48 マルスラン
「宝石を見つけてくれるのはありがたいんだけれど、できるならば他の者を連れていってもいいようにしてもらえないかな。私も度々外出するのは難しいんだよ」
執務室で、人が持っているペンの上に乗るように仕事の邪魔をしてくる精霊を前に、マルスランは説得を試みる。この話は何度かしているのだが、いよいよもって留守にしすぎなので、精霊と共に外に行く機会は減らしていきたかった。
精霊は何度か瞬いた。この雰囲気はダメだ。マルスランは察する。精霊の瞳は、美しく輝く宝石のようだと思った。ただその輝きは炎のように熱く、その熱が移りそうなほどだ。小さな光の時には見えないが、きっとそんな熱を持っているのだろう。
『ふんっ!』
精霊は鼻を鳴らすと、外へ飛び出す。
「え、何で怒る」
「どうかされたのですか?」
「エダン。いやなんだかねえ、説教したら機嫌を損ねてしまったようで」
「珍しいですね。いつもならば出かけるのを喜ぶのに」
「他の者を連れて行けと言ったんだよ」
「ああ、なるほど」
それで納得されることに納得できないが、マルスランはとりあえず放っておこうと、エダンから書類を受け取る。すぐに確認をするため、エダンがその様を眺めるように待っていた。
(機嫌がよさそうだな。普段無表情だが、若干雰囲気が柔らかいような)
前はもっと感情を表に出すことなく、人に接する態度は冷ややかで、人を寄せ付けないような雰囲気があったという。
アンリエットに対してもそうだったのかと宰相に聞いてみれば、昔からアンリエットにだけは優しかったと教えてくれた。ベルリオーズ様は自分でわかっていなそうだったと言いながら。
努力家だったアンリエットにほだされたのではないかとのことだ。
(努力する者を否定する子じゃないってことでしょう? いい子じゃないの)
とはいえ、アンリエットを好ましく思っていることに気付いておらず、いなくなってからその重みに気付いたとか。不器用すぎる。
「失礼します。伯父様、こちらの書類の確認もお願いします」
余計なことを考えながら書類を見ていれば、アンリエットが追加をよこした。これくらいちゃちゃっと終わらせると返事をしたが、アンリエットの隣でエダンがぽそりと呟く。
「精霊はよろしいのですか? 戻って来ぬところが不安ですが」
「何かされたのですか?」
「どうして私が何かする側なのよ」
「他の誰かが何かしていたら、首をよこせと言われています」
「うん、そうだね」
それは反論できない。
マルスランは二人に謝って、精霊を探しに行くことにした。機嫌を損ねたまま放置すると、その辺で癇癪を起こす短気さがある。放っておくのは危険なのでは? とエダンに再度言われたので、仕方がない。
アンリエットとエダンは婚約が決まり、婚約式も行った。次は結婚式の日取りをいつにするのか、どんな式にするのか考えているところだ。仕事の兼ね合いもあり、すぐに行うということにはならないのが残念だが。
(婚約の顔合わせくらい行ってこいと、早く送り出せて良かったよ)
シメオンがいつまでもぐちぐち言って反対していたせいで、婚約すら遅くなってしまった。妹の幸せを思うのならば、邪魔などしなければいいのに。
そんなことを思うのだが、シメオンはエダンに対し、強い憤りを持っていた。
アンリエットはずっと気落ちしていた。やっと両親のいる自国に帰ってこられたのに、ぼうっとする間もなく仕事を欲しがり、何かに没頭しようとする。それがエダンのせいであると、エダンがアンリエットを裏切ったせいであると、そう考えれば考えるほど、怒りしか湧かなかった。
だがそれは、王という大きな壁があり、簡単には動くことのできない状況のせいだったからだと諭したのだが、
(まあね、追い出されたアンリエットに、エダンは何もしなかったらしいから、怒って当然だろうけど)
しかしマルスランは別の事実も知っていた。
『……殺されたのです。王に。責任を負わされて』
精霊と共に外出した時、わかっているだけの知人の墓へ寄った。
