49 ヴィクトル
「いつまでその顔をしているんだ」
「何のことですか」
「その顔だ。その顔」
執務室に入ってきたシメオンが、据わった目をしてヴィクトルの元にやってくる。
このところずっとしかめっ面をしていて、城の女性たちが今度はシメオンに何があったのかを噂をしていた。適当な噂の一つが女に振られたで、二つ目が意に沿わない婚約が決まりそう、だった。どちらにしても女性関係だ。
(女関係は間違いではないがな)
「決まって良かったじゃないか」
「何がですか! 殿下でも困りますけれど、あの男はもっと問題なんです!!」
「お前は俺の何が気に食わないんだ……」
「女性を蔑ろにしてきた男に、アンリエットは渡せません!」
この野郎と思いながら問えば、そんな答えが返ってくるので、ヴィクトルは反論できない。ぐっと口を閉じて、舌打ちをする。しかし黙っていたくないので、ヴィクトルは何とか返した。
「言っておくが、お前も似たようなものだからな!」
「私は婚約者候補などおりませんから!」
「二人とも、似たり寄ったりですよ。殿下、いいから書類を確認してください」
横でトビアスがどうでも良さそうな顔をして、机の書類を指差した。もう決まったことに口など出せないのだから無駄な足掻きだと言って、シメオンに睨まれる。
「婚約がお決まりなのならば、おめでたいことではないですか」
「今の話を聞いていたかな?」
「聞いておりましたよ。十年も共にいて結婚も間近でいらっしゃったのでしょう? 偽王女の話がなければ結婚されていたのですし、良かったのでは?」
「良くない! あの男はっ! ―――はあ」
シメオンはすべてをぶちまけそうな勢いを、息を吐くことで止めた。
「しつこく手紙を送ってくるんですよ。本当に、何度も、何度も。それを無視して燃やして」
「お前、陰湿だな」
「やかましいですよ」
「それでなぜ折れたのですか?」
「あまりにしつこいからです」
「手紙を燃やしまくってたんだろ? 燃やしてたくせにちゃんと読んでたのか?」
シメオンは黙る。
「意地になってただけですか」
「子供か」
「うるさいんですよ! はあ、事情を聞かされて、仕方なくです。まあ、聞いた後も無視してましたけど」
「最悪だな」
「うるさいです」
「どのような事情がおありだったのですか?」
「前王に恨みがあったそうです」
「……まあ、そういうことはあっただろうな」
「だからといって、アンリエットを簡単に捨てたことは許せませんけれどね!」
「それも同感だ」
「殿下は振られたんですし」
「傷口に塩を塗るな!」
シメオンと意気投合していれば、トビアスが口を挟んでくる。
シメオンはそんなことどうでもいいように、大きくため息を吐いた。それはそれで腹が立つ。
「それに、王に子供ができなかった場合の継承者としても指名されたそうで、結局、」
「元々王太子代理で、戻ってこなければ女王になっていたのだろう? 同じじゃないか」
「意味が違いますよ! 今回は完全に継承権を得たのです!」
「それで不機嫌なのですか」
「どちらもですよ!」
「わかった、わかった」
シメオンがエダンを許せない理由はヴィクトルも理解できた。だが、アンリエットがエダンに対して向ける表情を見れば一目瞭然。反対できるわけがない。
(マルスランの戴冠式で、シメオンも見ただろうに)
だからこそ、やっと折れたということだろう。そうしたら、今度は継承権。あまりに早い展開にシメオンが不服を示すのはわかる。妹にまた重責を背負わせることになるのだから、心配でならないのだ。
「はあ、それとは関係ありませんが、アンリエットからフラン・ベンディクスについて聞かれまして、結局、どうなりましたか?」
「来月から、また執務を手伝わせる」
ベンディクスがシーデーンに援助を行っていた。魔物を呼び寄せるための宝石や、その他攻撃性のある宝石、魔物を操る宝石も持っていた。本人が身に着けていたのは魔物を退けるもので、問題はないと言いたいところだが、常にそのような宝石を着けていることに疑問が残った。
結局、ドロテーアがヴィクトルとの結婚後、城で騒ぎを起こす予定だったことがわかった。
結婚もしていないのにそんな計画を立てていたのだ。候補として名は挙がったが婚約は決まらず、ベンディクスはやきもきしていたに違いない。
結果、ヴィクトルが婚約をごねていたのは正解だったわけだ。
「あの家門はつぶすのかと思っていました」
シメオンの言う通り、誰もがそう思っていただろう。実際周囲ではつぶすべきだという意見が多かった。ドロテーアもアンリエットの暗殺を示唆したとして罪を問われている。継ぐ者がいないのならば、問題ないと。
「フランには辛い道を歩ませることになるが、フラン自体はほしいからな」
「苦労することでしょうね」
「あれだけの頭を持っているんだ。時間はかかるだろうが、そのうち認められる。まあ大人しすぎて、心配ではあるが。執務に関わるかわりに、こちらも家門を立て直すことに手助けはする。私生児だとしても認められる最初の例になるだろう」
道のりは遠いだろうが、本人がどうにかしなければならない。こればかりはフランを信じるしかなかった。家門をつぶすのは簡単だが、人材はつぶすわけにはいかない。
アンリエットが推薦してくれたおかげだ。
「後ろ盾がなくとも有能であれば重要な役目にもつけるのだという例にもなる。フランには頑張ってもらう予定だ」
「そうでしたか。そのように返事をしておきます。かなり心配していたので」
「デラフォア令嬢はずっとフランを気にしていたからな」
