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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
6. 雪桜のスペクトラム
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157. 旅先の夜

「ややー! 来てくれると思ってたよー!」


 内側から部屋のドアを開けたミョールは、心から嬉しそうな笑顔で二人を迎えた。何とも明るい表情の似合う人だな、と流護の頬も緩みそうになる。――が。


「あの。失礼を承知で、ひとつよろしいでしょうか」


 部屋へ入る前に、ベルグレッテが真剣な面持ちで尋ねた。


「うん?」

「どうして私たちを泊めようと? ミョールさんから見れば、私たちは素性の知れない二人のはずですし」


 いくら意気投合し、行き先も同じレフェであるとはいえ、やはり出合ったばかりの他人同士。流護たちがミョールを警戒したように、彼女も二人を警戒して然るべきなのだ。それをせず部屋へ誘うとなると、やはり疑念が膨らんでしまう。


「ベルグレッテちゃん、絶対いいとこのお嬢様でしょ。しかもすっごくいい人。そのうえ神詠術オラクルの造詣も深くて、かなりの腕前」


 面食らったように目を見張るベルグレッテだが、大当りだと流護は頷く。ミョールは慧眼の持ち主なのかもしれない。


「で、リューゴくんはお付きの剣士かなにかで……、あれでも、剣持ってないね。腕だけなんか付けてるけど……。そういえば天轟闘宴とか神詠術オラクルについても詳しくないみたいだし……お付きの……えーと、奴隷?」


 慧眼の持ち主でも何でもなかった。


「とにかくまぁ二人とも、いい人だってことは分かるよ~。じいちゃん譲りの人を見る目だけは、子供の頃から間違ったことないんだから。それが理由じゃダメ?」


 にまっと見せる屈託のない笑顔に、流護は少しだけドキリとしてしまった。この明るさと砕けた性格は、どことなくミアに似ているかもしれない。


「あ、そうだ二人とも。はいこれ」


 そう言ってミョールが手渡してきたのは、手製のお守りらしきものだった。茶色い柔らかな布で丁寧に編み込まれたそれは、小洒落たアクセサリーにも見える。

 何だか分からず首を傾げる流護とは対照的に、ベルグレッテは目を見開いていた。


「これ……まさか、護符ルーンですか……!?」

「うん。お近づきの印ってことでひとつー、と思って」


 どことなく照れたような笑顔になるミョール。


 ――護符ルーン

 身につけている衣服などを、己の術から守るためのものだ。通常、服や所持品の裏に縫いつける形で使用する。学院でも仲のいい女子同士などは、互いに交換し合っていることが多い。

 これを渡すということは、つまり相手に対して害意を持っていないということ。自分の術で相手を傷つけることがないように、という思いの込められた印。この世界でこれ以上ないとされる、親愛の証だった。

 男女間であっても、その意味合いは概ね同じ。恋仲の者や夫婦など、特別な相手には凝った意匠のものを送ったりもするようだ。

 ミディール学院においては、年頃の少年少女の集まりということもあってか、異性間で交換をしている者はほとんどいない。気になるあの子の護符ルーンが欲しい、と悶々とする者も多いと聞く。

 流護も色々な本を読み始めたので、そういった風習があることを学習していた。


 ……ちなみに余談だが、男同士の場合、護符ルーンの交換をすることはまずありえない。例えば相手が親友であったとて、ときには意見の相違から衝突し、決闘に発展することもある。そこで相手が自分の護符ルーンを身につけていたならば、術を無効化されやすくなってしまう。

 男同士はぶつかり合いや殴り合いで友情を確かめることもある――という気風もあって、護符ルーンの交換などをしようものならば、軟弱者どころか『そっちの趣味』扱いされてしまうこともあるようだった。