多くの者が、墓を持つことすら許されなかった。王太子マルスランを行方不明にした罰で。
それを秘密裏にして共同墓地に埋めた。エダンの父親たちの尽力だ。場所を教えてもらい、墓地へ行った。
マルスランがいなくなることがなければ、アンリエットとエダンが出会うことはなかっただろう。
だがマルスランは行方不明になり、エダンの慕っていた者は罰を受けて、理不尽に殺された。
エダンが王に私怨を持っていたとなれば、アンリエットが二の次になってしまったのも、納得はできるのだ。
あの世界に迷い込んでいなければ、彼らが死ぬことなどなかった。
後悔してもどうにもならない。あの時は、魔物を追っているうちに霧に紛れて、いつの間にか入り込んでしまった。出られないと知った時の衝撃は今でも忘れられない。精霊たちは十年ほどだと軽く言ったが、人間にとって十年は長い年月だ。その上、あの王のこともあった。
自分がいなくなったら、あの国はどうなるのか。
まさかまだ幼い姪を後継者にし、すべての責務を放り出しているとは思いもしない。
あの王が、そこまで落ちぶれていたとは、思いもしなかった。
もっと早くに、首を落としていれば良かったのだ。
父王は部屋に閉じ込めたまま。誰もがその事実を忘れたかのように過ごしている。
元々知性が低く、自己肯定感の強い男だった。封じられた部屋で罵り、大声を上げ暴れていたが、泣いて喚いて、そして今はぼうっとしている。時折どこかに話しかけていて、本当にボケたのではないかという話だった。
会いに行ったりはしない。会いに行く意味がない。
自分に価値がなくとも、それを作るために行動すべきだったのに、たった十歳の女の子にそれを押し付けたのだ。ならば、どれだけ価値のない人間なのか、知らしめることにした。自分に問うがいい。お前が、どれだけ無能かを。
そして今、もう誰も思い出さない。それでいい。
木の上で瞬いている光を見つけて、マルスランは手を伸ばした。
「ほら、いつまで機嫌を損ねているんだい。おいで、ぶっ!」
言った瞬間、顔にべちゃりと光がぶつかってきた。
それを子猫でも摘むようにはぎ取って、肩に乗せる。
十年も精霊と一緒にいると、人間の考え方が不合理だと思うことが出てきた。
もっと簡単に、押しのけてしまえばいいのに。そんな単純なことを考えてしまう。
「ダメだねえ」
呟くと、精霊が顔を蹴り飛ばしてきた。地味に痛い。
「君のことじゃないよ。怒らないでくれるかな。って、人型にならなくていいから! 羽があるんだから、飛んでいなさいよ。おんぶはしないから。いたた。苦しいよ」
精霊が人の姿になって、マルスランの首を絞めるようにのしかかってくる。周りから何事かと注目されるのでやめてほしい。せめて小さな光に戻ってほしいが、精霊はマルスランの背に乗っかったまま、降りようとしない。
諦めて歩き出す。
「十年、仲間たちと離れるのはさびしくないかい? 痛いよ。首を絞めないでおくれ」
また機嫌を損ねることを言っただろうか。精霊は首に巻き付ける腕を強めた。首が締まって息がしにくくなる。腕を取って、よいしょと精霊をちゃんとおぶった。普通に体重を感じるので、羽を動かす気はないようだ。
姪だっておぶったことがないのに、何歳かもわからない女性をおぶることになるとは。
精霊はゆうに百年生きて、それでもまだ若いと聞く。この背にいる女性が何歳なのか、怖くて聞けない。
(長生きして、千年くらいって言ってたっけ。人の十年が、一年くらいかねえ)
「伯父様。……結婚なさらないのですか?」
「相手がいないのだけれど」
アンリエットはマルスランの背中にまだくっ付いている精霊を見つめる。
「アンリエット、物語の読みすぎだよ。ねえ、重いよ。いい加減どきなさい」
叱るとすぐに小さな光になる。また飛び出していかないか心配になったが、ソファーへ飛んで、そこで静かにした。精霊用に菓子と茶が用意されているからだ。人形が使うような小さな茶器と皿を、アンリエットが用意してくれた。精霊は気に入っているらしく、光のままお茶を飲む。姿は見えないが、光の中にカップが浮いて見えるのは不思議な光景だ。
