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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
6. 雪桜のスペクトラム
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158. 進展、前進

 重厚な扉が控えめに、かつ丁寧に叩かれる。


「おーう。開いとるぞー」


 返事をすれば、顔を覗かせたのは一人の兵士だった。丁寧に敬礼した若い兵は、アルディア王へ一枚の封書を手渡す。


「うむ、ご苦労」

「はっ。失礼いたします!」


 王宛ての手紙。渡される時点で検閲済みだろうが、念のため神詠術オラクルによる罠などが仕込まれていないか、自身でも確認する。

 封を開け、中身をあらためたアルディア王の表情が――、一変した。

 それは野性味溢れる、豪快な笑顔。


「……ついに見つけたか」


 肩を揺らし、堪えるように笑う。


「アタリの可能性大、か……。うむ。愛してるぜぇ、我が妻よ」


 不意に。満足げに頷く王の耳元へ、通信の波紋が広がる。機嫌よく手紙を眺めながら指で弾いて受け取れば、涼やかな声音が響いてきた。


『リーヴァー、夜分遅くに失礼致します、陛下。クレアリアです』

「げっ」

『げっ、とは……。露骨に嫌悪を示されますと、私といえど少々傷ついてしまいます。それとも何でしょう、私が相手では不都合なことがおありでしょうか?』

「いや、ねえけどよ……」

『それならば安心致しました。ところでお時間よろしいでしょうか? 少々、陛下にお尋ねしたいことがございます』

「おう、何でぇ」


 促しながら、しかし聞くまでもなかった。流護とベルグレッテを二人きりで遣いに出したことについてだろう。さすがに『先詠み』の能力がなくとも分かる。


『何故、姉様とアリウミ殿を二人きりでレフェへ遣いに出されたのでしょうか? よろしければ、その理由をお聞かせ願いたいのですが』

「くく。お前さんも行きたかったか?」

『いえ、全く』


 相変わらずなクレアリアの『レフェ嫌い』に、王は隠しもせず苦笑する。

 レフェ巫術神国は、神詠術オラクルについてレインディールとは正反対の思想を持っている国だ。信仰篤いクレアリアは昔から、かの国を快く思っていない。かつてあの地で、敬愛していた兄を亡くしてしまったことも理由の一つだろう。そこへ流護と姉が二人きりで向かったとなれば、この妹がどう思うかなど考えるまでもない。むしろ王としては、突っかかってくるのをよくぞこの時間まで我慢したな、とクレアリアの頭を撫でてやりたい気持ちになった。人は成長するものである。


『その……二人とも、若い男女です。何かあっては困りますし……』


 噛みつくような勢いで通信を飛ばしてきたかと思えば、いざ『そういった話題』になった途端、口ごもってしまうのも初心な彼女らしい。


「何か、ねぇ……。お前さんの姉ちゃんは、簡単に股を開いちまうような安い女かぁ?」

『なっ! 何を……! ね、姉様がそのようなこと! 陛下といえど、姉様を侮辱するのは見過ごせません……!』

「がははは! よーく分かってんじゃねえか。ベルのヤツほどおカタい女は滅多にいねえだろうよ。そう心配すんなって」

『しかし……アリウミ殿がその、強引に……となれば……』

「おっ。リューゴは大人しそうな顔してそんな度胸のあるヤツなのか?」

『い、いえ……しかし、男性は八割方そういったことを考えている、と耳にしたこともありますし……その……』

「そいつは違うぜ」

『え?』


 王は、自信を持って断言する。


「八割じゃねえ。九割半だ」

『余計に悪いじゃないですか!』

「がっはははは! あー、まァそうだな。今回、少しばかり大事な文書をチモヘイの爺さんに送りたくてよ。確実に届けてえブツなんだが、『銀黎部隊シルヴァリオス』は忙しそうにしてるしってんで、腕っ節の面で頼れるリューゴに行ってもらうことにした。で、あいつだけじゃ勝手が分からんだろうってんで、ベルにも付き添ってもらうことにした。向こうにはお前さん方の級友もいるんだろ? なんつったか……えーと、アケローン一族の」

