46−2 説明
燃えるような赤毛をした精霊は、ひっくり返るとベランダの柵に座るように飛んだ。そのままアンリエットに顔を近付ける。その瞳もまた血のように赤く、吸い込まれそうなほど美しく輝いていた。
『帰れなくなった。どうにかしろ』
「か、帰れなく? 道に迷ったりとかされたり」
『入り口が閉まった』
それは、困った話どころではないのではないか? マルスランが精霊の世界から出られなくなったのと同じく、精霊が精霊の世界に戻れなくなったというのは、かなり、よろしくない話だ。
それと、なんだか妙な気配が精霊から発せられている。
「あの、失礼ですが、何か持っていらっしゃいませんか?」
『何だ? これのことか?』
精霊が出したのは、紺色の宝石だ。見覚えのある、魔物の首から出てきた宝石に似た色。しかも、宝石から嫌な魔力を感じる。
「それをどちらで?」
『この間、見つけた。面白い物を持っている人間を見つけて』
嫌な予感しかしない。その人間から奪ったのだろうが、どう奪ったのだろう。
「あの、どうやってその人間から手に入れたのでしょう。その人間は何か言っていましたか?」
『指ごといただいただけだが? うるさかったから、何と言っていたか聞こえなかった』
「ゆ、指ごと」
ゾッと寒気がして、アンリエットは一歩後退した。腕くらい生えてくると思っているという話は本当なのだ。
すぐにマルスランに伝えなければ。アンリエットは精霊を促す。
「詳しくお話を聞けないでしょうか。こちらへどうぞ」
『帰れるのか?』
「それは、調べてみないとわかりませんが」
『お前についてきたら、案外人間のいる場所は面白くてな。ついうろちょろとしていたわけだが、疲れて木の上で眠っていたら、あまりにうるさくて目が覚めたんだ。妙な動きをする物がいて、騒がしくてたまらん」
妙な動きをする物? 馬車か何かだろうか。騒がしかったとなると、もしかして城をうろついていたのかもしれない。ならばパーティのあった日か。それとも戴冠式のパレードか。どちらにしても、メッツァラから手に入れた宝石をどこかの貴族から奪ったに違いない。
(執務室にまだ光があるわ。伯父様がいらっしゃればいいのだけれど)
緊張したまま精霊と廊下を進む。精霊は小さな光になると、黙ってついてきた。執務室に行くまでの扉に騎士が二人。アンリエットを見て扉を開いてくれる。精霊の光に気付いていない。魔法を使う騎士たちだが、見えていないのだ。持っている魔力量の違いだろうか。
(ほとんどの人が精霊を見ることができないのではないのかしら)
そうであれば、見つかるわけがない。
この赤毛の精霊がメッツァラたちを殺したのか。そうでなければ、他にも精霊がいることになる。
執務室はすぐで、その扉の前には誰もいない。入れ違いになっただろうか。扉をノックすれば、返事が返ってきた。
「エダン? あなただったの」
「アンリエット、こんな時間にどうし、……王ならばここにいない」
「そうみたいね。お部屋に行ってみるわ」
エダンは精霊に気付くと、顔色を変えた。精霊が安全ではないことをよく理解している。
「アンリエット、私も一緒に」
エダンが立ち上がると、精霊が再び人の姿に変わる。一瞬エダンが身構えた。
『あちらの方が魔力が多いな。お前は半身の方か』
言って、エダンを通り過ぎ、後ろの窓から外へ飛んでいってしまった。エダンとアンリエットが窓から身を乗り出せば、精霊が庭園を歩いている男性の元へ近付いた。マルスランだ。警備も付けず、一人で散歩でもしているのか。
マルスランはこちらに気付き、状況は理解したと、軽く手を振った。
「何があったんだ?」
「部屋に急にやってきたの」
アンリエットは先ほどのことをエダンに伝える。
「そうなれば、十年、帰れなくなるのか」
「そうなるわよね」
どうにかなるのだろうか。精霊と散歩をするようにゆっくり歩いているマルスランの背を追うが、精霊から同じ話を聞いたのか、頭を抱えていた。
「今は王に任せるしかないな。放置するには恐ろしいものを感じるが、違法な宝石を見つけてくれるのはありがたい」
メッツァラたち関係者が殺されてしまったため、どんな宝石をどれだけ製作したのかまだわかっていない。その宝石を見つけて持っている者を教えてくれるのならば、調査に役立つだろう。だが、その持っていた者が無事でいられるかはわからない。
違法な宝石だ。何者かに侵入されて奪われたとは言えない。怪我をしたこともどうやって言い訳をするのか。
「明日はその貴族探しだな。精霊が顔くらいは覚えてくれていると助かるが」
精霊はマルスランとまだ話している。王と二人にしているのも危険ではないかと心配だが、アンリエットたちよりマルスランが直接話す方が精霊の話も聞きやすいだろう。
「エダンはこんな時間まで仕事をしていたの?」
「いや、もう終えるところだったんだ。書類の整理を」
「あまり無理をしすぎないで。体調を悪くしてしまうわ」
ただでさえ忙しいのだから無理をしないでほしい。エダンはマルスランが戻ってきてから、自分の屋敷に帰っていない。今は城に住んでいるのが当たり前になっていて、それに慣れてしまっている。
エダンはアンリエットの心配をよそに、クスリと笑った。
「エダン? 心配して言っているのよ?」
「ああ、すまない。心配してもらえることがうれしくて」
言いながら、アンリエットの手に触れて、にこりと微笑む。その微笑みは反則だ。普段表情なく過ごしているのに、時折そうやって無防備な笑みを見せてくれる。そんなに回数があるわけではないが、アンリエットの心臓を打つには十分な回数だった。それに、そんなことを言うエダンにも慣れなくて、くすぐったくなってくる。
「ちゃんと、休んで、ください」
「わかった。もう休む。そうだ、アンリエット、話すのが遅くなってしまったが、正式に、婚約ができないかと君の両親に話をさせてもらった」
「え!?」
「気が早かっただろうか。すまない。気が急いていて。君の両親がいる間に話さなければと」
「いいえ、ただ、いつ。昨日? 昨日って、すごく忙しかったのに。え。あの後すぐ??」
あの後、庭園で口付けた、あの後、すぐ。
アンリエットは自分で口にして、顔が熱くなるのを感じた。
そして、ふと気付く。今朝、朝食を両親たちと一緒にして、アンリエットの話に食い付くことなく、冷静に返されたことを思い出す。
あの時すでに、両親はエダンに説明を受けた後だったのだ。道理で両親たちの反応が薄かったわけだ。
友だちに会うという話だったが、エダンもそれに含まれていたのか?
