44−2 戴冠式
「デラフォア令嬢は、王太子代理として素晴らしいご活躍をされていましたわ」
「あの王の前で、よく我慢を続けていらした。病になったと聞いて納得しましたよ。ああ、もう王ではありませんでしたね」
貴族たちを前にして、シメオンは笑顔を向けながら、今にも斬りだしそうな雰囲気を持っていた。
パーティ会場に入り、まずは挨拶をと海外の客や重鎮たちと顔を合わせようとしたが、その途中でアンリエットとシメオンはあっという間に囲まれてしまったのだ。
(お兄様に婚約者がいないことを忘れていたわ……)
シメオン目当ての令嬢たちやその親たちが、アンリエットに話しかけてシメオンの紹介を得ようとしてくるのだ。会話を始める題材として、彼らはアンリエットをまず誉めることにした。ネタがそれしかないのだろう。
アンリエットがこの城に帰ってきた時、親しい者たちは喜びの声で迎えてくれた。別れの挨拶もできずに城を出て行ったこともあり、心配もかけていたのだろう。メイドたちの中には涙ぐむ者もいて、アンリエットも心が温かくなった。
逆に、アンリエットを口悪く罵るような者たちがどうだったかと言うと、彼らもまた、喜んで迎えてくれた。その時にはマルスランと一緒で、王が部屋に閉じ込められたと噂になっていたからだ。
彼らはずっと、王に卑下されるアンリエットを馬鹿にしていたのに。
エダンが言うには、セシーリアが王に媚び、わがままをしたい放題で、少しずつ彼女から人心が離れていったため、その反動もあるのだろうとのことだった。セシーリアは、当初は平民に近しく、優しい人だと称されていたが、そのうち王に有る事無い事告げ口をし、罪のない者たちまで追い出したりしていた。だからなおさらだろうと。
だからといって、急に態度を変えられるというのも複雑な気持ちだ。
今日はマルスランが誰と会っているのか。それを見ている者たちがどんな顔をして、どんな話をしているのか、確認するつもりだった。全ての人間がマルスランの即位に賛成しているわけではない。誰がどんな反応をするのか、アンリエットたちは知らなければならなかった。
アンリエットがパーティに出席しても、そこまで重要人物と思われていないだろうと高を括っていたが、シメオンは予定外だ。
ちらりと横目でマルスランの位置を確認する。マルスランの側にはエダンが控えていた。警護というわけではないが、マルスランからできるだけ離れないようにして目を光らせている。それでも近寄ってくる者は多いので、エダンも忙しそうだった。
(私ではあの役目はできないのよね)
アンリエットは今、マルスランの手伝いをしているが、何者でもない。王の親族ではあるが、役職を持っているわけではない。
それを悲しく思うことはないが、残念な気持ちはあった。あまり役に立てていないような気がして。
マルスランが誰かに気付いて話しかける。ヴィクトルだ。
先ほど顔は合わせたが、軽く挨拶しただけだった。ヴィクトルに挨拶をしようと、多くの者たちが集まっていたからだ。ゆっくり話ができる状況ではなかった。こんな場所で私的な話などできないので、当然だが。
「お兄様、」
手洗いに行ってくると目で訴えて、アンリエットはシメオンから離れた。シメオン目当ての者たちが一気に周囲を囲みはじめる。先ほどマルスランと話していたヴィクトルも人々に囲まれていた。王太子なので当然であるし、女性に囲まれるのも仕方ないだろう。
両親の姿は見えないが、どこにいるのか。だが一人ならば探しやすそうだ。そう思っていたが、手洗いに行って戻ってくれば、アンリエットが一人でも声をかけてくる者たちがいた。
「デラフォア令嬢、この度はお戻りいただき、本当に、嬉しく思います」
「まあ、そんな。ありがとうございます」
「デラフォア令嬢、殿下を見付け連れ帰っていただいたという噂を聞き、どんなに喜んだことか。令嬢のおかげで国がまともに動いていたのです。我が領地の魔法使いたちも、令嬢の施策には感謝が絶えないと」
「そんな、褒めすぎですわ」
(な、何が起きているの??)
