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五章#13 解らなくて、解っていて

「…………」

「…………」

「…………」


 賑やかな廊下とは対照的に、俺と澪の間には一切の会話が生じない。

 刻み付けるような沈黙は自然に生まれたものではなく、むしろ意図的に『喋るつもりがない』と断じているかのように思える。


 澪は窓を一瞥し、そこに自分が映ったのを見るとぷぃっと顔を背けた。

 過剰なほどに拳を握り締めていたのでやめさせたかったけれど、かといって手を取ってやるわけにもいかない。

 やめとけよ、と呟くと、それが聞こえていたのかは定かじゃないが、澪は力を少しだけ緩めた。


「……あのさ」

「あぁ、どうした?」

「曲、作るんだってね」


 俺に視線を向けはせず、空中浮遊させるみたいに言葉を投げ放つ。

 さっきの話を澪は聞いてたのか。

 まぁ聞こえるよな。聞こえないようなボリュームでは話してなかったし、澪だって無関係なことではない。


 隠すことでもないが、そもそも決まっていないことでもある。

 肯定とも否定ともつかない微妙な首の振り方をしてしまう。


「何その反応。どっち」

「いや……まだ決まってないことだからさ。でも伊藤に作詞しないかって言われたのは事実だし、否定はしにくい。よく分からんが、伊藤はやたらとプッシュしてきたから」

「ふぅん」


 興味がなさそうな相槌。

 澪は耳たぶを摘まみ、はぁ、と溜息をついた。


「で、書くの?」


 何かを期待している声……では、ないと思う。

 そんな風に澪が縋ってくる奴なら、きっと色んなことがもっと上手くいっていて、たくさんのことが壊れてしまっていた。

 苦笑交じりに笑いながら俺は口を開く。


「俺と話したくないんじゃなかったのか?」

「雑談はしたくない。けど、これは私に関係あることでしょ。百瀬が書くってことになったら、私は恥ずかしくて気持ち悪いであろう歌を歌わなくちゃいけないわけだし」

「それでも歌ってくれるところとか、ツンデレって言われても反論できないよな」

「《《馬鹿兄貴は》》、《《そういうのが好みなんだ》》? 《《キモイね》》」

「――……ッ」


 一切の間を開けず、流れるように澪は仮面を着けかえた。

 俺への敵意が塗られた仮面から、ツンデレ妹の仮面へ。

 視線やほんの僅かな身じろぎ、声音など――おおよそ澪を包み込む雰囲気全てが、一瞬にして移り変わる。


 さっきまでと同じく冷たいのに、その冷たさの種類が違って。

 同じ顔のはずなのに、全くの別人のように見えて。

 澪の存在の輪郭がぼやけて、雲にでもなったんじゃないか、と錯覚しそうになる。


「ふっ」


 と、哂い声じみた吐息。

 それと共に、澪の雰囲気が元に戻った。淡泊で冷たい、最近の澪に。

 一瞬の早業に息を呑む。


「美緒ちゃんのことは乗り越えても、妹キャラが好きなのは変わらないんだ。いやむしろ拗らせてる……?」

「拗らせてねぇよ。つーか別に妹キャラが好きなわけじゃねぇから。今のは綾辻の突然の行動にびっくりしただけだから!」

「どうだか。クラスメイトにオナニーじみた自分の歌を歌わせようとする奴だし。それくらい変態でもおかしくないでしょ」


 意地悪くそっぽを向く澪。

 場違いに、首筋のラインが綺麗だな、とか思う。


 って、そーでなくて。


「オナニーとか言うんじゃねぇよ。地味に傷つくだろ」

「プロアマ問わず、クリエイターなんてそんなものでしょ。ママもよく言ってるし」

「あの人、マジでろくなこと言わねぇな……」


 確かに義母さんの業界ともなると、お互いにどれだけ上手で魅せるオナニーをするかの勝負なのかもしれないけれども。

 少なくとも俺のこれは違うはずだ、と思いかけて。

 急に可笑しくなって、ふふっ、と笑いが込み上げてくる。


「……急に笑うのやめてほしいんだけど」

「悪ぃ。なんか、可笑しくてさ」

「おかしいのは百瀬の頭なんじゃないの?」

「かもな!」

「は?」


 清々しく言い切ると、澪はぽかんと呆けたように瞬いた。

 その反応が余計に可笑しくて、やっぱりそうだよな、と自分の中で色んなものが消化される。


「決めたよ、俺。歌詞、書いてみる。綾辻に歌ってほしいことを不器用なりに書いてみるから」

