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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
6. 雪桜のスペクトラム
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170. 魔剣

 時は数十分前へと遡る。

 巫女の部屋を飛び出したダイゴスは、急ぎ足で謁見の間へと向かっていた。


 ――『不死者』、エンロカク・スティージェが戻ってきた。


 兵から受けたその報告は、常時泰然と構えている巨漢から余裕を失わせるに充分な内容だった。


 かつてレフェには、最強と名高い二人の戦士がいた。

 一人は、ドゥエン・アケローン。

 そして、もう一人は――


 レフェの国長や『千年議会』に仕える選り抜きの系譜、『十三武家』。その中の一つにして中核、剣の家系。名を、スティージェという。

 矛の家系たるアケローンが暗殺者の一族なら、剣の家系たるスティージェは紛うことなき戦士の一族。

 正面から敵と戦い打ち砕く、『十三武家』で最も知られた家系。国内においても勇士の一族として名高く、民衆たちからの支持も絶大だった。


 しかしそれは、神の試練か悪戯か。

 唐突に『ペンタ』――レフェにおいては『凶禍の者』――と称される異才が発生するのと同様に、三十年ほど前、その『淀み』は前触れもなくこの世に現出した。

 エンロカク・スティージェ。

 剣の家系に生まれ落ちたその男は、歴代最高と謳われるほどの逸材だった。恵まれた体躯。高い知能。秀でた巫術の才能。

 殊更に優れていたのは、その異常なまでの身体能力。生れ落ちてすぐに、自らの両足で歩いてみせたという。齢十五を迎える頃には、詠術士メイジや怨魔を相手取り、素手で渡り合うだけの力を有していた。それだけでなく、ある特殊な体質をも備えており、ガイセリウスの再来とまで囁かれるほどだった。


 しかしその代償とでもいうのか、それ以外の全てが欠落していた。


 傍若無人、傲岸不遜。己こそが至高であり、原則として他者は視界にも入らないという考えの持ち主。年齢を重ねるごとに、強くなるごとに、その傲慢さは影を潜めるどころか肥大していった。

 高い能力ゆえに他を見下す『凶禍の者』とはまた違った、異質な選民意識。誇りや地位といったものにはまるで関心を持たず、強い男と美しい女以外には興味を示さない、人の形をした獣。

 少しでも気に入らない男は殴り、少しでも気に入った女は抱く。『千年議会』はおろか、国長にすら敬意を払わない。

 エンロカクは『凶禍の者』でないにもかかわらず、まさにその忌み名が相応しい存在だった。本物よりも『らしい』と評されるほどに。

 いつしか、剣の家系の――『十三武家』の暗部とされ、単純な戦闘でのみ運用される、まさに武器のような――剣のような存在となっていった。


 多少の金と女さえ与えておけば満足することと、その強さが齎す多大な戦果ゆえに、多少の『粗相』も黙認されてきたエンロカクだったが、内側からの不満が爆発したのは十年前のこと。

 首都を訪れていた地方貴族の令嬢がエンロカクに目をつけられ、『餌食となった』のが切っ掛けだった。娘には婚約者がおり、その相手が盾の家系の者だったことも事態を複雑化させた。

 激昂した許婚の男はエンロカクに挑みかかったが、あえなく返り討ちとなった。殺されはしなかったものの、いたぶるように全身の骨を砕かれ、結局は盾の家系の戦士としては再起不能に追い込まれている。民衆たちには知られぬよう手を尽くした『千年議会』だったが、『十三武家』において過去類をみない汚点となったことに違いはない。


 これまでの振る舞いを考慮した結果、エンロカクに下された裁定は粛清。これには同じ剣の家系の者、親族ですら同意した。こうして厄災を振り撒く呪われた剣は、扱いきれず処分されることとなった。