「こちら、確認お願いします。急ぎです」
「もう引退して、君たちに任せてもいい気がしてきた」
何せ書類はしっかり揃えられていて、仕事は正確。急ぎといっても締め切りよりはずっと早くよこし、余裕を持っている。人の使い方もよく知っていた。さすがに長年行ってきただけある。
冗談で口にしてみたが、良い案に思える。しかしアンリエットがうっすらと笑った。その顔に寒気がする。アンリエットの母親と同じ顔だ。
「まあ、伯父様。せめて十年は働いていただかないと」
「ごもっともです」
この顔に反論してはならない。それは身をもって知っている。あの妹はすぐに手を出してくるのだから、アンリエットも拳を握ってくるかもしれない。
「はい、どうぞ。ちゃんと確認したよ」
「ありがとうございます」
アンリエットは今の薄ら笑いを消して、にこりと笑んだ。入れ替わりに入ってきた宰相に挨拶をし、笑顔で部屋を出ていく。
(にこにこしちゃって。幸せそうだな)
「王、会議の内容ですが」
宰相が持ってきたのは、マルスランがいない間に行われた会議の議事録だ。パラパラと眺めて、情報におかしなところはなかったか、アンリエットたちに不利な議題はなかったか確認した。たまに意地悪な者が二人に決定できないことを議題に出してくるのだ。どうせお前たちには決められないのだろうと、見くびってくるのである。それでも対処するのは二人だが、そういった輩はお灸をすえたい。
めくった書類の一枚に、マルスランは手を止めた。宰相がわかっているかのように、その書類の内容をそらんじる。
「王が何度も出かけられるのは仕方ないとして、もしもの場合を考え、後継者を決めておかれた方が良いのではないか。とのことです」
「そういう話になっちゃうよねえ」
もしもの場合。もしも、マルスランに何かあった場合。前回とは違い、決定権を持つ者がいなくなる。そうなった時に国はどうなるのか。誰が頂点に立ち指示をするのか。その混乱に陥らないように、次代を決めておくべきだという意見だ。
「エダンの家門は、アンリエットと結婚した場合の後継者を決めてはいたんだろう?」
「王配になる予定でしたから、親戚筋から後継者を選んでいたようです。彼には兄弟がおりません」
「それで王配の話がなくなったから、エダンが継ぐのか。アンリエットに家門に入られると、ちょっと困ったことになるなあ」
アンリエットがベルリオーズを名乗ることになると、身分が変わってしまう。王族から臣下の妻になる。それでは後継者候補から外れてしまう。そうなると、シメオンに子供ができて、次男がいれば、その子を養子にもらうことになるだろうか。その間にマルスランが死んでしまったら? 現在進行形で、継げる者がいなければならないのに。
アンリエットに御璽は渡したが、それが後継者になるためという明確な決め事はしていない。何かあった時に決定権を渡しただけだ。後継者として決めることとは違う。
「あの子は、王を継ぐことは嫌がるかな」
「そのようなことはないと思います」
「そう?」
「ただ、最悪の場合を想定した時のみならば了承していただけると」
「そうだね」
アンリエットが継ぐとしても、マルスランに何かあった時か、仕事ができなくなるような時になるだろう。マルスランが王を辞してアンリエットに王の座を渡すと言っても、受けるわけがない。アンリエットとエダンは、マルスランの後継者はマルスランの子供であるべきだと考えているからだ。
だが、
「私の結婚はともかく、子供は難しいからなあ。二人の結婚までには話を済ませないとだねえ。エダンを呼んでくれる?」
宰相は頷いて部屋を出ていく。反対などしない。それしかないというのは、前王も考えたことだ。
それを踏襲したくなかったが。
「妹に土下座だねえ。無事では済まないなあ」
エピソードタイトル修正しています




