43 討伐後
王太子マルスランが生きて戻ってきた。その噂は瞬く間に広がった。
「アンリエット、これどうなっているの?」
「そちらは、伯父様が進めていらした事業をそのまま受け継いで行いましたので、基盤は同じです。条件はこちらに」
「エダン、この項目の補助って何のこと?」
「騎士や魔法使いたちに起きうる怪我など休養についての補助で、一部税金免除や生活費の給付などを行っております」
マルスランの問いに答えながら、資料を渡し、今まで行っていたこと、今行っていることを説明する。エダンや宰相たちだけでは回っていなかった執務には、どうしてもアンリエットも必要ということで、マルスランに頼まれて手伝いを行っていた。
けれども、
(目がまわるほど忙しいわ!)
十年もの間の時間を説明しなければならないのだから当然とはいえ、これだけの量を一気に覚えられるマルスランに感嘆しかない。
「また、借金!」
「王がセシーリアに対し、費やした金額です」
マルスランが突然、吠えるように叫んだ。エダンが動じることなくすぐに返答する。
「こっちの借金は!?」
「王が褒美を与えられました」
「だからって、この土地! まだ債務のある土地を気前よくあげたの!? しかも担保が別の土地っ!」
「その土地も、王が気前よく購入されたものです」
宰相の補足に、マルスランが髪の毛を掻きむしるようにして頭を抱えた。
「認知力のない老人の行為として、取り消しを願おうか」
「そんな法はありませんので、作らないとなりませんね」
エダンが書類をさばきながら、冷静に返事をする。
「作ろう。すぐに作ろう」
「作っても、今さらですわよね……?」
「アンリエット。今後のためという言葉を知っているかい?」
マルスランの額に浮かぶ青筋が切れそうだ。マルスランが執務を行っていた時でも、王が勝手に余計なお金を使っていたが、マルスランがいなくなって拍車をかけた。それを何とかアンリエットたちが返済したのだが、アンリエットがいなくなった後も王は借金を作っていたらしい。
宰相は申し訳なさそうに首を垂れるが、エダンも宰相も止めようがない。裏で手を回して借金が減るように尽力していただろうが、貴族との謁見中などに勝手に購入してしまうことが多々あるのだ。
「この、偽王女のための建物は最悪だね」
王がセシーリアの為に建てさせていた建物は、贅沢の限りを尽くすようなものだった。
柱に使う石は他国から取り寄せる高級品。天井に描かれた絵画に、広間の上部の壁は特別な仕様で、彫刻の細かさが売りだった。まだ建造途中な為、家具など調度品はすべて契約の取り消しを行ったが、他国に依頼した高級石などはもう運ばれている。マルスランが頭痛が絶えないと、悶えるように書類の上に突っ伏した。
「伯父様、少しお休みになられたら。あと、その頬ももう少し冷やされた方が」
マルスランの頬にはくっきりと赤く、女性の手のひらに打たれた跡が残っている。
十年ぶりに会った、妹にやられたのだ。
アンリエットの母親である。
討伐が終わり、城に戻る際、マルスランはアンリエットに城へ一緒に来るよう言った。その際にすぐにシメオンにデラフォア家へ言付けを頼んだのだ。城へ連れていくのだから、両親に伝えるのは当然ということだったわけだが。
「妹は、相変わらず暴力的で」
マルスランは打たれた頬をそっとなでる。
アンリエットの母親は、シメオンから伝言を聞き、すぐにこの城までやってきた。
十年ぶりの兄妹の、感動的な再会。まず最初に駆け寄った母親が、マルスランに包容でもするのかと思いきや、母親はマルスランの顔を、思いっきり引っ叩いたのだ。
唖然とする周囲。マルスランは呆然とする中、母親は叫んだ。
『今までどこにいたのですか!』
そこからの、
『うちの娘を、また執務に就かせるなど、誰が許可など出すものですか!』
だったのだ。
アンリエットは必死で自分が選んでこの城に来たのだと説明したのだが、母親は激怒したまま。
興奮してマルスランを叩く殴る。そうして泣き出してしまったわけである。
「心配されていたのでしょう」
「その冷静な言葉。ありがたいよ」
