206. 光の雨
「ぐっあ……!」
後ろから飛んできたのは、水とは思えぬ鋭さの光条。杖の家系が若手ハザール・エンビレオの肩を浅からず抉った白銀の放物線は、わずかな朱色を含んで前方へと飛んでいく。
「痛ってぇな、くそ野郎め……!」
肩を押さえつつ、ハザールは背後を振り返った。
追撃を仕掛けてくる刺客。魔闘術士の一人、バルバドルフと名乗った痩躯の男。入り組んだ森を走り回っているにもかかわらず、その黒影は遅れることなく追随してくる。それどころか幾度となく術を放ち、ハザールに傷を負わせていた。時折反撃を仕掛けるも、黒き影は悠々と躱してのけている。
それどころか――
「おらよっと」
バルバドルフから飛んだ一撃が、ハザール目がけてではなく、明後日の方角へと飛んでいく。
「ぐあぁっ!」
直後、誰かの悲鳴が木霊した。
当然というべきか。なりふり構わず森を駆ける二人に対し、他の参加者が攻撃を仕掛けてくることが少なからずあった。その全てを、このバルバドルフは難なく撃破している。
(……こいつ、野戦慣れしてやがる……しかも本気で強え……、けど)
だからこそ。エンロカク・スティージェにぶつけることができれば、その効果も大きいはず。
そのエンロカクを捜し回っている現状だが、さすがにこの広い森の中、何の手がかりもなく駆け回っている訳ではない。
過去の戦歴やあの男の特徴から、出向きそうな場所の見当はついていた。
エンロカク・スティージェはその巨体ゆえ、支給された水筒のみでは水分が不足する。そのため、良質な水の摂取できる泉や川を渡り歩く傾向があるのだ。
水場を回れば、遭遇できる可能性は高い。
「――っとぉ!」
木々の合間を縫って飛んできた白銀の輝きを、辛うじて躱す。
(……ったく、頼むぜぇ、ダイゴスにエルゴよ……、お前らも、少しは魔闘術士の連中引っ張ってきてくれよな……?)
一息吸い込み、ハザールは再び加速した。
「……」
景色に変化はない。苔むした巨木が支柱のように連なる林道。その上方、葉の隙間から疎らに漏れ出る光。少し離れた位置から聞こえる川のせせらぎ。一見、彼がこれまで歩いてきた道と変わるところはない。
しかしエンロカク・スティージェは微細な空気の変化を感じ取り、足を止めていた。
「――へえ、気付くんだ。流石だね」
響いたのは、やや幼さの抜けきらぬ高めの声。
木々の合間からゆらりと現れたのは、その声音に違わず年端もいかぬ一人の少年だった。
さらさらした栗色の髪。顔つきはあどけなく、また身体も細く小さい。血で血を洗うこの戦場において、あまりにもそぐわないと思われる若者。しかしその正体は――剣の家系が次期当主候補、エルゴ・スティージェ。
「腐ってもスティージェの人間……ってところかな? オジサン」
「……お前か……」
「――ッ」
出てきた相手を見て落胆したようなエンロカクの呟きに、エルゴは奥歯を噛み締める。
「ねえ。僕がどうしてここで姿を現したと思う?」
「鏡がねえからだろ。いいのかよ、ドゥエンの奴に見てもらえねえぞ」
「いいんだよ。だって」
あえて観客たちの死角となる空間でエンロカクに姿を晒したエルゴは、口の端を歪めて薄く笑う。
「ドゥエンさんに見られたら……怒られちゃうかもしれないじゃん。魔闘術士? とかいう雑魚をオジサンにぶつけろー、って言われてるのにさ、」
「僕が真っ正面からオジサンを殺っちゃったら……言い付けを破ることになっちゃう訳だしね」
エルゴの右手に薄く白い光が点った。発光を伴う属性は限られている。炎の焦熱か、雷電の閃きか。
その手のひらを包む眩い色彩からエンロカクが判じたのは、
「雷か」
「――ふふっ」
その言葉を剣の少年が鼻で笑うと同時、
「!」
光る。
刹那の瞬きが、エンロカクの視界を灼いていた。
「ハズレ、だよ。落伍者のダボ野郎」
瞬間的に、音もなく視界を塗り潰すほどの白い闇。稲妻のごとき閃光を放ちながら、しかしエルゴは嘲弄する。
エンロカクの視力が戻るより速く、エルゴの右腕を包んでいた白光は湾曲した刃の形状をもって集束した。
がら空きとなっている黒き巨人の腹部へ、
「――キレイに卸してやる」
両断の一閃が横薙ぎに叩き込まれた。
直撃を証明する硬い手応え。
「!」
しかしそこで目を見張ったのはエルゴ・スティージェ。
人体程度ならば容易に捌く光芒の剣。そんな完殺の白閃は、確かにエンロカクの腹部へと振るわれていながら――しかしその胴体を断つことなく、見えない何かによって押し止められていた。硬い巨木に歯が立たぬ、錆びたノコギリのように。
その正体は、風。
至近の間合いで初めて気付く。
エンロカクの全身を包み込む、視認できない風の薄膜。目の前でなければ認識不可能なほど微細な風の流れ。それでいて触れたもの全てを弾き飛ばす竜巻のごとき苛烈さを纏った、絶対の障壁。これはまさしく、このような不意打ちや暗殺を防ぐための術に違いない。
「ッの、野郎……関、係……ッ、ねえんだよオォ、劣等の糞がアアァ――ッッ!」
両腕に光の剣を展開したエルゴは、身体ごと旋回させて斬刃を打ちつける。その一撃では終わらない。繰り返し、繰り返す。あらゆる角度から弧を描く光条は、遠心力を伴い、次第に加速度を増してゆく。
「お、……お?」
ここでようやく視力の戻ったエンロカクだったが、そのときには目前で光の渦が輝きを放っていた。そう錯覚するほどの連舞連撃。その光刃の連撃速度は、最大で秒間二十発にも及ぶ。まるで――降り注ぐ光の豪雨。
エンロカクの纏う風はその全てを弾き防いでいたが、物理的衝撃の前に身体が押され始めた。ズ……と地面に引きずった形跡を残し、エンロカクの巨躯が意思とは無関係に後退する。
「おっ……、おお」
それだけではない。
絶え間なく打ちつけられる光の斬撃は、ついに少しずつ風の障壁を突破し始めた。エンロカクの黒い腕に、脚に、細かなかすり傷が走る。
「ッラアァ!」
その光景が黒水鏡に捉えられていたのなら、観客たちはさぞ沸き立ったことだろう。
両腕の光を束ねて大剣を形作ったエルゴは、横一閃の軌道でエンロカクを豪快に薙ぎ払った。
「ぬ……!」
二マイレ半を超す黒い巨体が、大きく弾け飛ぶ。勢いよく背後の老樹へ叩きつけられたエンロカクは、確かに――その足元をふらつかせた。
そして終わらない。
すでに、エルゴは追撃のために走り込んでいる。またしても光を両腕へと分け、二刀流を形作る。
「――理解したか? 落伍者」
光の雨は降り止まず。
「これがこの僕。『白輝』、エルゴ・スティージェ」
敵を貫き、絶命せしめるまで注ぎ続ける。
「属性は――光。凡百のてめぇとは、生まれ持った属性から違うんだよカス野郎が――!」
逃げ場の存在しない白き眩耀が、エンロカク・スティージェを包み込んだ。




