42−3 入り口
「アンリエット!」
「お兄様」
「無事だったかい!? 急に姿を消してしまったから、何かあったのかと」
「お兄様は霧の中に入ったりしなかったのですね」
「霧の中? 霧なんて、どこに?」
シメオンはあの霧を見なかったのか。アンリエットが魔物の出した突風で倒れ、茂みに入ったまま気を失っていたのかと思っていたらしい。エダンがそれを助けにいったのは見たようで、そこから魔物を離すためにセシーリアで魔物を誘導し、離れた場所で戦っている最中だったようだ。
「それより、先ほどの攻撃は、その方は一体」
「お兄様ってことは?」
「兄のシメオンです」
「やあ、シメオンか。また随分大きくなったなあ」
マルスランはシメオンの肩を叩き、自分より少し大きくなったことに驚いてみせる。シメオンはいきなり触れてきた男性に、一瞬驚きながら眉をひそめた。
「あの。どなたで、」
「伯父様ですわ。お兄様」
「……伯父上?」
「十年は長いね。父親に似てきたな」
「本当に、伯父上ですか? 今までどちらにいらしたのですか!?」
「それは後で話そう。まずは魔物を倒そうかな。今はどんな状況? それと、どうして討伐にドレス姿の令嬢が?」
魔物が倒されたため、ヴィクトルが近寄ってきた。セシーリアと一緒だ。マルスランからすれば、討伐に令嬢など連れてくるはずがないので、不思議に思ったのだろう。
「殿下の娘と名乗る者です」
エダンが横できっぱりと言い放つ。マルスランがその言葉に無言で首を傾げた。
「もう一回言ってもらっていいかな。私の、何だって?」
「殿下の娘です。セシーリア王女様とおっしゃいます」
名前が出て、セシーリアが怪訝な顔をする。話の内容がわかっていないのだろう。なぜ自分の話が出ているのかと、ヴィクトルに問うていた。ヴィクトルにもよく聞こえなかっただろうが、何の話をしているのか想像ができたかもしれない。セシーリアをちらりと視界に入れる。
マルスランは小さく唸って、額を押さえた。
「頭が痛いな。十年で何が起きているの」
「伯父上、その、心当たりなどは」
「シメオン。私は悲しいよ。そんな風に見られるなんて。どうしてそうなるの?」
「殿下のブローチを持っているのです。ただそれだけで王が娘と認定しました」
エダンが説明をすると、それで理解したと、途方に暮れるように目を細めて遠くを見上げた。
「まったく、予想できないことをしてくれるね。どうしてあそこまで愚かでいられるのだろう。王妃はなんと? 黙ってそんな話を聞いたのかな?」
「あ、お婆様はもう……。八年前です」
そうだ、と思う。マルスランは実の母親が亡くなったことを知らない。マルスランが行方不明になり、二年ほどで亡くなったのだ。
「そうか。病がちだったし、あの人は気の弱い方だったから、心労がたたったのかな。そう……。亡くなられたのか」
十年は長い。それを痛感する。マルスランは首を振って、一度息を吐いた。切り替えるためだろう。そしてセシーリアを横目で見遣った。
「それで、彼女を王女と? 証拠はブローチだけ? 否定できることはなかったの?」
「関係者が死亡しており、身元の確認ができなかったのです。殿下も行動範囲が広かったため、はっきりと否定することもできず」
「城にばかりいたわけじゃないし、あちこち滞在していたからなあ。だからって、娘。いつの子になるの。ならば、私は王から逃げたってことになってるのかな」
「宰相は、あり得ないとも言えないと」
「宰相……。息災で何よりだよ」
「母上も同じことを。どちらともあり得て、あり得ない。何とも言えないとしか」
「妹よ……」
マルスランは再び遠い目をする。
「そのブローチは、精霊の世界に足を踏み入れた時に、精霊に奪われたんだよ。ブローチを持っていれば魔物が寄ってくるからね。面白いと言って取られてしまったんだ。途中で飽きてその辺に捨てたのだろう。討伐中だったから、そのブローチに魔物が引き寄せられたと思うけれど」
「何の話をしてるのよ。魔物が、引き寄せられる?」
セシーリアは未だ胸元に飾られているブローチを見て、顔をしかめた。魔物が引き寄せられると知らないのは、セシーリアだけだ。
「これは、王太子が持っていたブローチよ!?」
やはりまだ話の内容が理解できていないと、マルスランに対して胸を張ってブローチを見せつける。その姿は滑稽だった。皆が話を理解したからだ。マルスランは呆れるようにセシーリアに近付いて、そのブローチを奪い取る。
「何するのよ!」
「これはね、魔物を呼び寄せる魔力が宿っているんだ。どうやって作ったのか。おそらく人間の血を混ぜて作っているのだろうけれど」
「な、なんですって? バカ言わないでよ! 王太子の持っていたブローチにどうしてそんなものがくっついているわけ!?」
「王太子を殺したい者が作らせたからだよ。他にも持っているね。出しなさい」
「な。何も持っていないわよ!」
