50 継承権
「アンリエット」
「エダン、ずっとそこで待っていたの?」
マルスランの部屋から出ると、廊下でエダンが待っていた。
アンリエットはマルスランに呼ばれ、部屋に訪れていた。話の内容は継承者について。会議でそんな話が出たと聞いているという出だしから、アンリエットはどう考えているのかと問われた。
マルスランから話を聞く前に、エダンからその話を聞いていた。マルスランから、家門をどうするのかという質問があったのだと。
もしも、再び王配になった場合に、ベルリオーズ家に継ぐ者はいるのかどうか。エダンにその気はあるのかどうか。
エダンは、アンリエットの意思に従うと答えていた。
「何と答えたんだ?」
「承知いたしますと」
「……そうか」
「でも、たくさん条件を付けたわ」
エダンは一瞬憐れむような悲しげな顔をしたが、アンリエットの言葉に目を瞬かせた。
「条件?」
「伯父様が今後本当に結婚せず、お子様ができず後継者ができなかった場合。死亡及び病に伏すなど、王としての責務が果たせない場合。その時にのみ継承する。そして継承権第一と認定されるならば、エダンの立場がどうなるのか。王配とするとしたはいいが、その条件が一致しなかった場合による措置。その他もろもろ。あとで皆を交えて話しましょうということになったわ」
継承権を持ったとして、もしも本当にエダンが王配になる場合、家門をどうするかが問題になる。その時にベルリオーズ家を継ぐ者がいなくては困るのだ。
「エダンの立場を大きく変えることになる。どうなるかなんてわからないもの。もしかしたら伯父様に突然気に入った方ができて、子供ができるかもしれないでしょう? その時にエダンが家を継げないとなったら、どうするの?」
「王に新しい身分でも作ってもらわなければならないな」
「そういうことすべて決めて、皆が納得する方向でならば、という話になったわ。でも、継承権を得るのは決まりね」
「わかった。それで父上に話をしよう」
「……ごめんなさい。エダン」
「謝ることなどない。王の命令に従うだけだ」
エダンはセシーリアとの婚約破棄の後、すぐに家門を継ぐ方向で話を進めており、エダンが王配になった際にベルリオーズ家の後継者となる予定だった親族に、謝罪と賠償を与えることになっていた。それがまた覆るかもしれず、けれど王の今後によってその予定も組めなくなってしまうのだ。
ベルリオーズ家の後継者を決めていなければ、それはそれで家門を継ぐ者がいなくなってしまう場合もある。話は簡単ではない。
だが、アンリエットもエダンも、現状マルスランの後を引き継ぐ者がいないことはわかっていたため、そうなるのではないかという予想はしていた。お互いにしっかり話したことはなかったが、エダンやエダンの父親もそれについて視野に入れていただろう。
今回のマルスランの話で、しっかり決定できるため、継承権が決まって良かったのかもしれない。
「伯父様は本当に結婚する気がないのね。王であるならばお相手が若くても仕方がないとはおっしゃっていたのだけれど」
「理由は何となくわかるが」
エダンが窓の外を向きながら呟く。小さな光が飛んでいった。また喧嘩をしたようだ。
二人が喧嘩をする。喧嘩というより、一方的に精霊が怒って飛んでいくのだが、それを追いかけなければならないのはマルスランで、その後マルスランは人の姿をした精霊を連れていた。
精霊はマルスランとほとんど一緒だ。それは今では皆が知っている。
ほとんどの人々の目には映らないとわかっているが、それでも問題は起きる。
マルスランが外出した際、昔の知り合い、女性ですでに結婚し子供もいる知り合いに会って、お茶をしていた時、精霊はいきなり人の姿になってその女性を牽制した。
マルスランは驚きを通り越して激怒した。精霊が女性を傷付けようとしたからだ。しかし、精霊はマルスランの怒りに対応できず、暴れて屋敷を壊しそうになった。
そんな話はあっという間に噂になる。マルスランの連れている精霊は、短気で、攻撃的で、嫉妬深いのだと。
精霊に人間の法は通じない。もしも精霊を罰したとしても、それが精霊の世界に伝わった時、どうなるかわからない。マルスランは精霊をとくと説いて、攻撃をしないように躾けなければならない。だがそれを、年頃の娘がいる貴族たちがどこまで理解し、どこまで納得して、マルスランに紹介するだろうか。
それでも娘を差し出そうとする親はいるだろう。野心のある親であれば、気にもしない。しかし、本人を目の前にして同じことを言えるだろうか。
精霊がどれだけ恐ろしい存在か。目の前で見た時、恐怖せずにいられるのか。精霊が怒りを持って接した姿を見て、王の妃にと言えるだろうか。
『おい、お前』
独特の耳に響く声が聞こえて、アンリエットとエダンは振り向いた。先ほど飛んで行った精霊が、窓から身を乗り出す。人の姿をしているため、飛びながら窓枠に足を置いた。エダンがぱっと横に視線を向ける。スカートを履いているが、裾が短く、膝から下まで細い足があらわになっているからだ。
「窓枠に立ってはいけませんよ。テイスティーさん。伯父様に前に注意されたでしょう?」
精霊の名前を呼んで、アンリエットはたしなめる。テイスティーはぶすくれたが、羽を動かして飛びながらも、窓枠から降りて廊下に爪先がつくかつかないくらいの所まで降りた。
テイスティーはアンリエットがマルスランの血縁だと認識しているため、攻撃的ではない。そして時折話しかけてくる。主にマルスランとのことだ。口を尖らしているので、喧嘩で悪いのは自分だと思っている。だから怒られた理由をアンリエットに聞きたいのだろう。マルスランには聞けないあたり、恋心なのだろうと思う。
「どうかされましたか?」
『結婚てなんだ?』
