47−2 噂
マルスランは度々精霊と共に外出するようになった。
メッツァラの屋敷を調査しても、誰にどれほどの宝石を送ったのかわからない。
そこにはシーデーン家領地で製作された宝石の仲介も含まれているため、どれほど危険な物なのかは精霊と共に行って確認しないことにはわからなかった。
精霊は怪しい宝石を探すことに躍起になっているところがあり、そのせいで、マルスランの負担は増え、その分アンリエットとエダンが執務を行うという状況が続くようになった。
「デラフォア令嬢だ。やっぱりベルリオーズ様とご一緒なんだな」
「また婚約されるのだろうか」
「一緒にいるからそうなんじゃないか? ベルリオーズは役得だよな。誰選んだっていい役がもらえるんだから」
後ろからそんな声が聞こえて、アンリエットは横目でその男たちの姿を捉えた。今何か言ったか問おうと一歩出ようと思ったら、エダンがアンリエットの腰を押さえる。
「エダン」
「本当のことだ」
そうだとしても、聞こえよがしに言うのだから、こちらも遠慮なく口にしてもいいだろう。自分のことだとしても、アンリエットなら微笑んで、今何の話をされていたのですか? と問いに行く。
周りは大人しそうな人だと噂するが、アンリエットは弱くない。今まで対処はしてきた。
しかし、エダンは事実なのだから言わせておけばいいとアンリエットを止める。
今日はパーティに招待され、二人でやってきた。ホストはマルスラン派の貴族だ。だからといって、皆がアンリエットとエダンに好意的なわけではない。アンリエットは元々臨時で王太子代理を行なっていただけ。本来の後継者ではない。エダンは偽の王女の婚約者にもなった。マルスランが戻ってきた今、二人が邪魔だと思う者もいるのだ。
アンリエットに対し、子供のいないマルスランの側にいて、王太子代理の特権を使い、マルスランの後を継ぐ気だと噂する者たち。エダンに対しては先ほどのような話が多かった。
アンリエットが睨みをきかせると、男たちは顔色悪く霧散していく。アンリエットに冷眼を向けられるとは思わなかったようだ。それで少々腹の虫は治まった。気分よく歩きはじめると、エダンが横で小さく吹き出した。
「エダン?」
「いや、アンリエットのそういう顔は初めて見たな」
言われるとすごく恥ずかしくなってくる。どんな顔をしていただろう。エダンはアンリエットを見つめたまま、柔らかく微笑んで、小さな声で礼を言った。
アンリエットがこの国から出ていた間、エダンがどのように過ごしていたか、宰相から話を聞いている。アンリエットが行なっていた仕事をすべて受け持ち、ほとんど寝る間もなく働いていたのだ。
婚約破棄をしたのは王の命令で、それに対してアンリエットを追わなかったことは間違いないが、誰よりも国のために働いていた。その時間が無になるわけではない。
お前たちは何かしたのか? あの王を前にして。そう問いたくなるのだ。
アンリエットだって、さっさと自国に帰り、いじけて何もしなかったのに。今はそれが悔しくてならない。王に楯突くだけ無駄だと考えずに、冷静に考えて行動すれば良かったのではないかと。
エダンはそれについて、早く帰って良かったのだと言うが。
アンリエットとエダンは、まだ婚約ができていない。両親からは了承を得ているが、シメオンから反対されているからだ。本来両親から許可が得られればよいものだが、エダンはシメオンからも了承を得たいのだ。だから未だ、婚約はなされていない。
(エダンは時間をみて、お兄様の説得に行きたかったみたいだけれど)
今回パートナーとして二人でパーティに参加したが、離れた途端、男性たちがアンリエットに声をかけてきた。
「デラフォア令嬢、お話を、」
「デラフォア令嬢、よろしければ私とダンスを」
「デラフォア令嬢」
前は情報を得るために、会話に入り、ダンスを楽しむふりをして、多くの者たちの動向を探っていた。王太子代理であるアンリエットに後ろ盾はおらず、奮闘するには自分がまっすぐ立って判断しなければならなかったからだ。
あの頃に比べれば気は楽だが、神経を研ぎ澄ませるのは今も同じ。
アンリエットはいつも通り微笑んで、男たちの会話に応え、ダンスの申し込みに頷く。
つもりだった。
「失礼。アンリエット、踊ろう」
「エダン?」
今まさにダンスの誘いに乗ろうと手を伸ばしたところなのに、エダンが代わりにその手を取ると、人混みを分けて進んでいった。
