42 入り口
西の方向に馬を走らせれば、ドレスの女性が目に入った。
アンリエットは即座に剣を持つ。倒れ込んだセシーリアの横を通り過ぎ、迫ってくる巨体の魔物の顔面目掛け、魔法を放った。
魔物が攻撃に傾いだ。
だが、アンリエットの攻撃でバランスを崩したわけではない。
「アンリエット、下がれ!」
魔物の背後から放たれたエダンの攻撃が、足に入っていた。アンリエットより先に当たったエダンの魔法が、魔物の動きを止める。
アンリエットは旋回して魔物から離れる。エダンがさらに背後から攻撃を行うと、魔物は前のめりに倒れて、地面に片腕をついた。鋭利な氷の塊が、魔物の足首をつらぬいている。
アンリエットの攻撃は顔面に入っていたが、頬をえぐった程度だ。エダンの攻撃がなければ、魔物はセシーリアを捕らえていただろう。
騎士がセシーリアを拾い上げて、魔物から離れる。それを見送って、すぐにシメオンが魔物に追加攻撃をした。魔法使いたちが援護をし、魔物が炎に包まれる。騎士たちが止めを刺すために前に出たが、魔物がふらつきながら立ち上がると、途端腕を振り出して周囲の木々を倒しはじめた。
「離れろ! アンリエット!」
魔物の横にいたアンリエットに向かって、大木が倒れてくる。それを馬で避けたが、魔物の振った腕の勢いで突風が流れ、馬が衝撃で倒れ込む。
「アンリエット!」
「大丈夫!」
だが馬を起き上がらせる余裕はない。エダンの声に返しながらその場を離れたが、魔物が大きく咆哮した。瞬間、周囲に衝撃が走った。
「きゃっ!」
「うわっ!」
突風が木々を揺らし、勢いで倒れそうになる。さらに魔物が木を振り回して、近くにいた者たちを倒そうとしてきた。
「皆、一度離れろ! 距離を空けるんだ! 殿下、お下がりください!!」
シメオンの声に魔法使いたちがヴィクトルの周りを守りながら離れていく。魔物が振り回す木に当たれば即死だ。しかし魔物はヴィクトルの側にいたセシーリアに視線を向けると、大木を掴み、放り投げようとした。
「殿下!!」
アンリエットが叫んだ瞬間、アンリエットの背後から光が飛んだ気がした。
「なんだ!?」
光が森の木々の隙間を一瞬で通っていく。それにならうように、どこからか霧が立ち込め、辺りを真っ白にした。
周囲が見えなくなる。魔物も何もかも見えなくなって、エダンが駆け寄ってきたのだけ見えた。
「アンリエット!」
「エダン!」
「なぜ急に霧が」
辺りはシンとした。皆の声が聞こえない。魔物の気配もなくなった。
けれど、代わりのように、別の魔力を感じた。真っ白な世界に、小さな光が動いている。
「エダン、何かいるわ」
「……アンリエット、離れるな」
エダンはアンリエットの手に触れた。少しでも離れれば、お互いの姿が見えなくなってしまう。離れないように、お互い手を握り合う。
周囲は霧のせいでまったく何も見えない。それどころか、なんの音も聞こえない。けれど、小さな光だけが点滅して、それが急に大きくなった。
『仲間を連れてきたのか?』
くぐもった声が耳に届いた。光から声が発せられる。
魔物? 話す魔物?