セシーリアはわかりやすく胸元を握った。後ずさろうとするセシーリアの腕をヴィクトルが取ると、セシーリアはヴィクトルさまぁ。と猫撫で声を出した。マルスランはそんな声を無視して、周りを飛んでいた精霊に話しかける。
「あの妙な力に興味はないかい? こっちに持ってきてもらえるかな」
『その人間の髪、もらっていいか?』
「んー。髪だけならいいと思うよ。何に使うの?」
『人間の人形を作って、遊ぶんだ』
「……その人形作って、本人がどうなるのか。まあ、うん。いいよ」
それは了解していいのだろうか。マルスランと精霊の会話にアンリエットは一抹の不安を覚えた。光は了承を得た瞬間移動して、セシーリアを通り抜ける。そう見えたと思ったら、セシーリアの金髪が後頭部でぶつりと切られた。
「きゃあっ! 何!?」
頭の上で掴まれた髪を切り落としたため、セシーリアの頬に髪がふわりと落ちたが、後頭部だけやけに短くなっている。うなじの辺りは切られていないため、そこだけ元の髪の長さだ。男性でもやらない髪型になって、セシーリアが呆然と自分の髪に触れた。
「な、何よ! ひどい! どうなってるの!?」
「髪くらいならいいでしょう。頭をよこせと言っているんじゃないんだし。人形に使われたら、どうなるかわからないけど」
大した問題ではない。マルスランはそう言って、髪の毛を持っている精霊に手を伸ばした。精霊の光が何度か点滅する。アンリエットは肌が粟立つのを感じた。精霊が怒りを持ったからだ。魔力が溢れてくる。
『仲間の血が入っている』
「なるほど。さて、これはどこで手に入れたのかな?」
「知らないわよ! あんたが私の髪を切ったの!? どうしてくれんのよ!!」
セシーリアは髪の毛をずっと触って、ひどい形相でマルスランを睨み付けた。今にも殴りかかりそうな顔だったが、マルスランはすがめた目で見るだけだ。
それもそうだろう。隣で精霊が怒りをあらわにしている。早く言わないと、精霊が何をするのかわからない。
「その娘がやったわけではないよ。殺したら誰がやったのかわからなくなるから、殺すのはやめてくれるかい」
『ならば、話させれば良いだろう。首を折ればいいか?』
「首を折ったら人間は生きていられないよ」
「はあ? 何言ってるのよ! その宝石を返してよ。私のよ!!」
マルスランは精霊を制するが、セシーリアには精霊の声が聞こえていないのだろう。飛びかかろうとして、シメオンがそれを押さえた。騎士たちもならい、セシーリアを拘束する。セシーリアは自分は王女だ。手を離せと怒鳴り散らしたが、光がセシーリアの前に飛んだ。
『仲間を殺したのは、誰だ』
セシーリアの目の前で、顔が近付くほどの距離で、精霊が姿を現した。セシーリアは悲鳴を上げて尻餅を付いた。
「もう一度聞こうか。精霊の血が入ったこの宝石を、どこで手に入れたのかな?」
「あ、し、知らないわ」
「精霊を甘く見ない方がいいよ。魔物よりも恐ろしいからね」
「め、メッツァラよ。あいつが別のやつらに渡したのを、私が持っていただけよ。私の物じゃないわ!」
「まったく。碌なことをしないね」
マルスランはため息しか出ないと、精霊に宝石を作った者を見付けるから、代わりに魔物たちをここに呼び込むようにと伝える。他の精霊たちと協力してほしいと付け足して。精霊は一度渋ったが、犯人を必ず見付けるようにと釘を刺し、飛んでいった。
精霊の怒りは収まったのか、魔力は緩やかになった。あれ程の魔力の側にいて平然としているマルスランに驚きしかない。アンリエットは鳥肌が立っていたし、エダンたちも冷や汗をかいていた。
「その娘は捕らえておきなさい。私に娘なんていないよ。君たちは山から少し離れて、残党を狩るといいよ。エダン、統制は執れる?」
「問題ありません。すぐに動きます」
「それで、シメオン、そちらは?」
「クライエン王国の王太子殿下です」
「ああ、これは。大きくなられて。申し訳ないが話はあとで。皆を下がらせて陣営を広げてもらえるとありがたい。巻き込むと困るから」
その言葉は、魔物たちをこの場所に追い込んで、マルスランが対処するという意味だ。ヴィクトルがごくりと息を呑むのがわかった。アンリエットも同じ気持ちだ。精霊が追いかければ、どれほどの魔物がこの場所に集まってくるのだろう。その途中にはぐれた魔物をエダンやヴィクトルたちに狩るように言うが、集まる量は計り知れない。
「シメオン、アンリエット。お前たちは私の側にいなさい。精霊たちにちょっかい出されて、連れていかれても困るから」
「ちょっかい?」
「お兄様、言う通りに。十年閉じ込められることになります」
「それは……」
話は理解できたと、シメオンは深く頷いた。今度はシメオンやアンリエットが十年行方不明になるのは避けたいところだ。
皆がこの場所を離れていくと、遠くの空に白い光が集まっていた。それと共に、魔物の咆哮や急いで移動している地響きのような音が聞こえてくる。
「さて、始めようか」
マルスランの言葉に、シメオンとアンリエットは固唾を呑んだ。