「あ、本物かどうか確認する?」


 パチリとミョールの指先に静電気のような火花が散る。彼女の属性は雷のようだ。


「――いえ。ミョールさん、分かりました」


 気持ちを汲み取ったベルグレッテは、大きく頷いて顔を上げた。


「では……お世話になってもよろしいでしょうか?」

「うんうん! よろしくねー!」

「あ……ミョールさん、裁縫道具はお持ちですか?」

「もちろん。護符ルーン、縫い付けないとだもんね」

「それもですけど……私も、護符ルーンを作ってお渡ししたいので」

「ほんと!?」

「あ、その前に、店主さんにちゃんと宿泊料払ってこないと……」

「それじゃ、後で一緒に行こうー! ついでに、色仕掛けで店主から酒ももらっちゃおう!」

「そ、それはよくないです」

「大丈夫だよ! 宿取ったときも、店主ったら鼻の下伸ばして麦酒つけてくれたんだから! あたしたち二人で行けば、もう飲み放題!」


 盛り上がる二人を微笑ましく思いながら、流護も続いて部屋へ上がる。

 かくして、流護たちはミョールと相部屋をすることになったのだった。






 それから互いに、もう少し踏み込んだ自己紹介を交わし合った。

 流護とベルグレッテは王都からやってきた兵であること。国王の命でレフェへ行こうとしていること。

 そのあたりの事情を知ったミョールは目を丸くしていたが、結果としてむしろ心強いと安心したようだ。ちなみにそんな彼女は十八歳。国境沿いにある小さな村の出だそうで、ベルグレッテの名前も知らなかった。


 流護についてはやはり、記憶喪失で神詠術オラクルが使えない設定を持ち出しておいた。

 ミョールからは護符ルーンをもらったのに自分からは渡せず、少し申し訳ない気持ちになる流護だったが、彼女は気にした様子もなく笑顔で納得した。

 むしろ流護を気の毒に思ってくれたようで、人のいい性格が窺える。


「あたしはね~、ずーっと遠くのケルリアっていう村から来たんらけど……」


 麦酒の瓶を手にしたミョールは、頬を上気させながら、呂律の回っていない口調で語る。


「妹がさ、ちょっと足が不自由になっちゃってて。神詠術オラクルでもダメで、おっきな街で手術しないといけないんらけど……お金がかかるのら」


 その費用を捻出するため、天轟闘宴に参加することを決意した。

 ドゥエン・アケローンの出場しない『当たり回』。

 それでも猛者の集う危険な武祭であることに変わりはなく、当然、優勝できるなどとは思っていない。他の賞だって、そうそう狙って獲得できるようなものではない。 それでも、わずかな可能性に賭けて。

 瞳に確かな光をたたえ、ミョールはそう語った。


「……いつか、妹と旅をするのが夢なんら。お金が入って、妹が歩けるようになったら……一緒にさ、王都にも行ってみたいな」

「そのときは是非、ご連絡ください。案内ぐらいはできると思いますので」

「うう、ベルグレッテちゃん……いい子だのぅ」


 泣き上戸なのか、ぐすぐすと涙ぐむミョール。


「無責任なことしか言えないっすけど……賞金獲得がんばってください、ミョールさん」

「ミョールって呼んで!」

「おわ!?」


 いきなりぐいっと顔を近づけてくるミョールに、流護は思わずのけ反ってしまった。いい匂いがす……いや、酒臭い。


「他人行儀らな! 本当にがんばれって思ってるならもっろ親しそうに呼んれ! ミョール、って!」

「いや、意味が分からないんですけど」

「はい!」


 流護の言い分などお構いなし、パン、と手を叩く。言えという合図らしい。


「えー……? えーと……ガンバッテクダサイ、ミョール」

「はい!」


 今度は満足そうだった。完全に酔っている。

 ――と、


「うー……暑くなっれきらった」


 酔っ払いはおもむろに、その全身を覆っていた茶色のマントを脱ぎ捨てる。


「!?」


 流護は口に含んだお茶を吹き出しそうになった。


 ――少年の目に飛び込んできたそれは、圧倒的な肌色の暴力。


 マントの下から現れたミョールの出で立ちは、まるで水着姿だった。

 銀色の胸当てを着けているだけで、肩やふくよかな胸の谷間、へそに至るまで丸出し。下衣もほとんど超ミニスカートと形容していい茶色の腰布一枚で、見事な肉付きの太ももが露わとなっている。手から腕はエルボーグローブによって肘まで覆われているが、まるで隠すべき場所とそうでない場所が逆転してしまっているかのような装いだった。

 太すぎず細すぎず。肉感的かつ官能的かつ理想的な肢体を前に、流護の脳髄を閃きの電撃が疾った。


(こ……、これだアァ~~~~~~ッ)


 グリムクロウズというファンタジー世界へやってきて、早三ヶ月。

「何かが足りない」と。健全な少年は日々常々、頭の片隅でそう思い続けていた。ここでようやく、その正体に思い至る。


(ファンタジー的エロ装備……! 高露出装備……!)