 その夜。エンロカクの寝所へ詰めかけたのは、他の『十三武家』の戦士たちを含む、五十名からなる精鋭兵団。

 自分を殺しにきた多勢を前に、エンロカクは目を輝かせて言い放ったという。


「そりゃつまり……今この場で、大暴れしちまってもイイってぇことだよな?」


 むしろ、このときを待ち侘びていたといわんばかりの笑み。新しい玩具を前にした子供のような。そんな純真さすら感じた者もいたという。

 参加した兵の一人は、後に語った。


「この男を相手取るなら、それは戦闘ではない。戦争になる」と。


 同行していた『千年議会』の重鎮、カーンダーラ・ザッガの判断によって、異例の処置変更が決定された。

 エンロカクの粛清が成されるまでに出る損害は、莫大なものとなるだろう。双璧を成すドゥエンをぶつけたとしても、まず両者共に無事では済まない。レフェは下手をすれば、国の二大戦力を同時に失ってしまうことになる。


 それらの事情を鑑みた結果、粛清は取り下げ。

 エンロカクは剣の家系としての地位を剥奪、一定額の資金を渡しての国外追放となった。この決定には当然ながら反発する者も多かったが、主導したカーンダーラは言い捨てる。「貴様らは、実際に奴を目の前にしておらんから言えるのだ」と。


 幸いにもエンロカクは喜々として同意し、国を出ていった。肉で釣れる獣のごとく御しやすい、とカーンダーラは負け惜しみのように笑う。

 エンロカクが剣の家系の者でなくなった以上、次に何かあれば、ただの無法者として斬り捨てることもできる。実際にそれが可能か否かはまた別の話となるが。


 そうしてエンロカクは、優秀な戦士を輩出し続けた剣の家系……否、国そのものの汚点となった。

 ある意味でレフェという国家が、エンロカクという個人を相手に折れたともいえるだろう。

 厳格な教育を施される『十三武家』において、なぜ彼のような悪鬼が育ってしまったのか、その経緯は定かではない。

 ともかくとして、その凶人が十年ぶりに戻ってきたという事実。これは、城中に衝撃が走って然るべき異常事態に違いなかった。






 ダイゴスが謁見の間へ駆けつけると、視界に飛び込んできたのは異常な光景だった。

 広く静謐な板張りの空間。その中央に立つは、エンロカク・スティージェ。追放された身であるにもかかわらず、魔剣と呼ばれた男はあまりにも堂々と佇んでいる。


 遠巻きに囲む兵士の数、およそ二十。槍と鎧で完全武装した精鋭たち。しかし怨魔の群れに対しても怯まない彼らは今、たった一人の男を前にありありと狼狽していた。


 エンロカクと十マイレほどの距離を空けて相対するは、玉座に身を預けたレフェの王、国長カイエル。今年で齢七十九となる国長は、皺だらけの顔を忌々しげに歪めている。両脇には、総勢十名に及ぶ侍女たちの姿。異質すぎる巨人を前に、怯えて互いに身を寄せ合っていた。