『……ダイゴス・アケローンです』

「おお、それだ。矛の家系の」


 クレアリアはレフェという国に対して同様、そのダイゴスという若者にもいい感情を抱いてはいないようだ。


『……重要な文書のため、ですか。てっきり、アリウミ殿を天轟闘宴にでも出場させるつもりなのかと……』

「ん? 天轟闘宴? ……おお、そういやぁ近々開催されるんだったな! 忘れとったわ」

『え!? 私も、夕刻に生徒から聞き及んだ程度でしたが……。陛下が失念されていただなんて、珍しい……』

「いやぁ、俺ももう歳か? すっかり忘れてたぜぇ」


 あのノルスタシオンによるテロに、学院の『ペンタ』であるオプトの殺害。それにかかわったとされるキンゾルという老人の手配。重要施設の防護見直し案についての承認だの何だのも求められていたし、この朝には、ディアレーで未知の怨魔が発見されたなどという報告も上がってきている。確か今は、ロックウェーブ博士が死体の検分に出張っているはずだ。

 そして最近は、チモヘイへ宛てた文書について時間を割いていた。

 さすがの王といえど率直に忙しく、天轟闘宴のことは完全に失念してしまっていたのだ。正直、『蒼雷鳥の休息(ラプターズレスト)』の期間中である学院の生徒たちが少し羨ましい。


「んーむ、天轟闘宴なぁ。知ってたら、リューゴに『出て優勝してこい!』なんつっておくのもアリだったかもしれんわな」


 ただし、と含みを持たせて呟く。


「ドゥエン・アケローンが『出ない』回なら、の話ならだがな」

『……矛の家系の現当主にして、レフェ最強の戦士……ですか。手練だと耳にしてはいますが……アリウミ殿をも凌ぐものでしょうか?』


 レフェの王宮には、戦闘を担当する『ペンタ』が存在しない。七十万もの民の中で、わずか二名とされる『凶禍の者』。

千面鏡センメンキョウ』のツェイリン・ユエンテと、『蓋世六臂ガイセイロッピ』のゼンカ・シジラクのみ。

 両名ともレインディールでは確認されていない非常に特殊な力を持った人材ではあるが、共に戦闘とは無縁の者たちだ。

 となれば、クレアリアがそのように考えるのも無理はないだろう。


「さて、どうだろうな。けどまあ、『ペンタ』じゃなくても強ぇヤツなんて山ほどいるぜぇ? この俺もそうだし、オルエッタなんてウチじゃ屈指の腕だろう。まァ少なくとも、リューゴとドゥエンの激突なら嫁を質に入れてでも見てぇ一戦にはなるだろうな」


 どちらにしろ、本当にドゥエンを――レフェ最強の戦士を倒してしまえば、かの国の面目も潰れてしまう。対する流護も、王が惚れ込んで独断で引き入れた戦闘特化の人材だ。負けてもらっては困る。そういった意味でも、この二人を闘わせる訳にはいかないのだ。王個人としては、是非とも見てみたい組み合わせではあるのだが。立場ある強者同士の激突になればなるほど、しがらみも増えるのである。

 くくと笑えば、クレアリアがやれやれといった風情で溜息をつく。


『嫁を質にだなんて……聖妃せいひが聞いたら悲しみます』

「例えだってぇの。しかしドゥエンもそうだが、レフェには昔、もう一人強えヤツがいたんだよな。国を出ちまったとか何とかで、今はいねえそうだが。名前は何つったかな……」






「…………」


 歳は二十代中盤。目にかからない程度の長さで切り揃えられた黄金色の短髪に、知性を感じさせる整った顔立ち。今は切れ長の瞳がさらに細められ、忌々しげな表情を形作っている。

 部隊の編成や兵の運用資金について相談しようと王の部屋の前までやってきた『銀黎部隊シルヴァリオス』の長――ラティアスだったが、部屋から響く会話を耳にして、無言で踵を返していた。素早い動作に従って、茶色いコートの裾が翻る。

 元々きつい目つきをしている男だが、より薄められた瞳は、刃物のごとき鋭さを宿していた。


(狸親父め。あんたは……いつもそうだ)


 心中で吐き捨てる。


(部下に対して本音を明かさない。気遣っていながら……しかし冷静に、その価値を判断している。不要となれば、切り捨てる)


 クレアリアは鋭く察しもよい少女だ。しかしやはり、はぐらかされてしまっていた。

 王が、何を考えて流護とベルグレッテの二人をレフェへ遣いに出したのか。嘘は言っていない。しかし、全てを語ってもいない。

 ラティアスの推測が正しいのなら。アルディア王は、いざとなればベルグレッテを――


(あんただって分かってるだろうが。あのベルグレッテが、『それ』を望まないことぐらい)


