40 気持ち
戦いは一日では終わらない。数日かかるかもしれないし、一月かかるかもしれない。
前回は数日もないうちにマルスランが行方不明になった。そのためスファルツ王国側は撤退を余儀なくされることになり、魔物による犠牲が増えてしまったのだ。
「アンリエット!」
アンリエットの背後に走ってきた尾の長い獣が、小さな羽を広げながら尾を振り回した。シメオンが風の魔法でその尾を切断すると、アンリエットは大口を開けた魔物の口目掛けて光の刃を飛ばす。
普段あまり見ることのない、中型の魔物だ。いつもは山の奥に住んでいるのだろう。尻尾で木々を薙ぎ倒すため、森が壊れていくのが目端にうつる。
「群れで出てきているみたいだね」
「お兄様、狭い場所は危険です」
「そのようだな。皆、広い場所に出て、動ける空間を確保しろ!」
味方同士側にいすぎても、戦いがしにくい。できるだけ離れずに、各々が戦えるだけの広さを使って、一匹に対し数人で対処する。
遠くから後方支援の魔法使いたちの魔法が飛んでくる。魔法でよろけた隙を狙い、騎士たちが剣で止めを刺す。しかしその剣を弾くほどの皮膚を持った魔物が増えてきた。一度魔法で傷を付けて、そこを狙う。
(魔法使いたちの負担が大きいわ)
魔法が弾かれることもあり、木々に跳ね返って、下にいる者たちが影響を受けた。魔物に近付かないようにしても、相手が走って接近してくるので、陣形もとりにくい。
アンリエットは魔物が走ってくる瞬間に、風の魔法で木々を倒した。下敷きになり動きが鈍くなる魔物を目掛け、鋭い風の魔法で首を狙う。だが、木を倒し続けると、こちらの逃げ場が減ってしまう。それを見極めながら、魔物の足元を狙い、その足を止めて攻撃を行った。
「深追いするな! 一度陣形を取り直す!」
シメオンが追おうとする騎士たちに命じる。休憩も必要になるため、体制を整えながら後退した。無理はしない。体力も温存しながら続ける必要がある。
ある程度まで下がっても、魔物が走ってくることがあった。やはり前よりも現れる数は多い。
「問題ないか!?」
全体の指揮を執るために後方へ下がっていたヴィクトルが近付いてきた。
「こちらは問題ありません。一度下がります」
「まだ行けるだろう。援護するぞ!」
まだ行けるだろうが、これから魔物がどう増えるのかわかっていない。間違いなく増加は続き、戦いも続くだろう。無理は禁物だ。アンリエットがそう思っているとシメオンも同じ意見なのだろう、首を振った。
「下がります。殿下、無理はなさらない方が良いです」
「そうか。なら一度下がり、休憩を交代で行う」
休める時に休まなければ、先に続かない。途中現れる魔物を倒し、広場へと戻る。しばらく行ったり来たりを続ける予定だ。数が減ってきたとわかってから、さらに奥に入ることになっている。
(それに、どれくらいかかるかしら)
長い戦いは疲弊する。だが、まだ始まったばかりだ。気負っていても仕方がない。今のところ広場に近付く魔物はおらず、警戒しつつも交代で休憩した。
「殿下、お休みになってください」
休憩になってもヴィクトルが指示をしている。それでは疲れてしまうだろう。アンリエットが声をかけると、小さく笑って頷くだけだ。休む気がないように思える。
ヴィクトルの戦い方も少し気になっていた。集中力が欠けているような、意気込みすぎて集中していないような、そんな雰囲気がある。初めての長丁場の討伐参加のため、緊張しているのだろうか。
「殿下、お座りになり、一度体を休ませてくださいませ。そのように指揮官がうろついては、他の者たちが気軽に休めません」
アンリエットがキッパリ言うと、ヴィクトルは体を強張らせた。そしてすぐに肩を下ろす。
「そうだな。申し訳ない」
「謝る必要などありません。皆殿下の心配をしております。戦いもすぐに終わりますわ」
「……そうだな」
ヴィクトルは微かに微笑む。いつものヴィクトルとは違い、覇気がなかった。
とにかく結果を出そうとして焦る、一年目の騎士たち。早く手柄を欲しがる若手の騎士のようだ。そんな焦りが、ヴィクトルに見えた。
シメオンも気になったか、横目でヴィクトルの様子を確認する。シメオンはヴィクトルの側にいた方が良いと判断したのか、ヴィクトルを守れる位置で待機した。
(私のせいなのかしら)
気を散らせるようなことをしたとしたら、エダンに会ったことだが。
しかし、エダンは戦いの危険性を示してきただけだ。気を散らせるようなことではない。
けれど、気にさせてしまったのだろうか。
(私も恋愛にうといのだわ。何が気になるかなんてわかっていないのだから)
今はとにかく集中しなければならない。そう気を付けようと思っているのは、アンリエットも同じ。エダンのことを考えてばかりで、集中できていないのだから、人のことなど言えない。
「そうよ……」
アンリエットはずっとエダンのことばかり考えている。
一度は手放した人が、アンリエットにひざまずいた。演じるように、許しを乞うたのではない。エダンは、アンリエットに選んでもらうために、機会をくれと言った。アンリエットが別れの話をするのだと気付きながら、一度だけでいいからとアンリエットに約束を取り付けた。
あんな風に乞うような人ではないのに。
アンリエットはもう会うことはないと思いながら、その言葉が忘れられないのだ。
(ああ、私もバカね)
アンリエットは自嘲する。
「ずっと前から、答えが出ているじゃない」
結局、忘れられるわけがないのだと。
「雪? いや、氷の粒?」
シメオンの呟きに、アンリエットは空を見上げた。ひた、とみぞれのような物が頬にあたり冷たさを感じさせて、すぐに消えていく。
手に取ってみると、青色の氷を含んだ雪が、手袋に滲んで消えた。
「青色のみぞれ?」
「何でみぞれに色が付いているんだ?」
周囲のざわめきをよそに、アンリエットは西の方角を見上げた。耳を澄まし、集中して、微細な魔力を感じるために、感覚を研ぎ澄ませる。
「西です! 強力な魔物が近付いてきます! 警戒を!!」
青のみぞれは、エダンからの連絡だ。戦っていても気付くように降ってくる、青の信号。
西に、危険あらわる。注意せよ。
「西? なんの話、」
シメオンが問うたその時、西の方角から木々が倒れる音がこだました。
「なんだ。魔物!?」
遠くの空に鳥が羽ばたくのが見える。あちらから魔力を感じた。巨大な魔力だ。
「なんだ、あれは」
皆が空を見上げる。青々とした森の木々が、音を立てて倒れるのが見えた。こちらより少し高い場所で、道を作るように木々が倒れていく。
「こっちに来る!」
誰かが叫んだ時、地鳴りのような咆哮が森の中にとどろいた。