 その長と侍女らを守護するように並ぶ、『十三武家』の面々。中にはダイゴスの兄、ドゥエンの姿もあった。さすがというべきか、長兄に動じている素振りは見られない。


「……」


 状況を認識すると同時、叩き込まれた思考が二択を提示する。即ち、殺せるか否か。不可能だ、と脳が即座に決断を下す。

 驚くほど隙がない。『戦闘』へと発展すれば、国長や侍女たちを巻き込んでしまうことになる。

 そもそもダイゴスに可能であれば、長兄ドゥエンがとっくに殺っているはずだ。


 そうそうたる顔ぶれを前に、エンロカクは顎を撫でながら笑う。


「フフ。十年ぶりともなれば、『十三武家』の面子も変わるもんだな。半分以上は知らん顔だ。国長も随分と老けたじゃねえか。壮健か?」

「ふん。貴様の顔を見て、気分が悪くなってきたところじゃわい」

「無理もねえ。確か、そろそろ八十だろ? ハハッ、臨終も近いな」


 無礼極まりない発言に、周囲の兵たちが緊迫感を増す。今にも攻撃術が飛び交いそうな気配。

 その空気を、国長が手を上げて制する。


「して……何をしに戻った。渡した資金が底をつき、集りにでも来たか?」

「ハッ、子供じゃねえんだ。俺も何だかんだでもう三十三。丸くなったんだぜ、これでもよ」


 道を阻む兵を打ち倒してたどり着き、土足厳禁の床に薄汚れたブーツのまま上がり込んでいる大男は、そう言って快活に笑う。


「小耳に挟んだんだよ。『神域の巫女』。今回、大人気だそうじゃねえか、なんつったか……ユキザ・キサーエリとかってぇ名前だったか?」

「!」


 ダイゴスはわずかに身が硬直するのを自覚した。その理由を考える間もないまま、黒き巨人は不遜な口調で続ける。


「俺も日報紙で見たんだがね。絵に脚色がなきゃ、成程かなりの上玉じゃねえの。以前、どこぞの貴族が巫女を手篭めにしたって噂もあったよな? ってぇことはだ、俺が巫女を自分のモノにしちまっても問題ねえ訳だ」

「……国長、抜剣の許可を。不埒な賊の戯言、此れ以上聞く必要は有りますまい」


 怒気を孕みつつも、静かな声。

 黒髪を背まで伸ばした生真面目そうな男が、腰に提げた剣へ手をかけていた。

 鎚の家系が当主、ラパ・ミノス。二十一という若さで頭目の座に就いた、紛うことなき実力派である。

 ――が。


「ン~……十年経って、兵の質も落ちちまったのか? 今は、相手の実力も推し量れねえような雑魚が国長の横に立ってんのかよ。大丈夫か?」


 落胆すら感じさせるエンロカクの言葉に、ラパが目を細めた。剣の柄を握りしめた手に力が篭もる。

 遮るように国長が続きを話す。


「……ふん、『神域の巫女』が欲しいか。しかし貴様が言うた通り、評判も上々でな。おいそれとくれてやる事はできん」

「なら、力づくで奪うまでだ」


 その宣言に、『十三武家』の戦士たちが身構える――より早く。

 エンロカクは両手を大きく広げて笑う。


「と、昔の俺なら言ったろうな。さっきも言ったが、丸くなったんだ俺は。そんな真似はしねえさ」

「ならば、何が狙いじゃ」

「天轟闘宴」


 低く、その単語を響かせる。


「武祭で優勝すりゃあ、一千万の金と望みの物が手に入る。所詮はお飾りに過ぎねえ、挿げ替えの利く巫女だ。俺が優勝して巫女を貰う分には、問題ねえ筈だろ?」

「…………、」


 エンロカクの言い分に、国長は押し黙った。

 結論からいえば、問題はない。

 今や『神域の巫女』が飾りにすぎない存在であることも、すげ替えがきくことも事実。現代における巫女の役割とは、結局のところただの客寄せでしかない。

 政治的に利点がある場合、貴族に娶らせることもあった。政略結婚のように、巫女の意志とは関係なく。

 エンロカクの言う通り、過去の実例も踏まえたうえで考えるならば、巫女を――桜枝里を引き渡すことは可能だ。

 ……巫女の役割には、その身をもっての厄除けも含まれる。つまり、生贄。レフェの伝承を紐解けば、災厄を鎮めるために巫女を捧げただの、巫女が命を賭して単身で悪鬼に立ち向かっただのといった話は数え切れないほど存在する。先の貴族へ嫁がせたという事例も、ある意味ではこれに近しいかもしれない。

 桜枝里という巫女を差し出すことでエンロカクという災禍を除けることができるのなら、それは『神域の巫女』本来の役割を果たせるとすらいえるかもしれなかった。


 が、国としては現在、桜枝里の存在によって経済が活性化しており、勢いに乗っている状態。この男になど間違っても渡したくないのが実情である。

 国長カイエル自身、孫のようだと桜枝里を気に入っていた。誰が貴様なんぞにくれてやるか、という感情が皺だらけの顔に滲み出ている。

 ――しかし。


「ま、ダメならダメで構わんぜ。天轟闘宴の魅力の一つでもある、望む物を何でも与えるってぇ条件……それにケチがつくだけの話だ。何でもくれてやるなんて言いながら、女の一人も寄越せやしねえ、ってな」


 拒否した場合に生じる懸念を、巨人は正しく言い当てる。


「馬鹿め。其れ以前に、咎人である貴様が武祭に参加出来る心算か」


 ラパが侮蔑の色を混ぜて吐き捨てるが、エンロカクはそれこそ鼻で笑った。


詠術士メイジ、騎士、傭兵、冒険者、『凶禍の者』、果ては脛に傷のある悪党まで。誰でも参加できるってぇのが天轟闘宴のウリだろ? 俺だけは例外で除け者かい? 仲間外れとは寂しいねぇ。ま、それならそれで構わねえがな」