それに妬くくらい。だが、アンリエットはずっとフランの能力を見ていただけだった。そんな勘違いをして牽制したところも、アンリエットにとってヴィクトルが対象にならない理由だったのだろう。
アンリエットは思った以上に現実的で、合理的だった。
「まったく、シメオンは、暇に任せて愚痴りにくるな。最近、女性たちの人気も下がっているのでは?」
「どっこい、意外な一面が見れていいという話も」
「何でもいいのか?」
「殿下はもてないのに。おかげで全員と婚約がなくなりましたし」
「うるさい」
トビアスは事あるごとに嫌味を言ってくる。ヴィクトルはぶすくれるしかない。この間は母親にも似たようなことを言われたのだ。
「振られた気分はどう?」
嬉しそうに言うあたり、嫌味である。
「今までのツケねえ。令嬢たちにちゃんと向き合っていないから、その薄っぺらい愛情を拒否されるのよ」ときたものだ。
言い過ぎではないかと反論して見せたが、事実だろう? と問い返された。
「表面だけを見て、深く知ろうとしなかったのは、あなたが女性を軽く見ていたからよ。アンリエットを良く思ったのも、執務ができて、わかりやすくできるところが見れたからじゃない。たとえばパーティで挨拶をして、彼女と話しただけでは、惹かれなかったのでは?」
それは普通だと思うのだが、母親は鼻で笑ってくる。機会があったのに、多くの令嬢たちと上辺でしか付き合わなかった。婚約者候補として選ばれているのだから、彼女たちに機会を与え、一人ずつその人となりを見て、考えるべきだったのだと。
そうして言い放たれた。
「自業自得というのよ」
そしてさらに付け足してきた。
「言っておくけれど、茨の道だとわかってあなたの相手になろうという奇特な令嬢なんて、もう私は知りませんよ」と。
「はははは。王妃様はさすがですねえ」
「わざとらしい笑い方をするな」
「さて、私はこれで。少し休憩なさってください、顔色が悪いですよ。振られてからずっと仕事に打ち込んでいるのですから」
「一言多い」
トビアスは言うだけ言って、逃げていく。逃げるのだけは早い。
「殿下、ここはお任せください。彼の言う通り、顔色が悪いですよ」
声を掛けてきたのは、しばらく休んでいた執務官だ。この度怪我が治って、執務に復帰した。
アンリエットが抜けた今、戻ってきてくれてありがたい人だ。
「すまないな。少しその辺を歩いて気晴らしをしてくる」
「いってらっしゃいませ。ですが、後任をもう少し増やしていただかないと、私も今後も長く続けられるとは限りません」
「デラフォア令嬢は即戦力だったからな。惜しい人に逃げられた。フラン以外にもまだ探しているところだ。もう少しだけ我慢してくれ」
いきなり何人も入れると、逆に負担になるかもしれないが。
それは言わず、執務室を出る。
最近本当に仕事に没頭していて、書類しか見ていなかったせいか、頭痛は多いし体がだるい。剣の鍛錬も行なっていないので、体がなまっているせいだろうか。仕事が多すぎたこともあるが、やはり心的に傷は深かったようだ。
少し前に、アンリエットから手紙が届いていた。
シメオンと同じ内容かもしれない。婚約したこと、次の継承者に選ばれたこと、そして、フランについて記されていた。もし家門が罰せられ、フランに行き場がないのならば、こちらに来るよう誘っても良いだろうかという提案だ。申し訳ないが、それはお断りさせてもらう。
継承者については、王に有事があった時のみということではあった。だから、選ばれたと言っても、女王になるのは遠い未来で、当分先の話なのだと。
その未来には、エダンも一緒だ。彼がアンリエットを助けるだろう。
(側にいられるのが俺だったら良かったが)
「彼女のような人には、もう二度と会えないだろうな」
ばさばさばさ。紙を落とす音が耳に届いて、ヴィクトルは振り向いた。誰かが本の束を廊下に落としている。何冊も持っているせいで、持ち上げては廊下に落とした。
「大丈夫か?」
「も、申し訳ありません」
見覚えのない令嬢だ。飾りっ気がなく、メガネをしている。下を向いたせいでメガネが鼻の頭で止まっていた。
「ずい分借りていくんだな。使用人はいないのか? 馬車で来ているのでは?」
「いえ、歩いてきましたので」
「手伝わせよう」
「大丈夫です。これくらい。あ、それ、載せていただけます?」
もう両手が塞がっていて、本が取れないと、女性はヴィクトルに積み上げて持っている本の上に置いてほしいとお願いする。この分厚い本を載せると女性の目元まで塞がるのだが、前が見えるのだろうか。
「修辞、弁証の本? 弁論大会でも開くのか?」
「ただの学びです」
「ふうん。それでは扉は開けられないと思うが」
「足がありますから」
「ぷ。はは。気を付けてな」
足で開けるとなると、ドアノブをそのスカートを履いた足で開けるということだろうか。さすがに王子の前で話すことではない。つい笑ってしまうが、本人は本気のようだ。
「どなたか存じませんが、ありがとうございます」
そう言って、そのまま行ってしまった。
ヴィクトルの顔を知らないのならば、パーティでも会わないような令嬢か、学生か。ここにある書庫に入れるのならば、それなりに身分があるはずだ。それが足で扉を開けると言うのだから、なかなかお転婆な令嬢である。
「はは。さて、執務に戻るか。少しは気分転換になったな」
面白い令嬢もいるものだ。そう思いながら歩き出す。
その令嬢がヴィクトルの執務室で働くことになるのは、また後の話である。
エピソードタイトル修正しています




