41 襲撃
「まったく、困ったことをおっしゃいますな」
メッツァラはセシーリアの前で口髭をなでながら、肩をすくめる。テントの中には王宮の騎士もいるため、本性を出せないのだろう。
(この宝石があれば、魔物を操れる。だから、これであんたは最後よ。メッツァラ)
セシーリアは胸元にある石を確かめながら、セシーリアはほくそ笑む。
けれど、前のように魔物が接近するのは避けたい。自分を襲わないとわかっているが、近寄られるのは話が違う。
それに、前の時はセシーリアの側に全く寄ってこなかったのに、エダンと一緒にいた時はかなり近くまで寄ってきた。それが気になって仕方がない。
そう考えているとメッツァラが、仕方がないからテント周囲を守らせますよ。とテントを出ていく。
メッツァラに続いて、メッツァラ家の魔法使いと騎士団長も出ていった。あの騎士団長は皆が死んだ時にしつこく追いかけてきた男だ。魔法使いの方は魔物を使った実験でよく男たちとつるんでいた。
きっと、この宝石を狙っているに違いない。エダンからセシーリアを守れと言われて素直に頷いたのも、宝石を奪うために決まっている。奪われる前に、やらなければならない。
「あなたたちも出ていってくれる? 少し一人になりたいわ」
テントから出入り口を守っていた王宮の騎士たちを追い出して、宝石を胸の谷間から取り出す。テントから出ていってくれたのはありがたい。指を歯で傷付けて、宝石に血を塗りつける。これで呼び出して、あとは握って命令すればいいだけ。
この宝石の面倒なところは、命令をする魔物を血液を使って呼び出さなければならないところだ。呼び出した魔物は命令を聞く。近くに魔物がいれば、一匹ならず数匹でも命令に従う。これの良いところは、この宝石を持っていれば魔物が持ち主に必要以上近付かないところだ。呼び出して近寄られては恐ろしい。たとえ、襲われないとわかっていたとしても。
宝石を握って、テントから外をちらりと確認する。メッツァラはどこにいるだろうか。何か企んでいるとしても、エダンの部下たちが近くで待機している。何かすればメッツァラのせいだとエダンはすぐに判断するだろうから、簡単にセシーリアに手出しはできない。
「え、なんで誰もいないのよ」
だが、外にいるはずの、王宮の騎士がいない。メッツァラの姿も見えない。
「どこに行ったのよ」
魔物が現れたのだろうか。だから皆そちらに行ったのか?
そう思った時、遠くで木の枝が折れる音が聞こえた。魔物が来たのだろうか。
ならば、命令しなければならない。自分以外の者を、みんな殺せと。メッツァラを殺せばいいだけだが、メッツァラがいない。その辺にいるだろうから、軒並み殺してしまえと命令すれば、弱々しいメッツァラは簡単に死ぬだろう。他の騎士や魔法使いたちは戦えるのだから、簡単に死んだりしないはずだ。メッツァラだけ、死ねば。
だが、さっさと逃げていたら?
そう思った時、雪崩のように木々が倒される音がすぐ近くで聞こえた。先ほどよりずっと近い。草を踏みつける音にしては大きすぎる。
「なんなのよ」
そんな大きな魔物を呼んだのか?
「な、に、あれ……」
テントから顔を出せば、木々の隙間から黒い何かが木々を薙ぎ倒してこちらに向かってくるのが見えた。セシーリアが知っている魔物より、やけに大きい。
「きゃあっ!」
木々が大仰な音を立ててこちらに向かって倒れてきた。別の木にぶつかって横倒れにはならなかったが、その木を踏み付けて魔物が進んでくる。
「ひっ」
熊のようで、そうではない。のっぺりとした顔で、口を開けたまま近付いてくる。焦点もあっていないような気がした。
メッツァラはどこにいるのか。メッツァラを狙えと言いたいが、どこにもいない。本来ならば、狙えるような人間の方へ近付くのに、なぜか宝石を持っているセシーリアの方へ一直線に進んでくる。木々を薙ぎ倒し、踏み付けて、障害物をもろともせず。
メッツァラは森で実験をすることがある。主に宝石の威力やその使い方についてだが、魔法使いたちが倒した魔物を運んでいたのを見かけたこともあった。
もし、セシーリアの知らない宝石で、実験をしていたら?
今持っている宝石に対抗できるような、何かを作っていたら?
ぞっと寒気がした。
「こっちに来ないでよ!」
他の騎士たちはどこにいるのか。メッツァラの部下たちもどこにもいない。
けれど魔物は近付いてくる。
「やだ。誰か。ひっ!」
セシーリアはテントを飛び出した。そのテントの脇に、先ほど入口を守っていた騎士二人が転がっているのが見えた。
血まみれで、息をしていないようだった。
(逃げなきゃ。逃げなきゃ!!)