 ベルグレッテたちの隙のないドレス姿。民衆たちの味気ない装い。この街の住人たちの野暮ったい服装。露出の『ろ』の字もない。

 学院の制服も嫌いではないが、あれはデザインが現代的すぎるのだ。ファンタジー世界ならではのエロスとは質が異なるといえよう。

 それ防具として機能してんの? 寒くないの? そう言いたくなる、しかしあってほしいそんな装備。

 感動に打ち震える流護をよそに、すっかり酔い潰れてしまったミョールをベルグレッテが横たえる。


「わ、この胸当てもかなり難解な防護術が……。ミョールさんならたしかに、天轟闘宴参加を狙ってもおかしくはないのかも」


 ミョールの詠術士メイジとしての技量に感服するベルグレッテだったが、流護はもう身体にしか目がいかない。

 無防備な寝息を立てるミョール。ほのかに上気したその肌はカンテラの薄暗い明かりに照らされ、どこか蠱惑的な色気を醸し出している。

 思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう思春期の少年だったが、


「ふーん……」


 気付けば、ベルグレッテがジト目で流護を睨んでいた。


「あー、ゲフゲフ、ゴホン」


 身体ごと顔を逸らす流護。それを横目に、ベルグレッテがミョールへマントを被せる。


「そ、そういやさ」

「なに?」

「その天轟闘宴っての、俺は全然知らなかったんだけど……王様も特に何も言ってなかったよな、って思って」


 気まずさを払拭するための話題だったが、その言葉にベルグレッテは思案する仕草を見せた。


「んー……。そう、ね」


 二週間前に告知されるという天轟闘宴。

 荒事を好みそうなアルディア王が、今回の告知について知らなかったとも思えない。レフェへ向かう流護たちに対し、天轟闘宴のことを全く言及しなかった点に、流護はどこか不自然なものを感じてしまう。


「王様って、天轟闘宴にはあんま興味ないのか?」

「そう思う?」

「俺の中では、すっげぇ好きそうなイメージなんだけど」

「ふふ。いっつも『俺が出る!』なんて仰って、みんなを困らせてるわ」


 その図が容易く脳裏に浮かんでしまうから困る。


「……実は少し、気になってたの。私もミョールさんから聞いて初めて、今回の天轟闘宴のことを知ったから。陛下、どうしてなにも仰らなかったんだろう、って」


 流護でも何となく想像がつく。

 あの豪胆な王なら、流護に「出て優勝してこい」ぐらいは言いそうだ。そうでなくとも、天轟闘宴はレフェでも最大規模の盛り上がりをみせる祭りとのこと。それならば開催日の前々から混雑もするだろうし、任務について支障が出ないよう、あれこれ忠告ぐらいはするのではないか。

 となると――


「王様、単純に……まじで今回の天轟闘宴のことを知らなかったとか?」

「うーん……もしくは、」


 少し飛躍した考えかもしれないけど――とベルグレッテは前置きして、


「それだけの余裕がなかった……のかも」

「余裕がなかった……? あの王様にか? どういうことだ?」

「今回の任務。リューゴと同郷かもしれない『神域の巫女』に会ってきたらいい……って陛下は仰ったけど、当然、リューゴを指名した理由は他にあると思うの」


 流護は無言で頷く。

『神域の巫女』に会えば、なくした記憶の手がかりを得られるかもしれない、と。

 しかし、そんなものは建前にすぎないはずだ。

 アルディア王は、ただの親切心でそんなことを言う人物ではない。


「これは、私の予想だけど――」


 ベルグレッテは、部屋の片隅に置かれた流護の荷物へと貌を向ける。


「チモヘイ所長に渡してほしいっていう文書……これが実は、とてつもなく大事なものなのかも」


 レインディールでは他国に重要な荷物を届ける際、馬車屋や一般兵は使わない。主に『銀黎部隊シルヴァリオス』を動員する。

 長く危険な道中、万が一にも野盗などに襲われて、荷を紛失するようなことがあってはならないからだ。

 つまり今回の任務も、実は極めて重要なものであるため、腕利きの流護に依頼した。

 それも――アルディア王が思わず天轟闘宴のことを失念してしまうほどに重要な。

 同郷の人間に会えるかもしれない、という話をちらつかせてまで。流護が、自ら行きたいと志願するように仕向けて。


「……ちょっと無理があるかなぁ?」


 そんなベルグレッテの推論を聞き、流護はうーんと唸る。部屋の片隅に放置している自分の荷物へ目を向けた。大事なブツだからなくすなよ、とは言われている。当然ではあるが。


