから墓碑エピタフと名付けられ、この大陸を救った聖戦の起きた中心地――ひいてはこの大陸の中心地という認識がなされたのが四百五十年前のこと。以降この墓碑エピタフを中心に、『北の地平線(ノース・グランダリア)』、『西の荒涼地(レッドテイル)』、『東の黒毒沼(イスタルスワンプ)』、『南の大熱砂(フォールニス・デュテ)』と呼ばれる『四地』が制定された」

「へ、へえー……。それ、全部暗記してんのか? すごいな、レノーレ」

「……お粗末様でした」


 そんな流護とレノーレを横目に、ベルグレッテが一冊の本をダイゴスへ手渡す。


「はい、ダイゴス。これも、なにかの参考になるかも」

「すまんな」


 それは、表紙に『医学と神詠術オラクル』と書かれた難しそうな本だった。

 ダイゴスはここ最近、図書室やこの書庫に通い詰めている。未だ眠り続ける長兄、ドゥエンの謎を解明するためだ。さらに欲をいえば、回復の手がかりとなる情報を探すために。ドゥエン・アケローンは、まだ『死んでいない』。レフェの者たちは皆そう考え、一縷の希望にすがっている。

 老衰や心労から倒れたことがはっきりしている国長カイエルと違い、ドゥエンの状態にはよく分からない部分が多いのだ。


 席に着いたベルグレッテはといえば、やたらと薄い一冊の本を開いていた。


「ベル子のその本は?」

「ん、これは童話よ。『暗き森と、最初のふたり』っていうんだけど。昨日の夜、クレアと通信してたらこの本の話題が出て、私も久しぶりに読んでみたくなっちゃって」

「……懐かしい」


 少女騎士の隣のレノーレが興味を示す。


「あら。レノーレも読む?」

「……大丈夫。……内容、全部暗記してる」

「まじかぱねえ」


 そんな会話を交わしていると、ダイゴスの耳元に揺らめく波紋が広がった。通信の神詠術オラクルだ。


「ワシじゃ」


 本を繰りながら応答する様は、手馴れた事務員のようでもある。


『よおーダイゴス! 元気にしてるか?』


 漂う波紋から響いてきた軽快な声は、流護も知っている人物のものだった。


「切るぞ」

『ウソだろ!?』


 テンポいいやり取りを聞いて、流護は思わずブフッと吹き出してしまう。


『おっ。もしかしてリューゴ君も一緒かな?』

「あ、はい。お久しぶりっす、ラデイルさん」


 アケローン三兄弟の次男、ダイゴスの実兄である。相も変わらずというか、その軽さはダイゴスやドゥエンと血が繋がっているとは思えない。


『ああ、元気そうで何よりだ。むっ? リューゴ君がいるということは、もしかして……ベルグレッテちゃんも?』

「あ、はい。ご無沙汰しています、ラデイルさん」

『これはご機嫌麗しゅう、ベルグレッテ殿。相変わらずの美声だね。貴女の透き通るような声音の前では、緑燕たちの囀りも霞んでしまうようだ』

「はあ。ありがとうございます……」


 苦笑いするベルグレッテに続けて、ダイゴスが「で、何の用じゃ」と被せる。


『なんだよー素っ気ないなダイゴス。せーっかくサエリ様と通信を繋いでやろうってのによぉー、兄さん、やる気なくしちまうなぁー』

「そうか。では、サエリを出してくれ」

『本気で悲しくなってきたぞ……』


 床を踏む音や扉を開く音が続き、『サエリ様、ダイゴスと繋がってますぞー』と少し遠い声が届く。ややあって、流護も知る少女の声が響いてきた。


『あ、あのっ。大吾さん? 桜枝里です……』 

「うむ、サエリか。変わりないか?」

『うんっ。大吾さんは今、なにしてたの?』

「学院の書庫で本を探しておった」

『そう、なんだ』


 たどたどしく不器用な両者のやり取り。しかし直後、


『ほらサエリ様、もっとグイグイ行かないとだめだぜ。あいつ、どうしようもない唐変木なんだから』

『や、あの……ラデイルさん、近いです』

『近い方が、通信の繋がりもいいんだぜ……? ちなみに、男女の関係も同じだ』

『いえ、そ、その。いくらなんでも近すぎ……』

『ああ、ラデイル様っ! それ以上はだめです! わたしが怒られてしまいますから……!』

『ああーっと! なんとラデイルさんがサエリ様の肩を抱き寄せている――ッ! これはいけませんよラデイルさんっ! タイゼーン様に報告ですね! あとダイゴスさん! お兄さんが大変なことを!』

『おっとお嬢さん方、細かいことは言いっこなしだぜ~。サエリ様は俺の義理の妹になるかもしれないんだ。これぐらいは家族の触れ合いのうちさ、問題なし! ほれ、もう片方の手が空いてるから、先着もう一名様どうぞ』


 ふー、とダイゴスが溜息ひとつ。不敵な笑顔のまま。


「兄者」

『何だ、愛する弟よ』

「帰ったら覚えておれよ」

『えぇ!?』


 通信の向こうからは、桜枝里の侍女に任命されたという少女兵ユヒミエや、天轟闘宴で音声を担当したシーノメアの声も聞こえていた。


「なんつーか、賑やかで楽しそうだな」

「ふふ、そうね」


 騒がしい通信に思わず流護とベルグレッテが笑うと、


『あれ!? もしかして流護くんとベル子ちゃんもいるの!?』


 今さら桜枝里の驚きの叫びが発せられた。


「ははは。最初から聞いてたぞ」

「全部聞こえてたわよ、サエリ」

『えぇー!?』


 しばし、誰が何を喋っているかも分からないような大人数の通信が続く。

 到底ダイゴスと桜枝里の二人でいい雰囲気になどなるはずもなく、皆で散々の雑談に興じた。

 ちなみに今更の話ではあるが、馬車で三日という長距離を繋ぐことのできるラデイルの通信術というものは、最高峰の技量によって実現されている絶技でもあった。当人によれば、「いつどこにいようとも女の子と連絡を取れるようにするため」とのことだが、そんな煩悩だけでこれだけの真似をされては、他の一流の詠術士メイジも立つ瀬がないだろう。


 やがて通信を終え、


「ったく、騒がしい連中じゃ」


 しかしダイゴスの口元に「ニィ……」と浮かぶおなじみの笑みは、いつもより深く穏やかに見えた。

 と。通信中ただ一人ずっと無言で本を読んでいた人物――即ち反対側の席に座るレノーレが、じっと巨漢の顔を見つめていた。


「おっと、すまん。耳障りじゃったか」

「……ううん。……大丈夫、気にならない。……ただ」


 無表情で、メガネ越しに映る眠たげな瞳のまま。


「……ダイゴス、少し変わった気がする」

「そうか。……そうじゃな。確かに、そうかもしれんの」


 そう言って、巨漢が細い糸目を流護へと向ける。釣られるように、レノーレも。そして、微笑ましげなベルグレッテも。


「え? 何? 何で俺を見てるんです」


 そんなこんなで、四人の夕方の読書タイムは過ぎてゆくのだった。

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