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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
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190. 起爆

 過酷な砂漠に生きる民であるがゆえ、油断はない。


 ――その男の才覚は、間違いなく本物だった。

 先に『当てた』のは、ヒョヌパピオ・ベグ。

 同胞であるバルバドルフより聞き及び、また実際に対峙した印象から予測した、有海流護という戦力。

 魔闘術士メイガスの男は、この小さな相手を猛獣のようだと感じていた。

 その感覚は正しく、ゆえに油断はなく。ヒョヌパピオは刹那の領域において、違えることなく最上の選択を掴み取っていた。


 相手が猛獣ならば。

 油断こそできないものの――自分が『喰う側』だ、と判じて。






 開幕を告げる砲火。轟く花火の爆音が、かすかに大地すらも震わせる。


 ――触れれば届く、至近の間合い。

 相手を斃すべく繰り出される一撃は、果たして『どこ』へ飛来するのか。


 花火の余韻も消えやらぬ数瞬の間。

 ヒョヌパピオはその長躯を折り畳むように捻り曲げ、流護の背丈よりも低く踏み込んだ。

 一撃で意識を刈り取り、敵を無力化するならば。狙うは――頭部。

 その読みは的中し、身を屈めた魔闘術士メイガスの頭部からわずか上を、暴風じみた拳が過ぎ去っていく。流護渾身の右拳は、大気のみを裂いて不発に終わる。

 全てを粉砕するかのような豪腕の圧力を間近で感じてなお、ヒョヌパピオの背筋に悪寒が走ることはなかった。


(――薬、ヒヒ)


 思考はただ一つ。


(たくさん殺せば、たくさん薬をくれる。ジ・ファールはそう言った)


 ヒョヌパピオの右腕に赤光が煌めいた。

炎爛鎌刃ファラヨ・ナヨム』。

 湾曲した刃を象る炎の斬撃は、これまで幾多の首を刎ねてきた珠玉の絶技。砂漠地帯に闊歩する怨魔を、敵対する人間を、等しく屠ってきた焔の一閃。

 まるでバネさながら。屈み込んだ体勢から伸び上がったヒョヌパピオは、勢いのまま鋭利な刃を閃かせた。尖った炎は吸い込まれるような正確さで流護の首筋へ。頚部に巻かれたリングと下顎の隙間を狙い――


 ――頚を裂き、肉を断ち切る感触。

 あえて一撃で仕留めず、首の中ほどまで叩き込み、切れ味の鈍ったノコギリのように少しずつ首を裂く。焼き千切る。

 痛みに喘ぎ、血にまみれ、絶望に染まった瞳の色が、力なく消えていくその過程を愉しむ――


 はずだった。


「……、は? あ?」


 炎刃に、甘美な断裂の感触が伝わることはなく。

 訪れたのは、カッ、と硬質の手応え。それこそまるで、切れの悪いノコギリが引っ掛かってしまったような。

 刈り取る軌跡は、少年が掲げた左腕によって阻まれていた。正確には、その腕を覆った灰色の篭手によって。地味な鱗で埋め尽くされた表皮は、ヒョヌパピオの炎など歯牙にもかけぬとばかりに通さない。


(…………バッ、)


 馬鹿な。

 この男と遭遇してからこれまで。五分弱の間、集中に集中し、練りに練って顕現した全霊の炎刃。


 並の防具で、防げるはずが――

 そもそもコイツ、俺の速度に反応を――


 しかしそれは、ヒョヌパピオが才覚に溢れていたゆえだろう。混乱に陥りかけた思考を即座に修正し、迷わず切り替えた。

 相手は右拳を空振り、左腕を盾に使ったばかり。対する自分には、左腕が残っている――


(――死、ねッ!)


 暴悪に赤熱する左。大気焦がし振るわれる赤光。

 勝ちを確信した瞬間、男の世界が爆ぜ飛んだ。






 ヒョヌパピオ・ベグはこの短い戦闘において、最後まで誤ることなく最善の手段を選択、実行し続けていた。

 ただ。

 目前の壁は、彼がいかなる手段を尽くそうとも、最初から越えることのできない絶壁だった、というだけの話で。






 流護が放った右の蹴り上げは、ヒョヌパピオの顎をガチンと噛み合わせ、粉砕し、そのまま首ごと跳ね上げていた。その暴威から逃げ出すかのように、砕けた歯が血飛沫と共に弾け飛ぶ。


