5 エダン
「クライエン王国へ帰った?」
スファルツ王から聞かされた言葉に、エダンは耳を疑った。
王は当たり前だと言わんばかりに鼻息を荒くする。
「おお、さっさと出て行ったぞ。結局はマルスランの代理。代理にもならなかったが、本来ならばこの国に滞在することもない立場。その日のうちに出て行って、部屋はもぬけの殻だったわ」
どうしてそんなことに。メイドたちにはしばらく大人しくさせておけと注意させておいたはずだ。
追い出されるにしても、仕事を一任していたのはアンリエットだ。どうせ仕事が停滞するのだから、アンリエットを必要とする。だからしばらく隠れているだけで十分だろう。そう伝えておいたのに。
「いなくなった娘の話はよい。セシーリアのことは頼んだぞ。城に来て右も左もわからないのだから、婚約者であるお前がしっかりと導くように」
「……承知しました」
寝ぼけたことを。エダンは心の中でそう呟いて、うやうやしく首を垂れる。
王から城へ呼び出されたと思ったら、マルスラン王太子の娘が見つかったと知らされた。その娘は平民の格好をしていたが、マルスランが持っていたブローチを大切に持っていたらしい。
娘は子供の頃老婆に拾われて二人で生活をしていたが、魔物に襲われ、老婆死亡後一人で逃げた。丁度魔物討伐に来ていた領主の騎士団に救われたあと、そのブローチを持っていることが発覚。領主はマルスランをよく知っており、そのブローチが本物であることも確認した。娘は、ブローチは父親の形見だと言い張り、その情報が王の耳に入った。
たったそれだけ。それだけで、セシーリアという名の娘の謁見を許し、王は会ってすぐに娘だと確信したとか。
「下らない」
アンリエットの部屋に行けば、扉には鍵が閉まっている。
この部屋にセシーリアを入れるわけがない。ただ扉を閉めているだけだ。
アンリエットは王に認められない王太子代理だ。王が盲目的に信用しているマルスランが行方不明になれば、その代わりになれる者はいない。白羽の矢が立ったのがマルスランの妹の娘。全てが完璧だったマルスランとは違う、妹の娘ということで、王のアンリエットに対する扱いは目に余るものがあった。
だから、この部屋は、本来第一継承権を持つような者が入る部屋ではない。
部屋の広さはそこそこで、高価な調度品が置かれているわけでもない。王太子の部屋とは比べ物にならない、粗末な部屋。セシーリアにあてがわれたのは部屋だけでなく、階すべてが彼女のものになったというのに。
「まあ、ベルリオーズ様、こちらにいらっしゃったのですね。セシーリア様がお待ちです」
セシーリア付きのメイドが、廊下を歩いているエダンに声を掛けてきた。王に呼び出されたため、その後客間に向かうと伝えておいたのに、わざわざ迎えにくるとは。
(メイドもセシーリア付きになったからには、セシーリアを持ち上げなければならないからな)
貴族からセシーリア宛に、続々と贈り物が届いている。アンリエットは王に媚を売る貴族に嫌われがちだった。不正を嫌うため厳正に処分を行なってきたからである。それら貴族からすれば、平民のような暮らしをしてきたセシーリアをおだてるのはちょうど良いと考えているのだろう。
(まだお披露目などはないが、その行動は今後うまくいくだろうな)
「エダン様、お待ちしてましたわ!」
エダンが客間に入ると、セシーリアが勢いよく立ち上がりエダンの元に走ってきた。周りのメイドたちが軽く動揺する。今にもエダンに飛びかかりそうなセシーリアを止めるか迷ったのだろう。セシーリアはエダンの前で上目遣いをしながら、無遠慮にエダンの手を引っ張った。
「さあ、座ってください。おいしいケーキがあるんです。一緒に食べましょう」
「……失礼します」
マナーもなにもない。席に座るまで力強く手を握られて、エダンは微かに目を眇めた。
これが王太子の娘だと、王は容認したのだ。
ゆるやかな金髪。若干黄みが強いが、マルスランと同じ金髪だ。目の色はヘーゼル。琥珀色とは言い難いが、光の入り方によっては琥珀色に見えなくもない。マルスランとそっくり同じではないが、似たような色をしている。
マルスランの顔は知っているが、昔の話なのでエダンがはっきりと覚えていることはなかった。肖像画で記憶が修正されてしまっている。だから、今目の前にいるセシーリアと似ているか問われれば、肖像画には似ていると答えるだろう。
「ほら、おいしそうなケーキでしょう?」
セシーリアがフォークにさしたケーキをよこした。メイドたちが息を呑む。自分で食べたフォークでさしたケーキをエダンの口に運ぶ姿は、メイドたちにどのようにうつっているのか。
「いえ、私は甘い物が苦手なので」
「えー、おいしいんですよ? 少しくらい食べてみても」
メイドたちが困惑顔をして、さすがに目に余ると横で耳打ちする。注意をされたセシーリアは口を尖らせた。その姿にもメイドたちは視線を泳がせる。
茶に呼ぶ前に、マナーくらい学ばせたらどうなのか。ちらりとエダンが横目で見れば、メイドたちは居心地悪そうにするだけだ。
(これを、教育しろと?)