 言いようのない苛立ちを胸に、ラティアスは薄暗い廊下の闇へと消えていった。






 翌日、時刻は午前八時半過ぎ。雲ひとつない快晴の空。

 流護たち三人は、夏の恵みが燦々と照りつける中、宿屋前の舗道沿いにて馬車を待っていた。


「ひゃー、暑いな~」


 ミョールがマントのボタンを外してパタパタ扇ぐと、例によって肌色多めな身体が露わとなった。

 はっとしたベルグレッテが素早く流護に視線を向けると――


「ん? どうしたのかな、ベル子さんや」


 そこには、異常なまでに落ち着いた顔を見せる少年がいた。


「え? あ、う、うん」


 まるで何か、悟りを開いたかのような。

 ベルグレッテは思わず戸惑ってしまう。

 流護はちらりとミョールのほうを一瞥するも、動じた様子もなくベルグレッテに視線を戻す。昨夜、ミョールの姿にドギマギしていた様子が嘘のようだ。


「リューゴくん……なんかすごい落ち着いてるね。なんだろ、うちの村の長老みたいな風格が漂ってる……」

「いえいえ。わたくしめなど、まだまだ未熟な身で……ナムー」


 流護は両手を合わせて深々と拝んだ。


「リ、リューゴ……?」

「どっ、どーしたのリューゴくん……?」


 訝しげな目で見つめる女性二人に対しても、流護は真理に到達した修験者のごとき穏やかな顔を見せるのだった。






 ――有海流護とは、至って健全な青少年である。


 いざ寝ようとするも、脳裏に浮かんでは消える、ミョールの艶かしい肢体。ベルグレッテの懇願するようなあざとい困り顔。さらには薄壁一枚を隔てた向こう側で、そんな二人が無防備に寝息をたてているという事実。

 童……もとい、到底寝付けそうにない年頃の少年が到達した結論は――いわば、賢者の境地へと至ることであった。

 かの地平へたどり着くため、少年が必要とした解脱の数――、五度。

 おかげでほとんど寝ていなかった。本末転倒である。もう先っちょが痛い。だるい。


 風の都ならではの強い風が、ビュウッと吹き抜ける。


「……オ、オフウ……」


 風に押されてよろめいた。……必要最低限な活力まで排出してしまったような気がする。


「あっ、馬車来たよー。乗ろう乗ろう!」


 二人のうら若き乙女と、残りカスみたいになった一人の少年は、こうして風の街を後にするのだった。






 恵まれた天候の中、平原を割って伸びる街道を馬車は行く。

 ミョールの物怖じしない性格もあり、昨夜出会ったばかりとは思えないほど会話にも花が咲いた。彼女の話は、流護にとって興味深いものばかりだった。

 特に印象的だったのは、王都や学院における常識というものが、辺境の村々においては驚くほど浸透していないということ。

 アルディア王の名前は知っているものの、直に見たことなどない。村を訪れる荷馬車が運んでくる機関紙の似顔絵でしか知らない。ロイヤルガードや『銀黎部隊シルヴァリオス』の存在すら知らない人間もいる。ミョールもロイヤルガードという名称こそ知ってはいたが、ベルグレッテのことは知らなかったようだ。王都周辺を訪れたこともないらしい。


「でもやっぱ、エウロヴェンティまで来て思ったけど……都会は違うな~」


 領内にありながら、貧しさや厳しい立地のため国家武力の庇護下に入れず、怨魔や山賊などの脅威と隣り合わせで存在している村々。そのような集落は数多くあり、ミョールの故郷もまたそういった村の一つなのだという。

 神詠術オラクルに関しては古くから独自の手法が村に受け継がれているそうで、ミョールは村一番の使い手なのだとか。


「こないだも、裏の家のサバスじーちゃんがザヴールに襲われそうになってねー。そこをあたしが華麗にスパパパーンと……、……ベルグレッテちゃん? どうかした?」


 明るく武勇伝を語るミョールとは対照的に、ベルグレッテが暗い表情でうつむいていた。


「あ……いえ。私たちに力があれば、もっと多くの村を救うこともできるはずなのに……」


 相も変わらず生真面目な少女騎士を、辺境の詠術士メイジは朗らかに笑い飛ばす。


「ややー、そんなの気にすることないって。あたしたちは気ままに生きてるわけだし。自分の食いぶちは自分で稼ぐ。自分の身は自分で守る。それが当たり前。ベルグレッテちゃんや騎士の人たちだって神様じゃないんだから、誰彼構わずみんなを守るなんてできるわけないんだし、する必要もないと思うのよ」