(いえ、違うわ)
『餞別か?』
何を言っているのか。光は形を成すと、羽を持った人の体に変化した。
「……精霊?」
エダンの言葉に、アンリエットは唾を飲み込んだ。見た目は人に見えるが、背中に羽がある。細長い羽根で、羽虫のような羽根だ。それを何度かパタパタと動かす。
肌は血の気の通っていないような青白さで、髪は長めでふんわりとしており、黄緑色をしている。人とは思えない色彩。
精霊と言われたら不可思議であって神聖さでも感じそうだが、背筋が凍りそうになった。美しく見えるが、近くにいるとどこか恐ろしさを感じる。
畏怖のようなものかもしれない。計り知れない魔力を感じて、肌が粟立った。
エダンもそう思っているだろう。握っている手に力を入れた。
大体、皆はどこに行ったのだろう。魔物もいない。霧の中いるのはアンリエットとエダンだけ。そしてこの目の前にいる、謎の生き物。それ以外に気配を感じない。
まるで、別の世界に入ったような。
『聞いているか? また迷子になったのか? ほら、そんなところに座っていないで、さっさと行くぞ』
精霊は何かを勘違いしているのか、一方的に話してアンリエットたちを促した。
エダンと横目で確認しながら立ち上がる。 皆が心配だが、こう真っ白ではどこにもいけない。ここはついていくしかないと、お互いに小さく頷き合った。
精霊はふわりと浮かんだまま、ゆっくりと進む。周囲は真っ白だが、精霊には方向がわかるようだ。アンリエットはもうどちらに進んでいるのかもわからなくなっているのに。
『出ていくと言ったのに戻ってくるとは』
誰と勘違いしているのだろう。
そう思いながら、まさかな。という考えが頭に浮かぶ。
『人間は、すぐに迷子になる。ほら、見えてきた』
突然視界が開けた。あっという間に霧が消えて、周囲が見えるようになる。
「これは……」
「精霊の、すみか?」
自然の森の中に、木の家や道がある。人間の町のように精霊が行き来して、時に飛び、大木に造られた家の中へ出入りした。見慣れた木々のように見えて、少し違う。パルシネン家の領地にこんな大木はない。柵は細長いキノコでできていて、灯りは花の中で灯っている。
「なんて、素敵なの」
「アンリエット、」
アンリエットが周囲に驚愕していると、エダンが手を引いた。エダンの視線の先、羽のない男性が精霊たちに囲まれている。
「いや、こんなに土産はいらないよ。あちらに持っていったら、大変なことになってしまう」
『なぜだ? これは良いものだぞ』
「精霊の力を持つ物を外に持っていっては、影響が大きいんだよ。それより、そろそろ行かないと、また閉じ込められてしまう」
『大した時間ではないだろう』
「君らにとってはね。人間にとっては違うのだから」
(人間?)
男性は金髪で、身長が高い。青年のような、もう少し上のような顔をしていた。緑色のマントを羽織っており、格好は精霊たちと同じだが、男性だけ剣を腰にはいていた。精霊たちはナイフのような物を腰に下げているが、剣は持っていない。
『おい、これはお前ではないのか? 同じ気配がする人間を連れてきた。こっちの男はお前の土産ではないのか?』
アンリエットたちを連れてきた精霊が、その男性に声をかける。男性が気付くと、目を大きく見開いた。
「どこから来たんだい!?」
『入り口で見付けたんだ』
「入り口はまずいよ!」
男が焦ったように近付いてくる。精霊はお前のものだろう? と問うて、もう一度、男の方をもらっていいかと聞いた。
「ダメだよ。彼は土産じゃない。あー。迎えに来てくれたんだ。これから一緒に帰るんだ」
『何だ。お前の家来か。つまらんな』
精霊がぶすくれたが、いきなりエダンの腕を掴んで引っ張った。肩から外れそうなほど後ろ側に引っ張るので、エダンが顔を歪める。男は急いでその手を離すように精霊を説得した。
「困るよ。うちの家来の腕を取る気かい。手を離してくれ」
『腕の一本くらい』
「一本なくなったら大事なんだよ」
男性の説得に、精霊がやっと手を離した。エダンは腕が痺れたようで顔を歪めたままだ。
「エダン」
「大丈夫だ」
精霊と男性の会話を聞いているだけでゾッとしてくる。精霊は冗談で言っているのではなかった。本当にエダンの腕を取ろうとしたのだ。
『急ぐことはないだろう。もう少し話すくらい』
先ほど男性を囲んでいた精霊たちが話しかけてきた。こちらは青色の髪色をしている。ピンクや赤、色は様々で、花のような、葉のような色をしていた。それらに囲まれて、アンリエットは震えそうになった。魔力が強すぎて、寒気がする。
「また十年閉じ込められたら困るんだよ。さ、君たちも一緒に行こう。ここにいたら、帰れなくなるよ」
「帰れなく?」