「――……」


 何の感慨もなく。

 かしぎ、仰向けに倒れていくヒョヌパピオの身体を流護は見送った。

 大の字となって、魔闘術士メイガスの男は轟沈する。全身は小刻みに痙攣し、圧壊した顎部からは血泡がごぼこぼと溢れ出していた。


「――っと」


 一撃で外れ、舞い上がっていたのだろう。

 紐状になって舞い降りてきたそれを、無造作に掴み取る。手に握られた紐は、呼応するように淡く青い光を放ち始めた。

 天轟闘宴参加者の証。ヒョヌパピオの首から外れた、リングだった。


「なるほど……これで首輪ゲット、ってことになるのか。――さて」


 口の端が、歪に吊り上がる。檻から解き放たれた獣を思わせる、犬歯を剥き出しにした獰猛な笑み。


「――んじゃ、始めるとすっか……!」






 総勢三万。

 それだけの人数が数瞬、示し合わせたように沈黙した。


 そして。目撃した光景の意味を理解し、一斉に起爆する。地震めいた大歓声が『無極の庭』を包み込んだ。事実、客たちが足を踏み鳴らすことで、石造りの観覧席が振動している。


『いっ、い……、いちっ――げぇ――――きっ!? なな、なんと124番、リューゴ・アリウミ! その交錯も刹那の出来事! 優勝候補と目される魔闘術士メイガスの構成員、ヒョヌパピオ・ベグを一撃で斬って落としたあぁ――――っ!』


 シーノメアが半立ちになって絶叫する。張り合うように、観客たちが熱狂を増した。


『お聞きください、この大歓声ッ! 私の通信が掻き消されてしまいそうです! それほどの一撃! それも巫術によるものではなく……なんと蹴撃一閃! 私、見えませんでした! リューゴ選手が足を高々と掲げているのを……ヒョヌパピオ選手が倒れているのを見て、初めて蹴りが当たったのだと……終わったのだと気付きました!』


 黒水鏡の『映し』が切り替わり、中央から左半分に特別席の様子が浮かび上がる。

 そこには呆けたように鏡を注視する巫女の姿。先ほどは突然映されて恥ずかしがっていた彼女だが、今はただひたすらの驚き顔で固まっている。近くに座る国長も、眉根を寄せて鏡に釘付けとなっていた。


『特別席のサエリ様も、その隣の国長様も……皆、驚愕の表情で鏡を見つめているーっ! 一瞬の惨劇でしたがっ……ツェイリンさん、記録は!?』

『…………、三秒じゃ』


 超越者までもが信じられないように呟き、大歓声はさらに轟きを増した。


『……三、……と、……でっ』


 いよいよシーノメアの声が飲み込まれ、熱狂の渦が肥大していく。






「……っ!」


 ベルグレッテは無意識のうちに、ぐっと拳を握りしめていた。

 まさに一撃必殺。

 分かっていた。流護ならば、きっとやってくれると。それでもやはり、身を震わせずにいられない。


(……、すごいなぁ、リューゴは……)


 あの日出会った、不思議な少年。

 ベルグレッテたちの危機を幾度となく救い、着実に成果を挙げて。二百超の人々の前で実力を示し、遊撃兵となり。そして今、三万もの人々を熱狂させている。


(…………本当に)


「いやいや。驚いたな、これは。中々見られるものじゃない」


 隣席に座る例の紳士も、半笑いを浮かべながら拍手を送っていた。


『さ、さぁ、何とも衝撃的な開幕となりましたが……今、倒れたヒョヌパピオ選手に白服が駆け寄っております。ピクリとも動きません、危険な状態でしょうか』


 事実、即死していてもおかしくないような一撃だった。

 流護の技量を目の当たりにするたび、自分との決闘ではどれだけ手加減していたのだろう、とベルグレッテは複雑な気持ちになってしまう。


『……さて確かに、リューゴ選手がわずか三秒で相手を沈めたわけですが……これが初撃破として認定されるかどうかは、また別の話――ということになるんですよね、ドゥエンさん』

『ええ。とはいえ、今回はほぼ確定だとは思いますが』


 開幕直後、蹴りによる瞬殺劇。

 その衝撃的な印象もさることながら、相手がかの魔闘術士メイガスである点が大きい。優勝候補の実力派と評されながらも、街で好き勝手に振る舞い、不遜な態度が目立っていた集団。ヒョヌパピオはその一人だ。痛烈な一撃で倒された『悪役』の姿に、溜飲の下がった者も多いだろう。

 さらには、流護が神詠術オラクル――巫術を使わずに勝利してしまったという点。

 術を神の憐憫と捉え、ガイセリウス信仰も篤いこのレフェという国。かの英雄を彷彿とさせる圧倒的な無術の武力は、民衆たちの歓心を買うに充分すぎる。熱狂している人々の半数は、瞬殺したことよりも術を使わなかったことに対して称賛を送っているはず――とドゥエンは解説した。