 その言葉に頷くも、しゅんとしたベルグレッテの表情は変わらない。何気に頑固な少女なのだ。


 流護も遊撃兵となって以降、少し学んでいた。

 レインディール王国の総人口、約三十二万名。うち騎士と兵士の割合は、一割の半分にも満たないと聞いている。

 そのうえで先日のテロや流護の初任務のときのように、兵士は殉職者が出ることも決して珍しくはない。何をするにも兵力が足りていないのが常だ。アルディア王が流護を引き入れたがった背景には、この深刻な人員不足もあったのだろう。


「ほらほら、そんな暗い顔しないー。あ、窓開けてもいい? 暑くって」


 返事も待たず、ミョールは馬車の窓をガラリと開け放った。涼やかな風と共に、草原の緑の匂いが吹き込んでくる。ミョールはマントの前を開放して、パタパタと扇ぐ。

 またも彼女の肉感的な身体が視界に入る流護だったが、もはや動じることはない。今の彼は、紛うことなき聖人であった。

 ……気持ちよさげに目を細める彼女の姿を見て、ふと流護の脳裏にある疑問がよぎる。


「そいやミョール。ちょっと訊きたいんだけど」


 尋ねるべく顔を向ける流護だったが、当のミョールは困惑したような表情で自分の肩を抱いた。


「……え!? リューゴくん、な、何であたしを呼び捨て? な、えっ、もしかして昨夜何かあったの? 出会ったばかりのあたしを名前呼びしちゃうよーな、行きずりのナニかがあったの!? あたしが酔いつぶれてる間に!? ナニをしたの!?」

「いや、ぐでんぐでんになったあなたが絡んできて呼び捨てにしろと言いましたが」


 酔っ払いは覚えていなかった。


「そ、そうだっけ?」

「そうっすよ。ええと……ミョールさんでしたっけ?」

「うわ、最高によそよそしくなった! ご、ごめんってば! ミョールって呼んで! 呼んでください!」


 流護は苦笑しつつ、本題に入る。


「いやさ。ミョールって何でそんな水着みたいなカッコしてんの? って思って」


 煩悩を制した聖なる少年は、素直な疑問として尋ねていた。

 男子諸君の目には嬉しい高露出装備。しかし、その防具としての性能には疑問が持たれるところだ。防げるのは、それこそ大事なところに対する視線ぐらいのものだろう。それでも流護少年には刺激が強く、思わず解脱してしまったのだが。


「え? おかしい? 村だと普通だよ?」

「いやそんな、今にも泳ぎに行きそうな……」

「えーだって暑いじゃない。それに身軽だしさ。まぁ実際、このまま泳いだりもするしね。あたしの村、でっかい湖と川があるから」


 水着っぽいと思ったらほとんど水着だった。

 結局はそういう服装が当たり前の村に住んでおり、そのまま出てきてしまっただけということなのだろう。

 先日『竜爪の櫓』へ向かう道中でも聞いた話だったが、神詠術オラクルというものがあるゆえ、そんな水着装備でも防御力的には問題ないのかもしれない。

 ちなみにミョールの村は水質資源に恵まれているそうで、村人たちは主に魚を獲ることで生計を立てているのだとか。素潜り漁などで。


「ふふーん。あたし、意外といいカラダしてるでしょ? 気になっちゃう?」


 村では普通などと言いながら、露出度高めな格好であることは自覚しているようだ。くねっと官能的なポーズを取ってみせるミョール。ハッとしたベルグレッテが流護に目を向ける。


「ソウデスネー」


 しかし有海流護は賢者であった。


「ちょっ……えー、なにその反応。自信なくしちゃうなぁ」

「……リ、リューゴ……?」


 がっくりするミョールに、訝しげな目を向けるベルグレッテに、ナムーと拝む流護。

 そんな三人を乗せた馬車は快晴の空の下、ゆっくりと進みゆくのだった。

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