「っ。あ、っそ。勝手にすれば? 私は歌えと言われれば歌うだけだし。断って空気悪くするのも嫌だし」

「おう。勝手にする」


 にかっと笑って見せると、澪がばつが悪そうに俯いた。

 迷子のように不安げに、けれど迷いのない鳥みたく気丈に振舞う澪の姿は、俺にはとても気高く見える。


 なぁ澪。

 お前は一人でいいって思ってるし、孤立でも孤独でも孤高でもいいのかもしれないけど。

 それでも澪は、ちっとも孤独なんかじゃないんだよ。


 あの歌が、ようやくしっくりとハマった気がした。

 だからあの歌を書いた彼みたいに、今度は俺が澪への思いを綴ってみよう。


【ゆーと:さっきの歌詞の件、やらせてくれるか?】

【ベル:おっけり~ん♪】

【ベル:じゃ、来週までによろしく】


 ……ん?

 来週って……え、あと七日間っすか?


【ゆーと:聞いてないんですけど?】

【ベル:聞いてないもなにも、百瀬くんが楽曲完成のスケジュール立てたんじゃん】

【ベル:ウチが細かいところは修正するし、歌詞見て曲作る感じだし。早めにしてくんないと】


 むむむ……ぐぅの音も出ない。

 だが、いや、うーん……たった七日で初心者に歌詞を書けってのは流石に如何なものかと思うんですよねぇ。


「――ぱい。百瀬先輩!」

「うぉっ……って、なんだ。大河か」

「なんだと言われるのは大変不服ですが、その前に。歩きスマホは危険なのでやめるべきではないでしょうか」


 伊藤が突き付けてきた難題にうんうんと唸っていると、大河がびしっと目の前で仁王立ちをしていた。

 歩きスマホ程度にいちいち……と思わないでもないが、俺だって歩きスマホをしている奴を見たらムッとするし、普段は絶対に歩きスマホをしない。

 今日は一緒に歩いている奴がいたから安心して――ってあれ?


「たんま。大河、綾辻って見なかったか?」

「え。澪先輩なら先に会議室まで歩いていきましたけど」

「……マジか」


 しれっと追いていったよ、あいつ。

 俺、さっきモノローグで結構いいこと考えてたのに。幾ら何でも急激に嫌われすぎじゃない? いや俺がやったことを考えれば嫌われて当然だけどさ。せめて友達くらいにはなりたいものだ。


「澪先輩がどうかなさったんですか?」

「あ、いや。たださっきまでは一緒だったからさ」

「一緒にいる人が隣でスマホを使っていたら誰だって気分を悪くすると思います」

「……大河ってほんと、そういうところ教科書みたいな奴だよな」

「それ馬鹿にしてますよね? 凄く馬鹿にしてますよね?」

「い、いやぁ、馬鹿になんてしてないぞ? 雫くらいしか友達がいないぼっち予備軍に人間関係を諭されてもなぁ、とか思ってない」

「馬鹿にしてますよね?! 訂正願います」


 とは言ってもなぁ……会議室まで一人で来ている時点でお察しというか、なんというか。

 ま、これ以上言っても可哀想だからやめておこう。大河のいいところを分かってくれる奴は今後たくさん現れるはずだ。クソ真面目だけど変なところで融通が利くところとかな。


「百瀬先輩のクラスって、ミュージカルをやるんですよね?」


 会議室までの道のり、大河がそんな風に聞いてくる。


「ん、まぁそうだな。演劇部に姉がいる身としては複雑か?」

「いえ、姉のことはあまり気にしていないのでいいんですが……そうではなくて」

「うん?」


 意図を汲みかねて俺が首を傾げると、大河は首を横に振った。


「なんというか、その……澪先輩のことが、私にはよく分からなくて」

「あー、それなぁ」

「それなぁ、って……」

「悪い悪い。けど綾辻って面倒臭い奴だからさ。分からないのは当然だよ。俺だってまだよく分かんねぇもん」


 きっと雫ですら、澪のことを分かってはいないんだと思う。

 ううん、本当はそうじゃなくて。

 誰もが誰ものことを、全て分かっているわけじゃない。きっと本人にも。

 ならせめて、分かることだけは分かっていたい。俺はそう思うんだ。


「一つ言えることは……あれだな。綾辻はいちごオレを買ってくと怒る」

「何ですか、それ」

「本当のことだぞ?」


 今度屋上の鍵を返し忘れてたら、いちごオレを買っていってやろう。

 俺は何となく、そう思った。

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