「結婚、ですか?」
また予想外の質問がきた。アンリエットはエダンと顔を見合わせる。結婚の話をしてマルスランに怒られたのだろうか。
「結婚というのは、一般的に愛する人などと一緒に暮らすことを言いますが。精霊の世界にはないのですか? 子供を産んで育てたり、家族一緒に過ごしたりするのです」
『番のことか。では、もうすぐ死ぬのか』
「死ぬ、ですか? なぜ亡くなるということになるのでしょう」
『子を産んだら死ぬだろ』
「それは……、命懸けの出産ということが決まっているのですか?」
『死期が近いから子を産むんだ。当たり前だろう?』
精霊は死期が近くなると、子供を産むために対になるという。だから結婚という言葉がない。産んだ方が亡くなるのだろうか。それともどちらともだろうか。生物にはそんな生態を持つものもいる。人間とは根本的に違うのだろう。
「人間の場合は違うのです。子を産んで亡くなることはありますが、大抵は元気に一緒に暮らすんですよ。人間の子供は生まれてすぐに独り立ちできません。精霊は両親に育てられるということではないのですか?」
『生まれたらそこから一人だ』
「そのことを、伯父様にはお話しされましたか?」
『前、話したが?』
「そうですか。人間は、愛する人と愛し合って子供ができるのです。そして一緒に育てたりします。夫婦で協力するのですよ。そのために結婚します。ある種の契約ですね。これから二人で生きていくという、約束をするのです」
『女はみんな結婚しているのか』
「男女関係なく、する人もいれば、しない人もいます。人間の世界はたくさんの規律があって、結婚をすることによって家族になるのです。一緒にいたい人と家族になって、同じお屋敷に住んで、生活を共にするのです。このお城では、わかりづらいかもしれませんが、本来は別の家に住んでいる者同士が、一つの家に住むのですよ」
『ふむ。番とは違うのだな』
「違いますが、似たような意味ですね。ただ、子供を産んでも死んだりはしません。一緒に幸せに暮らすんです」
『幸せに、暮らす……』
「伯父様とは、結婚についてお話しされたのですか?」
『結婚しているから、怒るなと怒られた』
言葉は足りないが、内容は理解できた。マルスランが女性と話すたびに怒るテイスティーに、彼女は結婚している人だ。とマルスランに言われたのだろう。だがテイスティーは結婚について理解しておらず、怒られたことに腹を立てて部屋を出てきた。しかしその結婚という言葉をマルスランに聞くことができず、怒られた意味がわからない。だからアンリエットに聞きにきたのだ。
『結婚しているから、番にならない』
テイスティーは納得したと、途端笑顔になった。彼女は迫力を感じるほど綺麗だが、普段笑ったりしない。いつも真顔でぶっきらぼうな言葉遣いであるため、男まさりな雰囲気はあるが、笑うといっそう魅力的で美しかった。
パッと笑って、テイスティーはまた窓から飛んでいく。そのスカート姿で飛ぶのはやめた方がいいと窓から叫んだら、すぐに小さな光になった。いつもマルスランに言われているから素直である。
「嵐のようだな。しかし、死期が近くなると子をなすのか。種の保存として番になるということなのだろう」
「伯父様、だから子供は難しいなんて言っていたのかしら」
「どうだろうな。だが、死期が近くなければ子をなせないとなれば、精霊との子供を望むことは難しい」
王族は精霊の血が流れている。そんな伝説をふと思い出す。
ならば、英雄を助けた精霊は死んでしまったのだろうか。
英雄の子供は英雄によって一人で育てられたのだろうか。それは何とも悲しい話だ。
「だから精霊は残虐なところがあるのかしら。愛を知らないから」
「だが、彼女は少しずつ変わっている気がする」
「そうね。伯父様のお説教は減っている気もするし」
テイスティーはマルスランの影響を受けて、人間の規律を学んでいくのだろう。
前にマルスランが不思議がっていたことがあった。テイスティーに精霊の世界に早く帰りたいだろうという趣旨の話をすると、必ず不機嫌になるという。それはテイスティーがこの城に住むことになった最初の頃の話だが、マルスランは怒っている理由が、精霊の世界の話をすると寂しくなって、そんな話をするなと怒っているのだと考えていた。
今はマルスランも気付いているだろうが、テイスティーはずっとマルスランと一緒にいたいと思っていたのだろう。精霊の世界に帰りたいと考えることはなく、マルスランと共に、それこそ死期が近付くまで一緒に。彼女はマルスランに対して、そんな気持ちを持っている。
「一緒にいたいという気持ちが大きいと、変わるのね」
「共にいるということが、幸福であるとわかるのだろう」
「そうね」
人は変わる。それは精霊も同じなのかもしれない。愛する人がいるから。愛する人のために。
愛する気持ちが同じ方向を向いていれば、これほど幸せなことはない。一緒にいたいという強い思いは消えることはない。
「エダン、私、ここに戻ってきてよかったわ」
「アンリエット……」
エダンが唇を噛み締める。唇が切れてしまいそうだ。そっと触れると、エダンはその手を取って、アンリエットに口付けた。
「必ず大切にするから」
「私も大切にするわ」
アンリエットはもう片方のエダンの手に触れた。両手を握ることで返して、お互い微笑み合う。
自分たちはたくさん間違えた。けれど、それが無駄だとは思わない。
今度は愛しているという言葉を何度も告げよう。その想いを正直に話そう。
それから、どれだけ大切であるかを語ろう。
これからは、ずっと一緒なのだから。
これでこのお話は終わりになります。
エピソードタイトルで番外編がありましたが修正して連番にしました。
何度も修正してすみません。