エダンは表情なく書類を確認する。マルスランは頬杖を突いて、うっかり頬を触ってしまい、痛さに顔をしかめた。
妹は、本当に私を心配していたのだろうが、怪我もなく元気で飄々としていた私に、何か言いたくても混乱してあのような暴挙に出たのではないか。とマルスラン自身が擁護していた。
母親からは、精霊に捕まったくらい、何とかできただろう! という、傍若無人な言葉も出ていたが、大泣きしていたので、心配だったのは間違いない。
(だからってお母様、会って最初で平手はないわ)
母親は言うだけ言って泣き続けてマルスランを困らせたが、落ち着いたのかそのまま帰っていった。アンリエットをまたそちらの都合だけで使うならば、次はないと思え。と捨て台詞を吐いて。
「妹は君が心配で仕方がないのだろう。当然だけれどね。長い間離れ離れになっていたのだろう? それで追い出されたと思ったら、また連れて行かれた。しかも連れていったのが私だったものだから、生きていてなお父親と同じことをするのかと、憤りもあったのだろう」
混乱のまま城へやってきて、元気でいる兄を見て嬉しくも、怒りの方が勝ったのだとマルスランは言って、まあねえ、と続けた。
「私には子供がいないのだし、アンリエットに継がせるのはありだと思うのだけれどねえ。エダンと一緒に」
「お、伯父様。まだお若いのですから、ご結婚相手を探された方が良いと思います」
最後の言葉は聞かなかったことにして、アンリエットは返す。
王になる者がいるのだから、その子が王を継ぐのが当然だ。マルスランはまだ年老いているとは言い難い年なのだし、今でも探せば相手は出てくるだろう。そんな軽い気持ちで言ってみたが、マルスランがアンリエットをじろりと睨め付けた。
「アンリエット。今現在、私の相手になれるような令嬢が何歳になるか、わかるかい」
「えーと、そうですね」
マルスランと同じ年の女性と考えると、ほとんどが結婚しているだろう。独り身だとしても、伴侶を亡くしているか、訳ありか。王の相手となる女性に子供がいては困るし、王の相手が再婚では問題になる。そうなると、もう少し若い女性になるわけだが、結婚をしていない若い女性と言われると、
「そ、そうですね……」
「最悪、君と同じくらいの年の令嬢になるんだよ。アンリエットはそれで納得できるの!?」
「え、えーと、し、仕方ないと思います。王であられる方ならば、そのようなことも無きにしも非ず。他国では側室などでお若い方を娶ることも」
「アンリエットー。エダン。何とか言ってくれ」
「致し方ないことだと思います」
「君ね。はあ。まあ、そんな機会があればね。あまり期待しないでほしい話ではあるけれど」
マルスランは大きくため息をついた。あまり現実ではないと言って。
後継者問題は、エダンの言う通り致し方ないと思うが、こればかりはマルスランの気持ちもある。王族であるが故に避けられない問題ではあるが、十年もの間人間の世界を離れていて、いきなり結婚というのも頭が切り替えにくいのかもしれない。
「殿下、戴冠式の準備についてですが、衣装なども合わせなければなりませんから、お時間をいただくようになります」
日程を確認しながら、宰相が資料を見せる。
王が退いたため、次の王はマルスランだ。そのための準備が進められている。多くの貴族や各国の要人も集まる予定だ。
マルスランが王になることは、広く知らしめなければならない。もう今までのように王を自由にはできないのだと、これからは目を光らせるのだと、多くの者たちにわからせる必要があるからだ。
このパーティには、ヴィクトルも来るだろう。
アンリエットは、ヴィクトルの仕事を途中で放棄してこちらに来てしまっているので、謝罪もできていない。ヴィクトルにマルスランが断りを入れたとはいえ、仕事を辞したようなものだ。
一度ヴィクトルの元へ行き、無責任な真似をしていることへの謝罪をしなければならないため、手紙をしたためたが、パーティに参加予定だからその時に会おうと返事がきた。
ヴィクトルとは討伐以降会っていないのだから、それが久しぶりの再会になるだろう。
その時にどんな話になるのか。ヴィクトルに何と切り出せばいいのか。
考える時間は、まだ少しだけあった。