「文書を渡すチモヘイって人は、やっぱ偉い人なのか?」

「そうね……たしか、レフェの事象研究学の先生で……、ってだめだめ!」


 ベルグレッテはハッと息をのみ、慌てて首を横に振った。


「そ、そういうのは私たちが詮索していいことじゃないし……、もう、ここまでにしましょうっ」

「今更じゃねえか。気になるのう、気になるのう。ヒヒヒ」


 妖怪みたいな口調で言ってみるも、ベルグレッテは「だめ!」と一蹴した。真面目さんである。


「あっ。あとリューゴ……天轟闘宴に出たい、なんて思ったりしてない?」

「ん? 出ちゃダメなのか? 何でも願いが叶うんだぞ? 漫画とか以外で聞いたことねーよそんなの。やべえよ、勝ち組待ったなしだって」

「だ、だめっ。私たちの任務は、文書を届けること。陛下が天轟闘宴についてまったく言及されていない以上、国の兵である流護や私が勝手に出場するのは許されないわ。レインディールの名を背負った兵が出場して、負けるようなことがあれば……国の看板に泥を塗ることにもなってしまいかねないし」

「ふむ。つまり、優勝すれば問題ないと……」

「だめだってばぁ……」


 眉を八の字にして泣きそうな声で呟くベルグレッテに、流護は思わずドキリとしてしまった。


「い、いや冗談だって。出ない出ない」

「……ほんとに?」

「ほんとほんと。つか、俺ら二十一日までに帰らなきゃだろ。祭りが二十二日なら、どっちにしろ出られねえし」


 どこかホッとしたような顔を見せるベルグレッテ――だったが、すぐに落ち込んだ表情となってしまう。


「……ごめんね。なんだか……あれもだめ、これもだめ、って言ってばかりで……」

「い、いや気にすんなって。仕事で来てるんだし、そりゃそうだよ。まじで出る気なんてねえしさ」


 これは本心だった。

 そもそも出場すれば、ミョールと闘うことになってしまうかもしれないのだ。確かに優勝賞金の一千万、さらには望みのものが手に入るという報酬は凄まじく魅力的だが、妹のために出場するというミョールの邪魔をする気は毛頭ない。

 それに――


「……リューゴ? どうかした?」

「ん……、いや」


 こういった催し事みたいなものは、最初で最後となった空手の県大会を彷彿とさせる。

 岩のごとき体躯をしたあの男。まるで取っ掛かりが存在しない、超えられそうにない分厚い壁。完全敗北の苦い記憶――。


(……ちっ)


 どうやら確実なトラウマとなって深層心理に刻まれているらしい。

 イベントなどに出て、大勢の前で――ベルグレッテの前で無様を晒したらと思うと、それだけで嫌な汗が噴き出しそうだった。

 テロのときの観衆を前にした決闘は平気だったのだが、おかしなものである。


「で、出たい?」


 わずかに苦い表情となった流護を勘違いしたのか、ベルグレッテが小首を傾げて見つめてくる。あざとい。

 出たいよりむしろベルグレッテに出したいです、などとアホなことを考えながら、少年は慌てて手を振った。


「だから出したく……じゃなかった、出たくないって」

「う、うん……」


 そこでミョールが「んがぁー!」と寝返りを打った。びくっとする二人。

 彼女に被せられていたマントがはだけてしまい、またもその露出高めな肢体が晒される。ついつい凝視してしまう流護に、ベルグレッテがまたもジトリとした目を向けた。


「ほらっ。私たちもそろそろ休みましょう。明日は、朝から馬車に乗るんだからね」

「お、おう」


 流護は立ち上がって隣の部屋へ向かう。

 ミョールとベルグレッテはこの部屋で、流護は薄壁一枚を隔てた隣の小さな部屋で寝泊まりすることになっていた。


「よし、そんじゃおやすみ」

「ん。おやすみ、リューゴ」

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