言葉ですら平民言葉が交じり、付け焼き刃で言葉を整えさせた程度。
アンリエットは元から教養があった。マナーはもちろん、学びも基礎を持っていた。クライエン王国では男女関係なく政治に関われるため、デラフォア家は兄妹隔てなく学ばせていたからだ。
そもそもの土台が違う。そのアンリエットでさえ、多くの家庭教師に囲まれて朝から晩まで、本人は真夜中まで王太子代理になるための学びを行っていた。
それでも王に叱責され、アンリエットは体を壊すほど努力を続けた。
城にいるほとんどの者がアンリエットに同情した。そんなアンリエットの相手にと選ばれたのが、エダンだ。
アンリエットが泣くのをなだめ、王の怒りの矛先を自分に向けるように庇いもした。学びの足りない部分を補い、政務を手伝った。両親より散々言われたことだ。王太子代理を抱き込み、アンリエットが王への階段を登った時、エダンもその努力が認められるのだと。これも未来の王配となるためなのだと。
その努力が、全て泡になったのだ。
「それでですね、すっごく綺麗な宝石があって、それも使っていいんですよ。見てください。私に似合うでしょう?」
「ええ、お似合いです」
「うふふ。もっと早く、私が誰なのか分かればよかったのですけれど。お父様が王子様だっただなんて、考えもしませんでしたわ。私、ずっと苦労していたんです。森で死んでいた痩せこけた男の人と、幼い子供だった私をお婆さんが見つけてくれて、男の人は病気で倒れて亡くなったみたいで、私はずっとその男の人の側で泣いていたとか。それから両親を知らずにお婆さんと二人で住んでいたんです。お婆さんも死んでしまったから、私は一人。魔物に襲われて逃げていなければ、私も魔物の餌食になっていました。領主様にはとても感謝していますわ。こうやって、おじい様に会えて、家族のいなかった私に婚約者までできたんですもの」
セシーリアは頬を染めて喜んだ。新しい家族、新しい婚約者。なにもかもが嘘のようで、苦労してきた分幸せになれるのだと言って。
「これを私に残してくれたおかげです」
セシーリアが取り出したのは、マルスランが持っていたブローチだ。金具には王族の印である獅子が記されており、大きめなブルーグリーンの宝石がはめられている。この大きさでは珍しいエメラルドだ。精霊から力を得たという理由で王が贈った。だからこのブローチは世界に一つしかない。
マルスランが病で死んで見つかったという話がもっともに聞こえるのは、マルスランが簡単に殺されるような男ではなかったからだ。
王太子の地位に疲れ果てて逃げた後、平民として生きていた? 納得のいくような、いかないような話だ。
なんといっても、その男とどこで生活していたのか。母親のことも、セシーリアは知らない、の一点張りだ。幼い頃と豪語しているのだから、そうだと言われればそうなのだろうが。
魔物討伐で倒れるような男ではないため、王の束縛と王太子の重責に嫌気がさして逃げたとなれば、納得の理由でもある。そこが嘘なのか本当なのか分からなくしているゆえんだった。
今のところ、その男の遺体は見つかっていない。セシーリアが幼かったことと、その場所を知っている老婆が死亡していることで正確な位置を探せないでいた。
「そろそろ失礼します。王太子代理の仕事を確認しなければならないので」
「そうなのですね。ぜひまたいらっしゃってください」
その仕事も、お前の仕事になるのだが。
わかっていないようだが、それを伝えるのはやめた。笑っていられるのも、今のうちだけだ。