 誰であろうと参加可能な、戦士たちの武祭。

 エンロカクも、国を追放される前には幾度となく出場していた。ドゥエンの都合がつかない場合の、『優勝要員』として。

 今となっては無論、この男の抱える事情が事情だ。「今のお前に参加資格はない」と、突っぱねてしまうことは容易い。


「この黒いオジサンだけ例外で参加できない……ってのは、マズイでしょ」


 高い声だった。

 国長を守るように立っている『十三武家』の面々、その中から一人の少年が歩み出る。歳の頃は流護やベルグレッテと同程度。さらさらした栗色の短い髪が特徴的な、未だ幼さを残した顔立ちの若者。居並ぶ精鋭たちの中、その背丈も一番低く、また細い。

 勇猛な戦士らがひしめき、修羅場寸前の空気漂うこの空間。その存在が場違いに思えるほど、少年は『普通』だった。

 かつてレフェ最強の一翼を担っていた黒き巨人を眺めながら、その若者は平然と続ける。


「事情はどうあれ、このオジサンだけ出場禁止なんてことになったら、民衆の間で色々と噂になっちゃいますよ。何かある、って言ってるようなものですって。コイツが剣の家系から出て行ったのには、やっぱり何か事情がありそうだ……天轟闘宴の出場が認められないのは、コイツが優勝するのを止められないからだ。みたいな風にね」

「エルゴ、口を慎め。間違っても其の様な妄言を――」

「いやいやいや、だから」


 鋭く叱咤するラパを慌てて遮り、少年は――エルゴは言い募る。


「僕の意見じゃなくて。そんなことを言う奴も絶対に出てくるー、っていう話ですって」


 エルゴは薄く笑いながら、「だから、いいじゃないですか」と呟き、続ける。


「このオジサンの天轟闘宴参加、認めてあげちゃえば」


 その言葉を受け、エンロカクが初めてエルゴを正面から見下ろす。ようやくその存在を認めたとでもいうような視線で。


「良いコト言うじゃねえか、坊主。話が分かる奴ァ嫌いじゃねえぜ。名前は?」

「剣の家系が次期当主候補、エルゴ・スティージェ。ヨロシクね、先輩のオジサン」

「ほう。俺の縁者か」

「オジサンが現役だった頃、僕は小さかったし、ハクビの領地に住んでたから……僕のこと、知らないでしょ。まあ、僕もオジサンのことよく知らないけど」


 剣の家系は、約六十名の親類縁者からなる大所帯の一族。普段はそれぞれの家族ごとに各地へと散らばって暮らしており、親類同士といえど互いの顔すら知らないことも珍しくない。

 まさに今、笑みをたたえながら向かい合っているエルゴとエンロカクのように。


「ってことで長様。僕、天轟闘宴に出てもいいですよね?」


 剣の少年は振り返り、国長の判断を仰ぐ――が、当の主は困惑した顔を見せた。


「むっ……しかし……」

「大丈夫ですって。『部外者』の回なのは心得てますよ。優勝しちゃったりはしません。ちゃんと――」


 ちら、と背後の巨人を振り返りながら。少年は嗤う。


「――このオジサンを始末したあと、頃合いを見計らって脱落しますから」


 殺意を放つ挑発。が、当のエンロカクは深々と溜息を吐く。ぼりぼりと頭を掻きながら、その視線は――ドゥエン・アケローンを見据えていた。


「あーあ。んだよ、今回は『お持て成し』回だったか。それじゃお前は出ねえってぇ訳だな、ドゥエン」

「そういう事」


 矛の当主は錆びた声で肯定する。

 かつて、レフェ最強の両翼として名を馳せた二人。国の都合上、両者が刃を交えたことは過去一度もない。

 根っからの暗殺者気質であるドゥエンの心理は窺い知れないが、エンロカクは間違いなく思い続けていたはずだ。


 ドゥエン・アケローンと闘ってみたい、と。


 そもそも城を出ることに同意したのも、『十三武家』の人間でなくなることによってしがらみから解放され、後腐れなくドゥエンと闘えるようになるのが目的だったのではないか、とも囁かれていた。