アンリエットが一人になると、アンリエットへの感謝を述べる者たちに囲まれた。手のひらを返すような者たちではなく、前から懇意にしていた者たちが集まってきているのだ。戻ってきたことに感謝と、マルスランを王にしてくれたことについて何度も礼を言われた。アンリエットが王にしたわけではないのに。
何度も褒められて、感謝されて、努力の甲斐があったのかもしれないと思いはじめた。長い間学びながら試行錯誤で行ってきたことだ。結果も出ず、王からの叱責で挫けそうにもなったが、評価してくれる人々がいたことに、十年が無駄ではなかったと思えてきた。
やっと波が終わって落ち着いて、アンリエットはテラスへ息抜きに出た。シメオンはどこにいるかわからないし、他の人たちも見当たらなかったからだ。
少し休憩して、マルスランを探そう。テラスに出れば喧騒が聞こえなくなり、やっと肩の力が抜けた。どうやらずっと気を張っていたようだ。少しばかり、どんな対応をされるのか気にしていたのかもしれない。
何せ追い出されてのこのこと帰ってきたのだから、それについて文句を言う者もいるだろう。そんな気負いがあったようだ。けれど、そうではないと思っている人たちもいると知って、安堵した。
あとは、
「これから、どうするか、よね」
今後、どうするかを、アンリエットはまだ決めていない。
マルスランに十年の間の執務についてを伝えるため、この城についてきたのだ。だが、それが終われば、アンリエットはまた用無しになる。手伝いが終わるまでこの国に滞在するつもりだが、いつまでマルスランが必要だと言ってくれるかはわからなかった。
カチリ、と音が聞こえて、アンリエットは振り向いた。誰か入ってきたからだ。
「アンリエット嬢」
「殿下」
アンリエットは背筋を伸ばしてから礼を執った。ヴィクトルだ。
「休んでいたのだろう。すまない。一人で入っていくのが見えて」
ヴィクトルはグラスを片手に、申し訳なさそうに扉を閉める。そちらに行っていいかと聞いて。もちろんだと頷いたが、一歩出ただけで、そこまで距離を縮めなかった。
「殿下。この度は、執務を途中で投げ出し、お暇を願ったこと、誠に申し訳なく」
「かしこまらないでくれ」
まずは執務の手伝いを途中で放棄したことへの謝罪を口にしようとすると、ヴィクトルがすぐに遮った。
「王が君を必要とするのは理解しているし、君も途中で出てきたせいで気になっていたことが多いと知っていた。謝ることはない」
そう言われては、謝罪も難しい。だが、謝ることでヴィクトルから許しを得ようとしているところが自分の心に垣間見えて、アンリエットは口を閉じた。自分が楽をしようとしているだけだと気付いたのだ。謝って、楽になりたいだけなのだと。
だからといって、何と切り出せばいいのかもわからなかった。ヴィクトルも同じように、何と切り出すのか考えているように見えた。お互い少し沈黙して、先にヴィクトルが口を開ける。
「一つだけ聞きたかったんだ」
「何でしょうか」
「戻ってくる気はあるのか?」
(戻ってくる。国に? ヴィクトルの執務に? そのどちらもに?)
その質問は、アンリエットの気持ちをわかりやすく問うものだ。
「そのつもりはありません」
そうだ、と思う。
帰る気はない。アンリエットは、自分の国に帰ろうと思ってもいなかった。
(あんなに帰りたかったのに、今は帰りたくないと思っているのだから、笑ってしまうわ)
忙しくしているが、それが楽しいのだから、慣れとは恐ろしいものだ。
そして、側にいることで幸福を感じるとも思わなかった。
「私は、クライエン王国に戻る気はありません。この国に、スファルツ王国に留まるつもりです」
マルスランの仕事が終わった後どうなるかはわからないが、アンリエットはこの地を去るつもりはなかった。去ろうと思えなかった。
はっきり言いやると、ヴィクトルは微かに眉を寄せた。
「殿下にはよくしていただき、礼の言葉もございません」
「謝らなくていい。わかっていたことだ」
「殿下……」
「これからも執務の手伝いを?」
「いつまでかは決まっておりませんが、そのつもりです」
「君は仕事が好きだからな。トビアスが残念がっていた。良い人材がいなくなって」
「申し訳ありません」
「いや、ちょうど元の担当者も治療を終えて戻ってきたんだ。だから、……大丈夫だ」
大丈夫だと言ったヴィクトルは、微かに顔を歪ませて、自嘲のような笑いを見せた。
その時だった。閉められていたテラスの扉が無遠慮に開けられて、アンリエットとヴィクトルはそちらを反射的に見やった。
「カーテンを閉めたつもりだったが?」
「申し訳ありません。ノックを忘れていたようです」
「まったく。最初から気に食わなかったよ。ベルリオーズ」
いきなり入ってきたエダンに、ヴィクトルが挑発するように言いやった。