『そ、そういえば……わずか一撃、一瞬で相手を下してしまったリューゴ選手ですが、周りから誰かが仕掛けてくる気配はないようですね……』

『それもそうじゃろ。あれだけのものを見せられてはのう』


 小さな超越者ツェイリンが、かんらかんらと笑う。


『な、なるほどっ……。しかしその……ドゥエンさんの九秒よりも速い、三秒という……』

『フフ。気を遣わずとも宜しいですよ。新たな記録が出るのは、大変喜ばしい事ですから』


 男のニコリとした笑みが黒水鏡に映る。

 その微笑みは、笑っているのに笑っていない――どこか寒々としたものを感じる、色のない表情だった。


「…………、」


 強がりや虚勢ではない。

 ただ、冷たい。まるで、微塵も興味がないかのごとく。

 ベルグレッテには、そう感じられた。






(ちっ……)


 一撃にて敵を沈めた流護は、しかし内心で舌を打って己の右腕へと視線を落とした。黒すぎず、白すぎず。半袖から露出する肌の色は、ごく一般的な日本人のものといえるだろう。


(右、アッサリ躱されたな……、森も予想してたより薄暗いし、黒の長袖にしときゃよかった)


 この夏の暑さだ。当然というべきか、流護は首都で購入した簡素な半袖の上衣を纏っていた。色は薄い茶色。着心地も風通しもよく、お気に入りの一着である。が、


(他の参加者とか魔闘術士メイガスにも同レベルの奴がいるとすると……仕留め損ねたら、面倒なことになりそうだ)


 そこで『黒の長袖』だ。暗い場所での立ち回りでは、これが効果を発揮する。闇に紛れることで、拳が見えづらくなるのだ。日本にいた頃、薄暗い商店街の路地裏でケンカを繰り広げたときも、黒の学ランを着ていればそれだけで有利になることすらあった。

 ちなみに黒の手袋もあれば文句なしなのだが、この暑い時期にそこまで用意するという発想は事前に出てこなかったので仕方がない。


「ふ。此れ程の一撃で瞬く間に仕留めておきながら、納得がいかぬという顔だな」


 ヒョヌパピオの処置を終えた白服が話しかけてくる。


「いや……、あっ。これ、お願いしていいっすか」


 思い出したように、流護は握っていたリングを白服へと差し出した。体格のいい白一色の判定員は、若干困惑したような表情を見せる。


「……良いのか? 要望とあらば預かるが……万一紛失してしまっても、責任は持てぬぞ。その袋に詰めておく事を勧める」

「いや、それで構わないんで」

「そうか」


 リングを渡し、流護は踵を返す。

 細い獣道に沿って歩き、薄暗い森の中へと消えていった。






 ――解説席に座るドゥエンが推測した通り。

 流護とヒョヌパピオが激突したその近くの草薮には、三人の詠術士メイジが潜んでいた。ローブ姿の彼らは、草葉の陰でうつ伏せになりながら様子を窺っていた。

 双方が激突した結果、残った片方を叩く。もしくは交戦している隙をつき、背後から双方共に撃ち貫く。そのつもりだった。


「…………、」


 しかし今はただ、息を殺して見送る。見つからないように。

 一撃で魔闘術士メイガスの男を打ち倒し、歓喜に震えるでもなく、それどころか冷めた顔で歩いていく少年の後ろ姿を、ただ見送る。

 ――動けなかった。


「……なん、だよ……、アイツは……」


 まだ年端もいかない若者だ。背丈も小さい。

 しかし、直感した。三人がかりでも勝てない、と。


「手を出す間もなかったが……僥倖だったかもな」


 別の一人が、冷や汗を拭いながら囁く。

 開始直後、一瞬の惨劇。一体、何秒の出来事だったろうか。あの少年は間違いなく初撃破を獲得しただろう。このような強者がポッと現れるから、この武祭は油断できないのだ。

 しかし、彼が尋常でない使い手だと分かった。避けるべき相手、限界まで消耗させない限り手を出してはいけない相手だと理解できた。

 それらが情報として得られたのは、大きな収穫といえる。


「……よし。尾けるぞ」


 あの若者は強い。文字通りの一蹴。あれで神詠術オラクルを解禁してしまったらどうなるのか、もはや想像がつかない。

 だが、天轟闘宴においては素人であることも明白だった。身を潜める素振りすら見せず、獲得したリングも保持の確証がない白服に渡してしまっている。

 これからもああして正面から闘っていくつもりなのか。

 結構な蛮勇だが――あのような闘い方は、決して長く続かない。あっという間に消耗する。つまり、すぐに好機が訪れる。

 三人は息を潜め、足音を殺しながら追跡を開始した。これが天轟闘宴における基本戦術だ、と示すように。






 少年が早々に一人を脱落させ、三人の男たちがその後を追ってしばらく。

 それまで風に揺らぐことすらなかった深緑の草むらが、葉擦れの音を立てる。


「……行くぞ」

「ああ」


 まるで地面から影が屹立したような黒。闇と同化するような黒ずくめの男が二人、行動を開始した。

 追う者と追われる者。追っているつもりが、気付けば追われる立場となっている――それもまた、天轟闘宴における常道の一つであろう。

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