「どうかしたの、エダン?」
「囲まれていたから」
エダンはダンスを踊る者たちの間に入り込み、かしこまってアンリエットに向き直る。
「ダンスは興味ないと思っていたわ。いつもは、」
いつもは、一度踊って、あとはお互い情報収集に行っていた。だから今回もそのつもりだと思っていたのだ。まだダンスは踊っていなかったが。
けれど、男たちに囲まれるのを見て、急いで戻ってきたという。
「あの時は、婚約していた。だが、今は違うだろう。きっと、話を持ち出す者もいる」
「それは、そうかもしれないけれど」
アンリエットの両親に話を打診することができないため、できてマルスランだろうか。しかしマルスランは外出ばかり。ならばアンリエット本人に婚約を申し込むということは、有り得るかもしれない。そんなこと頭になかったので、ならばエダンもそうだったのではないかと眉を寄せてしまった。
婚約はすぐにするのだと考えていたので、気が抜けていた。しかしエダンは心配してアンリエットの様子を伺っていたようだ。
(私たちは、前とはずい分変わったのね)
立場だけでなく、その気持ちも。
音楽が鳴りはじめる。
エダンとのダンスは久しぶりだ。前はヴィクトルと踊った。あの時は楽しいと感じた。
けれど今は、エダンのアンリエットを見つめる視線、その吐息も、触れる肌も、こんなにも愛しい。
「ふふ」
「アンリエット?」
「ヴィクトル殿下に、ハンカチを贈ろうと思っていたの」
その発言に、エダンが一瞬つんのめったようなステップを踏んだ。すぐに立て直して、冷静を装う。
「続けて」
「刺繍をしようかと思ったの。下手だからちゃんと練習をしてね。けれど結局その機会はなかった。刺繍の練習もしていない。この忙しさでは、こちらでも練習ができないわね。でも、」
アンリエットは顔を上げた。
「またリボンを贈るわ。いつもマーサと相談して、草木や石で染めていたの。それならばできるからと。糸も編めれば良かったのだけれど、そこまではできなくて。いつもね、何を贈ればいいのか迷っていた。私には自由にできるお金がなかったから。何かを行う余裕もなくて」
王太子代理の婚約者という、替えのきく立場のエダンが、他の者たちから狙われているのも知っていた。アンリエットよりずっとエダンの方が立場が弱い。アンリエットの相手になりたがる者は多かったからだ。
時に不審者に襲われ、暗殺しかけられたこともあった。
だから祈りを捧げて、リボンを染めた。どうか、エダンが無事であるように。彼が、何者にも害されないように。
「また贈るわ。これからも、ずっと」
ずっと側にいるから。
アンリエットのささやくような声は、音楽にかき消えて聞こえなかったかもしれない。音楽がやみ、ダンスが終わると、アンリエットにダンスを申し込もうとする男たちから離すように、エダンが手を引いた。
「エダン?」
「アンリエット、今朝、手紙が届いていたんだ。何度も手紙を出して無視されていたが、兄君から返事がきた。いい加減しつこいから、勝手にしろというものだったが」
「じゃあ、婚約の許可が出たということ?」
テラスに出ると、やっとシメオンが折れたのだと、エダンは振り向いて頷いた。
「王に許可をいただいてから、クライエン王国に赴いて両家の顔合わせを行なって……。まだ、婚約ができるとなっただけだが」
「伯父様には、しばらく執務を行っていただかなければならないわね」
精霊に宝石を探しに行くのを一度やめてもらおうか。そんなことを本気で考えていると、エダンがぽそりと呟いた。
「結婚が待ち遠しい」
微かな声だった。それこそ、心の中の声が、勝手に漏れてしまったような。
すぐにエダンが顔を赤くして、横を向いてその顔を隠す。
ああ、前も、こう言われて、嬉しさにエダンに抱きついたのだ。アンリエットは信じられない気持ちで、エダンの表情をよく見もせず、抱きついた。
今はじっと、まじまじと見て、その赤くなった頬を見つめた。前もこんな風に顔を赤くしていたのだろうか。
「そんなに見ないでいい」
照れて言うエダンに、つい笑みがこぼれて、その胸に飛び込んだ。
エダンは頬が赤いまま。少しだけばつが悪そうにしたが、アンリエットの頬をなでて、緩やかに表情をくずした。
今度は間違えたりしない。その呟きを耳にしながら、エダンの口付けを受け入れた。
すみません。少々文章修正しております。