「前から話をと、連絡をしておいたんだ。あの後、アンリエットとのことがあったから、その話をさせてもらった。もちろん激怒されたが」
「そうなの!? でも、今朝は」
納得していそうな感じだったのだが。
「父君は、アンリエットの好きにさせると。母君は、物が飛んできそうな雰囲気ではあったが、」
「お、お母様」
何かあったら、あとはないと思えという話は、マルスランに言ったのではなかったのか。
まさかエダンのことだったとは。
「はっきり許可が得られたわけではないが、概ね。兄君には完全に無視されてしまったが」
「お兄様には、私も聞いてもらえなくて。話途中で呼ばれて、その後も話す余裕がなかったの。でも、ありがとう。エダンはちゃんと考えてくれていたのね」
「当然だ。無責任な真似はしない」
「あ、違うのよ。浮かれていて、婚約についてはすぐに頭に浮かばなかったの。だから、その、うれしいわ」
「アンリエット……」
口にすると恥ずかしくなるが、言われると心が温かくなることがわかるから、口にしたい。
アンリエットはもう一度、婚約の話を出してくれてありがとう。と顔を上げて口に出した。エダンはいつの間にか近付いて、その口を塞ぐようにエダンのそれを合わせる。
「兄君も必ず説得するから」
「私も、お兄様を説得するわ」
お互いに言って、微笑みあって、もう一度触れた唇を重ねる。それが離れると少しだけ残念な気がするが、恥ずかしさが増して俯きそうになった。エダンはそのままアンリエットの手を取って、再び吐息を合わせて瞼を下ろした。
何度そうしたかわからない。唇が離れると、エダンはそのままアンリエットの首筋に口付けた。
「え、エダン」
「アンリエット、」
「はい!」
「ずっと気になっていたんだが、このネックレスは」
ネックレス? アンリエットが首にかけているのは、前にシメオンからもらったエメラルドの宝石が付いたネックレスだ。大切にしていて、いつも首にしている。
「これは、お兄様からいただいて」
「ずっとつけていたから、誰からの贈り物かと」
シメオン以外ならば、両親からもらった物と思ったのだろうか。
エダンがばつが悪そうに顔を背けたので、アンリエットはエダンが誰を想像したのか、ハッとした。
「殿下にはお断りを入れたわ。こちらでやっていくと!」
「いや疑っていない。先を越されているなと」
「先?」
「これからは、そういった贈り物を気にせずできると思っていたから、人に先を越されて、思うところがあっただけなんだ。だから、二番手で申し訳ないが」
エダンは自分の執務机の引き出しから、箱を取り出した。アンリエットの前で開かれて、アンリエットは目を見開く。
箱に入っているのは、ネックレスだった。鮮やかなピンク色の宝石がいくつも付いた、ネックレス。
「エダン。パーティの装いを一式いただいたばかりなのに」
「ずっと贈ることができなかった分だ。兄君には、嫌がられるな。着けていいか?」
アンリエットは頷いて、申し訳なくもシメオンからもらったネックレスを外す。
「兄君にまた怒られるな」
後ろでエダンがボソリと呟く。これで怒りが増したらどうしようと思いつつ、自分の首に飾られたネックレスをエダンに見せた。
「ありがとう。似合うかしら」
「とても、似合っている」
少しだけ頬を染めて、エダンが褒めてくれた。その顔を見ているだけで、引き寄せられるように口付ける。もう何度目かのそれに、飛び跳ねたくなるほどうれしくなる。アンリエットは自分でも顔が熱くなるのを感じていた。
「明日も、早いだろう。部屋まで送る」
「ありがとう、エダン」
精霊をマルスランに任せて、幸せいっぱいなことに背徳感を感じるが、少しだけ許してほしい。
エダンはアンリエットの部屋まで送ってくれて、扉を閉める前に、額に口付けた。
戻っていくエダンの背を追って、このくすぐったい気持ちのまま扉を閉めると、アンリエットはずるずると扉を背に座り込んだ。
「ああ、もう。十年も一緒にいたのに、こんなに変わるものなのね」
自分たちの関係は変わった。婚約は破棄されたのに。
「婚約、か」
その壁はまだ越えていないが、二人であれば越えられる。それが何よりもうれしかった。
更新遅くなってすみません