セシーリアはハイヒールを脱ぎ捨てて、ドレスの裾を握って、走り出した。
どうしてこんなことに。考えている余裕はない。エダンのいる場所に行かなければ。エダンはどこに行ったのか。
「どうして、どうして」
この宝石があれば、魔物は言うことを聞くのではないのか。前は言うことを聞いた。数匹の魔物がやってきて、男たちや老婆を殺したのだ。セシーリアは家に火を放ち、木の陰に隠れていて、彼らが襲われたところを見て、一目散に逃げたのだ。魔物はセシーリアに気付いたが、追ってくることはなかった。それも当然だ。この宝石には魔物が嫌がる魔法がかけられているからだ。
「きゃっ!」
草木に足が絡んで、セシーリアは滑り込むように転んだ。膝が痛んだが、傷を見ている余裕はない。魔物は木々を倒しながらゆっくりついてくる。間違いなく、セシーリアを追ってきている。
昔、老婆に見つけられた時も、こんなだったのだろうか。
いや、あの時は意識を失っていて、草むらに隠れていたから、魔物に気付かれずにすんだ。老婆はそう言っていた。
今倒れても、魔物が見逃してくれるとは限らない。
森の中で、父親らしき男が死んでいた。そこから少し離れた草陰に、セシーリアは一人、倒れていた。頭には傷があり、血が流れて気を失っていたのだ。
父親は魔物か獣か、どちらにしてもなにかに襲われて死んだ。老婆はその男が死んだことをいいことに、持っている物を盗もうとした。しかし特に何か持っていたわけではなく、肩透かしを食らったとぼやいているところ、転がっていたセシーリアを見つけて、持って帰ることにした。小さな子供だったが、生きていれば使えると思ったからだ。
セシーリアは地面にあった石にぶつかって倒れていた。そのせいで記憶が曖昧なのかもしれないし、何か恐ろしい目にあってそうなったのかもしれない。だから自分の誕生日も年もわからない。本来ならば両親に愛されていたかもしれないのに。
だが、老婆は言った。お前の父親は、お前を突き飛ばした後、何かに襲われたのだろうと。
そこに守ろうとした心はない。セシーリアより離れて走ったところを後ろから飛びつかれていた。だから、娘を犠牲にして逃げようとしたのだろうと、老婆は言う。
本当に父親ではないかもしれないじゃないか。そう反論すれば、顔は似ていたとせせら笑った。
老婆の話はいつも同じ。
私が助けてやったんだから感謝しな。
助けてもらっておいた分際で、口答えするんじゃないよ。
放っておけば、お前は死んでいただろうね。
山の中に住む奇怪な老婆。魔物は多くないとはいえ、山の中を徘徊していることがある。父親はそれで死んだのに。けれどすぐに理解した。老婆は町や村に住むことができないのだ。昔悪いことをして、捕まった。人々は老婆を嫌っていて、よく思っていない。だから危険でも離れて暮らすしかないのだ。
それに、老婆には仲間がいて、数人の男たちが小屋に入り浸った。男たちは領主のメッツァラの命令を聞き、メッツァラから得た宝石で商人や貴族を襲っていた。奪った物をどこかで売りさばいて、金をメッツァラに渡していた。宝石の研究に必要な金だからと。
メッツァラは森の中で魔法のかかった宝石の実験もさせていた。時折見学に来る偉そうな貴族もいる。それがシーデーンだった。シーデーンは違法な宝石を研究していた。メッツァラはマルスランを殺したくて、協力していた。そのうちシーデーンを頼ることなく、魔法使いたちを使い何かしら作っていた。
セシーリアがすることは、男たちに食事を作り、金の計算をして、金目のものを保管すること。けれど男たちは年頃になったセシーリアを下卑た目で見るようになった。言うことを聞かないと殴られて、外に放り出される。
なんでいつも私だけこんな目に。
必ずあいつらを殺してやる。
宝石の保管は厳重だが、いつまでも売らない宝もあった。それは外に出ないため、移動させても気付かれない。だからそれらはこっそり森の中に埋めて、一つだけ持って計画を実行した。
魔物を使う宝石は男たちの一人が持っていたが、それをちょろまかした。ちょっと言うことを聞いて、従順になったふりをしただけで、簡単に盗むことができた。
私は自由だ。
自由になったのだ。
メッツァラの領地を出て、隣の領地に逃げ込んだ時、騎士たちに助けられた。魔物に追われていたわけではないが、たまたま彼らは近くにいた魔物を探していた。そうして保護されて安堵したのも束の間、すぐにメッツァラがやってくる。
だがその前に、騎士の一人が持っていたブローチに気付いた。とっさに父親の形見と言ったのが功を奏した。メッツァラはセシーリアを殺すことができず、王女のふりをして王を出しぬけと言い出した。あの王ならば信じるだろう。それは本当で、簡単に楽な生活が送れるようになったのだ。
なのに。
「きゃっ!」
何度目の転倒だろうか。足の裏に小枝が刺さって、痛くて仕方ない。だが、ここで止まったら、魔物が。
「ひっ!」
真横に大木が倒れてきた。進もうとした先が枝や葉に覆われて、進むことができない。後ろで、枝を踏み付ける足音が聞こえた。
「なんで、なんでよ。私の言うことを聞きなさいよ! メッツァラを殺すんでしょ! こっちに来ないでよ!!」
叫んだ瞬間、後ろから声が聞こえた。
「伏せなさい!!」
「え!? きゃあっ!」
頭の上を、何かが飛んでいった。魔物がいきなり悲鳴のような雄叫びを出す。
さらにセシーリアの横を馬が通り過ぎた。剣を持った、
「嘘でしょ?」
まさかのアンリエットが剣を振り回し、魔物の頭上目掛けて魔法を放出した。