「ン~……何もかも都合よくはいかねえか。しょうがねえ、お前と闘るのは諦めるさ。今回の武祭ではな」

「ねえ」


 名残り惜しそうなエンロカクへ、怒りに満ちた声が投げかけられる。


「オジサンさ、なーに僕のこと無視してくれちゃってんの?」


 今にも爆発しかねない怒気を放つ剣の少年エルゴが、縁者である巨人を仰ぎ見る。


「あん? ああ、お前も出るんだっけか? まあ、頑張りな」

「……、」


 まるで眼中にないというエンロカクの態度に、エルゴが爆発する――より早く、


「あい分かった」


 国長のしわがれていながらもよく通る声が、謁見の間に響き渡った。


「エンロカクよ。天轟闘宴への出場、認めようではないか」

「国長……!」

「話が分かるじゃねえか」


 抗議めいた声を上げるラパとは対照的に、エンロカクは満足げな笑みを見せる。


「じゃが……優勝できる、などとは思わぬことじゃ。死んでから文句なぞ言うでないぞ。天轟闘宴は今や、貴様がいた頃とは比較にならぬ猛者たちの集う場となっておる」

「フ……だといいんだがな」


 国長の脅しも、かつてレフェ最強の一翼を担っていた男には無意味。むしろ、この巨人が秘める暴性の起爆剤としかなり得ない。


「さて、話も済んだことだ。それじゃ、軽く巫女の下見でもさせてもらうとするか。俺の女になる訳だしな」


 誰が止める間もなく。

 エンロカクの言葉と同時、謁見の間に烈風が吹き荒んだ。燭台が倒れ、御簾がバサバサと荒い音を立てる。侍女たちの悲鳴が響く。

『十三武家』の面々が咄嗟に術を展開して国長らを守り、兵士たちが大きく体勢を崩す。ダイゴスも膝に力を込めて顔の前へ手をかざし――

 気付いたときには、エンロカクの姿だけが忽然と消えていた。


「奴め……まさか、巫女様の所へ!?」

「急げ!」


 兵士らが慌しく後を追う。

 その様子を尻目にしながら、うろたえた国長がドゥエンへ顔を向けた。


「サエリの下へ向かったのか……? ドゥエンよ、や、奴を……!」

「ご安心を。奴も態々、こうして天轟闘宴参加の約束を取り付けに現れた訳ですから。その武祭を控えて、無茶な真似はしないでしょう。丸くなった……という奴自身の言も、強ち妄言ではないのやもしれません」


 ニコリと笑いつつ、矛の長兄は弟に向かって手招きをした。


「ダイゴス、ちょっと来なさい」


 呼ばれるまま国長の隣に立つドゥエンの前へ行くと、当の本人は弟を見上げて意外そうな顔を見せた。――ひどくわざとらしい、作ったような表情を。


「おや、素直だな。エンロカクはサエリ様の下へ向かったと思うが……心配ではないのかな?」

「……兄者自身、たった今国長に心配無用と言っとった気がするが」


『何か』を探るような兄の問いかけに対し、ダイゴスは考えるより早くそう答えていた。悟られまいとするかのように。

 実際、桜枝里のところには有海流護がいる。今すぐ自分が飛び出していく必要はない。それ以前に、この兄はそれを許さない。


「おっと、そうだったな。あとエルゴ。君も、少し良いかな」


 怒りを押し殺した表情のエルゴが、呼ばれるままにやってくる。

『十三武家』の若手二人の顔を一瞥し、ドゥエンは主に提案した。


「国長。此度の天轟闘宴、私が出る訳には参りません。そこで……我が一族のダイゴス、剣の継承者であるエルゴ、そして杖の系譜からハザール。以上三名を動員し、エンロカクの対策に当たらせるべきか――と愚考致します」

「むう……」

「例の件の当事者であるカーンダーラ殿にも後程、確認を取りますが……恐らく、賛同して頂けるのではないかと」

「そう、じゃな……」


 唸る国長を横目に、エルゴが噛みつく勢いで言い募る。


「ドゥエンさん! あんな奴、僕ひとりで充分ですよ!」

「ほう。ならば君は、一対一で私にも勝てると?」

「それ、は……ドゥエンさんとアイツじゃ、また別の話で……」

「エンロカクは強い。少なくとも、私に匹敵する程にはね。十年振りに対峙して、その力関係は変わっていないと認識したよ」


 慌しく出ていく兵士たちを眺めながら、ドゥエンは平坦な声でそう分析する。その言葉を聞いて不安になったのか、国長が表情を曇らせた。半ば勢いでエンロカクの出場を認めたことを後悔し始めているのかもしれない。


「むう……ドゥエンよ。事態が事態じゃ。やはり、お主も武祭に出場する訳にはいかぬか? 三名にお主が加われば、確実に奴を仕留められよう」

「仰る通り、可能でしょう。平時と違い、天轟闘宴という舞台ならば逃げ場も存在しない。最小限の被害で、奴を仕留められる可能性は高い筈です。しかし――」


 懸念があった。

 現時点で過去最多の参加人数が見込まれている、今回の天轟闘宴。それほどに盛況な理由の一つとして、『ドゥエンが参加しない当たり回』であることが挙げられる。

 ドゥエン・アケローンが出ないから出場する――という者が多い中、ここへきて急遽そのドゥエンが参戦するとなれば、参加者の大多数から反感を買うことは想像に難くない。『千年議会』の中でも、反発意見が大多数となるだろう。今後の興行にも、悪い意味で大きな影響を及ぼすことになる。

 そんなドゥエン当人の説明に、国長は「やはりか」と溜息をついた。


「ならば……奴らじゃ。奴らを利用し、差し向ける。ほれ、何と言ったか――」

「『魔闘術士メイガス』……ですね?」

「おお、そうじゃ。そ奴らじゃ」


 ――魔闘術士メイガス。此度の天轟闘宴に参加するべく遥か南よりやってきたとされる、ならず者の一団。

 数日前より、この首都に滞在しているという。粗暴な行いの目立つ悪名高い集団だが、その実力は極めて高く、優勝候補の一角と目されている。


「私もそのように考えておりました。『十三武家』の若手三名とはいえ、エンロカクを相手取るには足りない。かといって、これ以上武家の人間を投入しては、参加者達の不満も募りましょう。となれば――参加者そのものを利用するのが最良かと」


 まず、魔闘術士メイガスをエンロカクにぶつける。彼らは負けるだろうが、それなりの手傷を負わせるはず。そこを、ダイゴスたちが叩く。


「……と、口で言う分には簡単ですが。そう上手く事が運ぶかどうか、といったところでしょう」


 大勢の戦士たちが『無極の庭』と呼ばれる森へ一斉散開して覇を競う、武闘の宴。誰と誰が出会い闘うか、それこそ始まってみなければ分からない。結託してエンロカクを叩くというその過程で、思わぬ事態が生じる可能性は否定できない。むしろ、そういった何が起きるか分からないという部分こそが、天轟闘宴の醍醐味でもあった。


「……不安は尽きぬな。想定通りに事が運ばなかったならば如何する? ドゥエンよ」

「その時は勿論、残念ですが」


 ドゥエンは告げる。

 顔色ひとつ変えずに。当たり前だというように。



「巫女を、諦めましょう」



「――――――」


 ダイゴスの胆に、ひやりとした何かがのしかかった。


「むう……」


 国長が重々しく唸る。

 やはりみすみすと桜枝里を諦めたくはないのだろう。そんな主の複雑な表情を見て、ドゥエンは無機的な笑みを張りつけた。


「無論、そうならぬ為に尽くす次第です。そうだろう? ――ダイゴス」


 試すようなその笑顔に、


「……ああ」


 ただ低く、ダイゴスはそう返した。


「エルゴも、宜しく頼むよ」

「……ええ。分かってますよ」


 これまで押し黙っていた剣の少年も、渋々といった表情で頷く。


「さて。ではサエリ様の所へ向かうとしようか、ダイゴス。兵達では荷が重かろう」

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